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25. 代償

 朝焼けが薄紅色に空を染めるころ、村はまだ闇夜の名残を引きずっていた。昨晩の襲撃で焦げついた建物や黒く煤けた道のあちこちから、かすかな煙が立ち昇っている。冷たい朝の空気に混じり、焦げ臭さと土埃が鼻を突いた。


 広場には倒れこんでいたユイスの姿が見える。魔力を使い果たして気を失ったまま、敷かれた毛布の上で浅い呼吸をしている。その隣ではリュディアが膝をつき、疲労の色を隠しきれない表情で見守っていた。あれほどの数式魔法を重ねて放ったのだ、ただ倒れただけでも幸いなのかもしれない、とリュディアは自分に言い聞かせているように見える。


「ユイス……起きないの?」


 エリアーヌが小さな声で問いかけながら、ユイスの手を握っている。指先は冷たいが、脈は確かに鼓動している。彼女の頬には涙の跡があり、夜通しで介抱していたのだと一目で分かる。手には簡易的な回復術式を付与したペンダントが握られているが、効果が薄いのか反応は小さい。魔力切れが深刻なようだった。


「今は休ませたほうがいいだろう」


 声をかけたのはレオンだ。いつもの皮肉っぽさは潜め、ただ静かにユイスの様子を見ている。その向こうで、ミレーヌが目を真っ赤にして慌ただしく通り過ぎていく。負傷者へ回復薬や水を運ぶためだろう。


「ミレーヌ、手伝うから何か言ってくれよ!」


 少し離れたところでトールの声が響く。トール自身も腕に包帯を巻いており、ところどころ焦げた布が巻きついている。大雑把な処置をされたらしく、ところどころ血がにじんでいたが「俺は平気だって!」と言わんばかりに立ち回っている。


 ◇◇◇


 夜が明けてしばらく経ったころ、ようやく村の様子がはっきり見えてくる。家屋の一部は屋根が崩れ落ち、畑も踏み荒らされたり火が回ったりして無残な姿だ。村人の姿は多くなく、疲労しきった顔があちこちに見える。


「……ひどい」


 エリアーヌのか細い声に、テラが小さくうなずく。テラの家は半焼し、かろうじて壁の一部が残るだけになっていた。昨晩、襲撃の混乱の中でいくつもの火種が飛び散り、そのまま火が回ったのだという。彼女は真っ白な顔で倒壊しかかった柱を見上げながら、肩を小刻みに震わせる。


「家畜の小屋もだめになった……家畜自体も、ほとんど……」


 テラの隣に立つボルドもまた、力の抜けた声を漏らす。彼の家はそこまで被害を受けなかったが、わずかばかり飼っていた家畜を奪われたらしい。言葉少なに焼け焦げた地面を見つめる姿に、エリアーヌがそっと手を添えた。


「ごめん……ごめんね、私たち、守り切れなくて」


「何言ってるんだよ。お前らがいなかったら、俺たちは全滅してたかもしれないじゃないか」


 ボルドはそう言いながらも、視線を落としたままだ。事実、あれだけの襲撃を受ければ、普通の村なら一夜のうちに壊滅していたはずだ。だが今回は、ユイスたち問題児クラスが短詠唱やフェイズ合成を駆使して、奇跡的に賊を押し返した。村人の多くが無事に朝を迎えられたのはその力があったからだ。それが分かっていても、目の前の被害はあまりに大きい。何が「救われた」のか、実感が追いつかないのだろう。


「……それにしても、これだけやられて……村の再建、どうしようか」


 テラは手についたすすを拭いもせずに呟く。エリアーヌはかぶりを振ると、「私たち、できる限り力になるよ」と返す。隣のトールは聞き取れたのか、ずいぶんと血の滲んだ包帯を気にせず声を張りあげる。


「そうだ! 村を放っておくわけないだろ。炎の処理なら俺が手伝える。あと崩れかけた建物を破壊して片づけるなら、少しは力が役に立つはずだ!」


 トールの声に応えるように、ボルドが振り向く。その目にはわずかな決意の色が戻りつつあった。


「ありがたいよ。……本当、助かるんだ。傷は大丈夫か?」


「へっ、こんなの全然平気だ」


 痛みを堪えているのは明らかなのだが、トールは口角を上げてみせる。エリアーヌが苦笑し、「あとでちゃんと包帯替えようね」と小声で言い添えると、トールは少し照れたように鼻をすすった。


