十九話「ルート確定」
ズキズキと痛み始めた足は、うっすらと熱を持っている気さえする。それでも、ここまで来て大人しく帰るなんて事は絶対に出来ない。
「おい、顔色が悪い。痛むんじゃないのか」
コソコソと小声で話しかけてきたジョージは、痛みで顔を引き攣らせているエリザを案じている。だが、エリザはにっこりと笑みを浮かべたまま、仲睦まじく会話を楽しんでいるルイスとアイラから視線を外さない。
久しぶりに邪魔をされる事なく、四人で過ごす時間を楽しむ事が出来るのだ。絶対に、返ってなどやるものか。
「バートレイ嬢も戻ってきたし、久しぶりに学園が楽しく思えるよ」
「まあ、光栄ですわ」
嬉しそうに話し掛けてくれるルイスは、心の底から楽しんでいるらしい。中庭の芝生の上に直接座るという、由緒正しい王族、貴族がやるべきではない行為をしているというのに、自然と笑みが浮かんでしまう。
楽しい。嬉しい。
この先もずっと、こんな時間が続いてくれたら良い。そう願ってしまう程に。
「ジョージから贈り物はもらったかい?」
「はい!素敵なネックレスをいただきましたの」
ニヤニヤと笑っているルイスの前で、エリザはブラウスに隠していたネックレスを引き出した。ニコニコと嬉しそうに笑いながらネックレスを見せるエリザの隣で、ジョージは少しだけ照れ臭そうな顔をしながら、婚約者の横顔を見つめる。
「へえ、ルビーかな?君の髪とよく合うね」
「ふふ、ルビーが好きだという事を覚えてくれていたのですよ」
「それは良かったね。ジョージ、やるじゃないか」
「……まさかここまで喜ばれるとは思わず」
コホンと小さく咳払いをして、ジョージはほんのりと頬を染めた。
「エリザさん、先程もお友達に自慢されていたのですよ」
「そうなのかい?そうやって自慢してもらえると、男としては贈り甲斐があるね」
にっこりと笑ったルイスは、ちらりとアイラの顔を見る。少しだけ迷ったような顔をして、今度はジョージとエリザを見た。
「……殿下はどなたかに贈り物はされましたか?」
「え?」
「女子生徒の間で話題になっていたのですよ。殿下は誰に贈り物をするのかと」
ソワソワと落ち着きを無くしたルイスは、上着のポケットに手を伸ばす。隣に座っているアイラがほんのりと頬を染めているが、これは本人も期待しているという事なのだろうか。
「あー……実はまだ渡せていないんだ」
「あら、意中のお方はまだ学園にいらっしゃいますの?もう放課後ですけれど」
そう言って、エリザはわざとらしく周囲を見回す。ちらほらとお喋りを楽しんでいる生徒が残っており、四人が会話を楽しんでいる様子を見ている者も数人いた。その全てが女子生徒。恐らく、キャリーの友人たちだろう。
「……ハボット嬢、受け取ってくれるかな」
「え?!」
「気に入ってもらえたらで、良いんだ」
顔を真っ赤にして小さな包みを差し出したルイスの前で、アイラは更に顔を真っ赤に染めて慌てふためく。どうしたら良いのか分からず、助けを求めるようにエリザを見るが、エリザはニコニコと微笑みながら小さく頷いた。
「あの……私で、宜しいのですか?」
「君に贈りたいんだ。ジョージと一緒に選んだんだよ。私は君への贈り物を、ジョージはバートレイ嬢への贈り物をね」
ルイスの言葉に、エリザは勢い良くジョージの顔を見る。目が合う寸前、ジョージはバッと音がしそうな程勢いよく反対を向いて顔を逸らすが、耳は真っ赤に染まっていた。
「素敵……」
ジョージを見ていて見逃したが、アイラはゆっくりとした手付きで包みを開き、化粧箱の中を覗き込んでいる。
中に収められていたのは、金細工で出来た美しい髪飾り。ゲームのスチルで何度も見た、あの髪飾りだった。
やっと、やっと見られた。
ずっとこの目で見たかった光景の一つを、ようやく見る事が出来た。ルイスルートに入っていて、好感度も高めていなければ見る事の出来ない光景を。
「あの、私には似合わないかも……」
「そんな事無いよ。君に似合うと思うものを、私が選んだんだ。気に入ってもらえなかった?」
「いえ!いいえ!とても、嬉しいです」
最後の方は消え入りそうな程小さな声だった。しかし、アイラの頬は嬉しそうに緩み、うっとりとした目で手の中に収まる髪飾りを見つめていた。
「あら素敵。アイラさんそのまま座っていてね」
本当は、ゲームのシナリオでは、この場でアイラが髪飾りを身に着ける事はない。似合いますか?と髪に当てて笑うだけ。
どうせシナリオは既に崩れているのだから、悪役令嬢がヒロインと王子の為に何かしても良いじゃないか。そう考え、エリザはゆっくりとした動きでアイラの背後に回り込むと、優しい手付きでそっと、アイラの髪を纏める。櫛も無い為手櫛で、上手く纏められないが、少し纏めて髪飾りを乗せるくらいは出来た。
「さあ殿下、よーくご覧くださいませ」
左のこめかみ辺りに輝く金の輝きは、ルイスの瞳をキラキラと輝かせた。
◆◆◆
高揚感。多幸感。達成感。満足感。
何と表現したら良いのか分からないが、エリザの心は満たされていた。まだもじもじとしているアイラは、落としてしまうのが怖いからと、掌に髪飾りをそっと握りしめて見つめている。
