十八話「帰還」
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一週間ぶりの学園は、思っていたよりも居心地が悪い。屋敷から学園までは馬車で通っているのだが、降りた瞬間生徒たちからの視線が突き刺さる。
「……成程ね」
人伝に話を聞いただけだが、恐らくエリザは大広間の照明を落とした犯人として酷い噂を立てられているのだろう。それもこれも、この世界で生きていたエリザの過去の行いのせいだ。
もっと真面目に、慎ましく生きていれば良かったのに。そうすれば、由緒正しい公爵家のお嬢様として皆から慕われながら生きていられただろうに。
「エリザ」
「おはよう、ジョージ」
馬車が停まるポーチの前で待っていたジョージが歩み寄ると、周囲の生徒たちはコソコソと何かを囁き合う。どうせ好き勝手言われているのだろうが、言いたいのなら好きに言わせておけば良い。そう考えているのはエリザだけのようで、ジョージは不愉快そうに眉間に皺を寄せて生徒たちを睨んだ。
「気分が悪いな」
「放っておきなさいな。気にするだけ無駄よ」
フンと鼻を鳴らし歩き始めたエリザを支えるように、ジョージは大きな手をそっとエリザの腰に添える。ゲームの中のジョージなら、絶対にしないであろう事をする事に、今は驚いていられない。昨日抱きしめられたばかりで、そちらの衝撃の方が大きかったからだ。
この世界は、乙女ゲーム「灰被りのお星さま」の世界。だが、エリザという悪役令嬢が悪役として機能しなくなっている今、他の登場人物たちもゲームのシナリオ通りには動かない。
その代表格がジョージというだけ。
婚約者であるエリザを忌み嫌い、決して触れようとはしない彼はもういない。
ほんの少し気を許し、婚約者として接するようになっただけ。その変化はとても大きなことで、いちいち驚いていてはキリが無い。
「そんなに心配しなくても平気よ。歩けるわ」
「痛むのだろう。足を庇っているのが見て分かる」
「それは……当たり前でしょう?照明が落ちてきたんだもの」
「だから無理をせずまだ休んでいれば良かったんだ。婚約者の言う事を、少しは聞いたらどうだ?」
「あら、私が大人しく貴方の言う事を聞くような良い子だと思っていたの?」
「少なくとも、昨日渡したネックレスを付けてくる程度には、俺の言った事を聞くようになったようだ」
ふっと口元を緩めたジョージは、エリザの腰に触れていない右手で自身の首元をトンと突いた。
ジョージの言う通り、エリザは昨日貰ったばかりのネックレスを首から下げている。制服のブラウスの中に隠してはいるが、襟から覗いた項にチェーンが輝いているのを目ざとく見つけたようだ。
「だって、嬉しかったんだもの」
口から出た言葉は本心だった。エリザになる前も、なった後も、男性から贈り物をされた事なんて一度も無かった。
始めてもらった贈り物が、自分に似合うネックレス。外すなと言われなかったとしても、きっと肌身離さず身に着けていただろう。
「昨日、眠る時も外さなかったわ」
「チェーンが切れても知らないぞ」
「それは困るわね」
「……切れたら直してやる」
「あら?貴方そんなに器用だった?」
「職人に修理の依頼をしてやるだけだ。俺が器用だと思うか?」
大きな手をわきわきと動かしながら、ジョージは呆れた顔をエリザに向ける。確かに、剣ダコまみれの手では繊細なチェーンを直す事は出来ないだろう。
「あぅ」
話ながら歩いているうちに、エリザは僅かな段差に躓き、ぐらりと体を傾がせる。痛めた足では踏みとどまる事が出来ず、痛みに顔を歪めながらジョージの方に倒れ込んだ。
「大丈夫か」
「痛い……」
「無理をするからだ。歩けるか?運んでやろうか」
運ぶという事は、恐らくまた人前で抱き上げられるという事だろう。階段から落ちた時にあれだけ恥ずかしかったのだから、登校してきた大勢の生徒に見られる事になる今、同じように抱き上げられたらどんなに恥ずかしいだろう。
「平気よ、歩けるわ」
歩けると強がったは良いが、足はズキズキと痛む。正直、これ以上歩きたくない。だが、それをジョージに言えば、何故無理をしてきたのだと呆れられてしまうだろう。
「全く……何故そんなに強情なんだ」
言わなくても呆れられてしまったようだ。
「殿下が誰かに贈り物をする確証は無いだろう」
「いいえ、絶対にするわ!」
ジョージにもたれたまま、エリザは力強く拳を握りしめた。あんなにも真剣に相談してくれたのだ。相談だけして、結局何も渡しませんでしたという事は無いだろう。
「もし殿下が誰かに贈り物をするとして、いつ渡すかも分からないだろう」
呆れながら、ジョージはエリザの体を支えてゆっくりと歩き出す。絶対にルイスはアイラに贈り物をする筈だと熱弁しているエリザは密着している事に気付いていないのか恥じらう様子も無いが、周りの生徒たちは「あの二人が」と驚いた顔をしながら見ている。
