十五話「参謀」
ガタガタと震えるメアリーと、不機嫌そうな顔のエリザは静かに町へ降り立つ。真直ぐメアリーを屋敷に送り届けてやっても良かったのだが、それでは駄目だ。
教室で、男子生徒と二人きりで過ごしていた。それを人に見られた。それは、婚約している貴族令嬢にとって、あまりにも恐ろしい結果を生みかねない事実。
実際何も無かったとしても、二人きりで過ごしていたという事実がいけないのだ。
「あの、どちらへ……?」
「アリバイと目撃者を作るわ」
「あり……?」
「貴方が今日、放課後に私と町で過ごしていたという事実を作り上げる。学園の制服は目立つでしょう?私たちが二人で町を歩いていた姿を目撃していた人を出来るだけ作れば……この先ありもしない噂が出回ったとしても、反論出来る。今から歩くわ、付いてきて」
何がどうしてこうなっているのかは分からない。だが、メアリーが困ると分かっていて黙って見過ごすわけにもいかない。御者をお供につけ、エリザはメアリーの手を引いて、町のあちこちを歩き回る。
「お腹空いていませんか?」
「いえ……」
「そう?残念だわ。あの青果店のリンゴ、とっても甘くて美味しいの。おじ様、リンゴをよっつくださいな。二つずつ包んでくださる?」
にっこりと微笑みながら、エリザは青果店の店主に声を掛ける。別にリンゴが食べたかったわけではない。ここで買い物をしたという記憶を、店主に刷り込みたいだけだ。
「どうぞ、お嬢さん」
「ありがとう。はい、メアリーさん。私のお勧めよ。この間のお菓子のお礼ね」
メアリーの名前を呼んだのもわざとだ。店主が名前を覚えてくれるかは分からないが、燃えるような赤毛の貴族令嬢が、友人にリンゴを分けたという光景は頭に叩き込まれた筈。
「そうそう、あっちに可愛らしい雑貨を置いているお店があるの。外から覗くだけでも楽しいのよ」
こっちよ!と誘いながら、エリザはメアリーの手を取って歩き出す。少し前、ジョージと行った店を思い出したのだ。あそこに行けば、絶対にエリザを知っている人物がいる。
もし万が一嗅ぎ回られたとしても、彼が証言してくれるだろう。今日、この場にエリザがいた事を。
「あった!」
店の扉を見つけ、エリザはメアリーと一緒に店の窓へ近寄る。中には誰か客がいるようで、狭い店内にこれ以上人が増えるのは避けた方が良いかもしれない。
「あの……町を歩き回るだけで、助かるのでしょうか」
「さあ?確証は無いわ。でも、やらないよりは助かる確率が上がる。だから歩くの」
「何故、私を助けてくださるのですか?」
「だって、貴方は私のお友達でしょう?お友達を助けるのに理由が必要?」
正直、エリザの体にある記憶上では、メアリーを友人だと思っていた記憶はない。煩い取り巻き程度にしか思っていなかったようだが、今のエリザは違う。
美味しいお菓子に詳しく、令嬢たちのお茶会が予定されていれば、必ず美味しいお菓子を持ってきてくれる。エリザが怪我をした時も、いつも気にかけて心配してくれた。それが、友情ではなく、エリザに気に入られればこの先利益があると思っての行動だったとしても、ニコニコと優しく微笑みながら話しかけてくれるのは、とても嬉しかった。
「お友達と……初めて仰ってくださいましたね」
ぽろぽろと涙を零しながら、メアリーは目元を拭う。何故泣くのか意味が分からず困惑していると、店の中にいた客が出てきたようで、扉が開かれた。
「……エリザ?」
「あら、ジョージ」
驚いた顔で目を見開いているジョージは、手に持っていた小さな包みを背中に隠す。だが、エリザはそんな事を気にする事無く、小さく拳を握りしめていた。
彼ならきっと、エリザとメアリーが一緒にいた事を証言してくれる。公爵令嬢の彼が言うのならと、信ぴょう性は上がる筈。何も知らない婚約者には申し訳ないが、利用できるものは何でも利用させてもらおう。
「珍しいな、寄り道か?」
「ええ、メアリーさんと二人でお散歩していたの。そろそろ帰ろうかと思ったのだけれど……前に貴方と二人でこのお店に来た事を思い出したから、可愛いお店なのよって教えてあげたかったの」
まだ泣いているメアリーを紹介するように、エリザはメアリーの肩に手を添えて微笑む。
「楽しい寄り道をしている間に、何故そちらの女性が泣く事態になるんだ?」
「それは……」
「嬉しい事がありましたの」
うふふと笑ったメアリーは、扉を開いたまま困惑している店主のハロルドに小さく頭を下げた。
「もう暗くなる。早く帰れ」
「あら、心配してくれているのかしら?」
「帰れ」
「はいはい、怖いわね。行きましょうメアリーさん。この人ご機嫌斜めみたい」
