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四話「愛されるべき人」

写生大会から数日。特に変わり映えのしない生活は続き、エリザは日々学生らしく勉学に励んでいた。


「……エリザの頭が良くて助かった」


図書室で自習をしながら呟いたエリザの手元にはノートが広げられ、授業中に出された課題をこなしている最中だった。

周りには誰もいない。一人で過ごす時間に癒されてしまうのは、普段エリザの周りには取り巻きの女子生徒が集まるからだ。


今日も麗しいだの、あの課題が難しい、きっとエリザ様なら簡単なのでしょうね……。エリザの機嫌を取り、少しでも気に入られようと擦り寄ってくる女子生徒の多さには閉口する。


エリザは公爵家の令嬢で、同じく公爵家の息子であるジョージの婚約者。ここで気に入られておけば、将来強力な伝手となると分かっているのだろう。学園内は、小さな貴族社会。在学中の人間関係は、卒業した後も長らく続く。


学園生活中に社交の場での立ち振る舞いや、立ち回り方を覚えるのが、貴族令嬢の学ぶ事の一つなのだ。


「ここにいたか」

「あら……どうかされましたか?」


一人の時間を満喫していたというのに、ずかずかと入ってきたジョージの声でその時間は終わりを告げる。写生大会の日以来大して会話もしていなかったというのに、何の用だというのだろう。


「卒業記念式典の衣裳の話を忘れていた」

「……お好きな衣装を着たらよろしいのでは?」


きょとんとした顔でそう答えたエリザに、ジョージはぱちくりと目を瞬かせる。


「……お前は、伝統を重んじろと騒いでいた事を忘れたのか」

「伝統……」


はて?と首を傾げて考えたエリザは、卒業記念式典と伝統という言葉を組み合わせて漸く気付く。


ゲームの最終場面では、卒業を祝うパーティー会場が舞台となる。式典では、制服ではなく夜会の衣裳を身に纏い、婚約者やパートナーとお揃いのタイとリボンをしたり、衣裳の色を合わせる事が伝統なのだ。


転生する前の、本当のエリザはこの伝統を必ず守れとジョージに詰め寄っていた。自分が望んでいるのはルイスとの結婚だったのに、卒業までにそれが叶わなかった場合婚約者と不仲であると皆に知らしめる事になるのが嫌だったのだ。


改めて、本当に自分勝手な女である。


「わざわざ生地を取り寄せたというのに」


ブツブツと文句を言うジョージの手には、小さな布がいくつも握られていた。

色とりどりの布は、細やかな刺繍がされていたり、美しく染められていたりと、少し見ているだけで目を楽しませる。


エリザの隣に座ったジョージが溜息を吐きながら布を机に置き、エリザは置かれた布の一枚を手に取った。


「素敵……」

「それが気に入ったのか」

「いえ、一番に目に入りましたので……」


手に取ったのは、紫色の布地に白い糸でレースのように細やかな刺繍がされた布だった。

これでリボンを作ったら、どんなに可愛らしいだろう。ジョージには少し可愛らしすぎるだろうかと気になって、何となくジョージの胸元に布を当てた。


「……駄目ね、可愛らしすぎるわ」

「だろうな」

「ふむ……困ったわ」


ジョージが持ってきた布は、女性に好まれるような布ばかり。色味が可愛らしいもの、ジョージには合わない色。これでお揃いをしようと言われても、どうすべきか分からなかった。


「刺繍が得意だったら良かったのに」


ぽつりと呟いたエリザに、ジョージは眉間に皺を寄せて細く息を吐く。


「先日も聞いたが、お前は本当にエリザ・バートレイか?どうも俺の知るエリザではない」


ぎくりと体を強張らせ、エリザはじっとジョージを見つめる。

ジョージの緑色の瞳は、影を落としたように暗い色をしている。吊り気味の、印象の強い目が此方を見ているというだけで、背中に嫌な汗が伝いそうだ。


「何故、そう思うのですか?」

「俺の知るエリザではないからだ。お前も自分で分かっているだろう。お前は誰だ?エリザはどうした」

「エリザは私です」

「嘘を言うな。殿下を追いかけない、アイラという女子生徒にも親切にする。いつからそんなに優しくなったんだ?孤児など学園に入れるなと憤っていたくせに」


スッと目を細めたジョージの顔は美しい。

ルイスの顔も綺麗だと思うが、ジョージの顔も整っている。乙女ゲームの攻略対象なのだから、容姿が整っているのは当たり前の事なのだが、実際に目の前で容姿の良い男に見つめられていると思うと落ち着かない。