エリザとジョージが不仲であると言う事は、学園内でも有名な話だったからだ。
「殿下は何を贈るのかしら……私は髪飾りを推したの」
「さあな。俺は何も聞いていない」
「そうなの?まあでもそうよね、貴方に女性への贈り物を相談するとは思えないもの」
「どういう意味だ?」
「さあね」
うふふと楽しそうに笑ったエリザは、体を預けたままゆっくりと歩き続ける。校舎に入る玄関口の階段は更に歩く速度を落としたが、ジョージがエリザの歩幅に合わせて歩く姿を見ている生徒たちは多い。
「エリザさん、ジョージ様、おはようございます」
後ろから声を掛けて来たのはアイラだった。ニコニコと嬉しそうな顔をして挨拶をしているが、視線は体を寄せ合っている二人をしっかりと見ている。
「おはよう、アイラさん」
「エリザさん、もう大丈夫なんですか?」
「ええ、もう平気よ。心配してくれてありがとう」
にっこりと微笑んで、エリザはそっとジョージから体を離す。仲の良い友人に見られているのは何となく恥ずかしかったのだ。
「ハボット嬢、こいつはすぐに無理をする。俺が傍にいない間無茶をしないよう見張ってくれ」
「へ?」
「まだ安静にしておくべきなんだがな、来ると言って聞かないんだ。俺の言う事は聞かないが、君のいう事なら聞くかもしれん」
「はあ……私でお役に立てるかどうか……」
あまり困らせるなとジョージを小突いて、エリザはにっこりとアイラに微笑みかける。
スッと姿勢を正し、ゆっくりと歩き始めたが、正直足は痛い。だが、これ以上婚約者と共に歩いている姿を要られているのが恥ずかしかった。
◆◆◆
「ふむ……思っていたよりも、簡単そうだわ」
一週間ぶりの登校をして半日、様子を伺っているうちに、エリザは余裕たっぷりの笑みを浮かべてカフェスペースでお茶を楽しんでいた。
「楽しそうですわね」
「ええ。あまりにも……お粗末なんだもの」
にんまりと微笑むエリザの向かい側の席に座っているのはアリスだ。彼女も同じように優雅にお茶を楽しんでおり、周りから見れば仲の良い女子生徒がお喋りを楽しみながらお茶をしているようにしか見えないだろう。
だが、話している内容は少々物騒だ。
「あの方々、身分には恐れを抱くのね」
「此方側は高位貴族の娘ばかりですもの。恐れを抱くのは当然ですわ」
「連携も取れていないようだし……簡単ね」
うふふと小さく笑い、エリザは目を細めてティーカップを見つめる。たった半日見ていただけで、キャリー陣営が全く統率の取れていない集団である事が分かってしまった。
どう動けば邪魔出来るのかが手に取るように分かる。きっとこれは、本来のエリザが持っていた才能なのだろう。試しに思いついた事を友人にいくつか指示してみたが、面白いように思った通りの動きをしてくれた。
「アイラさんは、メアリーさんが傍についているのよね」
「ええ。案外あの二人は気が合うようです」
「それは良かった。貴方は私のお目付け役ってわけね?」
「はい。クレムセン様に頼まれましたので」
愛されておりますねと揶揄うように笑ったアリスは、ティーカップに口を付けながら口元を緩めた。
「あの人、何人に私の見張りを頼んでいるのかしら」
「さあ……それだけ心配されていらっしゃるのですよ。学年が異なりますから、いつでも傍にいられるわけではありませんもの」
自分が傍にいない間、傍にいる誰かを確保したのだろうが、それにしても頼みすぎではないだろうか。そもそも、いつの間にアリスと接触していたのだろう。
「あ、こちらにいらっしゃいましたのね」
ニコニコと微笑みながらカフェスペースに入ってきたのは、メアリーとアイラだった。普段あまり接する事の無い生徒と一緒に行動する事に緊張しているらしいアイラの表情は少々固いが、エリザがいる事に気付くと、ほっとしたように表情を緩ませた。
「ごきげんよう。仲良くなったのね」
「はい。アイラさん、物知りなのですよ」
「へえ?どんなお話をしたの?」
自然な動きで近くの椅子を寄せ、メアリーとアイラはエリザたちの席に合流する。人数はそこまでいないが、カフェスペースにいる生徒の数人は、アイラがエリザの友人たちとも親しくしている事に驚いているようだ。
「生活の知恵、というか……」
「貴族令嬢が知らないような事を、それはもう沢山ご存知なのですよ。私が今読んでいる小説があるのですが、主人公は町娘で……文字を読んでいても何をしているのか分からなくて、アイラさんに聞いてみたら……」
目をキラキラと輝かせながら楽しそうに話すメアリーは、最近囁かれている噂の事を忘れる事が出来ているようだ。アイラを孤立させない為に信用出来る人間を傍にやっただけのつもりだったのだが、どうやらメアリーにも良い結果になったようだ。
「そういえば……メアリーさんは婚約者から贈り物はいただけたの?」
