30. 決着
「手を止めろ!」
ユイス・アステリアは村人をかばうように一歩踏み出し、手作りノートを固く抱える。周囲にはトール、エリアーヌ、ミレーヌ、レオンら問題児クラスの仲間が緊張の面持ちで立っていた。
「これ以上勝手な改革を続けるなら、伯爵様のお名前の下に撤去を実行するまでだ!」
壮年の役人が怒声をあげると、鎧をまとった兵士たちが水路へ歩み寄り、無理やりにでも板や土砂を剥がそうとする。走り寄ったボルドが「やめろよ!」と叫んでも、その力がはねのけられそうになる。
「やめろ……っ!」
テラが小さく震えながら訴える。兵士たちは村人の声など気に留めず、道具を振りかざして破壊を進めようとした。
しかし次の瞬間、ユイスが符号を描き終えた魔法が、淡い光の壁を生み出して村と兵士の間に立ちはだかる。木材へと伸ばされようとした兵士の手は、光の壁に阻まれて先へ進めない。
「なに……? 血統魔法なしで、こんな防壁を!」
兵士が眉をひそめて剣を振り下ろすが、剣先は壁に触れると空振りに終わり、まるで弾かれたように戻ってくる。
◇◇◇
「数式理論、やはり応用できそうだな」
ユイスは疲労の色を見せながらも低く声を漏らし、ノートの書き込みをチェックする。彼が組み上げたのは、完全に攻撃を封じるための多層防御術式だった。
「ユイス、これなら人を傷つけずにすむよね?」
エリアーヌが少し目を潤ませて尋ねる。横でトールも兵士たちを警戒しながら、いつでも加勢できるように身構えている。
「もちろん。僕たちは無理に戦いたくはない。敵が攻撃してきても、この壁で受け止めるだけだ」
ユイスは息をつき、光の壁の反応を慎重に見極める。相手からの火球や矢が飛んできても、厚みを増した防御魔法が悉くそれを受け止め、砕けた火の粉と矢が地面に散った。
「ま、まさかこんな壁を……」
兵士の中には困惑して足を止める者もいた。しかし役人は「構うな! こんな見せかけに怯むな!」と怒鳴り、さらに兵を動かそうとする。
◇◇◇
「ユイスの壁があるとはいえ、人数が多いな……」
トールが低く唸るように言う。後ろではミレーヌが「あ、あたしも防御魔法、少しくらいなら支援できるかも……」と申し出るが、緊張で声が震えている。
「彼らを決して攻撃しないように。僕たちはただ、村を壊させない。そのための防御に徹するんだ」
ユイスは自分にも言い聞かせるように首を横に振る。フィオナへの怒りと悔しさが湧くが、ここで復讐心を優先すれば、さらなる混乱を生むだけと自分に言い聞かせている。
「でも障壁がいつまで保つか……」
ミレーヌが心配そうに言うと、リュディアが少し離れた場所からそっと声をかける。
「一度に多くの攻撃を受ければ、ユイスの魔力だって限度があるはずよ。私も手伝うわ。あなたが無茶をすれば、村を守るどころじゃなくなる」
彼女はツンとした表情を崩さず、周囲に小さな風障壁を追加する準備を始める。
◇◇◇
兵士たちは押し合いへし合いしながら壁を壊せる隙間を探そうとする。しかし、ユイスが複数の省詠唱を組み合わせて貼りめぐらせた障壁はそう簡単には崩せない。
「ばかな……どうして血統魔法も使えない連中に、ここまでの防御が可能なんだ!」
役人が苛立ち、兵士の一部が脇道へ回り込もうとする。トールとエリアーヌはすぐにそちらへ走り、逃げ腰にならないよう村人を誘導して安全地帯へ移す。
「皆さん、こっちに隠れてください! 資材置き場の裏ならしばらく身を伏せられます!」
エリアーヌの声に住民が次々と従う。テラやボルドも力仕事を活かして、避難する人々を助けている。
一方、ユイスの障壁は兵士たちの火球や物理攻撃を次々と受け止め、あちこちで小さな閃光を散らしていた。
「くそっ、こんな壁、壊してしまえ!」
火球を放つ兵士の魔法が障壁に深くめり込み、激しい衝撃を広場に巻き起こす。だが、守ることに特化した数式演算はむしろ強度を増し、爆風すら吸収する形で消し飛ばす。
「おまえたち、血統もろくに持たぬくせに……! 余計な真似をしてくれたな!」
役人は焦りで肩を震わせながらも、なおも命じる。兵士たちも後には引けないらしく、辺りを迂回して村の側へ回り込もうとする。
