十話「二人きりの外出」
コツコツと靴音をさせながら歩くには、少々冷える。肩を竦めて寒さに耐えながら歩くエリザは、隣を歩くジョージをちらりと見上げた。
ジョージは寒さなど感じていないかのように真顔を崩さず、仮にも婚約者と二人で歩いているというのに、欠片も楽しそうには見えなかった。
「ねえ、どこへ行くの?」
「決めていない」
「寒くないの?」
「お前は寒いのか?」
質問に質問で返すなと怒った方が良いのだろうか。今は何故この男は寒くないのだと驚く方に忙しくて、エリザは呆れたように口をあんぐりと開いた。
「筋肉に覆われていると寒さを感じないのかしら」
「さあな。お前がひ弱なだけだろう」
「なんですって」
ひ弱と言いながら、ジョージは「ハン」と軽く鼻を鳴らす。随分と悪役のような表情が似合うが、この男は一応ゲーム内では攻略キャラクターの一人だ。ゲーム内スチルでは大抵真顔か怒ったような不機嫌そうな顔をしていて、ごく稀にふわりと柔らかい笑みを向けるという描写があるだけ。笑顔の差分が無い!と、二次創作仲間が悲鳴を上げていた事を思い出した。
「寒いのならマフラーでもすれば良かっただろう?何故してこなかった」
「外に出るとは聞いておりませんでしたから」
にっこりと微笑みながらそう返すが、内心は「出かけるのならそう言っておけ」という怒りがふつふつと湧いていた。
元々今日は、卒業記念式典の衣裳についての相談をする為にデザイナーを呼んだから来いという手紙を受け取った為、言われた通りにジョージの住む屋敷へ行っただけ。
外出する予定だとは聞いておらず、エリザは馬車と屋内で過ごすだけだと思っており、少々軽装で出てきてしまったのだ。
「ふむ」
小さく声を漏らすと、ジョージはエリザの背中を軽く押して歩き出す。屋敷からそう離れていない中心街には沢山の店があり、それなりに賑わっている。誰も彼もが寒さに耐えられるように厚着をしており、家族連れや恋人たちが楽しそうに話しながら歩いていた。
手を繋いで歩く若い恋人たち。老齢の男女はきっと夫婦なのだろう。ゆっくりと歩幅を合わせて歩く姿を目で追っていると、ジョージはぴたりと足を止めた。
「……目的地?」
「ああ」
背中を押して歩いてもらえるのは楽だった。よそ見をしていても目的地に辿り着けるし、人にぶつかりそうになってもジョージが上手く誘導して避けてくれる。ありがとうと軽く礼を言って、エリザはジョージが開いた扉を潜り、店の中に入った。
「あら、可愛らしいお店」
店内には、様々な小物が置かれていた。よく見ると値札が付いており、置かれている小物が商品である事を教えてくれているが、パッと見るだけでは、まるで誰かのコレクションが飾ってあるだけのようにも見える。
なんとも言えない、不思議な雰囲気の店だった。
「おや。坊ちゃん。いらっしゃいませ」
「店主、マフラーと手袋はあるか?」
「ええ、その辺りに幾つか……公爵家のご令息には見合わぬ質素な物ですけれどね」
店の奥から出てきた老齢の男を、ジョージは店主と呼んだ。この男がこの店の主なのだろう。ジョージを坊ちゃんと呼んだ店主は、一緒に立っているエリザをちらりと見て、もう一度ジョージに視線を戻し、またエリザを見るを繰り返す。
「ああ、婚約者のバートレイ嬢だ」
「へえ、坊ちゃんに婚約者がいらしたんですか」
驚いたように目を見開き、眼鏡をくいと上げる店主は、エリザに「ようこそ」と頭を下げた。随分馴れ馴れしいというか、貴族相手に物怖じをしない。だが、不快なわけでもなく、何となく親しみやすさを覚える人だった。
「初めまして。私エリザと申します」
「これはこれはご丁寧に……私はこの店の主、ハロルド・フィンチと申します」
演技がかった動きで名乗ると、ハロルドはにやにやと口元を緩めてジョージを見た。
「隅に置けませんな、坊ちゃん」
「チッ……こいつに合うものを」
「ええ、お嬢様のお気に召す物があると良いのですが……」
どうぞと手で指し示し、ハロルドはエリザを店の奥に誘う。カーテンの裏には小さなテーブルと椅子が二脚置かれ、ちょっとした隠し部屋のようになっていた。
