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十四話「幕開けの予感」

これまで気にしていなかったが、アリスの言う通りどうやら居心地の悪い状況というのは本当だったようだ。


一人で歩いていれば、恐らくキャリーの友人たちがじっと此方を見ている。見ているだけならまだ良いのだが、コソコソと何かを噂するように囁きあっているのだ。


友人の間だけなら好きにさせておくのだが、その噂を甘く見ていると困るのは自分だ。噂というものは、尾ひれがついて広まってしまう。一度広まった噂を完全に消し去る事は至難の業だし、関わると面倒だと思われれば孤立する。


「不愉快ね。何か言いたい事があるのなら、直接仰ったら?」


苛立ったエリザが腕を組みながらそう言うと、囁き合っていた女子生徒たちは気まずそうな顔をして、蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。


「全く……喧嘩を売りたいのならもっとしっかり売ったら良いのに」


フンと鼻を鳴らし、エリザはカツカツと靴音を響かせながら歩く。アリス達とお茶をしてから数日、今日はルイスに呼ばれているのだ。


石造りの校舎の廊下は寒い。季節は二月。真冬に石の塊の中にいると、指先がかじかんで痛い。


「やあ、すまないね呼び出して」


カフェスペースで待っていたルイスは、ひらりと手を振って微笑む。扉一枚挟んだだけで、廊下とカフェスペースの温度はかなりの差がある。冷え切った体をじんわりと温める空気にほっと息を吐きながら、エリザはルイスの向かい側に座った。


「怪我が良くなって安心したよ。ジョージが毎日のように君の元へ行くものだから、私はお気に入りのおもちゃを取られたようでつまらなくてね」


ふう、と溜息を吐き、ルイスはわざとらしく肩を竦める。相変わらず、どこか演技かかった人だ。


「私を呼んだのは、お気に入りのおもちゃを奪った事への苦情ですか?」

「まさか。相談があるんだよ」


ゆったりとテーブルに肘を突き、真面目な顔を作ったルイスはちょいちょいと手招きをして、もう少し寄れとジェスチャーをする。相談とは何だと首を傾げながら耳を近付けると、ルイスはエリザの耳に小さく囁いた。


「女性への贈り物について、相談したい」


一瞬何を言われたのか分からなかったが、ルイスの言葉の意味を理解した瞬間、エリザは勢い良くルイスの顔を見る。

まじまじと凝視しているうちに恥ずかしくなったのか、ルイスの頬がほんのりと赤くなった。


「もうすぐ恋人たちの日だろう?贈り物をどうしようか悩んでいるんだ」


そういえばそんなイベントがあったなと考えながら、エリザは両手で口元を覆う。

ゲームのシナリオ内で、二月になった段階で攻略キャラクターとの好感度を上げておくと発生するイベントが、恋人たちの日。現代日本風に言うなればバレンタインというやつで、ゲーム内では男性から女性に贈り物をするのが習わしなのだ。


「ど、だ……え」

「落ち着いてくれないか」


上手く言葉を発せないエリザに、ルイスは困ったように笑う。ひらりと手を振り、給仕係にエリザのお茶を用意させると、少しだけ恥ずかしそうにしながら言葉を続けた。


「君に相談するのはどうかとも思ったんだが……相談できる女性が君以外思いつかなかったんだ」

「光栄です!学園内でお渡しになるのであれば小物の方が宜しいですわね!ハンカチやアクセサリーが主流ですが、私が思うにアイラさんなら髪飾りが良いのではないかと!」


髪飾りと言ったのには理由がある。ゲーム内でルイスがアイラに渡す物が髪飾りだからだ。パールの付いた銀細工の髪飾りは、ルイスルートのエンディングでアイラの髪でキラキラと輝く。それを思い出したエリザは、是非ともその光景を見たいとしか考えていなかった。


「君は、何故私がハボット嬢に贈り物をすると思うのかな?」

「違うのですか?」

「良いから、教えて」


じっとエリザを見つめるルイスの目は、とても穏やかに見える。だが、エリザの心の内を覗き込んでいるようにも思えた。


「そうだったら素敵だなと、思ったのです」

「何故?」

「ええと……」


まさか、貴方とアイラのカップルを推しているからですとは言えない。上手く誤魔化そうと言い訳を考えながら、エリザは口を開いた。


「もしジョージと殿下がお許しくださるのなら、私はジョージの妻となり、殿下のお傍にいるでしょう?そうなった時、殿下の妻になられるお方がアイラさんだったら、今と同じように楽しく過ごせるのではないかと……浅はかな事を考えているのです」


