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遠く潮騒のように

自分は何かしてしまったのだろうか。なぜシノノメは急に距離を取ってしまったのか。

日に日にその距離が遠ざかっている気がする。相変わらず話しかければ答えはするものの、シノノメから話しかけることがついになくなった。


「ねぇ、シノノメ。待って」


ねぇ、と。散々探して見つけた背中。縋るようにシノノメを呼び止める。

今、シノノメが暇をしているのは確認済みだ。用事があるからまた後でなどとは言わせない。


元通りの距離でなくていい。もう手を握ってくれなくても我慢しよう。

だが、せめて話をさせてほしい。どうして離れていくのか。その理由を問いただしたい。


「私、何かしましたか?」


何か悪いことをしてしまったのなら謝る。だから嫌わないで。離れていかないで。独りにしないで。

願いを込めて問いかける。シノノメはぐっと押し黙ったままだった。


沈黙。しばらく押し黙ったシノノメは重々しく口を開く。


「姫さんが悪いわけじゃないさ」

「じゃあ、なんで……」

「罪人だから」


俺が、だ。罪人の分際で、どの面下げて。そう思ってしまって言葉が声にならなくて、気まずくなってしまうばかりなので。

表向きのそれらしい理由を口にしようとした。実際、間違ってはない。そこから一歩踏み込んだ恋慕があるだけで。

だが、用意した表向きの理由を述べるより先に、切り出しのはじめの一言がナギサに致命的な誤解を与えた。


「……罪人……」


繰り返すナギサの語調は愕然としたものだった。まるで足元が崩れて深い穴に落下するような。


罪人。罪深い者。この神域において、『最も罪深い者』は誰か。ナギサだ。

罪人だから。その一言はナギサに突き刺さった。私が『最も罪深い者』だから、いけないのだと。


「そうですよね……。私は、ただの釣り餌……」


思い出した。自分はただの釣り餌だ。鯨神の食事のために餌を集めるためのもの。最も罪深い罪人だ。

罪人だから。あぁそうだ。自分は重罪人の大罪人。恐れ多くも鯨神の血肉を喰った不老不死の罪人。それなのに浮かれてはいけないのだと、シノノメはそう言いたいのだ。


あぁ。そうだ。勘違いしていた。シノノメが近頃優しかったのはただの同情だったのだ。罪がどうこうと気にして、せめてもの罪滅ぼしに。

もしかしたら、自分の力のせいかもしれない。他者の感情をある程度誘導できるこの力が無意識に作用してしまったのかも。寂しい、気にかけてほしいという願望が影響を与えてしまった。だからシノノメはやたら優しかったのだ。同情して優しく接するように仕向けてしまった。


だから、突き放されて当然。なんだ、そういうことか。釣り餌ごときが調子に乗るなと。

は、と乾いた笑いが漏れそうになった。浮かれたりなんかして、馬鹿みたい。


「ぁ、ちが……」


違う。そうじゃない。ナギサの口ぶりからとんでもない誤解を与えてしまったことを悟り、慌てて訂正しようとする。

そうじゃない。釣り餌ごときなど、そんなこと思ったこともない。悪いのはこちらなのだ。

そう言いかけたシノノメの声に被さるようにして――


――突如、鯨神の咆哮が響いた。


「………………行ってきます」


祝祭の合図だ。行かなければ。釣り餌らしく。役目を全うしなければ。釣り餌らしく。


くるりと背を向け、ナギサがその場を立ち去る。

離れていくその背にシノノメが手を伸ばす。だが、伸ばした手は虚しく空を切るだけだった。袿の裾を掴めもしない。


「待っ……待ってくれ、俺はお前が――」


咄嗟に言いかけ、そして罪悪感が口を閉じさせる。俺はお前が好きだと告げたところで、じゃぁそれで何を言うのだ。どの面下げて。罪人のくせに。

罪悪感と自責。それ以上の言葉が出てこなくて、開きかけた口を閉ざしてしまう。空を切った手をまた伸ばすこともできず、ただ呆然と立ち尽くすだけだ。


ざざ、ざざ、と。距離を隔てるように波の音が響いていた。

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