二十一話「そうだとしても」
ダンスの練習に励む二週間は、アイラにとっては辛いものだっただろう。時々痛そうな顔をしながら足をもぞもぞと動かす事があったし、歩く時も時折顔を顰めていた。
「大分上達したわね」
「本当ですか?」
二人で廊下を歩きながらほんの少し褒めただけだというのに、アイラはとても嬉しそうな顔で微笑んだ。
元々素質はあったのか、アイラはたった二週間で随分とダンスが上手になった。それはお世辞ではなく、学園内の催し物で踊る程度なら全く問題無いだろう。
「あ……」
声を漏らしたアイラの視線の先には、キャリーが歩いていた。友人に囲まれて楽しそうに笑いながら歩いている姿はいつもと何も変わらないように見えたが、キャリーはとても気まずそうな顔をする。
「どうかした?」
「いえ、何も……」
今日もまた、空き教室で練習をする為に廊下を歩いていたのだが、キャリーたちの向かう方向は訓練場のようだ。それが気になるのか、アイラはもじもじと指先を動かしていた。
「行ってみる?」
「え……でも、練習は……」
「一日くらい大丈夫よ。私も気になるし」
そう言って、エリザはアイラの手を引いて訓練場に向かって歩き出す。先を歩いていたキャリーたちの姿は既に見えなくなっており、今廊下を歩いているエリザとアイラが訓練場に辿り着く頃にはキャリーたちはとうに辿り着いているだろう。
「剣術大会って、いったい何をするんでしょうね?」
「それも知らないの?剣術を競い合うのよ。優勝者は学園長から薔薇の花を渡されてね、それを誰か一人、想い人に渡すのが慣例なの」
「想い人……」
「想い人が学園内にいない人は、誰にも渡さないけれどね」
恋人たちの日に贈り物をされたのだから、きっとルイスはアイラに薔薇を渡すだろう。だがそれも、大会で優勝すればの話だ。
「薔薇を贈られた女性は、優勝者に祝福のキスをするのよ」
「き……?!」
「うふふ、楽しみね」
ニコニコと楽しそうに微笑みながら歩くエリザを追いかけながら、アイラは顔を真っ赤に染め上げる。ルイスにキスをする事を考えているのだろうが、キスをするのはなにも唇とは言っていない。大抵は頬や手の甲だ。
頭の中がキスでいっぱいになっているであろうアイラの誤解を解く事無く、二人は会話を楽しみながら歩き続けた。
◆◆◆
「……煩い」
イライラと眉間に皺を寄せながら、ジョージは大きな溜息を吐いた。毎年この時期になると訓練場は見学の女子生徒が多く集まり、姦しくなる。それはある程度覚悟していたのだが、今年は例年よりも集まっている生徒が多く、煩い。
「まあまあ、良いじゃないか。女子生徒にきゃあきゃあ言ってもらえるなんて光栄じゃないか?」
「殿下……これはあまりにも騒がしすぎます」
生徒たちはそれぞれ意中の相手がいるようで、名前を呼んだり、素敵、頑張ってなどと黄色い声援が響く。
「見学するのは構いませんが、もう少し静かに見学出来ないものでしょうか」
「名前を呼ばれるのも悪くないぞ」
呑気な声でそう言いながら、ルイスはにこやかに手を振る。そうすると、女子生徒たちはまた黄色い声を上げた。
「クレムセン様ー!」
「ほらジョージ、お前も手を振るくらいしてやったらどうだ?」
「興味ありません」
ふいと顔を逸らしたジョージは、いつもの位置にキャリーがいる事に気付く。数日前から、いつの間に訓練場に現れるようになり、大人しく、静かに訓練の様子を眺めるようになった。時々目が合うと手を振ってくるが、それ以外は何もしない。一緒にいる友人たちも、行儀よく座って訓練の様子を眺めるだけだった。それが、とても不気味だ。
「またいるね、彼女」
「ええ」
「声くらい掛けてやったらどうだ?一言」
「嫌です」
不気味な女に自分から声を掛けに行くなんて絶対に御免だ。どうせ見に来てくれるのなら、あの女ではなく、燃えるような赤毛の婚約者が良い。
最近は可愛がっている編入生とダンスの練習に励んでいるようで、彼女が訓練場に来る事は無いだろう。
少しくらい見に来ても良いだろうと少々不満に思いながら、ジョージは汗を拭く為やむを得ずキャリーの傍に寄った。
「ジョージ様」
「……何だ」
「応援しておりますね」
にっこりと微笑み、それ以上何も言おうとしないキャリーの笑顔は、どことなく不気味だった。目の奥に宿る何かが、ジョージの背中を粟立たせる。この目が、どうにも嫌いだ。
「怪我はもう良いのか」
「はい、もうすっかり」
「怪我をする前はよく俺の元へ来ていたが……最近は顔を見なかった」
「まあ、覚えていてくださいましたの?嬉しい!」
ほんのりと頬を染め、嬉しそうにしているキャリーの隣で、友人たちもきゃあきゃあと姦しい。
「本当はもっとお話したかったのですけれど……その、エリザさんが気になさるでしょう?」
「今更だな」
気にするくらいならば、最初から近付いてこなければ良い。今まで気にもせずついて回ったくせに、今更何を言っているのかわけがわからなかった。
「一つだけ、教えて差し上げなければならない事がありまして……それをお話したくて、こうして訓練場にお邪魔しておりました」
「何だ」
「……お耳を」
友人たちにも聞かせたくないのか、キャリーはジョージの耳元で囁こうと体を近付ける。正直これ以上近付きたくなかったのだが、体を寄せるキャリーはジョージの肩に手を添え、耳元でそっと囁いた。
「エリザさんに気を付けて。彼女は偽物です」
