十七話「腕の中」
怪我をして動けないエリザは、ベッドの上でくつろぎながら、見舞いに来てくれた友人二人との歓談を楽しむ。来てくれたのは、アリスとメアリーだった。怪我をして一週間程経ち、そろそろ登校できそうだと話した後、エリザたち三人は久しぶりの歓談を楽しんでいた。
「成程ね……面白いじゃない」
エリザがスッと目を細め、口元を歪めて笑っているのには理由がある。アリスが今学園で流れている噂や、起きている事を話して聞かせたからだ。
「噂の出どころはキャリーさんのお友達でしょう。キャリーさんが怪我をしたから、徹底的にやるつもりのようね」
「楽しそうですわね」
「あら、そう見える?」
呆れ顔のアリスにそう返すと、エリザは優雅にお茶を飲む。足はまだ痛むが、それ以外の場所は痛くも無いし元気なのだ。
「全く……噂する人達って暇なのかしら?そもそも私は普段からアイラさんとそれなりに仲良くしているのよ?アイラさんに大怪我をさせるような事はしないし、もし嫌がらせをするのならもっと上手くやるわ」
「するつもりなのですか?」
「しないわよ、馬鹿馬鹿しい」
フッと笑うと、エリザはまだ浮かない顔をしているメアリーに目を向ける。お茶を飲んではいるが、口数が少ない。普段ならもっと喋る筈なのに、未だあの日の出来事を引き摺っているのだろうか。
「何かあった?」
「……私が、男性と二人きりだったと噂になってしまって……どうやら、婚約者の耳に入ってしまったようなのです。説明してほしいと、今朝手紙が」
「全く、婚約者の身の潔白を信じられない人なんて捨ててしまいなさいな」
「そうはいきません!そんな、簡単なお話では……」
「冗談よ、分かってるわ。こうなると思ったから、私は貴方とお散歩したんだもの、大丈夫よ」
まだ不安げな顔をしているメアリーの背中を、アリスが優しく摩る。今にも泣き出しそうな顔をして、メアリーは力なく俯いた。
「貴方、普段町に出ないでしょう」
「え?ええ、あまり……」
「婚約者と休日に合う約束を取り付けなさい。二人で町に出て、私と一緒に行ったお店だと言って、ジョージと会ったあの店に行くの」
「そうすれば、信じてもらえるでしょうか」
「普段行かない町に私と行って、そこで覚えた店に婚約者を連れて行くの。何かおねだりすれば良いわ」
ハロルドの雑貨店には、女性が好むような小物が沢山置いてあった。あの日、メアリーと一緒に店に行った際ハロルドに会えたし、あの時はどうもと声をかければ自然と話を続けることが出来るだろう。そうすれば、婚約者に「あの日はエリザといた」という話を信じ込ませる事が出来る筈。
そう続けてやれば、メアリーの表情は少しだけ明るくなった。
「何故、そのようにスラスラと筋書きが思い浮かぶのですか?」
不思議そうな顔をする二人に、二次創作をするオタクだからと言ったところで伝わりはしないだろう。曖昧に微笑み、エリザは一口お茶を飲んだ。ベッドの上で飲み食いするのは、何となく違和感があって慣れない。
「他にも何か起きていない?」
「アイラさんが孤立していますが……殿下と、その……クレムセン様が気にかけていらっしゃいます」
「詳しく」
「はい。キャリーさんのご友人は、アイラさんを徹底的に無視しています。完全に孤立しているようで……時々殿下とクレムセン様が一緒に過ごしているところを何度か見かけています」
「そう。ジョージが邪魔をしていないと良いのだけれど」
ふう、と小さく溜息を吐き、エリザは窓の外に視線を向ける。日が傾き始めた空は、ほんのりとオレンジ色に染まり、そろそろ友人たちが帰らなければならない時間が近い。
「あの、ずっと気になっていたのですが」
「何?」
「何故、アイラさんを気にかけていらっしゃるのですか?進級前は、孤児院育ちなんてと仰っておりましたのに」
「個人的な事情よ」
「殿下との仲を深めようと協力なさっているようですが」
純粋な疑問を口にしたメアリーの言葉を奪うように、アリスは鋭い視線をエリザに向ける。何を考えているのだと説いたげな視線が、エリザに突き刺さっているように思えた。
「もしも、あの方が王妃になったらどう思う?」
「それは無理なお話です。身分が低すぎますもの」
「もしもの話よ。私はね、身分の低い王妃が頼れる存在になれたら素敵だと思うのよ。そうなれば、裏で実権を握るのは……誰だと思う?」
自分でも驚く程、言葉が口からスラスラと出た。本心はただ推しカプを目の前で拝んでいたいというだけなのだが、この二人を納得させるための言い訳が、口から流れるように出たのだ。
「そんな……事を」
「勿論、男爵令嬢であるアイラさんが本当に王妃になれるとは思わないわ。でも、殿下の寵愛を得て、側妃としてお傍にいたら?」
