十一話「歪み」
三週間程の冬休みはあっという間に過ぎていき、生徒たちは学園生活へと戻ってきた。それはエリザも同じで、久しぶりに顔を合わせた友人たちに囲まれ、お喋りをしながら廊下を歩く。
元々エリザは友人が多かった。正確には、友人というよりも取り巻きと呼んだ方が良いのだろう。心の底から信頼しているわけではなく、名家出身のエリザと共にいて、それなりに仲良くなれればきっとこの先得をすると思っている女子生徒が集まって来ていただけ。
「私、久しぶりに領地の屋敷へ戻っておりましたの。エリザさんが以前美味しいと言ってくださったお菓子を持ってきましたから、後でお渡しいたしますね」
「あら、ありがとう。嬉しいわ」
クラスメイトの伯爵令嬢は、にっこりと微笑んだエリザに嬉しそうに笑みを浮かべる。気に入ったお菓子がどのような菓子だったのかは分からないが、きっと美味しいのだろう。
「エリザさんはどんな冬休みでしたの?」
「私?そうねえ……」
足を動かしたまま、エリザはどう答えようかと考える。ルイスに呼ばれたアイラと一緒に城に行ったり、ジョージと二人で町を歩いた事を話せば良いのだろうか。
二人で町歩きをした後も、何度かジョージと過ごす事があった。エリザの住むドーラム公爵邸にジョージが顔を出しに来たり、反対にイシャム公爵邸に呼ばれたりと、なんだかんだ三週間の間に両手で数えられる程度は会っていた。
「楽しかったわ」
ジョージと過ごしていたと答えるのが何となく恥ずかしくて、エリザは階段を下りながらそれだけ答えた。
その瞬間、右肩に衝撃が走る。誰かがぶつかったのだと理解するより先に、エリザの体がぐらりと傾いだ。
「きゃあ!」
「エリザさん!」
クラスメイトたちの悲鳴が聞こえる。やけに遠くから聞こえて、眼前に迫る段差も、離れていく天井も、やけにゆっくりとした動きに見える。
ぎゅっと目を閉じ、痛みを覚悟した。漫画ならここでヒーローが助けに来てくれて受け止めてくれるのだろうが、残念ながらそのような結果にはならず、エリザは強かに体を打ち付けながら階段を転がり落ちた。
息が詰まる。全身が痛い。クラクラと頭が揺れて、起き上がる事すら出来ない。
何が起きた?どうして落ちた?今自分はどこにいる?
ぐるぐると混乱する頭で考えるうちに、体はゆっくりと呼吸をする事を思い出し、肺を膨らませた。それと同時に、痛みが更に増したような気がした。
「誰か!誰か先生を!」
階段を駆け下りてきたクラスメイトたちは、動けずにいるエリザを心配するように周りを囲む。そんなに騒がれると恥ずかしいとどこかズレた事を考えながら、エリザは小さく呻き声を漏らした。
「エリザ!」
何事かと騒いでいる生徒たちの間をすり抜けながら、一人の男子生徒が駆け寄る。ジョージだ。
「どうした、落ちたのか?」
動けないエリザを案じながら、ジョージは横たわっているエリザの頬にそっと触れる。息をしている事を確認し、一瞬安堵したように眉間の皺を消すと、今度は自身が着ていた上着を脱ぎエリザの膝にかけ、そのままエリザの体を抱き上げた。
「い、た……」
「すまん、耐えろ」
「歩けるから……」
「黙れ。見られるのが嫌なら気絶していろ」
大丈夫だと何度言っても、ジョージはエリザを降ろしてくれない。集まっている生徒たちに「通してくれ」と何度も繰り返しながら、長い廊下を歩いた。
「あの二人、あんなに仲良かったかしら……」
置いて行かれた友人の一人が、ぽつりと呟いた。
◆◆◆
「痛い!もう!何だって言うのよ!」
ぎゃあぎゃあと文句を言うエリザは、左腕を三角巾で吊りながらジョージに八つ当たりをする。
幸い左肩と背中から腰にかけて打撲をした程度で、命に別状はない。文句を言える程度には元気なのだが、怪我をしたからと今日は家に帰される事になった。
「それだけ元気なら心配ないな」
迎えの馬車が来るまで、エリザは玄関ホールに程近い応接間で待つ事になったのだが、何故かジョージも一緒に待っている。二人掛けのソファーに一緒に座っているのだが、授業に戻れと何度言っても戻ろうとしない。