テーブルの脇に置かれた小さな棚の上には、小さなぬいぐるみや人形がずらりと並ぶ。値札が付いているという事は、きっとこれらも商品なのだろう。
「どうぞ、お掛けになってお待ちください。いくつかお持ちしますから」
「ありがとうございます」
ハロルドはするすると物の間をすり抜け、店の更に奥へと消えていく。座れと言われたのならと、エリザが椅子を引こうとしたが、ジョージが先に椅子を引いてくれていた。
「……貴方、エスコート出来たのね」
「俺を何だと思っているんだ?」
「武骨で不愛想な人」
「そうか、そんなに床に座りたいか」
「悪かったわ」
うふふと笑って、エリザはそっと腰を降ろす。完璧なタイミングで椅子を押し込んだジョージは、当たり前のような顔をして、向かい側に置かれていた椅子に腰かける。
「こんなお店があったのね。知らなかったわ」
「お前はあまり外に出ないだろう。だから知らないんだ」
「貴方は外に出る事が多いのね」
「まあな」
よく考えたら、ジョージの事はよく知らない。ゲームの登場キャラクターとしてなら、公式設定に記されている事だけ知っているが、一人の人間として考えると、殆ど何も知らなかった。
エリザの体に刻まれている記憶の中にも、ジョージ・クレムセンという男の情報はあまり残っていない。残っていたとしても、色褪せてしまった写真のようにぼんやりとして、細かい事までは分からなかった。
「可愛いお店だわ」
「気に入ったか」
「ええ!まるで秘密基地みたい」
「秘密基地……とは、何だ」
怪訝そうな顔をするジョージに、エリザは何か変な事を言っただろうかと不安を覚えた。子供の頃、誰でもやると思っていたのだが、貴族の子供はやらないのだろうか。
「やらなかった?子供の頃、大人には秘密の隠れ家というか……秘密の場所を作るのよ」
「ああ……基地と言う程立派な物ではないが、覚えがある。庭の裏手の茂みに色々と持ち込んで、家庭教師から隠れていた」
ふっと口元を緩めたジョージは、幼い頃屋敷の庭の片隅に隠れ場所を作った事を話してくれた。
部屋で使っていた毛布やクッションを持ち出し、茂みの地面を何となく整え、くつろぎながら本を読んだ事。おやつを持ち込んで食べてみたり、昼寝をして、大人から隠れる時間は特別だったが、そのうち母にバレて叱られた上、庭師に茂みを刈られてしまった事。それらを話すジョージの顔は、とても穏やかだった。
「茂みが無くなった時は流石に落ち込んだ。俺の唯一の隠れ場所だったからな」
「今からまた秘密基地作ってみる?」
「いや、この体をあの茂みに隠すのはもう無理だ。恐らく、あの頃も隠れ切ってはいなかっただろうな」
「坊ちゃんは随分と大きくなられましたからな」
店の奥から戻ってきたハロルドは、くっくと喉の奥を震わせるようにしながら笑っていた。大きな包みを幾つか抱え、器用にするすると物の間をすり抜けてくる。
「相手が貴族である事を忘れているようだな?」
「これは、大変失礼いたしました。ご容赦を」
ニヤニヤした顔を隠すことなく、ハロルドは恭しく頭を下げる。きっと、ジョージが公爵令息である事を全く気にしていないのだろう。
ジョージ自身も本気で怒っているわけではないようで、普段よりも少しだけ表情豊かに話していた。
「それにしても、坊ちゃんは相変わらずですなあ。女性に贈り物をするのなら、これと決めずにご本人に選んでいただくのも手です。贈る相手と一緒なら尚更」
ね?とウィンクをしたハロルドは、積み上げた包みを一つエリザに手渡す。そっと開くと、中には濃い紫色のケープが入っていた。
「マフラーも良いですが、若い女性にはケープも宜しいかと。これなら肩も温かいでしょう?」
「可愛いわ。大きなリボンが素敵」
「流石お嬢様。素敵でしょう?マダムテイラーの作品なのですよ」
「あら、マダムの?」
数時間前大興奮で屋敷を出て行った女性の顔を思い出し、エリザは手にしたケープをまじまじと見つめる。