 ◇◇◇


 ユイスが意識を取り戻したのは昼近くになってからだった。広場の隅には簡易的な天幕が張られ、軽度の負傷者が休めるようになっている。ユイスはそこで布団代わりの毛布にくるまれ、蒸し暑さと頭痛にうなされながら目を開いた。


「……ユイス、大丈夫か」


 傍らにいたリュディアの顔が見える。思ったより近い距離に、その凛とした瞳があった。魔力消耗のせいだろうか、彼もまた息苦しく、声がうまく出せない。かろうじて首を縦に振り、視線でリュディアに「何があった?」と問う。


「朝になって、ようやく落ち着いた。村の被害は……相当なものよ。でも、あなたが短詠唱とフェイズ・コンパイルで賊の大半を退けたから、最悪の事態は免れた」


 彼女の声は、安堵と、それでも打ち消せない悲しみが入り混じったものだった。ユイスは起き上がろうとしたが、体に力が入らない。むしろリュディアが支えなければ上体を保てないほどだ。


「家が……焼かれた、村の人たちも……」


 その言葉に、リュディアが小さくうなずく。瞼を伏せたまま言葉を選ぶようにしながら、「怪我人は多いけれど、命を落とした人はいないわ。……でも、この通り建物は……」と唇を噛んだ。


 外の光景を聞かされるまでもなく、ユイスは薄々察していた。賊が振りまいた火種と混乱は深刻だった。自分たちが決死の防戦をしたとはいえ、村を完全には守りきれなかった。それが自分の未熟さなのか、あるいはあの数に対しては仕方のない被害だったのか。分からないまま、罪悪感ばかりが胸を圧迫していく。


「……もっと、数式魔法を、完成させなきゃ」


 何度も同じ言葉が頭をよぎる。ユイスは倒れ込んだまま、こぶしを布の上でぎゅっと握りしめた。その力み方にリュディアがそっと手を重ねる。


「今は休んで」


「……でも」


「あなたが無理をして倒れでもすれば、もっと取り返しがつかない。しばらくは他のみんなが動くわ。シェリーさんも、住民の人たちが今日から復旧に入れるよう調整している。だから、あなたは少しだけでも……」


 ユイスは気丈に首を振ろうとしたが、頭がぐらりと揺れ、視界が真っ白になった。リュディアに支えられながら膝の上に崩れる形となり、自分の情けなさに顔をゆがめる。


「ありがとう、リュディア……でも、すぐ戻る。俺がやらなくちゃいけないこと、たくさんあるし」


 リュディアは憂いを帯びたまなざしで一瞬黙り、しかしそれ以上止めようとはしなかった。


 ◇◇◇


 昼下がりには、村の者たちが協力して被害の大きい家屋や納屋を撤去し始める。トールは要所要所で魔力を使って安全に倒壊を誘導し、エリアーヌが負傷者に簡単な回復術を施していく。ミレーヌは状況の整理と物資集めに奔走し、商家の娘らしく各家に残った在庫や食糧を確認していた。


「ここに小麦が少しだけ残ってます! あと薬草も……えっと」


 彼女は地味なメモ用紙と炭ペンを使い、数字を次々に書き込む。商人の娘らしく計算は得意らしく、素早い筆運びだった。


「でも、村人の方が同じ薬草を捨てずに持っていてくれれば、回復薬の調合に使えるんだけど……誰かストックしてませんか?」


「もしかしたら、テラん家の裏畑に……」


 顔を出したボルドが目をこするように言う。テラはまだ家の片付けに張り付いているが、裏畑の薬草は燃えずに残ったかもしれない。ミレーヌは「ありがとう」と急いで走っていった。視線は焦りと期待を行き来させており、あがり症の彼女が今は必死に動いている。少しずつ、この状況に慣れようとしているのだろう。


 ◇◇◇


 午後も遅くなると、村の中央に小さな休憩所が用意された。住民が持ち寄った水と簡単な食事が並び、作業中の者が交代で喉を潤している。その輪の中に、まだ本調子ではないユイスの姿があった。彼は夜通し倒れていたのに、しつこく意地を張って広場の片隅に来ている。リュディアとエリアーヌが視線を送りながら、心配そうに様子を見守っていた。


「ユイス、ちょっと休んだほうがいいんじゃ……」


 エリアーヌがそばに寄って囁くが、ユイスは遠くを見るような目で首を横に振る。


「ごめん、やっぱり……俺も何かしないといてもたってもいられない」


 だが、足元がまだ覚束ない。エリアーヌが慌てて体を支えようとすると、ユイスはかすかにエリアーヌに寄りかかる形になった。地面に折れた木材や焦げた石が散乱しており、いつ足を引っかけてもおかしくない状況だ。エリアーヌの腕の中で、ユイスは申し訳なさそうに顔を背ける。