「後ろ盾のないアイラさんが頼るのは、公爵令嬢であり、公爵夫人であるエリザさん……」
拳を握りしめたメアリーの言葉に、エリザは満足げに微笑む。
心の中では、「ごめん!欠片もそんな事考えてなかった!」と考えているのだが。
「では、影の権力者となられたエリザさんの友人である私たちは……」
「色々と、楽しい事が出来るかもしれないわね?」
「私が、エリザさんを失脚させるとお考えにはなりませんか?」
「あら……出来るものならやってごらんなさい。イシャム公爵夫人をどうやって失脚させるの?私はただ、アイラさんのお友達というだけなのに」
何も悪い事はしていない。どこから足元を崩そうというのだろう。そもそも、失脚させたところでアリスに旨味は無い。エリザと行動を共にしておいた方が得の筈だ。
それが分かっているからなのか、アリスはにんまりと口元を歪めて笑う。
「美しき友情ですわね」
「ふふ、今私が話した事は全て、もしもの話よ。私はそこまで賢く立ち回れる女ではないわ。私はただ、お友達を助けてあげたいだけ」
この言葉は本心だ。心の底からそう思っていると胸を張って言う事は出来ないが、沢山の人から敵意を向けられているのは心配だ。
「アイラさんをこちらに引き込みましょう。キャリーさん陣営と揉めることはしないで。ただあの方を、友人としてこちらの輪に引き込むの」
「ですが、あの方を良く思わない者もおります」
「貴方も?」
「いいえ、私はそのような事は思っておりません」
「わ、私も……」
「では、貴方たち二人がアイラさんと仲良くしてさしあげて。良く思わない人に無理強いする事はないわ」
ティーカップをベッド脇に置かれたサイドテーブルに置き、エリザはスッと背中を伸ばす。怪我人がベッドの上で凄んだ所で無駄かもしれないが、やらないよりはマシだ。
「そうね……まずは殿下を囲みなさい」
「何故ですか?」
「有象無象のアリがたかるには、殿下は貴いお方だからよ。お守りしなさい」
「殿下のお傍で、アイラさんもお守りすればよろしいのですね?」
「ええ、流石ね」
察しの良いアリスは、全てを説明せずともしてほしい事が分かるらしい。メアリーはまだ困惑しているようだが、彼女は学園内の事よりも婚約者との仲の方を心配しているのだから、仕方のない事なのだろう。
「噂の方はいかがいたしましょうか」
「私の噂は放っておいて良いわ。メアリーさんの噂から対処しないと。婚約者と外出して、ランチタイムにカフェスペースで誰かに話すと良いわ。出来れば何か買ってもらって、それを持ってきて」
他にも噂をされている友人がいる。そちらはどうすべきかと聞かれ、対応を考えているうちに、窓の外はどんどん暗くなっていく。
帰りが遅くなる事を案じた使用人が部屋の扉をノックするまで、三人の令嬢たちはコソコソと作戦を練るのだった。
◆◆◆
友人たちが帰った後、エリザはベッドに体を横たえ、眉間に皺を寄せる。平気な顔をしてはいたが、本当は痛むのだ。
「お嬢様、お客様が……」
「また?今度は誰?」
「クレムセン様です」
「……ジョージ?」
扉の向こうから声を掛けてきた執事は、断った方が良いかと心配そうな声をしている。だが、折角来てくれたのに追い返すような真似をしたくなくて、エリザは枕元に置いていたガウンを羽織りながらジョージを部屋に通すように返事をした。
「……すまない、すぐ帰る」
申し訳なさそうな顔をしながら部屋に入ってきたジョージは、普段の制服姿ではなく、少しラフな私服姿だった。冬休み期間中に何度か見たが、何となく見慣れない。
「お見舞いに来てくれたのね、ありがとう」
にっこりと微笑んだエリザの顔を見て、ジョージはほっとしたような顔をしながら、ベッド脇に置かれたままになっていた椅子に腰かけた。
「傷の具合はどうだ」
「もう殆ど治りました。怪我をして一週間も経ったのよ?」
一週間も経って、ようやく見舞いに来た婚約者は、小さく「そうか」とだけ呟いて視線を逸らす。俯いて何か言いたげに口をもごもごさせているが、何がしたくてわざわざ会いに来たのだろう。
「明日から復帰しようと思っていたの。一日中ベッドにいるの飽きちゃった」
やれやれと溜息を吐いた途端、ジョージはパッと顔を上げてエリザの顔を凝視する。何を言っているのだと言いたげな顔をしているが、足が痛む以外は元気な体でベッドに寝転び続けているのは、本当に苦痛なのだ。
「まだ無理をしない方が良いのではないか?」
「……だって!明日は恋人たちの日でしょう?!どうしても行きたいのよ!」
ジョージが心配してくれている事は分かる。だが、明日は学園内が色めき立つ日なのだ。先日贈り物の相談をしてきたルイスも、アイラに贈り物を渡すだろう。絶対に、この目でその瞬間を見なくてはならない。何が何でも、たとえ、足を引き摺ってでも。
「何故、そこまで」
