24. 実戦
夜の空には、燃え立つ炎の赤い光が薄雲を染め上げていた。村の中央広場で、まだかすかに残る祭りの飾りが揺れ、足もとの大地を不規則な影が走り回る。あちこちで悲鳴と怒声、そして金属のぶつかり合う音が混じり合い、秋の祝祭は一転して地獄絵図のような惨状を呈していた。
ユイスは背後から押し寄せてくる気配に反応しつつ、荒い息を吐きながら数式の断片を脳内で必死につなぎ合わせている。もともと水路工事や農地改良に使う程度の魔法しか実戦経験がなく、直接の大規模戦闘は模擬戦以来だ。しかも今は彼と同じ問題児クラスの仲間やリュディア、そして村人を守らねばならない。耳鳴りがするほど心拍が速くなり、指先が震える。
「トール! 左側の通路は抑えられそうか!?」
地面を蹴って後ろを振り返ったユイスは、土煙と火の粉にまみれながらトール――逞しい体格をした少年を視界に捉えた。トールは勢いよく火球を投げ放ち、襲撃者の一団をけん制している。その丸太のような腕は疲労の色が濃いが、なおも熱い声を張り上げていた。
「なんとかやってるが……多い! 連中、どこからこんな数を呼んだんだよ!?」
トールの炎魔法は一発一発が重く、村はずれから迫ってくる賊の足止めには有効だ。しかし数が多すぎる。トールも制御が苦手なため、少しでも力を誤ると火球が木造の民家に直撃しかねない。実際、すでに数軒が燃え上がっているのが見え、村人たちが必死に水をかけて消火に当たっていた。
◇◇◇
エリアーヌは広場の中央で戦場と化した屋台の陰に身を隠し、肩を小刻みに震わせながら何度も呪文を結んでいる。泣きそうな顔ではあるが、必死の思いで回復魔法の簡易版を詠唱していた。その周囲には負傷した村人や、矢がかすった仲間が集まっている。医療魔法の本来の行使には領主許可が必要……そんなお役所事情を気にかけている余裕はもう誰にもない。
「じ、じっとしてて……すぐに血、止めるからっ……!」
口元をわななかせながら、それでもエリアーヌは高い集中力を保ち、詠唱リズムを崩さない。失敗を恐れるあまり力が弱まる癖があるが、この状況にあっては手を動かさなければ命に関わる。傍らで付き添うミレーヌが小声で「大丈夫、やればできるから……!」と励ましていた。
「ここまで来たのに……折角、みんなで頑張って……こんなの、いやだよ……」
「泣いちゃダメ。今は一人でも助けないと……エリアーヌ、お願い!」
ミレーヌの瞳も恐怖を浮かべているが、今は商家で培った冷静さで、回復用の道具や包帯を住民に手渡している。視線をぐるりと巡らせると、広場の向こう側ではリュディアが迫る賊をまとめて吹き飛ばすように風の刃を放ち、閃光が走った。鮮やかで華麗な魔法なのに、今このときはまるで戦場の風を薙ぎ払う刃のように、血のにおいすら帯びているように見える。
◇◇◇
リュディア自身も、伯爵家由来の魔力量をフルに注いでいた。何人もの賊が一斉に襲いかかってくるときには防御バリアを展開し、次の瞬間には風の刃を重ねて撃ち出す。もちろん体力の限界は近く、額には大粒の汗が浮かぶ。最初の一撃で数人を倒したものの、相手は損得勘定で集まったならず者集団――それだけでなく、「貴族がいるらしい」という情報を聞きつけたか、あるいはこの混乱を煽る黒幕がいるのか。とにかく息をつく暇もないほど周囲を取り囲んでくる。
「リュディア先輩、後ろからも来てる!」
「わかってるわ……くっ!」
突撃してきた男の斧がバリアを砕こうと音を立ててきしむ。リュディアはわずかに唇を噛み、即座に火炎の小呪文を詠唱しながら身体をひねった。回避しつつ、その男を横なぎの火線で弾き飛ばす。彼女の魔法センスは学園でも折り紙付きだが、こんな乱戦は想定していなかった。しかも数が減るどころか、まだまだ続く足音が遠くで響いている。
「数、減らない……ユイスは、どこ……?」
自分の魔力もそろそろ底をつきかけている。回復にはエリアーヌがいるが、戦線を抜けて安全圏まで下がる余裕すらない。リュディアの視界に焦点が合わなくなりかけたとき、背後から轟音とともに地面が震えた。
◇◇◇
ユイスは村の中央にある井戸のそばで結界式を短詠唱し、襲いくる賊をまとめて弾き飛ばすように地形操作を試みた。しかし簡易結界の術式だけでは押し切られる。燃え上がる家屋を見て、ユイスは頭の中でいくつもの計算を組み替えた。このままではじり貧だ。
「リュディア! トール、こっち来てくれ! いや、ミレーヌも……もう手当は大丈夫なのか?」
急ぎ足で駆け寄ってきたトールは、炎を宿した手のひらをそっと開いて見せる。すでに魔力は限界に近いのか、火球がかすかに点滅していた。彼の顔からは迫力が消えかけ、全身に無数の傷がある。だが負けてはいられない。
