十三話「お友達」
怪我をしてから一か月が経ち、エリザの怪我はすっかり良くなっていた。腕を吊っていた布が取れた事で、エリザはぐいぐいと肩を動かして晴れやかな表情だ。
「良くなったようだな」
「ええ、もうすっかり」
朝、学園に到着するなりすぐさま歩み寄ってきたジョージは、満足げな顔をしているエリザに小さく微笑んだ。
「すっかり良くなりましたので、荷物持ちはもう不要です」
「……そうか」
両手でしっかり鞄を持つエリザはジョージの顔を見上げて微笑むが、ジョージは僅かに眉間に皺を寄せる。
何か気に障る事を言ってしまっただろうかと首を傾げた瞬間、ジョージはエリザの手から鞄を取り上げ、歩く速度を上げた。
「ちょ、ちょっと!返して!」
「無防備なのが悪い」
「無防備も何も……持っていただかなくても平気だと……」
「嫌なのか?」
追いかけてくるエリザに歩幅を合わせたジョージは、視線を向ける事なくそう問うと、ぴたりと歩みを止めた。
「俺がお前の教室まで一緒に行くのが、そんなに嫌か」
「まさか!何故そうなるのです?私は自分の荷物は自分で持つと言っているだけで……」
ジョージが持っている鞄に手をかけ、エリザは困ったように眉尻を下げた。漸く顔を此方に向けたジョージの表情は、悪戯が成功した子供のように見えた。
「それならば、俺が荷物持ちを続けても問題はないな」
「な……」
ジョージがこんな事を言うとは思わなかった。エリザの知っているジョージは、こんなにも柔らかく笑う人ではない。エリザに向ける表情はいつだって固く、軽蔑するような目だった筈だ。
アイラに向ける筈の顔を、エリザに向ける。どうしてこうなっているのか分からないし、どうして自分の胸がこんなにも高鳴っているのか分からないが、これ以上ジョージと距離を詰めている事に耐えられない。
「も、もう……!勝手になさったら宜しいわ!」
フン!と鼻を鳴らし、エリザは照れ臭さを隠す様にジョージを置いて歩き出す。顔が熱いのは気のせいで、後ろから追いかけてくるジョージが笑っているのも気のせいだ。
まるで、仲の良いカップルのように見えるであろうやり取りをするようになるなんて、有り得ない。
「あ、エリザさん!」
声を掛けながら駆け寄ってきた女子生徒はアイラだ。いつも通り、ニコニコと楽しそうに微笑みながら可愛らしく走ってくるこの女子生徒こそが、この世界の主人公であり、ジョージに微笑みかけられるヒロインの筈。
「おはよう、アイラさん」
「おはようございます。ジョージ様も、おはようございます」
ぺこりと小さく頭を下げ、アイラはジョージにも挨拶をする。ジョージは小さく「ああ」とだけ返すが、その顔はいつもの気難しそうな顔だった。
「お怪我、もう良くなったんですね」
「ええ。心配してくれてありがとう」
「ジョージ様、とても心配されていましたもの。安心ですね」
「ああ」
「あ……すみません、お邪魔でしたよね」
ジョージの機嫌が悪そうだと思ったのか、アイラは申し訳なさそうな顔をしながら離れようとする。それを止めたエリザは、良いからここにいてくれと懇願するような顔を向けた。
今は、何となくジョージと二人きりでいたくない。胸が、心臓が、おかしくなりそうだった。
「えっと……そう、キャリーさんは?」
「キャリーですか?今朝はまだ会っていませんね。もう来る頃かと……」
「そう……」
温室で詰め寄られて以降、キャリーも一緒に五人で過ごす時間が増えた。とても居心地が悪く、エリザだけ先に帰る事は当たり前だし、気が付くとジョージとキャリーが二人で話している事も増えた。
以前ジョージはキャリーを気持ち悪いと言っていたが、堂々と拒否する事が出来ないのか、嫌そうな顔をしながらも会話を切り上げて逃げる事は出来ていないようだ。
「あの……すみません、ジョージ様にあまり近付かないように言ってはいるんです」
