22. 収穫祭
季節は過ぎ、まだ夜明け前の空気には、うっすらと夏の熱気が残りつつも、吹き抜ける風は明らかに秋の香りを帯びていた。村の畑は金色の穂を揺らし、遠くの木々はわずかに葉先を色づかせ始めている。暑さも和らぎ、作物の収穫を喜ぶ気配がそこかしこに広がっていた。
ユイスは問題児クラスの仲間たちと昨夜遅くまで進捗を語り合った疲れを抱えつつも、外に出るとトールやミレーヌ、レオンらが既に作業道具を準備している姿が目に入る。
「おうユイス、もう起きたのか? 無理してねぇか?」
トールが大きな角材を担ぎながら駆け寄ってくる。彼は徹夜明けにもかかわらず熱意にあふれた顔をしていた。
ユイスは苦笑いを浮かべて肩をすくめる。
「トールこそ、昨日あれだけ動いて夜更かししてたんじゃないか? 少しは休んだほうがいい」
「大丈夫だって。力仕事は任せろ、俺は体力だけは自慢なんだ」
そう言うとトールはさらに気合いを入れるように角材を掲げ、場を明るくしてくれた。
◇◇◇
朝の集会所には住民がちらほら集まり始めている。長老格の男性と若者のテラ、そしてシェリーも姿を見せた。エリアーヌは早速、テーブルにどっしり腰を下ろしてメモ帳らしきものを取り出し、じっと言葉を待っている。
「せっかくだから、今年はささやかでもお祭りを開きたいんだ」
長老が目を細めながら静かに切り出す。「ここ数年、ろくに収穫がなかったせいで祝う余裕なんてなかったが……おかげで作物が少しずつ持ち直した。何かしら感謝を形にしたいという声が増えてきたんだよ」
テラは隣で大きくうなずく。
「以前は村祭りなんて夢みたいに聞こえたけど、今ならやれるかも。ユイスたちが水路を直してくれたおかげで、農作物の出来も良くなったし」
「ただ、予算もそうだけど人手も限られているから、大がかりにはできないわ」
シェリーが補足するように口を開く。「それでも私としては大賛成よ。長い間笑顔が消えてた村が、やっと元気を取り戻しているのを感じるの」
ユイスは素直にうれしそうな様子を見せながら、少しだけ困惑した表情も浮かべる。
「こういうお祭りの準備はあまり経験がないんだけど……どこから始めたらいいのかな」
するとエリアーヌがさっと手を挙げる。
「わ、わたしお菓子を作りたい! 昔から甘いものが大好きで、でも、いつもうまくいくか自信なくて……。でも村の特産品と合わせて、みんなに喜んでもらえたらいいなって!」
彼女の声はどこか上ずりながらも熱意に満ちている。その言葉に住民たちも「それはいいかもしれない」「村にはフルーツやハーブもあるから、面白いものができそうだな」と、明るい空気をまとった賛同の声が続く。
「じゃあ、俺は力仕事に回るぜ!」
トールが嬉しそうに右腕をぐるぐる回す。「舞台の設営とか、椅子やテーブルを運ぶとか、そういうのはお得意だから任せとけ!」
◇◇◇
祭りの準備は思った以上にスムーズに進んだ。小領地の住民も、最初こそ「本当にやるのか?」という顔をしていたが、誰かが動き始めると追随するように手を貸してくれる。
トールは同年代の若者と一緒に木材を運び、簡易ステージを組み立てる。彼の掛け声に合わせて作業がはかどると、周囲から「頼もしいねえ」「魔力とは別の強さがあるんだな」と笑みがこぼれる。
ミレーヌは村の素材や物資がどれだけあるかを計算し、事前に仕入れルートを確認。必要な調味料や道具を商隊に手配しながら、「こ、これで予算はギリギリ間に合うかも……」と小声でホッと胸をなでおろしていた。
レオンはそれとなく古い地図を眺めたり、文献を読み返したりして「もとはここの広場は行商人が立ち寄る定番ルートだったらしい……祭りをやれば、人を呼べるかもしれないな」と告げる。