「オレ、もうあんまり魔力残ってねえけど……何かできることあるか?」
「大丈夫、やり方はある。リュディアも、あと少しだけでいい、力を貸してくれ」
ユイスは喉の奥がひりついて、声もしゃがれ気味だった。だが粘る。この状況を突破するには、今ある戦力をまとめて一気に叩き込むしかない。仲間を見回し、手短に話しかける。
「短詠唱の魔法を組み合わせる。トールの炎、リュディアの風、エリアーヌの回復支援も……全部部分的に術式に組み込む。で、それを一つに束ねるんだ」
言葉の意味をすぐに飲み込むには、かなり無理のある計画だった。だがユイスにしてみれば、前に学園で試みた「位相重ね合わせ」に、さらにトールやリュディアの術式要素を組み込んで大出力を引き出す方策――まさに「数式の総合アタック」を実戦に投入するしかないのだ。
「エリアーヌ、できれば制御を少し助けてほしい。回復術の生成回路を、混ぜるだけでも安定するかもしれないから……」
エリアーヌは目に涙を浮かべながらも、強くうなずいた。「私で良ければやる……失敗しても、怖がってる場合じゃないよねっ」と小さく息を吸い込む。そして震える指先をユイスのノートへと伸ばす。そこに走り書きされた複雑な術式を互いに確認し合う。
◇◇◇
村の南側から再び大きな破裂音がした。たぶん賊の一人が火炎爆薬を投げ込んだのだろう。悲鳴が響き、テラやボルドが必死に住民をかき集めて逃がそうとしている。ユイスらはひとかたまりになって一歩ずつ前進を始めた。そこをめがけて、十数名の賊が横列を組むように突撃してくる。
「――短詠唱用の下準備、始めるぞ」
ユイスは喉の奥が焼けつくほどの緊張を感じながら、それでも指先を空中に走らせ、数式のフレームを組み上げていく。トールは「火球のベースを小さく、でも密度を……」と意識して少しずつ炎を生成。リュディアは風刃を複数に分割し、斬撃のエッジを重ねるように展開する。そしてエリアーヌが回復術の回路を微量だけ吐き出し、暴走を抑える働きを加える。
「くそっ、膨大すぎ……っ、でも……っ!」
ユイスの頭の中で、一瞬だけ思い出がよぎる。フィオナの笑顔だ。あのとき、自分は何もできずに彼女を失った。今度こそ、無力のまま見過ごすわけにはいかない――たとえ血統魔法がなくとも、数式理論なら、誰でも救えるはずだ、と。
「いくぞ……“フェイズ・コンパイル”――!」
ユイスの声に重なるように、トールが叫び、リュディアが魔力を解放する。圧縮された炎の小球が連鎖反応で風刃に乗り、周囲の空気がぐっと収縮した。その流れをユイスがさらに術式で束ね、位相を一致させる。ほんの一瞬、周囲が不自然な静けさに包まれる。
その次の瞬間、激しい閃光と炎の奔流が襲撃者の集団を包み込んだ。轟音が大地を揺らし、観衆の誰もが息を呑む。渦巻く炎は風刃の刃筋をまとい、灼熱と切り裂きの二重効果を生む。賊の連中は混乱し、また一斉に倒れこみ、ある者は悲鳴をあげて逃げ出した。
◇◇◇
視界が戻ったとき、リュディアはその場にうずくまるユイスに駆け寄っていた。彼の両膝は崩れ落ち、肩が上下している。演算量が想定以上だったのだろう。微塵も余裕がない顔をしていたが、かろうじて意識はあるらしい。
「ユイス、しっかりして……!」
「ごほっ……まだ大丈夫……だけど、ちょっと……限界……かも」
声にならないほど消耗しているのがわかる。それでも、賊が今の一撃で完全に怯んだのは確かだ。最後の抵抗に数人が襲いかかろうとしたが、トールが吠えるように火球を放ち、リュディアも突き刺すような風の一閃で動きを止める。横合いからレオンが鋭い氷刃を繰り出し、追撃を封じ込めた。
「ちっ……俺も何か手伝わないと、格好がつかねえな」
皮肉混じりの口調ではあるものの、レオンが本気を出したのは珍しい。その冷やかな氷の牙が賊の足元を凍らせ、そこへトールの火球が炸裂し、とどめを刺す。連携こそ普段は取れない問題児クラスだったが、今ここでは一丸となって戦えていた。
「もう……勝手に押し入ってきた連中は、懲りたろう……!」
◇◇◇
後方をちらりと見やると、負傷した者や燃えた家も少なくはない。しかし村全体としては、まだ完全な壊滅に至っていない。テラやボルドらが協力して残った火に水をかけ、逃げ遅れた村人を助け起こしている。襲撃者は既に散り散りに逃げ出し、指揮系統を失ったかのように混乱していた。
「くそっ、こんなはずじゃ……引くぞっ、いったん引けぇっ!」
