緋色の花が海に咲く
「シノノメ、ノシロ」
ふと、柔らかい声が投げかけられた。振り返れば、頭ひとつ低い位置に橙の袿。
ナギサだ。いつも通りの格好に加え、シノノメが贈った髪紐をつけている。横髪だけをすくい取って後頭部で結び、そこに髪紐を結わえていた。
可愛い。飛び出しかけた一言を理性で押さえつけて飲み込み、シノノメは普段通り軽妙な態度で片手を挙げた。
「よっ。何か用かい、姫さん?」
「用事はないんですけど……2人を見かけたから」
雑談しながら海草を叩いているようだったので、その輪に入りつつ手伝いでもできれば。
そう思ってやってきたのだ。特に何かしらの用件で訪ねたわけではない。
そう答えるナギサを、じっとノシロが見つめていた。布を叩く手を止め、物珍しそうに、興味深そうな視線をナギサへ向けている。
「……どうかしましたか?」
「あ、いや、その……結っているのが珍しくて……」
視線に気付いてナギサが問えば、ノシロがそう答えた。
髪を結っている姿など初めて見た。いつもはおろしているし、作業の邪魔になる時にだけまとめるだけだ。乱雑にまとめているだけだし、作業が終わればほどく。
そうではなく、おしゃれを目的として結っている姿を見るのは初めてだ。少女なりの化粧っ気を微笑ましくも、物珍しく見てしまう。
「あぁ……これですね。髪紐をもらったんです」
せっかくなので使おうと思って結ってみたんです。そう言うナギサは贈り主をさりげなくぼかした。
小さな照れ隠しはノシロにはわからず、しかしシノノメにはばっちりと届いた。へぇそうなんですね、と相槌を打つノシロの後ろで、んん、とシノノメが咳払いをした。ふざけるな可愛い。理性を超えて言葉が出そうになった。
「いいですね。よく似合ってますよ」
海草を叩くシノノメの手つきがやや荒々しくなったことに気付かず、呑気にノシロは褒め言葉を口にする。
茶を基調として白の差し色が映える髪紐は橙の袿によく似合う。ナギサの海色の髪や目も引き立てるいい色合いだ。そして一族がまとう浅葱色や紺色とも調和している。海色に染まりゆく一族の者の中にいて、人目を引く美しさを引き立てるだろう。
「贈った人はあなたのことをよく見てるんでしょうね」
これほどまでの贈り物はよくよく熟考を重ねて厳選しないとできないだろう。素材こそ端切れで作られた簡素なものだが、そこに詰まっている心遣いは簡素なんてものじゃない。どんな精巧で豪奢な金細工だって勝てはしない。
ナギサのことを真摯に想って用意したということがよくわかる。男女の機微に疎いノシロでもわかるほどに。
うんうん、と頷くノシロの横でシノノメがいたたまれない顔をしている。その様子に気が付き、ナギサがくすりと小さく笑いを漏らした。自分で贈ったものが目の前で褒め殺しにされているのだ。それはもう落ち着かないだろう。
「あぁ、うん。そうやって笑った時が一番映えて……」
「…………おい、本人の前で褒め殺すな」
ついに我慢できなくなって割り込む。黙っていようと思ったがノシロがあまりにも褒め殺すので限界だ。
頼むからそんなに持ち上げないでくれ。多少なら受け流せるがその量はさばけない。
自白すると、ノシロは意外そうな声を上げた。
「え!? あれシノノメさんが!?」
「うるせぇな文句あるか!?」
いやないですけど。じゃぁいいだろ。そんな会話をする2人がまるでじゃれているようで、横で見ているナギサもふふっと笑顔を漏らした。
その向こう。睦まじく粥を食べさせ合っていたシイラとモロコの熱愛夫婦が、不意に立ち上がった。