何故、以前のエリザはこの顔に睨まれても平気だったのだろう。興味を持たなかったのだろう。次期公爵、騎士を目指して日々鍛錬に励む筋肉質な体。綺麗な顔。少しもときめかなかったのは、ジョージ・クレムセンという男に欠片も興味が無かったからなのか、それとも、もっと大物を狙っていたからなのか。


「替え玉か?」

「へ?」

「休暇中にエリザに何かあったのか?学園に戻れない理由があって、よく似た容姿のお前が送り込まれた。そうだろう」


真面目な顔でそんな事を言うジョージにどう反応したら良いのか分からず、ふるふると首を横に振りながら、エリザは口を開く。


「いえ、見当違いです。色々とあるにはありますが、私はエリザ・バートレイです。六歳の頃貴方と婚約して、ルイス殿下を追いかけ回す前は貴方をお兄様と呼んでいた……」


どうしたら信じてもらえるだろうと考えながら、目を閉じて幼い頃の記憶を思い出す。

エリザの体に残された、転生する前の記憶には、朧気だが幼い頃のジョージとエリザの思い出が残っていた。


「本物から聞いたのか」

「もう……疑り深い人!どうせ私が何を言っても信じてはくださらないのでしょう?だったらもう何も言いません!」


フンと小さく鼻を鳴らし、エリザは布を持ったままそっぽを向いた。

ジョージは一瞬言葉を詰まらせたが、机に置いた布をいくつか指先で弄ぶ。


「これは、どうだ」

「あら素敵」


まだ言いたい事はあるのだろうが、一旦黙る事にしたらしいジョージは、一枚の真っ赤な布を指先で摘まんでエリザに差し出した。


エリザの髪と同じような、深くて美しい赤。

髪を纏めるには色がぼやけてしまうだろうが、首か腰に巻けば良いアクセントになるだろう。


「似合いますか?」


自分の首元に布を宛がい、エリザはジョージに向かって問いかける。


「……悪くない」

「ふふ。では、この布と合わせられるドレスを選ばなくては。ジョージ様はどのような衣装にされるのですか?黒かしら?」

「ああ。黒だ」

「黒に赤いタイ!きっと素敵だわ」


うふふと笑ったエリザはとても楽しい気分だった。カラーイラストを描く時、キャラクターに着せる服を考えるのが好きだった。


ファンアートとして描いていたルイスとアイラのペア衣装は、今でも自信作だと思っている。もう、見る事は出来ないけれど。


「では、その赤で決まりで良いな。近いうちデザイナーを手配する」

「ええ、よろしくお願いいたします」


持っていた赤い布をジョージに手渡し、エリザは何と無しに机の上に置かれたままの布を見つめる。選ばれなかった布たちだが、どれもこれも上質なものだ。


そういえば、ゲームの中でもジョージはこうして布のサンプルを集めて来てくれるエピソードがあった。


渡す相手は、ジョージではなくアイラ。


ジョージルートの終盤で、卒業記念式典では君と揃いの物を持ちたいと請われるシーンがあるのだ。


「……おっと」

「何だ」

「いえ、何でもありませんわ。こちらの布、いただいても宜しいですか?」

「構わんが……何に使うんだ?」

「刺繍の練習に」


本来のシナリオをでは起きる筈のなかったイベントが起きている。アイラではなく、エリザとお揃いの布を選ぶという、有り得ないイベント。


「それでは、今日はこちらで失礼いたします。そろそろ迎えが来ますから」

「……荷物が多いな。付き添う」


机に広げられていたノートや荷物を手早く纏め、ジョージはゆっくりとエリザをエスコートするように寄り添って歩き出す。


おかしい。ジョージはエリザを嫌っている筈なのに。嫌っている女をどうしてエスコートするのだろう。

もしや一人にしたら何をするか分からないと警戒されているのだろうか。


「あのう……何も悪さはしませんよ?もう殿下を追いかけ回す事もいたしませんし」

「……そうか」


何とも言えない顔をしたジョージはそれだけ言って口を閉ざす。だが、隣を歩く事はやめようとしなかった。


◆◆◆


コツコツと靴音をさせながら、エリザは一人で長い廊下を歩く。ジョージと卒業記念式典の為に布を見た翌日、エリザはふと思いついた事を試しに行く事にしたのだ。


「見つけた」


放課後、校内のあちこちを見て回った甲斐があった。図書室から出てきたアイラは、これから帰る所なのか、鞄を肩にかけて歩き出そうとしている。


「アイラさん」

「はい!」


突然声をかけられた事に驚いたのか、びくりと体を震わせて振り向いたアイラは、エリザの顔を見て更に顔を強張らせている。


「あの……何か……?」

「少しお時間宜しいかしら?お話がしたいのだけれど」

「はあ……」


随分怖がられているようで、アイラは視線をさまよわせながらもじもじしている。きっと、頭の中は逃げたいとしか考えていないのだろう。自分だったら苦手な女子生徒から「面貸せや」と言われたと判断し、どうにか逃げようと考える。


