一話「転生しましたが、悪役です」
「初めまして。アイラ・ハボットです」
キターーーーーー!!!!
そう声に出さず、黙って前を見る事だけに集中できている事を、誰かに褒めてもらいたい。
アイラと名乗ったピンク色の髪をした少女が目の前に現れるのを、どれだけ待ち望んだことか。
この世界の全ては、彼女の為に作られたといっても過言ではない。
この世界は、言葉の通り「彼女の為に作られた」世界なのだから。
つい最近まで、ずっとはまっていたゲームがある。
「灰被りのお星さま」というタイトルの乙女ゲームの主人公が、緊張した面持ちで微笑んでいるアイラなのだ。そして、今いるこの世界は、灰被りのお星さまの世界。
何を言っているんだと普通なら言われるのだろうが、普通ではない事が起きたから自分は今この場にいる。
貴族やブルジョア階級出身の子供たちを集めた学校で、生徒たちは地毛とは思えないカラーリングの髪や、カラコンか?と言いたくなるような色鮮やかな瞳を持つ人間が、現実世界のどこにいるというのだろう。
事の始まりは三日前。
目が覚めると見知らぬ部屋にいた。後から知ったが、この世界の自分の寝室で、そこはもともと住んでいたワンルームの狭い賃貸アパートの一室などではなく、大きなお屋敷の一室だった。
そして、黒目黒髪という日本人の平均的な見た目をしていたはずの自分の容姿は、燃えるような赤毛に空を映した水色の瞳の美しい少女のものへと変わっていた。
オタクとして生きていて良かったと思うべきなのだろうか。何度かこのような事象に襲われた人物を主人公にした話を読んだことがある。いわゆる「異世界転生」というやつを自分も経験したのだ。
現実世界の、現代日本にいた自分が生きているのか死んでいるのかはわからない。
記憶にある現実世界の自分が最後にしていた事は、頭痛に耐えながら趣味の漫画を描いていた事。
大好きな灰被りのお星さまの二次創作をしていて、アイラととある男子生徒の恋物語を勝手に妄想して漫画にしていた。
仕事を終え、適当に食事と風呂を済ませ、ちょっとした頭痛に耐えながら描いていた事は覚えているのだが、そのあとどうしたのかは覚えていない。
ぷつんと意識が途絶え、気が付いたら見知らぬ部屋の、大きなベッドの上だったのだ。
この世界、灰被りのお星さまの世界で生きる「エリザ・バートレイ」になって三日。
まだ戸惑うことはそれなりにあるし、夢だと思っていたりするが、三日経っても目が覚めないのなら、この状況を楽しんだ方が得というもの。
毎日のように満員電車にもみくちゃにされ、楽しくもない仕事をこなし、パワハラじみた上司にペコペコと頭を下げる事もしなくていい。
苦行でしかない仕事をするよりも、久方ぶりの学生生活を楽しんだ方が良い。
たとえ、自分がゲーム内で悪役と呼ばれる立場だったとしても。
◆◆◆
折角大好きなゲームの世界に来て、二次創作をする程大好きな二人が傍にいるのなら、是非ともこの目で実際に話をしている二人を見たい。ただそれだけの理由で、エリザはコソコソと隠れながらアイラの後を追っていた。
「ああ……図書室はそっちだけどそうじゃない……」
ブツブツと独り言を呟きながら壁の影に隠れているエリザは、傍から見れば不審者だろう。だが、そんな事を気にもせず、エリザは廊下の端で戸惑っているアイラを見つめる。
ゲームのシナリオでは、編入初日に他の生徒に後れを取っている事を気にしたアイラが図書室で勉強をする事にする。その道中、アイラは広い学園内で道に迷い、右に進むか左に進むかを選ぶのが一番最初の選択肢。恐らく今のアイラはその選択肢が現れている画面の場面にいるのだろう。
図書室へ向かうには右へ進む。アイラは右へ進むことにしたようだが、エリザが望む光景を見る為には左に進んでもらう必要があった。
「ええい……!」
シナリオとは多少異なるが、選択肢を選ぶという事が変わらなければきっと何とかなる。今はとにかく、左に向かってもらわなければならないのだ。
「あら……ごきげんよう。ええと……アイラさん、だったかしら?」
「え?あ、はい。今日から編入してきました、アイラ・ハボットです」
ぺこりと頭を下げたアイラは、緊張したように視線を彷徨わせている。編入生として紹介されてから、エリザはアイラと会話をしていない。沢山の生徒がいる教室で一日時間を共にはしたが、同じ部屋にエリザがいた事は覚えていないだろう。
見知らぬ生徒に突然声を掛けられ、戸惑うのは無理もない。
「私、エリザ・バートレイと申しますの。貴方と同じクラスでしてよ」
「同じクラスでしたか!すみません、まだ皆さんの事を覚えきれていなくて……」
「無理もありませんわ。これから覚えてくだされば結構。何処かへ行かれるの?道に迷っているように見えたのだけれど」
にっこりと微笑み、エリザは親切な女子生徒を演じる。実際は、正しい道を教えるつもりなど欠片も無い。自分の欲求の為に、図書室へ向かう事を阻止したいだけだ。
「図書室に行きたいんです」
「あら、編入初日からお勉強かしら?真面目な方ね」
くすくすと笑いながら、エリザは左へ向かって歩き出す。アイラはホッとしたような顔をしながら追いかけて来て、嬉しそうな顔をしながら話しかけてきた。
「あの、エリザさん……と、呼んでも良いですか?」
「ええ、構いませんよ。それにしても、まさかこの学園に編入生が来るなんて。入学試験よりも、編入試験の方が難しいのですよ。優秀なのですから、わざわざ編入初日から居残り勉強なんてする必要ありませんわ」
ふふんと鼻を鳴らして笑うのは、エリザの癖のようなもの。意識してやっているわけではないのだが、どうしてだか三日前この体になってから無意識にやってしまう。
人によっては、この癖はとても意地の悪い顔に見えるようで、家にいる使用人の何人かはぎくりと表情を強張らせていた。目の前にいるアイラも同じだ。
「えっと……あの、図書室って遠いんですね」
「あら?図書室はこちらではありませんわ。私は図書室に用事なんてありませんもの」
にんまり笑ったエリザに、アイラはピタリと足を止める。どうしてと言いたげな顔をしているが、どうしても何も無い。
「ごめんなさいね、勘違いをさせてしまったようだわ」
「えっと……」
「私は、案内するなんて一言も言っておりませんもの。貴方が勝手について来たのよ」
ぽかんと口を開いているアイラに、「それじゃあね」と言い残し、エリザはそのまま真直ぐ進む。最初の角を曲がってすぐさまアイラの様子を伺うと、持っていた鞄をぎゅうと胸に抱きしめて俯いていた。
「素直に図書室連れてってやれよ……!」
自分で自分の行動に突っ込みながら、エリザは胸の前で手を合わせる。謝罪の気持ちを込めての仕草だが、その姿をアイラが見る事はない。
「お嬢さん、どうかした?」
来た来た来た来た!!