「ふふ、昨日屋敷に来ていただきましたの。この間の休日に二人で町へ出かけて、以前エリザさんに教えて頂いたお店に行って……」
ニコニコと嬉しそうに微笑みながら、メアリーは耳元に触れる。髪に隠れてはいるが、小ぶりの耳飾りが揺れていた。
「あら素敵。よく見せて」
テーブルに身を乗り出し、エリザはそっとメアリーの髪を退ける。ブルーの宝石が留められた小さな耳飾りを嬉しそうに見せてくれたメアリーは、それはそれは幸せそうに見えた。
「良かったわね。誤解は解けたの?」
「はい!エリザさんに教えて頂いたお店のご店主が私の事を覚えてくださっていて……」
メアリーが言うに、思惑通りハロルドはエリザの友人であると記憶しており、「今日はお嬢様ではなく、恋人と一緒なのですね」と言ってくれたらしい。
「元々彼も噂の事は信じていなかったそうで……でも、あちらのご両親が気にしていらして、念の為という事だったそうです」
「そう。信じてくれる殿方で安心だわ」
「あら、この耳飾り最近流行りの店のものね。若手のデザイナーが手掛けているって評判なのよ」
「素敵……」
耳飾りを見ているアリスは、婚約者のセンスに感心しているようだが、アイラはほんのりと頬を染めて見惚れていた。
「お二人は?何かいただきましたか?」
「いいえ、私はまだ。今夜食事の約束をしているから、その時かしらね」
お茶を飲みながら答えたアリスは、ちらりと視線をエリザに向ける。この話題は任せたとでも言いたいのだろう。
「私はネックレスをもらったわ。昨日の夜、彼が屋敷に来てくれたの」
アイラとメアリーに見えるようにブラウスに隠していたネックレスを引っ張り出すと、アイラは興奮したように頬を染めながら両手を口元に当てた。
「クレムセン様、お屋敷にいらしたのですか?」
「ええ。多分私が今日も休むと思っていたからでしょうけど……」
「ひい……」
両手で顔を覆って小さく声を漏らしたアイラに、メアリーとアリスは目をぱちくりと瞬かせる。エリザだけは「オタクのそれだ」と思っているのだが、言葉にする事はなかった。
「アイラさんは?誰かから贈り物は?」
「私に贈り物をしてくれるような人はいませんよ。婚約者どころか、恋人もいませんから」
眉尻を下げたアイラはそう言うが、ルイスが贈り物について悩んでいた事を知っているエリザは口元が緩むのを隠す事に必死だ。
「うちの人はきっと、私が喜ばないような物を持ってくると思うわ。あの人そういう事を考えるの苦手なんだもの」
やれやれと溜息を吐いたアリスは、普段よりもやや声が大きい。確かアリスの婚約者は、五つ年上の物静かな男性だった筈。エリザの体に残っている記憶では、見目麗しいわけでもなく、家柄が特に良いわけでもなく、取り得も無いどこにでもいる平凡な男のようだ。
「欲しい物をお願いしたら良いじゃない」
「しましたわ。でも、あの人は何を考えていたのか……髪飾りが欲しいと言ったのに本を持ってきたのですよ。何故髪飾りが本になるのでしょうね!」
フン!と鼻を鳴らし、アリスは不機嫌そうな顔をしながらお茶を飲んだ。
「耳飾りにネックレス、羨ましいわ」
「うふふ、良いでしょう」
にっこりと微笑み、エリザは意地悪くアリスにネックレスを見せ付ける。メアリーは遠慮しているが、口元が緩んでいるのは隠しきれていなかった。
「……あ。ごめんなさいね、私先生に呼ばれていたのを忘れていたわ。アリスさん、一緒に来てくださる?」
「ええ、勿論。またね、お二人共」
ひらひらと手を振りながら立ち上がったエリザとアリスは、カフェスペースを出た瞬間表情を消した。
「ありがとうアリスさん。流石だわ」
「光栄です。私が見ていた限り、四人」
四人。少なくとも四人の人間が此方を見て、話を聞いていた。メアリーの婚約者が噂を信じていない事、恋人たちの日の贈り物をされている事。それらを聞いていたのならば、自分たちが流した噂に意味はないと分かっただろう。
「良いわ。それだけ見ていたのなら充分。それよりも問題は殿下ね」
「何かあるのですか?」
「まあね。全く……あの人は何をしているのかしら」
「何を思い付かれたのですか?」
「……ちょっとした、私のお遊び」
うふふと可愛らしく微笑むと、エリザはネックレスを胸元に仕舞い直す。これは、絶対に無くしたくない。極細のチェーンがちぎれてしまわぬよう、慎重な手付きで胸元にしまい込むと、そっと胸を抑えた。
「放課後はジョージと過ごすわ。皆さんは気にせず帰ってちょうだいね」
「かしこまりました」
昼休みにもルイスがアイラに接触していないのは、恐らくメアリーが張り付いているからだ。放課後、メアリーが離れれば接触してくるはず。
今日、ルイスはきっとアイラに贈り物をする。……筈。ゲームのシナリオが少しでもこの世界に残っているのなら、ルイスはアイラに贈り物をする。
なんとしても、その光景が見たい。その為だけに、痛む足を引き摺って学園に戻ったのだから。