「マダムの若い頃の作品です。このケープは今のマダムが得意とするリボンをあしらった作品の先駆けと申しましょうか……」
エリザが手にしているケープをそっと広げるハロルドの手付きはとても優しい。ケープをゆったりとエリザの肩に巻き、きようにリボンを結んで満足げに微笑んだ。
「ふむ、やはりよくお似合いだ」
「そう、かしら?私には少し可愛らしすぎるかも」
「そうでしょうか?ね、坊ちゃん。似合いますよね?」
「ああ。悪くない」
こくりと小さく頷いたジョージの顔は真顔だ。本当に似合うと思っているのか、何を考えているのかよく分からない。
「店主、これをくれ。このまま着せて行く」
「ええ勿論」
ニコニコと微笑んでいるハロルドは、ケープに括りつけてあった値札をサッと外す。エリザが金額を見る前に外されてしまったそれをジョージに見せると、ジョージは屋敷に請求するようにと言いつけた。
「手袋はどれがいい」
「い、いえ!必要ありません!」
ジョージが屋敷に請求させたということは、このケープの代金はジョージが払うという事なのだろう。もしかしたら後からドーラム公爵家に請求が来るのかもしれないが、流石にそういった事はしないはず。それなら最初からドーラム公爵家に請求しろと言えば良い話だからだ。
「寒いんだろう?手を温めておいた方が良い」
「い、いえ!ええと……そう!私先程見たパンを食べてみたいので!手が汚れてしまうかも」
あたふたと言い訳をしているエリザに、ハロルドはふるふると小刻みに肩を震わせて笑っている。ジョージは「そうか」とだけ言って立ち上がると、さっさと店の方へと戻ってしまった。
「お嬢様、よくお似合いですよ」
「ありがとうございます」
「素敵な一日を」
エリザの為にカーテンを持ち上げたハロルドは、店の扉を開いて待っているジョージの方をちらりと見てにっこりと笑う。
きっと、これからデートに行くとでも思っているのだろう。ジョージにそのつもりは無いだろうし、エリザもそのつもりは無い。ただ、傍から見れば婚約者同士で町を散歩するのは、デートだと思われるのかもしれないと思うと、なんとなく気恥ずかしかった。
◆◆◆
ケープを買ってもらった後、エリザはジョージと共に町を歩きまわっていた。特に目的地があるわけではないようで、目についた店や物を見て回り、今はエリザが興味を示した出店の前で佇んでいる。
「んん!美味しい!」
目をキラキラさせるエリザの手には、揚げたパンに砂糖をまぶしただけの庶民的なおやつが握られている。口の端に砂糖を付けた顔でジョージを見上げると、口元についているぞと、トントンと指先で自分の口元を突くジョージと目が合った。
「貴方も食べてみる?美味しいわ」
「……ん」
手に持っている食べ掛けのパンを、何と無しにジョージに差し出した。まさか本当に食べるとは思わず、大人しく一口齧ったジョージに驚いて動きを止めると、エリザと同じく口元に砂糖を付けたジョージがフッと口元を緩めた。
「甘い」
「そ、それは……そうでしょうね。砂糖がこんなに沢山掛かっているんだもの」
バクバクと心臓が煩い。距離が一気に近付いた事に驚いたというのもそうなのだが、不仲な婚約者同士の筈なのに、一つのパンを分け合って食べるという事に驚いたのだ。そもそも、食べるか勧めておいてなんだが、ジョージは甘いものは苦手だった筈だ。
どうせ「いらん」とでも言われると思っていたのに、返ってきた言葉が「甘い」だったのだ。何をしているのだろうと恥ずかしくて堪らなくなり、エリザはぎゅっとパンを握りしめて俯いた。
「えーと……あの、どうして二人で外に出たの?」
「気分だ」
「気分……」
「約束しただろう。殿下にお願いをしてやる代わりに、お前の時間をもらうと」
冬休みに入る前に交わした約束を思い出し、エリザはぽかんと口を開いてジョージを見上げた。口元についた砂糖を指先で払うジョージは、エリザと目が合うとふいと視線を逸らす。
「婚約者と出かけるだけだ。何も不自然ではないだろう」
「それは、そうかもしれないけれど……でも、貴方」
私の事、嫌いでしょう?