「馬鹿なこと言わないの。怪我だって今はそこまで治せないんだから。あなたに倒れられたら、村人たちがどれだけ心配するか分かる?」


「……分かってるよ」


 言葉には張りがない。自分が守りきれなかったという思いが重くのしかかっているのが、その表情から伝わる。そこへトールが汗だくで戻ってきた。炎処理や燃え残った梁の撤去をしてきたらしく、服は煤と埃で真っ黒だ。


「おい、ユイス! 起きてるなら良かった。助かったぜ……いや、何が助かったんだろうな……」


 トールが笑みとともに言う。はしゃいでいるのではなく、安堵と無力感が入り混じった表情だ。強いはずのトールも、村がこれほどの被害にあえば喜べるはずもない。ただ、ユイスが生きていることだけは嬉しいのだろう。


「あの大技、すごかったぞ。なんか、俺まで魔法陣に巻き込まれて燃えそうになったけどな! ははは……」


 言葉の裏にあるのは「救われた」という感謝だ。ユイスはうっすら笑みを作り、「そっちこそ、無茶ばかりしてたじゃないか。火傷、大丈夫なのか?」と返す。トールは手をひらひらさせながら、「大したことない!」と言ってみせるが、包帯はさっきより血が滲んでおり説得力は薄い。


「……さあて、これからが大変だぞ」


 トールはちらりと見えた崩れかけの納屋に目をやった。まだまだ撤去の作業は終わらないし、畑や家畜の損害把握もこれからだ。村人たちは喜びだけでなく、深い落胆と現実的な疲弊と向き合わなければならない。


「でも、みんな『お前らがいなかったらもっとひどかった』って言ってる。おれも同じ気持ちだよ。だから……お前はちゃんと力を休めて、また頼むからな」


 トールはそう言うと、手近な椅子代わりの木箱を持ってきて、ユイスを座らせた。どんなにユイスが意固地になっても、仲間がこうして支えてくれる。それが問題児クラスの強みだろう。ユイスはほんの少し、その厚意に身を委ねるように力を抜き、荒い息を整える。


 ◇◇◇


 夕暮れ前、村の主要部にはひとまず残骸をまとめた広いスペースができた。エリアーヌが小型の回復術を次々と唱え、軽い負傷者を癒している。ミレーヌは薬草と道具を集め、住民に指示を仰ぎながら調剤を行う。テラとボルドも力仕事を終え、一息ついていたが、その視線は寂しげに焼け落ちた家の屋根へ向かっていた。


「……ここまでやられて、正直もうだめだって思った。でも、あんたらが助けてくれた」


 ボルドがぽつりとつぶやく。テラは無言のまま頷き、エリアーヌにちらりと視線を向けた。エリアーヌは慌てた様子でバタバタと駆け回っていたが、その表情にはそれでも笑顔の片鱗がある。「私が頑張らなきゃ!」という意気込みが伝わってくる。


「残った畑はそんなに広くないけど、種も少しなら保管してある。これから、少しずつ立て直せるかな」


 テラがそう言うと、ボルドは弱々しく笑った。「ああ、時間はかかっても元に戻したいな」という言葉が喉元まで出かかっているのだろう。すぐには出ないのは、まだ喪失の痛みが大きいからだ。


 ◇◇◇


 夕方には、シェリー・エグレットが村の被害状況を確かめながら、これからの復旧プランを住民と話し合い始めた。彼女の周りにはユイスやリュディア、問題児クラスの仲間も集まり、そっと耳を傾ける。ユイスは大きく消耗しているが、どうしてもこの話し合いには参加したかったようだ。


「……重傷の方が数名いる。医療魔法を扱える人手が足りない状態だが、私たちも王都や学園に連絡を取ってみるつもり。レオナート殿下が手を回してくれれば、多少の援助が期待できる」


 シェリーの声は疲れのにじむものだったが、冷静に現実を見つめている。住民の中には不安そうに「あの殿下がそこまでやってくれるか?」と口にする者もいたが、今は藁にもすがる思いで肯定せざるを得ない。