「休み明け早々怪我をするなんて……」
ブツブツと文句を言い続けるエリザに、ジョージは呆れているが文句も言いたくなる。
ジョージに八つ当たりをしても仕方がない事は分かっているが、今は痛みを紛らわせる為に口を動かしていたかった。
「全く……誰がぶつかってきたのかしら!前を見ていなかったのは私も同じだから文句は言えないかもしれないけれど、ぶつかった相手が階段から落ちたのよ?!何もせずに去るかしら!」
ふんふんと鼻息荒く怒った途端、エリザの肩に激痛が走る。思わず小さく甲高い悲鳴を上げて動きを止めた。目尻に生理的な涙が滲み、大丈夫かと心配してくれたジョージを睨みつけた。
「痛み止めは効かないか?」
「今の所効いていないわ。うう、痛い……」
ズキズキと肩が痛む。座っているだけでも腰が痛い。横になれたら楽なのだろうが、流石にこの場で横になる勇気は無かった。
「すまない、もっと早く助けてやれれば良かったんだが」
「一緒に歩いていたなら兎も角、そうじゃなかったんだから無理よ。運んでくれてありがとう」
医務室まで抱きかかえて運ばれるなんて、まるでゲームのヒロインになったような気分だった。お姫様抱っこに少しだけ憧れていたのだ。
「うん……?」
ふと、朧気な記憶が頭の中に浮かぶ。
ジョージが階段から落ちた女子生徒を抱きかかえて運ぶ?どこかで聞いたような話だ。
冬休みに入る少し前、階段から落ちたアイラをジョージが医務室に運ぶ。
時期は少しずれているが、ジョージがしている事は、ジョージルートに入った時のイベントそのものだった。
「……まさか」
ある筈がない。
この世界は元々灰被りのお星さまというゲームの世界の筈。悪役令嬢であるエリザが悪役として機能していない以上、ゲームシナリオが破綻している可能性はあるが、アイラとジョージの間に発生する筈のイベントがエリザとの間に発生するものなのだろうか。
もし、階段から落ちた「ヒロイン」をジョージが助けるというイベントなのだとしたら。
この場合のヒロインは、アイラではなく、エリザなのだろうか。ジョージと結ばれる相手との間に発生するイベントなのだろうか。
「うーん……」
「痛むのか。横になるか?」
心配そうに眉尻を下げたジョージは、さっとソファーから立ち上がり、クッションを置いてそっとエリザの体を横たえようとする。
「いたたた……」
「す、すまん」
「うう……もう少し優しくしてくれたら嬉しいわ」
「努力する」
コクコクと頷いたジョージは、先程よりもゆっくりとした動きで、エリザの動きを補助するように腕を添えて横たわる手助けをしてくれる。いつもよりもかなりの時間をかけて横になったエリザの膝には、ジョージの上着がかけられている。
「ありがとう」
素直に礼を言うと、ジョージはふっと口元を緩めて微笑む。床に直接座り、優しくエリザの頭を撫でながら、低く耳に響く声で言った。
「怪我を治す事だけを考えろ」
「どれくらいで治るかしら」
「さあな。二週間程か?」
「長いわね……」
楽しい二週間ならあっという間だが、怪我の痛みに耐える二週間は長く思える。馬車が来るまであとどれくらいだろう。早く帰って、柔らかいベッドで横になりたい。
ジョージに見つめられているのが恥ずかしくて、エリザは静かに目を閉じた。それでも、ジョージはエリザの頭を優しく撫でる事をやめようとはしなかった。
◆◆◆
怪我をして三日。友人たちは心配しながら甲斐甲斐しく世話をしてくれる。かわるがわる荷物を持ってくれたり、移動する時は必ずついて来てくれる。正直一人で行動したい時もあるのだが、友人たちはにっこりと笑顔を崩さないまま、黙って付いてくる。
「全く……私は子供ではなくってよ」
「片腕が使えないのですから、たまにはこうして私共に頼ってくださいな」