「そう怯えないでちょうだいな。苛めたりしないわ」


クスクスと笑いながら、エリザは今アイラが出てきたばかりの図書室の扉を開く。中には誰もおらず、アイラが一人で遅くまで勉強していたのだろうとすぐに分かった。


ゲーム内で、アイラは放課後にどこで過ごすかによってバロメーターが変わる。図書室で勉強をすれば、知力が上がる。運動場に行けば体力が上がるし、その他の場所では攻略キャラクターたちとの親密度を上げる事が出来る。


バロメーターをきちんと上げておかなければ、目当てのキャラクターのルートに入る事が出来ない。プレイヤーだった頃、どこまで上げれば良いのか分からず勉強と運動に集中した結果、キャラクターとの親密度が足りずにエンディングを迎えられなかったり、バロメーターが足りずにエンディングを迎えられないなど、苦労をした事を思い出した。


「座って。少しだけ……その、貴方とお話がしたいだけ。二人きりが嫌なのなら、カフェスペースに移動しても良いわよ」

「いえ……ここで、大丈夫です」


大きな机の片隅に座ったエリザと、その向かいの席に座ったアイラ。何も知らないクラスメイトが見たら、またエリザがアイラを苛めていると思うだろう。先日の馬術の授業の出来事を覚えている生徒はまだ多い。


「謝りたかったの。この間……臭いと言ってしまったでしょう?本当はもっと早くに謝りたかったのだけれど、なかなか声を掛けられなかったから」


ごめんなさいと頭を下げたエリザに、アイラはきょとんとした顔で目をぱちくりと瞬かせる。どう反応したら良いのか分からず困惑しているのだろうが、謝らないという選択肢はエリザには無かった。


「あの……私、何とも思ってませんから」

「貴方がどう思っていても、私の言葉選びが悪かった事は事実よ。私の自己満足だとしても、きちんと謝りたかったの」


ゆっくりと頭を上げ、そっとアイラの顔を見る。悪気は無かったとはいえ、大勢の人の前で「臭い」と言ってしまった事は事実。その場ですぐに謝れなかったとしても、その日のうちに謝るなり、遅くとも翌日には謝るべきだった。


「どうして、写生大会の日に謝らなかったのですか?」


不思議そうな顔をして、アイラは問う。


「あの場にはルイス殿下がいらしたわ。ジョージ様も。人の前で謝られてしまったら、貴方は許すと言うしかなくなってしまうじゃない」


許したくないのに、許しますと言わなければならない空気になってしまうのが嫌な事は良く知っている。子供の頃、学校で嫌な事をしてきた男子生徒にクラス全員の前で謝られ「いいよ」と言うしか無かったあの日の記憶は、転生してエリザになってからも時々思い出す。


「そうですか。やっぱり、エリザさんは優しい人のようです」

「……どういう意味かしら」

「ジョージ様が教えてくださいました。あの日、臭いと言ったのは馬が薬草の匂いを嫌がっていたからなのですよね?エリザさんは私を心配してくださっただけなのに、罰則まで……申し訳ございませんでした」


ぺこりと頭を下げるアイラに、エリザはぽかんと口を開く。

何故、ジョージがアイラに説明をしたのだろう。いつの間にそんな話をしたのだろう。普段女子生徒と関わる事は殆ど無い筈。不仲とはいえ、婚約者がいる身で異性に近付くべきではないと考えているジョージが?公式設定でしっかりとそう明言され、それでもアイラに恋焦がれてしまうのは、彼にとっての初恋だからなのかもしれないという文に、一部のファンが大興奮していたというのに。


「……随分と、ジョージ様と親しいのね」

「あ、いえ!ちが……誤解です!ごめんなさい、エリザさんの婚約者である事はちゃんと分かっています!」


大慌てで顔の横で手を振り、誤解だと何度も繰り返すアイラの言葉は本当なのだろうか。

階段から落ちたと言っていたが、それはジョージのルートに入らなければ出現しないイベントの筈。何故そのイベントがゲーム開始されたばかりの今起きたのだろう。ジョージがエリザの誤解を解くためにアイラに接触するイベントなんてゲームでは存在しない。アイラに接触したいから、婚約者を利用して近付いた?もしや、ジョージルートに入っている?