「村の再建資材はとにかく不足です。木材も……火災のせいでかなり燃えてしまった」


「仮設の屋根なら、俺が数式魔法で何とかならないかな……」


 ユイスは立ち上がりかけるが、ミレーヌに腕を引かれて座り直す。無理に動けば倒れるのは目に見えている。困った顔のミレーヌに、ユイスは苦笑するしかなかった。


「もう少しだけ休め。私たちも協力できるところは協力するし、あなたが倒れたら本末転倒でしょ?」


 リュディアがそっと言い添える。ユイスは悔しそうに目を伏せた。


「……守り切れないんなら、最初から大口なんて叩くべきじゃなかったよな。こんなに……」


 吐き捨てるような言葉に、トールやエリアーヌが「それは違う!」と声を上げかけるが、シェリーが先に口を開いた。


「あなたたちがいたから、村は存続できたんです。確かに被害は大きいけれど……命のほうは圧倒的に救われました。本当に、ありがとう」


 謝辞と労いが含まれた言葉が周りにも伝播する。住民たちは口々に感謝の意を示し、その言葉にユイスはかすかに顔を上げるが、素直に喜べない表情をしていた。それでも、ここで踏みとどまらねばならないと気付いたのか、少しだけ表情が和らぐ。


 ◇◇◇


 落ちかけた日差しが村の瓦礫をオレンジ色に染める頃、遠目に黒いローブをまとった男が小高い丘の上から村を見下ろしていた。どこか陰気な薄笑いを浮かべているのはクラウスだ。賊を使った計画は不首尾に終わり、かえって村の連帯を深めてしまったように見えるが、それでも彼はまるで「まだ策はある」という顔つきだ。


「……賊どもめ、使えん連中だったな。問題児クラスとやらが思ったよりも厄介か。まあ、それなら次は別の手を……」


 村の明かりがわずかに灯り始めるのを見て、クラウスはひとり不愉快そうに鼻で笑った。そして踵を返し、暗い森の奥へと去っていく。その足音が響くあたりには、まだ焚き火の焦げた跡や馬の足跡がいくつも残っていた。


 ◇◇◇


 再び夜の帳が降りたころ、村には静寂と焦げた木の匂いがわずかに残るだけだ。風は火事の後始末をするように、青白い月明かりの下で吹きすさんでいる。ユイスはまともに歩けるほど回復していないが、半ば意地で天幕の外に出ていた。


「……大丈夫?」


 リュディアの声が背後から届く。振り向いたユイスはほんのわずかに笑みを作って答える。


「うん。少しはね」


 視線を上げると、空には星がまたたいていた。祭りの夜と同じ、澄んだ空気の星空がそこにある。しかしあの楽しかった夜とは違う静かな村の景色に、ユイスは胸が締めつけられる。


「もっと強くならないと」


 自分に言い聞かせるような小さな声を、リュディアは聞き逃さない。彼女自身も同じ決意を抱いているのだろう。そっとユイスの傍らに立ち、夜風に髪を揺らしながら答える。


「私も……もっと力が欲しい。あんな襲撃から完全にみんなを守るには、今の私たちじゃ足りないもの」


 視線が交わり、互いに感じるのは後悔と、それでも失わずに済んだ未来への一縷の光だ。村は痛手を負い、数多くの家が破壊された。けれど命はほとんど失われず、住民は問題児クラスを感謝の眼差しで見つめている。それは“数式魔法”が確実に評価され始めたという意味でもあった。


「これから、俺……もっと数式魔法を極めたいと思う。仲間の力も借りて、住民にとって本当に役立つ形に進化させて……いつか完全に、こういう悲劇をなくせるように」


 かすかな震えがユイスの声に混じる。リュディアはそれを肯定するようにうなずいて、目を閉じる。自分が貴族として積み上げてきた魔法理論とは違う形があるのだと、肌で感じているからだ。


「私も協力する。だから無理はしないで。あなたが倒れたら、また誰かが泣くことになるから」


 控えめだが確かな決意に、ユイスも苦笑まじりに「ありがとう」と答える。その言葉で、少しだけ夜の冷たさが和らいだ。


 暗い夜の向こうで、エリアーヌやトール、ミレーヌ、レオンがそれぞれの持ち場で作業を続けている姿が見える。たき火の橙色の光に照らされ、彼らのシルエットが揺れていた。今夜は眠れない者も多いだろう。だが明日はきっと、少しだけ前に進むための第一歩になるはずだ。


 ユイスとリュディアは、重く沈む村の空気の中で静かに星を仰ぎ続けた。声には出せなくとも、この被害から復興できると信じたい。自分たちがいるからには、もうあの理不尽を繰り返させない、と。夜風の合間に、微かな決意の火が揺らめいていた。

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