「ミレーヌ、あっちの道を頼む。レオンも協力してやってくれ!」
ユイスが振り返り、柵の崩れかけた辺りを指し示す。そこから兵士が回り込むと、村人が潜む小さな集落の中心へ直通だ。
「わ、わかった!」
ミレーヌは緊張の面持ちで、レオンと共にそちらへ走り、追加の簡易バリアを張る。レオンは苦笑しつつも「仕方ないな」と言いながら、警戒を怠らない。
◇◇◇
もう何度目かの猛攻を受けても、ユイスの防御術式は根を下ろしたかのように安定していた。とはいえ、魔力の消耗は激しい。ユイスの額にはうっすらと汗が浮かび、呼吸が浅くなっている。
「こんなの……長くはもたないぞ!」
トールが盾代わりの板を抱えながら駆け寄ってくる。
「それでも、僕たちは守るしかない。攻撃して彼らを傷つけても、何も解決しないんだ」
ユイスは唇を引き結び、ノートに走らせる指先を止めない。さらに補強の術式を組み込み、障壁全体を厚くする。
「ちっ、いつまで粘るつもりだ!」
兵士の一団が息を乱しながら、必死に魔法や武器で障壁を削ろうとする。しかし結果として、自分たちの方が疲弊していくばかりだ。
役人は苛立ちに耐えかねて吼える。
「破れないのか! 血統を持つ連中はいないのか!」
兵士たちが顔を見合わせるが、もはや先に根を上げ始めたのは彼らの方だった。
◇◇◇
「これ以上やっても同じだ!」
兵士の一人が、背後の仲間に撤退を進言するような動きを見せる。攻撃を続けても弾き返され、村へ入れない。
「伯爵様にこの状況を報告する……」
怒りと恐怖をにじませ、役人が苦い表情で兵士たちをひとまずまとめようとする。
「このまま行けば村を壊せずに帰ることになるぞ!」
「くそ……血統をもたないくせに、こんな厄介な防御魔法を……!」
彼らの罵声があちこちで聞こえるが、ユイスらは黙ったまま構えを崩さない。どこまでも専守防衛に徹し、ただ村への攻撃を許さない姿勢を貫く。
「……伯爵様に報告する。こんな異端者ども、絶対に放っておかないからな……!」
役人の捨て台詞を最後に、兵士たちはじりじりと広場から退いていく。声だけは荒げているが、その足取りは後退をはっきり示していた。
◇◇◇
村の人々が物陰からそっと顔を出し、息を呑んで様子を見つめている。やがて敵の気配が遠ざかると、誰からともなく安堵の吐息が広がった。
「やった……撤退したんだ……」
「こんな血統なしの防御魔法で、本当に追い返せるなんて……!」
ボルドが地べたに膝をつきながら、大きく深呼吸する。テラも崩れかけていた家具の角に手をついて、顔を上げる。
「でも、伯爵の名前を出して脅しに来てた連中が、あそこまで焦ってたとは……」
ミレーヌはぜいぜいと肩で息をしながら、周囲を見回す。レオンが「まあ、あんな壁をずっと突破できなきゃ、面目まるつぶれだろうな」と皮肉そうに漏らした。
「ひとまず、これで村は無事だ。よかった……」
エリアーヌが泣き笑いのような表情で、住民たちを見渡す。トールが彼女の肩を支えながら頷いた。
ユイスは完全に集中を解いてから、ようやく深い息を吐く。身体全体がけだるく、指先のしびれを感じるほど魔力を使ってしまった。
「決着……というにはほど遠いけど、ひとまず安全が確保できたな」
優しく言葉をかけたのはリュディアだった。苦笑いを浮かべるユイスを見て、彼女はそっと眉を寄せる。
「でも、カーデル本人が動くときは、こんな防御策だけじゃどうにもならないかもしれない。あなたを攻撃しなくとも、村人に何をするかわからないし……」
「……わかってる。けど、今は攻撃する意味なんてない」
ユイスが力なく首を振る。フィオナの面影が頭に浮かぶたび、心は燃え上がりそうになるが、それをぐっと堪える。
◇◇◇
安堵が広がる広場の片隅で、シェリー・エグレットが静かに口を開いた。
「皆さま、本当にありがとうございます。武力衝突になっていたら、けが人どころか命を落とす者も出たかもしれない。あなた方はどこまでも専守防衛に徹してくださった……感謝の言葉もありません」
彼女は小領地の代理として、この場の混乱を止めようと奮闘してきたが、伯爵家の意向に押し流されかけていた。心底から安堵した様子で深く礼をする。
