九話「温かな」
「ごきげんよう、お二方。早速ですが、採寸を始めましょう」
ニコニコと微笑みながら此方を見ている女は、ジョージが手配したデザイナーだった。
ルイスのお茶会に無理矢理混ぜてもらった二日後、エリザはジョージの住むイシャム公爵邸へと呼ばれていた。
約束通り、今日一日ジョージに時間を割く事になったのだ。てっきり外出でもするのかと思っていたのだが、どうやら今日は卒業記念式典の衣裳の準備をする為に、デザイナーを呼んで話し合いをするようだ。
「坊ちゃまはあちらへ。バートレイ嬢はこちらへ」
坊ちゃまと呼ばれたジョージは慣れた顔で別室へ移動していくが、大柄な男性が「坊ちゃま」と呼ばれた事が何となく面白くなって、エリザは小さく噴き出した。
「何だ」
「いえ、ごめんなさい」
じとりと睨まれ反射的に謝ってしまったが、坊ちゃまと呼ばれるような見た目ではないだろうと考えると、どうしても面白い。必死で唇を引き結び、息を止めて耐えてみたのだが、ぷるぷると肩が震えるのを止める事が出来なかった。
「さあさあ坊ちゃま、お早く」
「んっふ……」
「……俺が坊ちゃまと呼ばれるのがそんなに面白いか?」
「んふふふ……っ、ごめんなさい……ふふ」
僅かに頬を染めたジョージが、エリザの頭をぐりぐりとかき回す。折角セットしてきた髪がすっかり台無しになってしまったが、ジョージはそれで気が済んだようで、少しだけ速足で別室へと消えていった。
「お嬢様もお早く。私、この日をずっと心待ちにしておりましたのよ!」
目をキラキラさせているデザイナーは、マダムテイラーと言うらしい。長い栗色の髪を頭のてっぺんできっちりと纏め、紺色のドレスを上品に着たマダムテイラーは、ぐいぐいとエリザの背中を押して応接室の隣の部屋へ押し込んだ。
「私、昔からイシャム公爵様には御贔屓にしていただいておりますからね、坊ちゃまの結婚式にも是非関わらせていただきたいと思っておりましたのよ」
「あの、まだ結婚式のお話はひとつも……」
「あら嫌ですわ、分かっておりますとも。今回は坊ちゃまの卒業記念式典でのお衣装のお話でしょう?分かっておりますわ!」
よく喋る人だ。まだ顔を合わせて数分だが、エリザは黙ってくれないマダムテイラーに少々疲れ始めている。
ゲームには出て来なかった人間と話すのは、いつまで経っても緊張する。この人物がどういう人間で、エリザとどういう関係だったのかは、エリザの記憶が教えてくれる。
マダムテイラーの記憶もきちんとあったが、エリザはこの女性が嫌いだったようだ。理由は簡単。煩いから。
「結婚式の練習だと思うと……うふふふふ」
「あの……お手柔らかに……」
するするとドレスを脱がされながら、エリザはぎこちない笑みを浮かべる。よく喋る人だが、手は止まらない。
体のあちこちを測り、メモをして、少し離れてエリザを見ながら何かを考える。その姿は、職人らしく、美しかった。
「揃いの布は赤でしたわね。お嬢様の髪色と同じ赤……真っ赤なドレスは会場の華ともなり、毒ともなる……」
ブツブツと呟きながら考え事をするのは良いが、真冬に肌着姿のままではとても冷える。寒いと両腕を抱えて待っているエリザは、ちらりと扉の方を見た。
今頃ジョージも別室で採寸の真最中だろう。
いくら屋敷の中は温められているとはいえ、エアコンのない、暖炉で温められているだけの部屋ではやはり冷える。体を鍛えているジョージなら、この程度の寒さは気にならないだろうか。
「坊ちゃまが、私の元へ手紙をくださいましてね」
「え?」
採寸が終わったのか、マダムテイラーは再び話しながらドレスを着せ始める。大人しく体を動かしながら、エリザはマダムテイラーの言葉を待った。
「卒業記念式典用に、いくつか布地を見繕って屋敷に届けてほしいと書かれていましてね。私、それはもう張り切って最高級の布を山のように用意しましたの」
「ああ……あの布はマダムの見立てでしたのね」
「ええ。ですが、坊ちゃまは私がお持ちした布を自ら確認し、これならお嬢様の好みだろうと思った布だけをお持ちになりましたの」
