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二話「失言にも程がある」

久しぶりの学生生活は、元居た世界の生活とは全く違う。毎日学び舎でクラスメイトと勉学に励むという行動自体は同じだが、学ぶ内容は全くと言って良い程異なった。


馬になんて、乗った事がない。


「ひ……」


動物園で乗馬体験をやっているところは見た事があるが、実際に体験した事なんてないのだ。ぐらぐらと揺れる馬上で必死に体を支えているが、不思議な事にエリザの体が感覚を覚えているのか、馬の上でバランスを取る事は出来る。


この世界で目を覚ました時から何度か経験しているが、この体が経験し、記憶している事は今のエリザも覚えているらしい。


文字も読めるし会話もできる。周りにいる人間の名前も分かるし、エリザとどういう関係なのかも覚えていた。


「おお……馬の上って景色が良いわね」


多少恐怖心はあるが、バランスを崩す事もないし、こっちへ進みなさいと指示を出す事も出来る。馬は大人しく指示を聞き、ゆったりと歩いてくれていた。


「あら……」


離れたところから歩いてくる二人分の人影に気付き、エリザは小さく声を漏らす。同じように気付いた数名の生徒がじっとそちらを見つめていると、どうやらアイラとクラスメイトの一人、キャリーが寄り添って歩いて来たようだ。


授業開始時刻に姿が見えなかった事を思い出し、エリザは小さく首を傾げる。ゲーム内でアイラとキャリーが一緒に授業に遅れてくるシーンなどあっただろうか。


というより、今はゲーム開始の翌日。キャリーという名のキャラクターはアイラの親友となる女子生徒だが、彼女と関わるのは本来なら今日の放課後からの筈だ。


「すみません、遅れました」

「時計の読み方を学んだ方が良いだろうな」


フンと鼻を鳴らした男性教員に、アイラは申し訳なさそうに眉尻を下げて「申し訳ございません」ともう一度詫びた。


グラウンドを一周して戻ってきたエリザは馬から降り、アイラとキャリーの様子をまじまじと観察する。


紫色の髪をした女子生徒、キャリー・ホップス。彼女は伯爵家の令嬢で、ゲーム内ではアイラの親友となる、所謂お助けキャラというやつだ。攻略キャラクターとの親密度を教えてくれたり、重要なイベントがある時はどのステータスをどこまで上げておく必要があるのかを教えてくれる。


ゲームをプレイしている間、どれだけ彼女に助けられただろう。実際に目の前で見てみると、キャリーの容姿もとても整っている。


「あの……エリザさん、馬を交替していただいてもよろしいでしょうか?」

「え?ああ……どうぞ」


おずおずと声を掛けてきたアイラに手綱を手渡そうと近付いた瞬間、馬が嫌そうに鼻を鳴らして顔を背けた。


「あらあら……初めて見る人間だから嫌なのかしら」


オロオロしながら手綱を握り、馬に触れようとするアイラの隣で、キャリーも馬の首を撫でて落ち着かせようとしているようだが、上手くいかないらしい。


「やっぱり孤児院出身だから……」

「乗馬も出来ないのか」


クスクスとあちこちから笑い声がする。

クラスの全員がアイラを嘲笑しているわけではないようだが、嫌な笑みを浮かべている生徒はそれなりの人数がいた。


「手綱を寄こしなさい。危ないわ」


手を出しながらもう一度アイラに近寄った瞬間、エリザの鼻に微かに薬のような匂いがした。


「臭い……」

「え?」


手綱を渡したアイラは、エリザの言葉にびくりと肩を揺らして固まった。


「貴方、今日は馬に近寄らない方が良いわ。きちんとお風呂に入らないと……馬は鼻が良いから」


馬が嫌がった原因に気付いたエリザは、やれやれと息を吐いてアイラの顔を見る。引き攣った顔で此方を見ているアイラに気付いた瞬間、エリザは自分の失言にようやく気付いた。