「随分気に入ったようね」
髪飾りを見つめる事に夢中になっているアイラは、同じ馬車に乗っているエリザの言葉に反応しない。ただ、ニヤニヤと緩んでしまう口元を引き締める事も無く、時折「ふふ」と小さく声を漏らすだけ。
「アイラさん」
名前を呼んでも、相変わらず反応はない。相当嬉しいのだろうが、エリザは一つ気になる事があった。
ジョージと出かけた日、エリザは町中で男性と嬉しそうに話しているアイラの姿を見ている。あれはいったい誰だったのだろう。
ルイスが以前言っていた。アイラの心には、自分ではない別の誰かがいると。それは、あの日町中で見た、あの男性なのだろうか。
「アイラさんは、殿下をお慕いしているの?」
「へ?!」
ようやく反応したアイラの顔は真っ赤だった。ぶんぶんと慌てて首を横に振っているが、ぴたりと動きを止め、しおしおと肩を落とした。
「私……ずっと、好きな人がいました」
「詳しく」
ガラガラと響く車輪の音が煩いが、ぽつぽつと話し始めたアイラは、あの日町で見かけた男が、想い人だったと教えてくれた。
同じ孤児院で育った、三つ年上の男。男爵令嬢になってからも、時々屋敷を抜け出して会いに行っていたと。それが、あの日エリザとジョージが見た光景なのだろう。
「ずっと好きでした。でも……学園に来てから、殿下はとても優しくしてくださいました。最初は恐れ多くて緊張しましたけど、殿下はいつでも優しくて、知的で、素敵で……殿下のお傍にいる時間が、大好きになりました」
恥ずかしそうに話すアイラには申し訳ないが、エリザは心の中でぐっと拳を握りしめる。
来た。やっと来た。やっとルイス×アイラが始まった。このまま突っ走ってくれ!と、内なるエリザが大騒ぎをしているが、表情をぐっと引き締め、無表情を維持し続ける。
「町の彼はもう良いの?」
「彼、恋人が出来ていたんです。近くの青果店のお嬢さんだそうで……お前も早く恋人を見つけろなんて言われてしまいました」
悲しそうに笑ったアイラは、手の中に収まっている髪飾りを指先でゆっくりと撫でた。
「ずっと好きだった人とは結ばれず、学園でも……お友達から嫌われてしまって。でも、殿下もジョージ様も、エリザさんも、変わらず私と仲良くしてくださる。それが嬉しくて、ずっと一緒にいたくて……」
「では、恋心ではないの?」
「う……」
切り込んだエリザに、アイラは言葉を詰まらせる。折角ジョージもルイスもいないのだから、突っ込んだ事を聞くのは今しかない。
「失恋して、お友達から嫌われて、一人で泣いていたんです。そうしたら、殿下が通りかかられて、ハンカチを差し出してくださいました。優しく慰めてくださいました」
私はずっと傍にいる。そう、優しく笑ってくれたと、アイラはほんのりと頬を染めながら嬉しそうな顔をして言った。
「まるで、物語の主人公になった気分です」
間違いなく、主人公です。
そう言いたいのをぐっと堪え、エリザは「そうね」とだけ答えた。
「お友達から嫌われてしまった理由は分かる?」
「いいえ……何かしてしまったのかもと考えたのですが、思い当たらなくて」
「そう……まあ、気にする事は無いわ。貴方さえ良ければ、これからは私のお友達と仲良くしてちょうだい。絶対に寂しくないから」
賑やかな人達よとにっこり笑うと、アイラは今日一日ずっと一緒にいたメアリーを思い出したらしい。突然話しかけられて驚いたが、嬉しかったと言って、エリザに小さく「ありがとう」と礼を言う。
「そろそろ着きますね。送ってくださってありがとうございました」
「良いのよ。久しぶりに貴方とお話できて嬉しかったわ」
「私も!……私も、エリザさんと沢山お話出来て、嬉しかったです」
元のシナリオではあり得ない事が、馬車という小さな空間で起きている。
「明日もまた、お話出来ますか?」
ヒロインと悪役令嬢が手を取り合うという、有り得ない事が。
「当たり前でしょう?お友達なんだもの」
そう言葉にした瞬間、ガラガラと煩かった音が止まる。
馬車の扉が開き、ハボット家の使用人がアイラの帰宅に恭しく頭を下げた。
「またね、アイラさん」
「はい、また明日」
手を振り合い、静かに閉じられた扉を見つめる。
「ごめんね。お友達だけど、利用させてもらうね」
怪我のせいで休んでいる間に何度も考えた事がある。
この世界のシナリオは破綻している。エリザという悪役令嬢と、ヒロインの友人であるキャリーが本来の役割から外れている。機能していない。
このまま何事もなくゲームのエンディングを迎えたとして、自分はどうなるのだろう。ゲーム終了後も、エリザとして生きていくことになるのだろうか。それとも、元の世界に戻るのだろうか。分からない。分からないからこそ、最善を尽くしておかなければならない。
キャリーの狙いは恐らくジョージ。エリザを引き摺り落とし、ジョージの恋人の座に収まるつもりなのならば、何をされるか分かった物ではない。
あれは、排除しなければならない。
揺れる馬車の中から窓の外を見つめるエリザの目は、どこか遠くを睨みつけていた。