誰かがそう叫ぶと、取り残された賊たちは血相を変えて闇の向こうに退散していく。背後から追撃したい気持ちもあるが、このまま無理に追いすがるのは危険だ。村内にはまだくすぶる炎と多くの負傷者が残っている。ユイスたちは撤退する賊を追わず、あくまで住民を守ることを優先する。
「終わった、のか……?」
血と土と火のにおいが入り混じる広場に、ある種の静寂が降りた。トールが疲労でがくりと膝をつき、エリアーヌはその場に座りこんでしまった。リュディアも肩で息をし、放心しかけている。ミレーヌやレオンが周囲を確認している間、ユイスは崩れた体勢のまま細かい呼吸を整えた。
「このまま逃げてくれればいいが……クラウスの仕業、かも……」
「クラウス……?」
リュディアは顔を上げる。先ほど人影のようなものが、遠巻きに戦況を眺めていた気がする。だが炎の煙と夜闇が入り混じり、誰であるかははっきりしなかった。しかし、あの冷たい視線を思い出すと、彼の暗躍によって今回の襲撃が引き起こされたと考えるのが自然だろう。
「……とにかく、村は守れた。みんなのおかげだ……」
ユイスがそう呟いた瞬間、彼の身体がぐらりと傾く。今しがたの大技で魔力も体力も限界を超えた。傍らにいたエリアーヌが慌てて抱きとめる。
「ユイス! 大丈夫、大丈夫だから……!」
トールやリュディア、ほかの仲間たちも駆け寄る。周囲では村人たちが泣き声と安堵の声を入り交じらせながら、消火や負傷者の救助に奔走している。まだ夜は明けないが、一応の危機は去ったようだった。
◇◇◇
戦闘の余韻が消え始める頃、遠巻きの闇の中でクラウス・エグレットは馬上から炎に照らされた村の様子を見下ろしていた。思ったよりも早く賊が敗走し、ユイスたち問題児クラスが勝利を収めてしまった。馬を止め、眉間にしわを寄せたまま低く吐き捨てる。
「まさか……短詠唱だの何だの、小細工で乗り切るとはな。もっと痛手を負ってくれると思ったが……」
夜風が彼のマントを揺らした。飼いならした馬はじっと動かず、ただクラウスの暗い気配を受け止めるのみ。彼は一度冷笑すると、馬首を返した。
「まあいい。まだ始まったばかりだ……次の手立てはいくらでもある」
その言葉をかき消すように、村のほうから消火の叫びがかすかに聞こえてくる。深夜の闇に溶け込むようにして、クラウスの姿は静かに消え去っていった。
◇◇◇
広場では、夜明けに近づく冷たい空気の中、ユイスがふらつく意識を必死につなぎ留めている。エリアーヌが手当てをし、ミレーヌが懸命に布を当てて汗を拭っていた。リュディアは少し離れた場所で村人たちを落ち着かせようとしているが、自身も足を引きずっている。
「ユイス、無理しないで、しばらく休んで……」
「ごめん……でも、村の人たち……助け、なきゃ……」
そのままユイスは何かを言いかけたが、声がかすれて消えた。彼の手作りノートは落ちかけていたが、エリアーヌが代わりに抱えて持っている。傷ついた表紙が、今夜の戦いの激しさを物語っているようだった。仲間たちがユイスの肩を支え、地面にそっと横たえると、ようやく彼はうつろなまぶたを閉じる。
リュディアも、そっと跪いてその髪をかき上げながら静かに呼びかけた。
「あなたは……本当に、無茶ばかりするわね。でも……ありがとう」
トールやレオン、ミレーヌも口には出さないが、同じ思いだ。問題児クラスと呼ばれていた彼らが、こうして必死に村を守り抜いた。その果てに見えたものは、大きな被害と、多くの負傷者。それでも、これは確かな勝利だった――少なくとも村が完全に焼かれる最悪の結末は回避できたのだから。
◇◇◇
こうして秋の夜の激戦は、ユイスたちの数式魔法によって賊を撃退する形で幕を閉じた。村の多くの家は焼け焦げ、住民にけが人も出たが、皆が協力し合い、夜明けにはどうにか火を消し止め始めている。エリアーヌやミレーヌ、村の若者テラやボルドが一丸となって手当てや片付けに奔走し、トールとレオンも休みながら周囲の警戒を続ける。
そのそばで、地面に横たわるユイスを囲むように仲間が寄り添っていた。日の出前の薄闇の中で、彼らはもう一度決意を固める。これほどの襲撃を仕掛ける者がいる以上、小領地改革を進めるにはさらなる困難が待ち受けている――だが、自分たちには数式魔法がある。どんなに小さな力でも組み合わせれば、勝ち抜く道が残されているはずだ。
「次は……絶対に、こんな悲惨な目に合わせたりしない。そうよね、ユイス」
息も絶え絶えな仲間を見守りながら、リュディアが小さくつぶやいた。その声は夜明け前の冷たい空気に溶けていくが、確かに周囲の胸に届く。闇の先には、まだ見えない脅威が潜んでいるかもしれない。だが今はひとまず、この夜を守り抜いた事実をかみしめながら、夜の終わりを待つのだった。