「酷い!そんな言い方……!」

「え、あ……ちが……」


声を張り上げたのはキャリーだった。エリザから庇うようにアイラの体をしっかりと抱きしめ、敵意をむき出しにした目をエリザに向ける。


「貴方もアイラさんが孤児院にいたからって酷い事を言うのね?!彼女がどんなに辛い生活を送っていたかも知らないくせに!」

「ちょ……誤解、違うわ!」


アイラの事を何も知らないくせにと、キャリーはエリザに噛みついてくるが、何も知らないわけがない。

プレイヤーとして、アイラを操作してこの世界を楽しんでいたのだから。


アイラ・ハボットという少女は、この世界の主人公。

男爵家の令嬢として生まれたにも関わらず、赤ん坊の頃誘拐され行方不明となっていた。だが、二年前とある孤児院で生活しているところを発見され、生まれた家に戻されたのだ。


その後、たった二年で男爵令嬢として幼い頃から受けるべきだった教育を叩き込まれ、国内最難関と言われる学園の編入試験に合格した才女。


そのような少女を、どうして馬鹿にできようか。


「私は……」


反論しようと口を開いた瞬間、ガランゴロンと鐘の音が響く。授業終了の告げる鐘の音に、生徒たちは馬を厩舎に戻す者と、着替える為に校舎に戻る者へ別れた。


「行こう、アイラさん」

「うん……」


キッと鋭くエリザを睨みつけたキャリーは、アイラの肩を支えながら校舎に向かって歩いて行く。追いかけて弁解したいが、右手にしっかり握っている手綱を手放すわけにもいかない。


「……エリザ・バートレイ、言葉に気を付けなさい。彼女はただ不幸だっただけなのですから」

「ちが……」

「放課後、厩舎の掃除と餌やりをしなさい。罰則です」

「そんな……」

「早くその馬を戻して、君も校舎に戻るんだ」


教員までもが冷たい目を向ける。心から軽蔑しているような、厳しい目を。


言葉の選択を間違えたのは自分だ。

だが、弁解する事すら許されず、完全に悪役にされてしまったのは何故だろう。あそこでキャリーが大騒ぎをしなければ、きちんと言いたい事を言えた筈。


「何か、色々おかしい……」


早く戻りたいとでも言いたいのか、手綱を握られている馬が鼻先をエリザに擦り付ける。色々と不満だが、この可愛らしい馬を早く戻してやらなければ。


「全く、嫌になっちゃうわ!」


フンと鼻を鳴らし、エリザは馬と共にゆったりと歩く。頬を撫でる風は心地良いのに、心のモヤは晴れてくれそうになかった。


◆◆◆


生き物の世話をしているのだから、楽しい事ばかりでない事は分かっているつもりだった。


「公爵令嬢に馬糞の掃除をさせるなんて……!」


出来るだけ鼻呼吸をしないようにしながら、厩舎の掃除をする事約二時間。

エリザの体は激しい運動や力仕事に慣れていないようで、二時間みっちりと掃除をした結果、現在腰痛に苦しんでいる。


「うぶぇ……ちょっと、やめなさい!」


フンフンと鼻を鳴らしながら構ってほしそうに顔を寄せる馬に、エリザは距離を取ろうと後ずさる。


「お腹が空いたの?今あげるから待っててちょうだいな」


よしよしと鼻先を撫で、エリザは厩舎の外に積み上げられている飼葉を取りに行く。

あと一時間もあれば、罰則は終わるだろうか。


「まさか、お前が真面目に罰則を受けるとはな」

「あら……ごきげんよう、ジョージ様。厩舎にご用事ですの?」


何故この男が厩舎にいるのだろう。

白けた目をエリザに向けるジョージが、罰則を喰らうような問題児とは思えない。


ゲームの中のジョージは、将来ルイスの右腕になる男。成績優秀で素行も良い。女性への態度が少々固い……というより、女性を寄せ付けないようにしているところが攻略難易度を上げているのだが、彼のファンは少なくない。恐らくルイスの次に人気のキャラだろう。