「あら、構わないわ。お友達になりたいだけでしょう?ね?」
ちらりとジョージを見上げ、同意を求めてみたが、ジョージは眉間の皺を深くしただけで何も答えない。
「でも、婚約者が別の女性と親しくしているのは、嫌なものでしょう?」
「それは……一般的にはそうかもしれないけれど」
人の事をとやかくいう事は出来ない。申し訳なさがこみ上げ、上手く言葉に出来ない感情をどう説明したものかと困った末、エリザはもう一度ジョージの顔を見上げた。
「何だ」
「嫌なら逃げろと言っているのに。逃げないのなら、嫌ではないのでしょう」
「は?」
ひくりとジョージの眉が揺れる。睨みつけられたのは久しぶりだが、やはりジョージの発する圧は、背中に嫌な汗が噴き出す程恐ろしかった。
「……俺は先に行く」
「え?あ、ちょ……」
持っていたエリザの鞄をアイラに押し付けると、ジョージは振り返る事無く二人を置いて歩き出す。何度呼んでも、ジョージが振り返ってくれる事は無かった。
◆◆◆
「近頃、学園内の風紀が乱れているとは思いませんか?」
静かな声でそう問いかけたのは、アリスだった。
エリザと数人の友人たちは、放課後に時々集まってお茶を楽しむ事があった。今日は久しぶりに誘われエリザもその輪に混ざっているのだが、普段よりも空気は重い。
「そうかしら」
「エリザさんがお怪我をされた頃から、どうも……不愉快な光景をよく見るようになりまして」
うふふと小さく笑ったアリスは、優雅な動きでティーカップを置く。談話室の一角を陣取ったエリザたちの周りには、世話係の使用人が控えているが、彼女は静かに立っているか、貴族令嬢の世話を焼くだけ。今はカップの残りが少なくなったアリスにお茶を注ごうと動いている。
「キャリーさんの事ですね?」
友人のうちの一人、メアリーが声を上げる。彼女は伯爵家令嬢で、普段はエリザの機嫌を取る事に熱心だ。
「ええ。彼女は少し……目立ちすぎるわね」
アリスは上品に微笑んでいるが、その目はとても冷たい。ゆっくりと輪になるように座っている友人たちを見回すと、薔薇色の唇をゆったりと緩ませた。
「婚約者のいる身でありながら、婚約者のいる殿方に近付くだなんて」
「あら、似たような事を私もしていたわ」
カップに口を付けながらエリザは静かに言う。ルイスに婚約者はいないが、婚約者のいる身でありながら、別の男性に近付くというのは同じ事。
「貴方方がジョージとキャリーさんの仲を心配しているのは有難く思うわ。でも、私に文句を言う筋合いは無いの」
「ですが……」
「クレムセン様との仲だけが問題なのではありません。お気づきですか?あの方が友人を増やしている話を」
反論しようとしたメアリーの言葉を遮り、アリスはじっとエリザの目を見つめながら言った。
エリザが怪我をした頃から、キャリーは子爵家、男爵家の令嬢たちを集めている。更に、貴族ではない女子生徒たちも引き入れ、キャリー陣営とも呼べる集団を作っていると言うのだ。
「友人が多い事は素晴らしいじゃない」
「ええ、それが素敵な友人であればのお話ですが」
何が言いたいのか分からず、エリザは眉をひそめてアリスを見つめる。
友人が多い事に何か問題があるのだろうか。これは現代日本で生まれ育ったからこその価値観で、この世界で貴族令嬢として生まれ育ったアリスとは異なる価値観なのだろうか。
「量より質、質より量、と申しましょうか。彼女が集めているのは、言葉は悪いですが雑兵ですわ」
「酷い言い方をするわね」
「エリザさんを階段から落とした女子生徒をご存知でしょう?彼女たちも、キャリーさんのお友達ですもの」
いつかアリスと二人で歩いていた時にすれ違った二人の子爵令嬢を思い出しながら、エリザは小さな溜息を吐く。
あまりしつこいのは嫌いだと言った筈なのに、アリスは大人しく黙る気は無かったらしい。