ユイスは曖昧に笑い、「村が少しでも無事なら……それだけで」と呟く。シェリーの背後にちらりと姿を見せたクラウス・エグレットは、険しい顔で一度だけこちらをうかがうと、何も言わずにその場を立ち去った。
「これで伯爵は黙ってはいないだろう。いずれまた……」
グレイサーが広場の遠くから眺めていて、独り言のように言葉を漏らす。薄暗い表情のまま、彼は目を細めた。
「ともあれ、今はこれで十分だろうな。ユイス、よく耐えたな」
◇◇◇
しばらくして、村人の多くが息を吹き返したように動き始め、破壊されかけた設備の確認を行う。トールとボルドが器用に動き回り、エリアーヌやミレーヌが負傷者の手当てを手伝う。リュディアも魔力負担の軽い防御系術で倒れたままの柵を修繕し、被害拡大を防いでいた。
「ふう……何とか、落ち着いたかな」
ユイスがノートを閉じて腰を下ろすと、トールが満面の笑みを浮かべて近づく。
「なあ、すごかったぞ! 攻撃なしであそこまでの防壁を展開できるなんて、どうやってやったんだ?」
ユイスは苦笑まじりに首を振る。
「本当は足りない部分だらけだよ。今回は兵士の攻撃だけで済んだけど、伯爵が本気を出したら、もっと強い相手が来るに違いない」
「それでも、わたしたちが守り抜いたんだよね?」
エリアーヌが目をきらきらさせて言うと、ユイスはうなずきつつも険しい表情を崩さない。
「本当の戦いはまだこれからだ。今回のことをカーデルに報告されたら、どんな手を打ってくるか分からない。だけど……同じように身を守るだけでも、この村を救える可能性があるなら、僕は最後まで専守防衛を貫きたい」
フィオナを思い出させる悲しみと、貴族社会の理不尽を破りたい激情は胸に渦巻いている。それでも今のユイスは、それを噴き上がらせるのではなく、村人を絶対に傷つけさせないための壁として活かすことを選んだ。
「敵が来ようが攻めさせまいが、僕たちにできることは守り続けること。そして、誰も失わないうちに、王子の政治的な力や交渉を引き出すしかない。あのカーデルを相手に無闇に攻めても、犠牲が出るだけだし……」
ユイスはぽつりぽつりと言葉をつなぎながら、夜の深まりを感じ取っていた。
◇◇◇
「まあ、無茶な戦い方をするくらいなら、今日みたいに壁を張ってくれる方が安心して見ていられるわ」
リュディアが少し素っ気ない口調でそう言い、ユイスから視線をそらす。
「別に心配なんかしてないけど……あなたが壊れたら、村人は困るだろうし、私も困るし……。とにかく無理はしないでよね」
「……ありがとう」
言われ慣れない台詞に、ユイスが小さく笑みをこぼす。
◇◇◇
戦闘が終わり、広場は徐々に静けさを取り戻し始めた。村人はまた明日に備えて破損した設備を最低限修繕し、問題児クラスの面々も疲れ果てた身体を引きずりながら手伝いを続けている。
「よし、今日はここまで! みんな、休もうぜ!」
トールが大声をあげると、自然と拍手や歓声が混じった笑いがこぼれた。
ハラハラする場面はあったものの、村に大きな被害は出なかった。これだけでも上出来だろう――と、ユイスは心の奥底で少し安堵する。
「まあ、これで一時決着ね。伯爵が黙っていないのはわかっているけど……」
リュディアの言葉に、ユイスはうなずく。
「それでも、これが僕たちのやり方だ。数式魔法で、村人を守り続ける。それが……俺にできる償いだと思うから」
夜の帳が広がる中、残された僅かな光の中で、ユイスはノートのページをめくる。フィオナの面影を重ねながら、いつか理不尽を覆してみせると決意を新たにする――しかし同時に、今日のように最後まで守り切ることこそが、自分の目指す答えに近いと感じていた。
周囲では仲間たちが力仕事に走り回り、村の人々が少しずつ元の落ち着きを取り戻しつつある。ユイスはその光景を見渡し、静かに目を閉じた。
(伯爵の脅威はまだ終わらない。けれど、この村を――そしてもう誰も失わないために――僕は攻撃じゃなく、守り続けることで答えを示すんだ)
そんな思いを胸に、彼は再びページいっぱいの術式を微調整していく。次に来る嵐に備え、今日以上の防壁を築けるように――ユイスの夜は、まだ終わりそうになかった。