「お前が大人しく罰則を受けていると聞いたのでな。珍しい光景を眺めに来た」

「あら、暇なのね」


ハンと鼻を鳴らし、エリザは飼葉を桶に出来るだけ詰め込む。これ以上歩き回りたくないし、腰を屈める動きもしたくない。


公爵令嬢のか弱い体では、掃除も餌やりも重労働。きっとこれは、明日には筋肉痛で悲鳴を上げる事になりそうだ。


「普段のお前なら、ドーラム公爵家の令嬢である私に罰則?しかも獣の世話をさせるなんて!お父様に報告しますからね!……と、騒ぐだろう」

「それ、私の真似をしているおつもりですか?」


ちょっと似てるかもしれないと妙な感心をして、エリザはジョージに背を向ける。さっさと餌やりを終わらせて帰りたい。馬は可愛いが、体中に染みついてしまった匂いを早く風呂で落としたい。


「編入生に早速嫌がらせをしたとか?やはり、昨日殿下と親気に会話していた事が気に入らなかったのか」

「まさか!殿下とアイラさんがお話している光景はまさに神絵師が描いた最高傑作のようでした!」


思わず振り向いたエリザは、目の前にジョージがいる事に口を閉ざす。文字通り、目の前にいるからだ。


漆黒の髪に深い緑の瞳。眉間に深々と皺を刻みこみ、普通ならば婚約者に向けないであろう冷たく暗い視線を向けている。


まるで、冷たい刃物のような目だと思った。


「何故、彼女を蔑んだ」

「誤解です。彼女から薬草の匂いがしたのです。馬はその匂いが嫌で、彼女から離れようとしていました。あの二人がそれを理解していないから、離れるよう言いたかっただけで……言葉の選択を間違えたのは、私のミスです」


しつこく馬に近寄って、暴れられでもしたら大変な事になっていたかもしれない。馬は賢く可愛らしいが、体は大きく力も強い。人間が勝てる大きさではない。


「お前が、彼女が孤児院にいた事を理由に蔑んだのだと騒がれているが」

「はあ?!何てくだらないのかしら!孤児院にいたから何だっていうのよ!」


つい、頭にカッと血が上った。

手に持っていた飼葉入りの桶を地面に叩きつけ、威圧するように顔を近付けていたジョージの胸を人差し指で何度も突きながら怒鳴った。


「貴方なら彼女の事情を知っているでしょう?本来なら幼い頃から何年もかけて淑女として教育される筈だったところを、たった二年で叩き込まれたのよ!それをきっちり習得して、最難関と言われるこの学園の編入試験を突破して来たの!」


それが、どれだけ難しい事か。何年もかけて習得するのが当たり前の事を、たった二年で習得する為に、彼女は、アイラはどれだけの努力をしたのだろう。


孤児として生きてきた子供が、ある日突然男爵令嬢となった。シンデレラストーリーとして見るのなら、きっとハッピーエンドなのだろう。本当の両親の元へ戻れたのだから。


物語なら、本当の両親の元で幸せに過ごしました。めでたしめでたしで話は終わる。だが、現実はそこで終わらない。


「彼女は、突然生きる世界が変わったの!どんなに大変でも辛くても、逃げずに努力してきたのよ!どうしてそんな彼女を、孤児院で育ったからと馬鹿に出来るの!」


腹立たしい。ジョージがアイラを馬鹿にしたわけではないと分かっているが、止まらなかった。パンと音を立てジョージの胸を叩き、エリザは怒鳴ったせいで乱れた呼吸を整えるように、ぜいぜいと肩を上下させながらジョージを睨みつけた。


「……お前がそのような事を言うとは思わなかった」

「は……?」

「俺の知っているお前なら、男爵令嬢だとしても孤児院で育ったのなら、この学園で学ぶ事など許されないと言うだろう」


散々怒鳴られ、胸を叩かれたというのに、ジョージは顔色一つ変えずにエリザを見下ろす。背の高い男子生徒から見下ろされている今の状況をやっと理解し、エリザの頭がゆっくりと冷静さを取り戻してきた。


「お前は、誰だ」

「へ……?」

「お前は俺の知るエリザ・バートレイではない」


まずい。感情に任せすぎた。

どうやって逃げるべきかと考え始めたエリザの頬を、ジョージが片手で握るように抑えた。


痛い、触るな、放せ。そう言いたいが、睨みつけてくる視線から殺気を感じる。本能的な恐怖で体を動かす事が出来ず、エリザはじっとジョージを見つめて固まった。


「答えろ。お前は誰だ」


顔を握るジョージの手が、一層力を込めたような気がした。


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