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今更、そんなこと

ナギサの手を握る。指先は冬の海のように冷たかった。

シノノメ自身もあまり体温が高い方ではないが、少しでも足しになれば、と手をさすってやる。まだ力が入らないのか、握り返してはこなかった。


それきり、何も話をしないまま沈黙が続く。シノノメは自分が何かを喋るには白々しいと思っているから沈黙しているし、ナギサもまた話しかけられないのなら再生に集中することにしているのか喋らない。ただ波の音だけが聞こえるだけだ。

気まずいような、気まずくないような。何とも言えない微妙な雰囲気の中で手を握り続ける。

触れているうちに体温が移ってきたのか、ナギサの指先は少しずつ温まってきた。


「お?」


ナギサが握り返してきたので、ほんの少し力を入れて応答する。

指先の感覚を確かめるように握ったり緩めたりを繰り返すナギサに合わせ、加減して触れる。指の爪で手の甲を擽ってやると、くすくすと小さく笑いが聞こえた。

これならもう立て直したか。ほっとして手を離す。名残惜しそうに白い指先がついてきた。


「姫さん、そろそろ自分の格好を自覚しねぇかい?」


全裸に袿一枚かけただけだ。シノノメはそれをめくる気は一切ないが、人間の礼節としてかなりよろしくない状況である。

指摘してようやくナギサは自分の格好を思い出したようで、あ、と小さく声を漏らした。そこから、ゆっくりと起き上がる。ずり落ちた袿から白く細い肩が見えた。


「おっと、服を着るなら俺が出ていくまで待て!」


それはまずい。非常にまずい。シノノメは慌てて身を翻す。見たところで劣情を催すわけではないが、だからといって直視していいものでもない。

ばたばたと慌ただしく、土間に脱ぎ捨てた草履を引っ掛ける。俺は何も見てないぞ、とどこにともなく言い訳をして扉を開ける。その背中へ、ナギサの柔らかい声が投げかけられた。


「……ありがとう」


***


「…………はぁ……」


ばたばたと慌ただしく立ち去って、そのまま自分の小屋へと戻り、はぁ、と息をつく。

いやはや焦った。あの慌ただしさは半分わざとだったが、半分本気だった。まさか、ナギサが自分の裸体にそれほど頓着しないとは。

いやまぁ、遍羅の最中に見られたりすることもあるので今更なのかもしれない。駕籠から小屋へと移される時は誰かが抱えて投げ込むのだし、その時に嫌と言うほど見られているはずだ。

だからいやらしい目線が含まれていないのであれば気にしていられないのかもしれないが、いや待ってくれ。年頃の少女なんだから恥じらいを持ってほしい。そう思うが、これもまた『どの面下げて』だ。何度も見たことのある側が羞恥心について説教するなど白々しい。結局そこに思い至って溜息が出てしまう。


どの面下げて心配したり説教したりするというのか。そう思うと盛大な溜息とともに床に五体投地したくなる。

ごろりと寝転がり、仰向けに天井を見つめる。ナギサはいつもこんな視界だったのか、と天井の薄暗闇を見つめて胸が痛んだが、『どの面下げて』の言葉で胸の痛みを飲み込んだ。後ろめたさで口の中が苦い。


「……ありがとう、ねぇ……」


何に対する『ありがとう』なのか、そんなことわざわざ説明しない。何に対する礼かを解説するのは無粋だ。

だが、自分はそうやって礼を言われていいのだろうか。


自分は罪人だ。キンカのように、そうと知らず巻き込まれてなしくずし的に眷属になったのではない。

はっきりと、自らそう望んでその道を突き進んだ故意犯だ。

『なんで』求めたのかは記憶が剥落したせいで思い出せない。だが、求めたということだけははっきりと覚えている。

不老不死を欲し、祝祭に加わった。列に並んだ。何度も並び直した。もっとよこせと叫んで裂いた。卑しく啜った。瓶覗にならなかった。生き残ってしまった。罪人だ。許されないものだ。

それなのに、ちょっと優しくしただけで『ありがとう』なんて言われていいのだろうか。感謝を述べられるほど、自分は上等なことをしたのだろうか。被害者が加害者に感謝を述べるなど、あっていいことなのか。


「……どの面下げて……」


後ろめたさが全身を包む。喉元に鋭い刃をずっと宛てがわれている気分だ。軽薄さを演出して目を逸らしてきたものが、ひやりと首筋を撫でてくる。

こうして罪の意識に苦しめられ続けるのが罪人に許された唯一。神域が安全なのは、脅威があればそれに意識を取られるからだ。脅威もなく安穏としていれば、自然と思考は過去に向く。眠れない夜に不安なことを延々と思い浮かべてしまうように。


罪の意識に煩悶し続けることだけが贖罪であり、それ以外の償いを鯨神は求めない。今更聖人ぶって罪滅ぼしすることを許さない。罪人は罪人のまま、罪人らしく在り続ければいいのだ。

だから哀れみなど、同情など不釣り合い。『どの面下げて』だ。


「……はぁ」


重々しく溜息を吐く。もう何度目の溜息か忘れてしまった。

さっきまで握っていた指先が、まだ自分の手に残っている気がする。

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