「クレムセン様とお過ごしになる時間も無いのではありませんか?ここ暫くの間、クレムセン様は女子生徒に囲まれる事が増えましたもの」
「それは、そうだけれど」
「以前は女性に近付く事を避けていらしたのに、今は囲まれてあのように」
そう言って、アリスは視線を窓の外へ向ける。エリザも窓の外に視線を向けると、中庭で女子生徒に囲まれて困り顔のジョージがいた。
「これまで、あのように大勢に囲まれる事がありましたか?」
「私の記憶にはないわね」
「囲んでいるのは、殆どが貴族ではないか、子爵家、男爵家の令嬢です。時折伯爵家の令嬢も混ざっているようですが……はしたない」
フンと小さく鼻を鳴らし、アリスは窓から視線を外してお茶を飲む。空になったカップには、世話係が静かにお茶を注いでくれた。
「つまり、何が言いたいの?キャリーさんがお友達にジョージを囲ませて、何がしたいのかしら」
「私が思うに、エリザさんとクレムセン様を関わらせないようにしているのではないかと」
「そうして、何の意味があるのかしら」
アリスの言いたい事が分からず、エリザはだんだんと苛立ちを覚える。眉間に皺を寄せ、膝をトントンと叩く姿に、メアリーがスッと姿勢を正した。視線を向けている相手のアリスは、穏やかに微笑むだけだというのに、不機嫌さを隠しもしないエリザは恐れられる対象なのだろう。
「これは想像ですが……クレムセン様の妻の座を狙っているのではないかと」
「何故?」
「顔を見れば分かります。あれは、恋をする女の顔ですもの」
「ふふ、随分と夢見がちな乙女のような事を言うのね」
エリザが笑った事で、張り詰めていた空気が緩む。他の令嬢たちも小さく笑っているが、アリスは一切笑わない。
「皆さんも感じていませんか?ここ暫くの、居心地の悪さを」
「……違和感は、あります」
誰かが小さく呟いた。その声に続くように、さわさわと小声で囁き合う声が響く。
荷物が無くなる。壊される。婚約者がどういうわけだか冷たい。何もしていない筈なのに。誰かに階段でぶつかられ、怪我をしそうになった。先日の温室の授業でわざと泥をかけられた。
今この場で聞くだけで、これだけの数出てくるのだから、彼女らの感じている違和感は、気のせいではないのだろう。
「それで?貴方はどうしたいの?何故この話をする為に私を呼んだのかしら」
「少々、貴族としての礼節を教えてさしあげましょうとお誘いしようかと」
「そう……好きにしたら良いわ。私は関与しない」
冷めてしまったお茶を飲み干し、エリザは静かに立ち上がる。これ以上この場にいても無駄だ。
「どうせ私がやめなさいと言ったところで、貴方は聞かないでしょう?それなら好きにすれば良いわ。でも、お上品にね」
ふふっと小さく笑って、エリザは談話室を一人で出る。広い廊下を歩きながら、エリザの体が覚えているアリスの記憶を漁った。
彼女はエリザと同じく公爵令嬢。家格がエリザの方が上の為、右腕や参謀のように振舞いながらエリザの傍にいる女子生徒。エリザが気に入らない相手をそれとなく排除してくれる便利な駒として傍に置いていたようだが、それは以前のエリザの考えであり、今のエリザからすれば、敵に回したくない怖い人だった。
「笑顔が怖いのよねぇ……」
お茶をしながら緊張していた体をほぐすようにぐいと背中を伸ばし、エリザは何度目か分からない溜息を吐く。
好きにしろとは言ったが、それは小難しい事を考えてボロが出る事を恐れただけで、アリスがキャリーたちと揉めると思うと頭が痛い。
「何で厄介な人間関係構築してるのかなエリザは……」
ただでさえ、ゲームのシナリオ上のエリザしか知らないのだ。どう動くのが自然なのか、どう考えるのがエリザらしいのか、分からなくなる時がある。
中身が違うと知られたら、アリスはどう動くだろう。そもそも、これから彼女は何をするつもりなのだろう。
本物の悪役令嬢は、彼女なのかもしれない。