そう囁き、そっと体を離したキャリーの笑みは、とても気味が悪かった。
「あら……お邪魔?」
ふいに、聞きなれた女の声がした。ジョージの後ろには、不思議そうな顔をしたエリザが腕を組んで立っていたのだ。別に悪い事をしたわけではないのに、見られてしまった事が気まずくて、ジョージは慌てて「違う!」と繰り返す。
「キャリーさんとお友達だったの?」
「違う、そうじゃない俺の話を聞け」
「何を慌てているのよ。耳打ちされていたところは見たけれど、まさかそれで慌てているの?」
エリザはけろりとした顔をしているが、エリザの一歩後ろにいるアイラの方が恐ろしい顔をしている。普段ニコニコと穏やかな顔をしているアイラが、完全な無表情でジョージを睨みつけているのだ。普段見ない顔を見ると、どうにも居心地が悪かった。
「ごきげんようキャリーさん。貴方も見学?」
「はい。ジョージ様の応援に」
「そう。私の婚約者を応援してくださるのね」
にこやかに会話している二人だが、見えない火花がバチバチと散っているような気がする。間に挟まれているジョージはとても居心地悪そうにソワソワとしているが、エリザはなんてことは無いような顔でジョージの腕に触れた。
「彼を返してもらってもよろしいかしら?用があるの」
「……勿論です。私はこれで」
軽く頭を下げ、キャリーは友人たちを引き連れて鍛練場を後にする。漸く不気味な女が消えた事に安堵の溜息を吐いたジョージだったが、エリザはそれを「自分が来たから」と解釈したようで、気まずそうな顔をしながら腕を放した。
「俺に用事か。何かあったか?」
「正確には殿下。私じゃなくてアイラさんに鍛練姿を見てもらおうと思ったの」
きょろきょろと周囲を見回すエリザがルイスを見つけると、殿下と声を掛けながら軽く手を振った。令嬢らしからぬその仕草には呆れたが、ルイスは気にする様子も無く嬉しそうな顔をしながら此方に駆け寄ってきた。
「やあ、バートレイ嬢、ハボット嬢。やっと来てくれたね」
「こちらの練習に専念しておりましたので。アイラさんが殿下を心配するので、殿下がどんなにお強い方か見てもらった方が早いと思いましたの」
そう言うと、エリザを止めるようにアイラが慌ててエリザの肩をぽんと叩いた。以前のエリザなら、そんな事をされたら烈火の如く怒り狂っていた筈。だが、今はニヤニヤと楽しそうに笑いながら揶揄うだけだった。
「殿下が怪我をするかもしれないと不安そうにしておりまして。練習に集中してくださらないのですよ」
「エリザさんたら!やめてください!」
「はは、心配しなくても、私は怪我をする程弱くない。というか、そもそも私に本気で切りかかってくるのはコイツくらいなものだよ」
そう言って、ルイスはジョージの肩を軽く小突いた。身分関係無く平等にというのが学園の校則だが、それはあくまで建前で、実際は身分は絶対で、王族であるルイスに万が一にでも怪我をさせれば大変な騒ぎとなる。それが分かっているから、生徒たちはルイスに本気で立ち向かう事は出来ない。
「面倒だから私はいつも一回戦で適当に離脱するのだけれど……今年は良い所を見せないとね」
「卒業前に一度くらいは優勝しませんとねぇ」
うふふと小さく笑ったエリザは、ちらりとアイラを見る。
ルイスが良い所を見せたいのは、アイラだろう。好きな女の子に良い所を見せたいと思うのは、年頃の男なら当然の事。
ゲームのシナリオでは、ルイスルートに入っていると優勝したルイスから薔薇の花を手渡され、キスを強請られる。アイラは顔を真っ赤にしてルイスの手の甲に親愛のキスをするのだが、ゲームシナリオが破綻している今、優勝するのが誰なのかは分からない。
「優勝するにはジョージを倒さなければならないだろう?困った事に、コイツだけは私を本気で叩きのめしに来るんだ」
「わざと負けた方が宜しいですか?」
「冗談」
本気でやらなければ意味が無いと笑うと、ルイスはちらりとアイラを見た。アイラはオロオロしているだけだが、この状況を見ているエリザは楽しくて仕方が無かった。
目の前で、ルイスがアイラに男らしさを見せようとしている。この光景をこの目で見られる事が、こんなにも嬉しい。
「アイラさんが殿下にキスをするところ、見られたら私も嬉しいのですけれど」
「それは俺に負けろと言っているのか?」
「あら、私の婚約者が優勝しないなんてあり得ないわ」
「滅茶苦茶な事を言っている自覚はあるか?」
「本当にね」
けらけらと楽しそうに笑うエリザは、以前とは全く違う。こんなにも笑う人では無かった。ジョージとルイスが一緒にいるのなら、ジョージよりもルイスに構われたがる人だった。それなのに、今はルイスの方へは行かず、ずっとジョージの傍らにいる。
—彼女は偽物です。
キャリーの言葉がジョージの頭の中に繰り返される。
偽物でも良い。嘘を吐かれているとしても、今のエリザ・バートレイの方が良い。この人に、心から惹かれている。
「エリザ」
「なあに?」
「薔薇はお前の物だ」
フンと鼻を鳴らして不敵に笑うジョージに、アイラが小さな悲鳴を漏らす。エリザはきょとんとした表情で、その言葉の意味が分かっていないようだったが、意味を理解しているルイスはニヤニヤと笑う。
「まずは腕試しといこうじゃないか」
「怪我をしても知りませんよ」
二人の女子生徒が見守る中、ジョージとルイスは真剣な顔で剣を交え始めるのだった。