これは何とかそれらしく答えられたのではないだろうか。そんな期待をしてちらりとルイスを見ると、彼はとても穏やかに微笑みながらティーカップを持ち上げていた。


「君は本当に変わったね。私はてっきり、ハボット嬢が編入して来たら彼女を苛めるだろうと思っていたのだけれど」

「予想が外れましたね」

「ああ。仲良くなったようで何よりだ」

「殿下こそ、アイラさんを気に入ったのではありませんか?休暇中にお城に呼ぶ程に」


質問攻めされ続ける事は出来るだけ避けたい。話題を変えるのなら、この際気になっていた事を聞いてみるのもひとつの手だろう。


「可愛いよね、ハボット嬢」

「ええ、アイラさんは可愛らしい方です」

「一緒にいると、ここが温かくなるんだ」


そう言いながら、ルイスは胸の辺りをそっと抑える。口元はゆったりと緩み、視線をテーブルに落としながら、アイラを思い出しているように見えた。


「あの子はきっと、私が王族だからおいでと言われたら断れないんだ。城においでと誘ったけれど、喜んで来てくれたわけではないと思う。それでも、私は少しの間だけだとしても、あの子と過ごしたいと思ってしまうんだ」


変だねと自嘲したルイスは、困ったような顔をして後頭部に手をやる。これは彼が本当に困っている時の癖である事は、ゲームの設定で知っていた。つまり、今彼は本心を語ったという事だ。