「わ、私!他に好きな人がいますから!」

「詳しく」


ずい、と机に体を寄せ、アイラとの距離を詰めた。顔を真っ赤にしているのは可愛らしいが、その好きな人とやらがジョージでないのなら、誰が相手なのか気になるところだ。どうかルイスであれ。そうでなければ困る。この目で推しカプの結婚式を見るのが今の目標であり生きる糧なのだから。


「ひ、秘密……です」

「誰とは聞かないわ。ジョージ様ではないのね?」

「勿論です!」


コクコクと何度も首を縦に振り、アイラは力強く拳を握った。必死な様子が少しだけ面白くなって、エリザはフッと口元を緩めた。


「そう……なら、これ以上は聞かないわ。ああ、でも卒業記念式典の伝統はご存知?その意中の方が学園の生徒なら、卒業記念式典までに仲を深めておくと宜しいわ」

「伝統、ですか?」

「あら、知らない?婚約者や意中の相手とダンスのペアを組むの。私の場合はジョージ様ね。お揃いのリボンやタイ、同じ色味の衣裳で合わせて参加するのが伝統なのよ。恋人関係になくても、お誘いしたらそれは告白と同義ね」


簡単な説明をしながら、エリザは鞄の中から綺麗に折り畳んだ布の束を取り出し、アイラの前に広げた。


「わあ……綺麗」

「宜しければ差し上げるわ。意中の方が三年生なら、もうすぐにでもお話をしないとね」

「え……」

「勿論、式典の衣裳合わせの為に使わなくても良いわ。小さな布だけれど、何かに使えるでしょうから好きに使って」

「あのう……これ、とても上等なものだとすぐに分かるのですけれど」

「そりゃあ、公爵家の子息が選ぶものですもの。それなりに良いものを選ぶわ」


布を一枚手に取り、アイラは困ったように眉尻を下げる。この反応を見る限り、好きな人とやらとの進展はあまりしていないようだ。

布を渡されても、卒業記念式典で衣裳を合わせましょうと誘える程の親密度が無い。つまり、今のところルイスルートにも入っていない。


「本当に、宜しいのですか?公爵家の子息ということは、これはジョージ様が集めたのでは?」

「ええ、勿論。でも良いの。私が貰ったのだから、どう使おうと、誰に渡そうと私の自由だもの」


ふふんと笑ったエリザの前で、アイラは諦めたように小さく笑った。小さく礼を言って、布をきちんと畳んで鞄の中にしまい込んだ。


「あの……私、エリザさんを誤解していたかもしれません」

「あら、そうなの?」

「はい。その……怖い方なのかもしれないと、思って」

「それを私本人に言ってしまうのね」


素直である事は良い事だ。ゲームのシナリオでも、アイラのこの性格に癒されるとルイスが言っていた。ちなみに、ゲームシナリオ中のエリザはムカつくと評価していたが。


「別に、私は優しい人間ではないし、誤解でも無いと思うわ」

「でも、私が孤児院出身だからといって、嫌がらせをする事はありませんし、可哀想にと憐れむ事もしませんよね」


じっとエリザを見つめるアイラの瞳は、遥か昔の記憶になりつつある故郷の春を思わせる色だった。


「私を、対等な人間として扱ってくださるのは、学園内ではエリザさんだけです」

「……それは」


貴方の事を知っているから。その言葉を口から出す事は出来なかった。

本来のエリザは、アイラの事を知らなかった。二年生になった初日に、クラスに編入してきた女子生徒、男爵家令嬢として紹介されていたが、実は二年前まで孤児院にいたという、由緒正しい公爵令嬢のエリザから見れば、平民と同じ身分。

平民がこの学園にいるなんて!というのが、エリザが最初にアイラに目を突けた理由だった。完全に、いじめっ子の思想である。


「別に、貴方がどんな人であろうと私には関係ないから気にしないだけよ」

「それが、私には嬉しい事なのです」


小さく笑ったアイラの表情は愛らしい。

誰もが彼女を愛する。この世界に、愛される為に生み出された存在。


エリザとは違う、この世界の主役は、静かな図書室で嬉しそうに微笑んでいた。


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