「へえ……」
「それはもう……抱えるのも苦労する程の数を用意しましたのに、坊ちゃまのお眼鏡に叶った布は少なくて」
うふふと笑ったマダムテイラーは、ドレスを着せ終えると、ぐしゃぐしゃにされてしまった髪を結い直すから座るようにと椅子を勧めてくれた。
大人しく椅子に座り、マダムテイラーの声を聞き続ける。
「女性人気の高い布も沢山ご用意しましたが、これはエリザの好みではないとばっさりと……婚約者の好みを把握している男性は珍しいですから、私とても感心しましてね」
つらつらと喋るマダムテイラーの手は止まらない。髪結い師ではない筈なのに、エリザの髪をするすると編み、どこから取り出したのか真っ白なリボンで可愛らしくアップスタイルにしてくれた。小さな手鏡を渡され覗き込むと、そこには普段よりも可愛らしい印象になったエリザの顔が映っていた。
「まあ……素晴らしいわ。マダムは手先が器用ですのね」
「針仕事をしますからね、器用さは負けませんわ」
嬉しそうに笑ったマダムテイラーは、行きましょうと言って扉を開いた。応接間には既にジョージが戻って来ており、使用人に何か指示を出しているようだ。
「お待たせいたしました。お嬢様は本当に素晴らしいお身体ですわね!ドレスを作るのが楽しみです」
「……マダム、あまり時間がない」
「そうでした。では……例の赤い布ではリボンとタイをご希望でしたわね。坊ちゃまのお衣装は黒……お嬢様も黒では華やかさに欠けますが、かといって赤一色では髪色と喧嘩をしますし……」
話し始めた二人はすっかり熱中しているようだが、ジョージはさり気ない動きでエリザを自分の隣に座らせる。マダムテイラーは二人の向かい側の席に座り、間に置かれたテーブルに紙とペンを置いた。
「エリザなら赤だろう」
「ええ、それは私も賛同いたします」
真面目な顔でマダムテイラーに意見するジョージは、視線を紙に集中させたままひらりと手を振った。すぐに使用人が傍に寄り、エリザにひざ掛けを手渡し、エリザとマダムテイラーにお茶を出した。
公爵家の息子としての教育をきちんと受けているジョージは、話ながらでも使用人に指示を出す事に慣れているようだ。採寸の間薄着だったエリザの体が冷えている事が分かっているようで、すぐに温めてくれているのだろう。
「あの……私、赤でなくても構いませんわ」
「いや、赤だ」
「いえ、赤です」
二人同時にそう言いながら、ぐるんと音が鳴りそうな程勢い良くエリザを見つめる。思わず体を引いてしまったが、二人が赤だと言うのなら、赤なのだろう。
「何故そこまで赤にこだわるのです……?」
「似合うからだ」
「ええ。私もお嬢様は赤に愛された女性だと思っておりますから。それに、赤が似合う女性はそう多くはありません」
ニコニコと微笑みながら、マダムテイラーはするするとペンを走らせて、簡単なデザイン案を出す。ドレスの形だけ先に決めるつもりなのだろう。話しながら形を描いていく手元を見ているのは面白い。
「あ、マダム……申し訳ございませんが、私あまり胸元が開いていない方が……」
「あら、お好みが変わりましたのね?ええ、ええ、お色が目立つ分控えめなデザインにしても充分綺麗になりますからね」
エリザを凝視しながらペンを動かすマダムテイラーに、エリザは既視感を覚える。ルイスとアイラの二人を描いている時の自分にそっくりだった。
「リボンは……腰に大きな物を一つにしましょう。お嬢様はお顔立ちがお綺麗ですから、胸元よりも腰の方がお似合いになりますわ!首元はどうされます?詰襟よりも大胆にカットした方がお似合いになりますわ。お嬢様は首が長くてお綺麗ですもの」
「ダイヤのネックレスがあっただろう。あれが似合う」
「素晴らしい!では、胸元は額縁のように……ダイヤのネックレスが主役になるようにいたしましょう」
よく喋る二人だと呆れながら、エリザは一口お茶を飲んだ。冷えた体に染みわたる温かさにほっとして、小さく一つ、息を吐く。
「スカートの膨らみは少ない方が良い。会場内は混雑するからな」
