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楽しくなってきた

と、いっても。この神域で用意できるものなどたかが知れている。

共同体を構築し、運営するに必要な最低限しかない空間だ。衣服も食事も不満を覚えない程度しか供給されず、娯楽は乏しい。上等な服もなければ美味い飯もない。甘い菓子があるわけでも、美しい装飾品があるわけでもない。

その中で、女の子が喜びそうなものをお礼として用意するとなるとかなりの難題だ。


さて、どうしたものか。思考をめぐらせながら、ぽりぽりと『菓子』をかじる。金平糖に似た白い結晶を咀嚼しながら、うーんと唸る。

生活に必要なものは神域から供給される。必要だと思った瞬間に、ふと机の上にあったりするし、食事や衣服なんかは自分で材料を揃えて作ることもある。しかしそれは最低限。共同体を維持するために必要なものしか供給されない。

もし、それ以上に必要なものがあればナギサを介して鯨神に訴えなければならない。しかしそれでは本末転倒だ。ナギサへの贈り物を用意したいと鯨神に訴えるために、それをナギサに伝えては意味がない。


はてさて。これは結構な難題だ。だが、同時に少し気分が高揚する。

限られた環境でどこまで力を尽くせるか。そのために思考し挑戦することはいい刺激になる。『どの面下げて』で鬱屈した精神から目を逸らすのにちょうどいい案件だった。


「どうしたもんかねぇ」


難題に挑戦してそれを達成する。久しぶりにやりがいのあることだ。自然と、シノノメの口端に普段通りの軽妙な笑みが戻ってきた。

もちろん、こうやって浮かれているのだって『どの面下げて』と言われたら沈黙してしまう他ないのだが。だが、お礼のお礼という名目がその自罰感情を遠ざける。義理を返すだけだ、後ろめたく思うことはないと言い返せるから気持ちが軽い。


そんなことを考えながら、ぽり、と結晶を噛み砕く。視線を向けた窓の向こうでは、ナギサが女連中に囲まれて機織り仕事をしているのが見えた。干した海布を裁断し、針と糸で縫い合わせて仕立てている。不要な端切れの山が目を離した瞬間に消えていた。必要なものはいつの間にか出現しているし、不必要なものはいつの間にか消えている。その力によるものだ。


何となしに、その様子をぼんやりと見つめる。何を話しているかまでは聞こえない。だが、楽しそうにしているのはわかる。女同士、井戸端会議をしながら手を動かしている。

布の裁断を他に任せ、ナギサは縫製を担うらしい。針と糸を持ち出すナギサは肩よりも少し長い髪が邪魔らしく、ひとまとめに結おうとしていた。髪を結うものがないらしく、さりとて神域の力でいつの間にか出現させるのも面倒なのか、端切れの布を細く切って、それで髪を結う。

手櫛で結うナギサと、ふと視線が合った。にこりと微笑み、軽く手を振ってきたので振り返す。巾着を軽く持ち上げて揺らし、改めて視線で感謝を述べると、微笑みがより明るくなった。


「…………笑えるんだなぁ」


布の縫製に戻ったナギサを眺めつつ、小さく呟く。彼女にだって、人間らしい情緒は存在するのだ。人間らしさを保つためのわざとらしい喜怒哀楽でなく、罪人であるという後ろめたさを誤魔化すための軽薄さでもなく。元からある本心としての。

だから一族の皆に囲まれて笑っていられるし、だから孤独を怖がって震えるし、だから諦めに満ちた微笑で恐怖を押し込めるのだ。きっと煽れば怒るし泣くし悲しむだろう。それをわざわざ見る気はないが。


仕事唄を口ずさんでいるらしいナギサの横顔を遠くから眺め、ふと思う。自分は彼女に笑顔を提供できているのか。

嫌われてはいない。むしろ、自分の軽口や冗談に笑うことだってある。眷属としての底上げを抜いても、好かれているほうではあるだろう。

そう考えれば、まぁ笑顔を提供できていると言えるだろう。だが、あの横顔を見ていると欲が出る。もっと笑顔が見たいし、叶うならその理由が自分であればいいと思う。


「……やってやるか」


お礼のお礼を渡せば、きっと笑顔が見られるだろう。そう思うと、難題に取り組むやりがいの上にさらにやりがいが乗る。

絶対に心から喜ばせてやろう。そう決意を新たにし、巾着の底の最後のひと粒を口に入れた。

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