「殿下に相談をしていただけたのよ。折角相談していただけたのに、渡すところを見られないなんて!」
拳を握りしめて熱弁するエリザに、ジョージは何とも言えない顔をしているが、至極真面目に言っている。
「歩けるのか」
「……なんとか」
「無理をするんじゃない」
「あいた」
ぺちんと軽く頭を叩かれ、エリザは不満げな顔をジョージに向けた。久しぶりにこんなにゆっくり話をしているような気がして、うっすらと口元を緩ませているジョージの顔を見ているうちに、エリザの頬がほんのりと熱を帯びる。
「貴族令嬢のくせに、怪我をしすぎだ」
「そんな事を言われても」
階段から落ちたのはエリザのせいではないし、今回の怪我だって、アイラたちを守る為に走ったから負ったものだ。
怪我をしすぎだと咎められても、自分は悪くないのだから反省する気にもなれなかった。
「暫く俺がお前の杖になる」
「は?」
「まだ痛むだろう。悪化するぞ」
「貴方が介助してくれるって事?」
「ああ」
何故そうなった?と首を傾げ、エリザはぱちくりと目を瞬かせる。冗談を言っているのかと思ったが、ジョージの顔はいたって真面目だ。
「一緒にいれば、お前が怪我をするのも防げるだろう」
「学年が違うのだから、ずっと一緒にいるのは無理よ。その間に怪我をするかも」
「出来るだけ傍にいる。俺がいられない時は絶対に友人から離れるな」
言われなくても一人になる気はない。というよりも、アリスを筆頭に友人たちが一人にしてくれないだろう。
「でも、貴方最近女子生徒から囲まれているじゃない。そっちに行かなくて良いの?」
「何故行かなければならない?俺にはお前がいるのに」
「うっ……」
予想していなかった返事に、エリザはぐっと言葉を詰まらせる。エリザとジョージは不仲だった筈。エリザはジョージに嫌な印象は抱いていないが、少なくともジョージはエリザを嫌っていた筈。それなのに、どうしてこんな事を言うのだろう。
まるで、ゲームの中の台詞のようだ。
「婚約者がいるのだから、他の女の元へ行く必要は無いだろう」
「あ……ええ、そうね。そうよね」
婚約者がいるから。あらぬ誤解をされないよう、異性に近付かない方が良い。そんな簡単な事を言っているだけ。勘違いしてはいけない。ドキドキと煩い胸をそっと抑えながら、エリザはふいとジョージから視線を逸らす。
「……そろそろ帰る」
「え?あ……ありがとう、来てくれて」
「ん。……これを」
「え?」
突然言葉を詰まらせながら話すジョージは、上着のポケットから小さな箱を取り出し、エリザに手渡す。そっと開いてみると、中には真っ赤なルビーが輝く小ぶりなネックレスが入っていた。
「これ……」
「恋人たちの日、だろう」
驚いてジョージを見上げると、ジョージは頬を染めながら照れたように呟く。照れ臭そうに口元に拳をやりながら咳払いをしているのは、照れ隠しのつもりなのだろう。
「あの……ありがとう」
落ち着いた筈の心臓が、再びバクバクと大騒ぎを始める。すぐに見に付けたくて、エリザは箱からネックレスを取り出すと、項の辺りで指を動かす。
「ん……?」
上手く金具を付ける事が出来ない。普段アクセサリーはメイドが付けてくれていた為、自分でアクセサリーを付けるのは久しぶりだった。
「じょ、ジョージ……」
「はあ……不器用なやつだな」
文句を言いながらも、ジョージはエリザからネックレスを受け取り、ベッドに腰かけて身を寄せる。まるで抱きしめられるような恰好になってしまった事に気が付き、エリザは自分の頬に熱が集まるのを感じる。
「……やはり、お前は赤が似合う」
「そう?髪が赤いからかも……」
付けてくれたのは有難いが、終わったのなら早く離れてほしい。それなのに、ジョージはいつまでも距離を縮めたまま、優しい視線をエリザに向けるだけだった。
「これなら制服の時にも身に付けられるだろう。外すなよ」
「わかった、わかったから離れて……」
もう心臓がもたない。心臓の音が、ジョージに聞こえてしまう。こんなシーン、ゲームには無かった。アイラ相手にも、こんな事はしなかった。
「お前も恥じらう事があるんだな」
「うるさ……」
フッと笑ったジョージが、何かを思いついたように目を細めると、更に距離を詰める。
「もう、怪我をするなよ」
優しい声色でそう言われ、エリザはぎゅっと目を閉じてコクコクと頷く。それしか出来ないのだ。
「ひぇ」
体を包み込まれる感覚に、エリザは小さく声を漏らす。
ジョージが、エリザの体を抱きしめたのだ。不仲な筈なのに。嫌われている筈なのに。
「また明日」
そう囁き、ジョージはすぐに体を離して立ち上がると、呆けているエリザを置いて部屋を出た。
置いていかれたエリザは、枕に顔を押し付けて叫ぶ事しか出来なかった。