フンと面白くなさそうに鼻を鳴らし、エリザはコツコツと靴音をさせながら馬車へと戻る。これで、エリザとメアリーが町にいたというアリバイが出来た。
学園内での噂がどうなるかは分からないが、噂を聞きつけた婚約者に詰め寄られても、町でエリザと過ごしていたという嘘を吐ける。子供の考えた稚拙な嘘がどこまで通用するかは分からないが。
◆◆◆
針のむしろとはこのことか。
翌日から、メアリーは女子生徒たちから遠巻きにされるようになった。お茶会をする程の仲の良い、所謂エリザ陣営の令嬢たちからは普段通りに接してもらえているようだが、それ以外の女子生徒たちは、コソコソと噂話をしながら嫌な視線を向けている。
「エリザさん、少し宜しいでしょうか」
「ええ」
声を掛けてきたアリスの表情は硬い。何があったのか、既に状況を把握しているのだろう。
二人で廊下に出ると、アリスはすぐに廊下の角を曲がり、声を潜めながらエリザに状況の報告をしてくれた。本当に、彼女はエリザの参謀役なのだろう。
「例の件ですが、仕掛けて来たのは例の方です」
「何故?」
「こちらの勢力を潰すつもりなのでしょう。我々は有難い事に、発言力がありますから……邪魔なのですよ」
例の方、とはキャリーの事だろう。先日のお茶会で話をしたばかりでこの事件。どうしてキャリーがこんな事をしたのかは分からないが、アリスは静かに説明を続ける。
「メアリーは良くも悪くも目立ちますからね。まずはそこから削りたいのでしょう。昨日の男子生徒は、ニーナさんの婚約者のようです」
「……よくこの短時間でそこまで調べたわね」
「得意分野ですので」
にっこり微笑み、アリスは更に声を落とす。よく聞こえず体を近付けると、鈴のなる様な声で、エリザの耳に囁いた。
「あの方は、クレムセン様を狙っています。あの方の傍にいる為に、貴方様を排除しようとしている」
「……何故、そう思うの?」
「私のお友達は、どこにでもおりますの」
そう言うと、アリスは誰かの足音に反応し、すぐにエリザから離れて教室へ戻る。
ジョージを狙っているから、婚約者であるエリザを狙っている。その為に、メアリーを狙った。ただの学生がそんな事をするだろうか。
「あ……あの、エリザさん……」
「なあに?」
アリスと入れ替わりで顔を出したのはアイラだった。不安げな顔で近寄ると、少し俯きながら口を開く。
「あの、ジョージ様とはお別れされたんですか?」
「は……?」
「キャリーが、そう言っていて」
「どういう事?」
眉間に皺を寄せ、腕を組んだ。それはほぼ無意識にしていたのだが、これは本来のエリザが苛立った時の行動だ。アイラは怯えたように指先をもじもじとさせながら、もごもごと言葉を続ける。
「ジョージ様と、エリザさんは、結ばれる運命にない。そう言っていました」
「何故あの人にそんな事を言われなければならないのかしら」
「分かりません……でも、違いますよね?婚約破棄なんてしていませんよね?」
「今の所はね。まさか、わざわざそれを聞きに来たの?」
「だって、気になってしまって……」
しょんぼりとしながら、アイラは婚約破棄の事実が無い事に安堵したようにほっと息を吐く。
「それから……エリザさんは悪役ってどういう事ですか?」
「知らないわよそんな事。それもキャリーさんが言っていたの?」
「はい。一人でブツブツ呟いていたので、少し聞いてみて……悪役令嬢のくせにとか、ヒロイン使えないとか……何を言っているのか分からなかったんですが」
悪役令嬢、ヒロイン。その言葉に、信じたくなかった事実が真実へと変わる。
「……理解したわ」
目を閉じ、深く細く息を吐く。
恐らくそうだろうと覚悟してはいた。そのおかげで、大した衝撃も無い。
転生者が、もう一人。キャリー・ホップスは、もう一人の転生者だ。
「成程ね、そういう事ならあの方がジョージを狙う理由も分かるわ」
「え、分かるんですか?」
「ええ、まあね。それで?他には何か言っていた?」
「……用済みと、言われてしまいました」
ぎゅっと制服のスカートを握り、アイラは俯いて肩を落とす。何故そんな事を言われたのかも分からず、友人に酷い事を言われて傷付いているのだろう。
「気にする事無いわ。無視しておきなさい」
「え……?」
「貴方のお友達、キャリーさんだけではないでしょう?」
「……エリザさんも、お友達です」
そう来たか。他にもいるだろうと思って言った言葉だったのに、アイラは目を潤ませて顔を上げた。違うと否定するのも可哀想で、エリザはにっこりと微笑んで誤魔化すだけに留めた。