ニコニコと微笑みながら付いてくる友人の一人、アリスはエリザの荷物を抱えて階段を降りる。先日落ちた階段をゆっくりと降りるのは少し怖かったが、壁に右手を添えて歩けば何とか恐怖に耐える事が出来た。
「あら……エリザさん、一度止まった方がよろしいわ」
「何故?」
「また、落とされては困りますもの」
アリスはそう言うと、後ろから降りてきた女子生徒二人を静かに睨みつける。睨まれた二人はびくりと肩を震わせ、気まずそうに視線を逸らして軽く頭を下げながら急ぎ足で階段を降りて行った。
「意地悪をしないの」
「でも……あの方々がエリザさんにぶつかったから、落ちて怪我をされたのですよ?本来なら、家同士の揉め事になりますのに」
ふんと鼻を鳴らして声を張ったアリスは、そそくさと逃げていく二人組を威嚇しているつもりらしい。
逃げた二人は、子爵家の令嬢たち。公爵令嬢であるエリザに怪我をさせたという理由で、現在女子生徒の一部からコソコソと噂をされ、相当居心地の悪い状態になっているようだ。
「私が足を滑らせた、というだけよ」
「エリザさんはお優しいわ」
ぶつかってきた相手は、怪我をした翌日には誰だか分かっていた。ジョージが見つけ出し、放課後に呼び出して謝罪させていたが、エリザはその場で「ぶつかった覚えはありませんが」と言っておいたのだ。
家同士の揉め事になれば、面倒な事になる。両親には自分が足を滑らせたのだと説明し、ジョージにも騒がないように言いつけた。子爵令嬢たちは涙を流して詫びて感謝していたが、泣くくらいなら最初から逃げなければ良かったのだ。
「周りを見ていなかったのは私も同じだもの」
「身分が違いますわ。今からでも真実を……」
「私、しつこいのは嫌いよ」
これ以上言うなと、エリザはじろりとアリスを睨む。トントンと小さな足音をさせ階段を降り切ると、アリスは小さく詫びながら後を追いかけてきた。
「そ、そういえば……クレムセン様とはあれからどうなのですか?お怪我をされた日、医務室まで運んでくださいましたけれど」
話を変えようと、アリスはジョージとの事を聞いて来た。
聞かれても、何も答えられない。あの日、迎えの馬車が来るまでジョージは一緒にいてくれた。迎えが来たと知らされると、エリザが起き上がるのも、歩くのも手伝ってくれた。馬車に乗り込んでからも、腰が痛むようだと御者に教えてくれて、横になるのも手伝ってくれた。そこで別れて以来、ジョージとは顔を合わせていない。
学園に行けば会えるだろうと思っていたのに、どういうわけだかジョージがいない。正確には、歩いているところは見かけるが、近寄って来ないし近寄れないのだ。
「何も無いわ」
「あら……とても仲睦まじい様子でしたのに」
「あの人気紛れだから」
やれやれと溜息を吐いたエリザは、痛む腰を摩りながら歩き続ける。目的地である図書室へ向かう途中、廊下の隅で数人の女子生徒が集まっているのが見えた。その中心に、困り顔の男子生徒が一人。
「あら」
目立つ長身に黒い髪。ジョージだ。
普段女子生徒から距離を取ろうとしている筈のジョージが女子生徒に囲まれているなんて珍しい。思わず足を止めてその様子を見ていると、女子生徒の中にアイラとキャリーがいるのが見えた。
「まあ……クレムセン様?何をしていらっしゃるのかしら」
「さあ……」
「向かわれますか?エリザさんという婚約者がありながら、女子生徒に囲まれているなんて」
憤慨しているアリスは人だかりに向かおうとするが、エリザがいる事に気付いたジョージが僅かに目を見開いて此方を見た。
「良いわ、放っておきましょう」
「でも……」
「今、あの人気まずそうな顔をしたわ。それだけで充分」
「よろしいのですか?」
「ええ。貴方も覚えているでしょう?私が殿下を追いかけていた事を。今更あの人を咎められないもの」
困ったように微笑み、エリザはジョージの元へ向かう事無く図書室を目指して歩き出す。アリスはジョージを睨みつけたが、その視線の先では、キャリーが無表情でエリザを見つめていた。