そう言ってしまったら、彼はどんな顔をするのだろう。嫌いだと認められてしまったら、言葉にされてしまったら、どうしたら良いのだろう。
嫌われて当然の事を今までしてきていた。それは今の自分がした事ではないが、ジョージからしてみれば、エリザがやった事に変わりはない。
「……俺は、お前を嫌っているわけではない」
「え?」
「以前のお前は嫌いだ。大嫌いだ。心底軽蔑している」
ズケズケと言うジョージの目は酷く冷たい。嫌いと言われる度に、エリザの胸がぐっと締め付けられる。
嫌いなら、何故こうして二人で過ごしているのだろう。学園にいる間も、二人で過ごす時間を作ってくれたのは何故だったのだろう。少しは仲良くなれたと思っていたのに。二人でいる時間が心地よいと思えるようになってきたのに。
「だが、今のお前は嫌いじゃない」
そう言って、ジョージはそっとエリザの頭を撫でる。髪が乱れないように、そっと、優しく。
「今でも替え玉である事は疑っているが……どうでも良くなった。今のお前が俺の妻になるのなら、それで良い」
「……それは、どういう?」
「さあな」
エリザの疑問にジョージは答えない。答える代わりに、エリザが持っていたパンをもう一口齧り、「甘すぎる」と文句を言った。
「文句を言うなら食べなければ良いのに」
「それもそうだ」
残りのパンを少しずつ食べ進めるエリザは、何となくジョージを見ているのが恥ずかしくなり、視線を逸らす。
町中を歩く人込み。皆それぞれ忙しそうにしていたり、のんびりと買い物を楽しんでいるようで、エリザとジョージを気にする者はいない。
「あら……」
人込みの中、エリザは一人の女性に視線を奪われる。色とりどりの髪の中、一人だけピンク色の髪をした女性が足早に歩いていたのだ。エリザが知るピンク色の髪の女性は、アイラだけだ。
「ねえジョージ、アイラさんかも」
「どこだ」
「あそこ……」
目立つ髪色をしてくれていて良かったと安堵して、エリザは最後の一口を急いで飲み込み、ジョージの手を引いてアイラらしき女性を追う。人込みをすり抜けながら口元の砂糖をぱっぱと払い、視線はまっすぐ女性の頭だけを見ていた。
「やっぱり、アイラさんだわ」
アイラが花屋の前で足を止めた事に気が付き、エリザは少し離れた建物の影に身を隠す。ジョージも困惑しながらではあるが、一緒に隠れてくれた。
「男爵令嬢が町中に一人でいるわけが……」
「いるわ」
「……そのようだ」
花屋の前で、アイラはそわそわしながら前髪を直している。店の中から一人の男性が出てくると、満面の笑みを向けて手を振っていた。
「知り合いか?」
「さあ……分からないけれど、あれは間違いなくアイラさんで、私の知らない男性と親気にしている……」
出てきた男性は栗色の髪をした若い男性。年齢はジョージよりも少し上だろうか。どれだけ思い出してみても、彼の事は思い出せない。ゲームに出てきた記憶も無い。
「誰……?」
「なあ、隠れる意味はあるのか?」
「つい」
じっとアイラを観察しているエリザの後ろで、ジョージが呆れたように溜息を吐いた。
アイラは男性と楽しそうに話しており、こちらには全く気付いていない。ほんのりと頬を染め、時折手で口元を隠して照れ臭そうに笑っている。
「誰なのよ、あの男は!」
その笑顔を向けるのはルイス相手でなくてはならないのに。どうして見知らぬ男に可愛らしい笑顔を向けているのだ。
ギリギリと歯ぎしりをしながら、エリザはぎゅっと拳を握りしめた。