常にあなたのそばにいるもの
「あいつらもそうさ」
つい、とシノノメがあらぬ方を指す。指した先、少し離れた桟橋の向こうでは一組の男女が仲睦まじげに寄り添っていた。あーんと匙で粥を食べさせ合っている。口の端に垂れようものなら口付けついでに舐め取る始末。
見るからに愛し合うあの2人の名はシイラとモロコ。常に一緒に行動し、片時も離れない2人は一族内では有名だ。
我らが一族に婚姻の制度はないが、あの2人は互いを夫婦だと思って熱愛している。水魚之交、比翼連理なんて言葉じゃ足りないくらいの睦まじさだ。
鯨神の眷属である我らが一族は生殖も必要なく、生殖が不要ゆえに性欲も薄い。よってそれらに起因する恋愛感情も育ちにくい。だがあの2人は例外だとばかりにお互いを愛し合う。どちらかが欠けたら立ちゆかないほどに。
「ただ2人揃って生き残っただけなのにな」
それはいつだったか。あの2人は同じ祝祭で生き残り、同時に眷属になった。それを運命だと思い、あぁやって愛し合っている。
だがあの愛情は薄っぺらなものだ。罪人であることの後ろめたさから目を逸らすためのもの。ノシロが仕事に打ち込むことで思考を逸らそうとしたように。コガイが入水のふりで生存の実感を確かめるように。シノノメが飄々とした態度で受け流すように。
ただの恋愛ごっこなのだ。その証拠に、あの2人は幸せそうに笑ってはいるが、その笑顔はどこか歪だ。不自然なぎこちなさは現実逃避であることの何よりの証左である。その愛の形は逃げられない罪業から逃げるための道具なのだ。
「ま、恋のフリしてる一過性の熱さ」
数十年もしたら冷めるだろう。今は熱中しているがそのうち冷める。たとえどんなに熱かろうと冷めるだけの時間がこの神域には存在している。
あれは現実逃避のための一過性の熱なのだ。ろくなもんじゃない。どこか自分に言い聞かせるような口調でシノノメはそう結んだ。
「お前のそれもいつか落ち着くさ。焦るなよ」
それというのは、働いてないと余計なことを考えるという癖だ。今はまだ情報を飲み込みたてで動揺しているだけ。そのうち感覚が麻痺して何も感じなくなるだろう。諦めて開き直るともいう。あぁそうだな、で、それが何か、で片付けるようになってしまう。
この動揺もまた一時的なものなのだ。だからいちいち揺れてなんていられない。そう言われて思考を切り替えるのは難しいだろうが、俯瞰した視点は持っておくにこしたことはない。いつか落ち着くという見立ては今後の見通しになる。
ぽん、とノシロの肩に手を置く。慰めるような、励ますような手つきにノシロが頷いた。うんうん、素直で何より。ぽんぽん、と肩を数度叩いてさらに気休めを継ぎ足した。
「……あの、シノノメさんはできてるんです?」
これは一時的なもの。そのうち落ち着く。シノノメはそう言うが、彼自身そうなのだろうか。
飄々とした態度はすべてを受け入れているからできることなのだろうか。思うことはあっても、もう揺れないのだろうか。
長く生きたものならではの諦観を手に入れているのだろうか。
ノシロの問いに、ぱち、と一瞬面食らったような顔をしたシノノメは次の瞬間、自嘲にも似た笑みを浮かべた。
「俺が? できてると思うかい?」
できているわけがない。眷属になってから、主観的な日付感覚で数百年ほど。未だに目の前の感情に振り回されている。罪悪感も自責も何もかも常に生々しく横たわっている。後ろめたさはいつも背中をつつき、浮かれた気持ちを暗く沈める。
数百年経ってるのにこれだ。果たして、自分で言っている通りの開き直りができるようになるのはいつのことやら。あと千年は必要かもしれない。
「それが嫌ならそのへんの桟橋から飛び込むか、厨番になるか……」
入水自殺をして鯨神に喰ってもらうか、あるいは厨番になって自我を消してもらうか。
この苦痛から解放される方法はこの2つだけだろう。だがシノノメはそのどちらも選ばないし選べない。選ぶほどの度胸がない。
中途半端に苦しみながら生きている。そうして数百年だ。
「いつだって苦しいさ。この心は晴れたことがない」
雲に覆われた空のよう。雲の名を冠する男はそう言った。