「畏まりました。では、正面から見た時にはすっきりと、横から見た時には後ろにゆったりと流れるような……」
さらさらと紙にデザイン案を描いたマダムテイラーは、どうでしょう?と微笑みながらその紙をエリザとジョージに見せてくれた。
昔、歴史の教科書で見た事がある。バッスルスタイルと呼ばれるドレスに似たそれは、エリザの好みだった。
「素敵……」
「……まさか、お嬢様が私の案を一度で気に入ってくださるなんて」
ぱちくりと目を瞬かせたエリザの頭に、昔の記憶が蘇る。本物のエリザは、絶対に三度はケチをつけ、「マダムは時代遅れね」と喧嘩を売るような事を言っていた。
何故、こんなにも嫌われるような事を言っている小娘を嫌わず、こうして話を聞いてくれるのだろう。自分なら絶対に嫌だが、目の前にいるマダムテイラーはニコニコと嬉しそうだ。
「問題はお色なのよね……」
「マダム、刺繍は時間がかかりますか?白か黒で全面に刺繍を刺せば、赤は赤でも印象が変わると思うのですけれど」
何となく思い付いた事をそのまま口に出した。その瞬間、マダムテイラーはパンと両手を合わせて勢い良く立ち上がる。
「それだわ!」
「ま、マダム……?」
「黒!糸は絶対に黒です!坊ちゃまのお衣装の黒と同じ色にしましょう!モチーフは……薔薇?いいえ違うわ、ダリア……」
「マダム、落ち着いてくれ。エリザが怯えている」
「あら失礼。でも本当に素敵な案です。私こんなにも興奮……失礼、胸が高まったのは久しぶりです。坊ちゃまのタイにも同じようにダリアの刺繍を入れましょうね。ああ、何て素敵なのかしら!」
目を輝かせ、うっとりとした表情をしているマダムテイラーは、落ち着こうとしているのか一気にお茶を飲み干した。使用人がすぐさまお代わりを注ぎ、ついでにエリザとジョージのお茶も新しいものにしてくれた。
「刺繍にはかなりの時間が必要ですが……お任せください!なんとか致しましょう!」
「む、難しいのでしたら無理なさらず……」
「いいえ!これは私の最高傑作になる事間違いございません!お嬢様、細かいデザインは全て私にお任せいただけませんか?きっと、お嬢様のお気に召すドレスを作ってみせますわ!」
身を乗り出しそう言ったマダムテイラーは、漸く黙る。口は閉じたが、目は「良いと言え」と言っているように熱い視線をエリザに向けていた。
「勿論、マダムにお任せいたします」
「そうこなくては!ああ、頭の中に案が溢れて止まりません……坊ちゃま、お嬢様、申し訳ございませんが私本日はこれで失礼いたします!すぐにでも取り掛からなくては!」
その気持ちは分からなくもない。既に立ち上がり帰り支度を済ませたマダムテイラーが部屋を出て行くのを見送りながら、エリザはほうと小さく溜息を吐いた。
「相変わらず賑やかな人だ。あれで腕は一流なのが不思議だ」
「ええ……でも、きっと素敵なドレスが出来るわね」
「……珍しいな、お前がマダムに一度も反論しなかった」
「だって、素敵だと思ったんですもの」
ちらりとジョージを見た瞬間、マダムテイラーが言っていた事を思い出した。
沢山の布の中から、エリザが気に入りそうなものを見繕って、あの日図書室に持ってきてくれた。
不仲な筈なのに、どうしてそんな事をしてくれたのだろう。目の前で他の男を追いかけ回すような婚約者だというのに、そこまでする理由が分からなかった。
「髪、結い直したのか」
「ええ、マダムが整えてくださったの。似合う?」
にっこりと微笑みながらジョージを見上げた。鏡に映っていた自分が普段と違う、可愛らしい雰囲気になっていた事を思い出し、少しだけふざけてみたつもりだった。
「ああ。良く似合う」
ふっと優しく笑ったジョージに、エリザは思わず動きを止めた。こんな顔を見た事は無い。自分がエリザになってからは勿論、その前も。この顔を向けるのは、エリザではなくアイラにだった筈。ゲームのスチルで見た、眉間に皺の無い、とても優しい柔らかい笑顔だった。
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