「何故、短い間だと思われるのですか?この先もずっと一緒にいられるかもしれませんのに」

「あの子の心には、私ではない別の誰かがいるだろう?いくら私が王族でも、人の心は手に入れられない。だからこそ、惹かれてしまうのかもしれないけれど」


ルイスの言葉を聞きながら、エリザはジョージと出かけた日の事を思い出す。町の花屋の前で、嬉しそうな顔をしながら男性と話していたアイラの表情を。


「私の心までは受け取ってもらえなくても良いんだ。ただ、私が贈りたいから贈る。……もしかして、これは女性にとっては迷惑だろうか?」

「……それは、人によるでしょう。ですが、貴方を想っているという気持ちは伝わるかもしれません。そうして初めて、意識してもらえるかもしれませんよ?」

「そういうものかい?」

「そういうものです」


ふふ、と小さく笑い、エリザはそっとティーカップに口を付ける。少し冷めた紅茶は、とても良い香りがした。


「そういえば、ジョージは君に何を贈るんだろうね?」

「さあ……あの人はこういった事には疎いですから。もしかすると恋人たちの日の事を忘れているかもしれません」

「きっと何か用意していると思うんだが……最近、ホップス嬢がジョージにくっ付いて回っているだろう?あれは何なんだい?」

「さあ……」


そう言われても困る。これ以上どう返事をしようか迷っているうちに、ルイスは大袈裟な溜息を吐いてぶすっとした顔で頬杖を突いた。

ここ最近エリザの代わりにキャリーが一緒に過ごす事が大層不満なようで、あっちへ行けと言葉を柔らかくして追い出そうとしても無駄なのだと溜息を吐く。


「彼女は駄目だ。ジョージの妻にはふさわしくない」

「んぐ」


突然の言葉に、エリザはお茶を吹き出し掛けて息を止める。慌ててお茶を飲み下し、無言でルイスを凝視すると、ルイスはゆっくりと言葉を続けた。


「ジョージと並んでも絵にならない!」

「……お言葉の意味が分からないのですが」

「私は美しいものが好きなんだ。傍に置くなら美しいものが良い。君とジョージが並ぶと、まるで宮廷に飾られた絵のようになるんだよ」

「はあ……?」

「ホップス嬢じゃ駄目なんだ。バートレイ嬢、君じゃないと」

「……王妃になるかと誘われた事、まだ覚えておりますよ」

「それは少しだけ君を試したかったんだよ。いくら見た目が絵になるとしても、ジョージを大事にしないのなら傍に置きたくなかったからね」


しれっとした顔でそう言うと、ルイスは少しだけ落ち着いたのか、声を潜めて言った。


「どうする?君が望むのなら、あの日の非礼の詫びとして私がホップス嬢を追い出しても良い。君だって、婚約者に纏わりつく虫は排除したいだろう?」

「ふふ、有難いお話ですが、それは辞退いたします。殿下のお詫びがこの程度では、勿体ないではありませんか」


クスクスと笑い、エリザはスッと目を細める。


「小さなくず石よりも、大粒のルビーの方が好みですの」

「……ふふ、君は敵に回したくないなあ」

「あら、私はいつでも殿下の忠臣ですわ」


相談とは名ばかりの、ルイスの鬱憤晴らしはこれで終わるのだろう。少しだけ表情が明るくなったルイスは、何か食べたいとメニューを捲ってエリザにどれが美味しいかを聞き始めた。


◆◆◆


ルイスとのお茶を終え、エリザは少し薄暗くなった廊下を歩く。迎えの馬車をすっかり待たせてしまった為、いつもより速足だ。


「エリザさん!」

「あら……どうしたのメアリーさん?」

「助けてください!」


涙目で懇願するメアリーは、普段の気の強そうな顔とは違い、何かに怯える子犬のように見えた。エリザの腕に縋りつき、完全に気が動転しているのか話の要領を得ない。


「落ち着いて、何があったの?」

「違います、私ではありません!私、本当に何も……」

「ええ分かったわ。貴方は何もしていないのね?信じるわ。貴方は私のお友達だもの。私のお友達は皆さん素敵な方よ」


落ち着かせるように、エリザはゆっくりと言葉を紡ぎながらメアリーの肩を摩る。ガタガタと震えていた肩がゆっくりと落ち着き、メアリーはぽつぽつと何があったのかを話し始めた。


「私、午後の授業の途中からとても眠くて……迎えの馬車を待っている間に教室で眠ってしまったのです」


震えが落ち着いても、メアリーの顔は真っ青だ。授業が終わってから眠ってしまったのなら、一時間以上教室で眠っていた事になる。


「目が覚めたら、男性と二人きりで……その方の顔が私のすぐ、傍に」


わっと泣き出したメアリーは、再び混乱しているのかふるふると首を横に振ってその場に崩れ落ちる。


「女性の怒った声がして目が覚めたのです!私、怖くてすぐに逃げてきてしまって……」

「それが今なのね?大丈夫よ、一人じゃないわ。もう怖い思いはさせないわよ」


大丈夫だからと何度も繰り返し、エリザはメアリーを立ち上がらせ、玄関ホールへ向かう。何故、迎えの者はいつまでも出て来ないメアリーを探しに来なかったのだろう。何故、一時間以上教室で眠っている生徒を誰も気にしなかったのだろう。


この学園には貴族の子供たちが大勢通っている。迎えに来る人間は皆、それぞれの屋敷に仕える使用人の筈だ。


「貴方の馬車はどこ?」

「……何故、いないの?」


愕然とした顔で、メアリーは玄関扉から並んでいる馬車を見回す。まだ学園内に残っている生徒を迎えに来た馬車たちが並んで待っているのだが、その中にメアリーを迎えに来た馬車がいないのだ。


「良いわ、一緒に帰りましょう。送って行くわ」

「でも……」

「一人で待っているのは心細いでしょう。私も、屋敷まで一人で馬車に揺られるのは退屈だったの。宜しければ、話相手になってくださらない?」


にっこりと微笑み、エリザはメアリーの肩を抱きながらゆっくりと歩く。断らせるつもりなど毛頭ないが、普段のメアリーなら遠慮すると思ったのだ。


「確か、町の東側だったわよね?」

「はい……」

「今度、遊びに行かせてちょうだい。貴方のお家のお庭は自慢なのでしょう?前に教えてくれた事、覚えているのよ」


言葉は途切れさせない。何があったのか、何も無かったのかもしれないが、恐ろしい思いをしたばかりなのなら、無言の時間は恐ろしい記憶を思い出してしまうと思った。

帰宅後、一人になって思い出してしまう時間はどうにもしてやれないが、一緒にいる今だけでも、気を紛らわせてやりたかった。



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