本日二度目の、無言の大興奮。
どうしてもアイラと話をしてほしかった相手が、今ようやく現れたのだ。
この世界のメインヒーロー、ルイスだ。
金色の髪に陽の光を反射させ、キラキラと輝かせながら現れたルイスは、にっこりと微笑みながらアイラに向かって歩み寄る。
「あ……図書室に、行きたくて」
「図書室?それならこっちだ。付いておいで」
ルイスとアイラが初めて言葉を交わすシーンはここだ。
ゲームをプレイしている時、アイラがこの時考えているのは「綺麗な人……王子様みたい」だ。
目の前にいるのは正真正銘王子様よー!と叫びたくてたまらないが、今ここで二人の初めての会話を邪魔するわけにはいかない。
わざわざ意地悪までして二人を引き合わせたのだ。しっかりと二人のやりとりを網膜に焼き付けておきたい。出来ればもう少し二人の会話をしっかり聞きたいが、流石にこれ以上近付く事は出来ない。
「何話してるかは聞こえないけど……てぇてぇ……」
この世の全てに感謝。
もう一度両手を合わせ深々と拝み、エリザは満足げに微笑んだ。
「何をしているんだ、お前は」
「ひぇ」
背後から声を掛けられる事を全く想定していなかった。叫ばないように口元を両手で押さえて振り返ると、コソコソしているエリザを呆れたように見ている男子生徒がそこにいた。
「じ、ジョージ様、お久しぶりですわね」
声が震えないように必死で微笑みながら、エリザは男子生徒に返事をした。
彼はジョージ・クレムセン。一つ上の学年の生徒で公爵家の長男。未来の公爵様として女子生徒の人気も高い、エリザの婚約者だった。
「また、ルイスを追いかけているのか」
「え?いえ……そのような事は」
冷たい視線を向けるジョージに反論しようとして、エリザははたと思い出す。
ゲーム内のエリザは、婚約者がいる身でありながら、ルイスの婚約者になりたいと願い、ルイスを追いかけ回すキャラクターだった。
悪役として、アイラがルイスと結ばれる事を阻止するべく嫌がらせをしてくるキャラクターなのだ。
エリザとして生活してまだ三日だが、恐らくもっと前からエリザはルイスに夢中になって追いかけまわしていたのだろう。ジョージからしてみれば、自分という婚約者がありながら、目の前で何をしているんだこの女、である。
「あの女は?見ない顔だ」
「ああ……アイラ・ハボットさんです。今日から私のクラスに編入していらしたのですよ」
二人で壁からコソコソとアイラとルイスの様子を伺うと、ルイスはけらけらと楽しそうに笑いながらアイラをエスコートして歩き始めた。
「はあ……なんて素晴らしい光景なのかしら」
「は?」
「ご覧くださいな、あのお二人の後ろ姿。身長差もそうですが、御髪の色!まるで暖かく周囲を包み込む春のようではありませんか?いつまでも眺めていられます」
早口でペラペラと喋り続けるエリザに面食らいながら、ジョージは怪訝そうに眉間に皺を寄せる。
ジョージの記憶にあるエリザなら、すぐさま走ってルイスの元へ向かい、二人を引き裂くように間に陣取って歩くだろう。今日のエリザはそうするどころか、二人が並んで歩いている姿を眺めてうっとりしている。
「……熱でもあるのか」
「健康そのものですわ」
「気味が悪い」
心底嫌そうな顔をして、ジョージはフンと鼻を鳴らした。
「何を考えているのか知らないが、殿下を追いかけ回すのはいい加減やめたらどうだ?仮にも俺という婚約者がいるのだから」
「何を……と言われましても。私は私の思う最良の光景を見たいだけですわ」
最良の光景、と書いて「推しカプ最高」と読む。それをジョージに言ったところで意味が分からないと言われて終わるだろう。
にっこりと満面の笑みを向け、エリザはアイラとルイスがいなくなった廊下を歩き出す。
次にあの二人が関わるのはいつだっただろう。ルイスと結ばれるルートに進む為にはいくつかのフラグを回収しなければならないが、上手い事回収してくれるだろうか。
そもそも、アイラとルイスがお互いに恋をしてくれる確証はない。ゲームの世界では、選択肢を選んでいくうちに恋心が芽生えていくが、今いるこの世界は現実なのだ。
なんとかあの二人が良い感じにくっつきますように!と心の中で祈りながら、エリザは小さく拳を握りしめた。