そしてエリアーヌは屋内のかまどでお菓子づくりに没頭する。
「よ、よし……今度こそ失敗しないように……」
彼女は村の果物をペースト状にして、小麦粉と混ぜ合わせたり、蜂蜜を加えたりと試行錯誤を重ねている。周囲の住民が「大丈夫かい?」と手を差し伸べるたびに「ごめんなさい! でも、もうちょっとだけ待ってください!」と悲鳴混じりの声を出しては、小柄な体をバタバタと動かす。そのたびに「やれやれ、元気だねえ」と温かい笑い声が広がっていた。
「いいわね、こうしてお祭りの準備をするの……」
リュディアは飾り付け用のリボンを柱に結びながら、小さく息をつく。
「私、普段の学園行事でもここまで参加したことなかったの」
ユイスがその姿を横目で見て、少し意外そうに首をかしげる。
「学園では『貴族の子女として見本になる』とか言われて、いろいろ大変なんじゃないか?」
リュディアは一瞬言葉に詰まったように見えたが、すぐにツンと顔を背ける。
「別に……私は私。誰かが口を挟んでくるのは面倒だけど、こうしてみんなと一緒に何かを作るのって、悪くないわ」
その語尾はやや刺々しいものの、しっかりと村人の手伝いを続ける様子はやはり優しい心根が感じられる。リュディアが飾りを上に取り付けようとつま先立ちした瞬間、ふらっとバランスを崩しかけると、近くにいたテラが「大丈夫ですか?」と支えてくれた。
「あ……ありがとう。でも平気よ。これぐらいで足をくじくほどヤワじゃないから」
リュディアはほんのり赤い頬を隠すように急いで作業に戻るが、テラと周りの住民はそのツンとした態度にどこか親しみを覚えているような笑顔を浮かべる。
◇◇◇
やがて日が傾き始める頃、仮設ステージが形になり、広場にはいくつかの屋台のようなものが並びはじめた。まだ完成とは言えないが、村全体がどこか祝福ムードを帯びている。
エリアーヌは最後の仕上げとばかりに、失敗を重ねながらも作り上げた果実のお菓子を一口サイズに切って、みんなに試食してもらおうと焦る。
「甘さは足りてるかな……焼き加減はどうかな……うぅ、これがダメならもう時間が……」
ソワソワと右往左往するエリアーヌに、同じく休憩中のミレーヌが「落ち着いて! きっと喜んでくれるよ」と声をかける。トールも「大丈夫だって! 甘い匂いがしてうまそうだし、俺は腹ペコだから何でも大歓迎だぞ!」と無邪気に笑う。
ユイスはひとり、広場の片隅で建てかけの舞台を見上げていた。長らく荒廃していた村に笑い声が戻る――ほんの数ヶ月前には想像もできなかった。
(このまま何もかも順調ならいいけど……保守派の連中は、そう甘くはないだろうな)
昔の自分なら「いい気味だ」と怒りをぶつけただろう。だが今は、住民たちの微笑や活気のあふれる様子を見るたびに、守りたい気持ちが強くなる。ユイスはノートを握りしめ、思わず深呼吸をした。
◇◇◇
次の日、とうとう祭りが始まる。大がかりではないが、思っていたより多くの人が集まった。隣村との境界あたりに住む農民も「こんな楽しいこと、久しぶりだ」とやって来る。
広場では、即席の太鼓を叩く音がにぎやかに響き、古くから伝わる舞踊を好む年長の女性たちがゆったりと舞台で踊ってみせる。見物人が手拍子をして、子どもたちははしゃぎ回る。
「うわーっ、お菓子だ、お菓子だ!」
エリアーヌの屋台に駆け寄る子どもたちの歓声が上がる。「どんな味がするの?」と興味津々の顔に、エリアーヌは緊張しながら小さく切ったお菓子を一人ひとりに手渡した。
「わ……甘い! なんか果物の香りがする!」
「エリアーヌさんが作ったんだって! すごいな!」
褒められ慣れていない彼女は、ぽかんと口を開け、顔を真っ赤にしながら笑っている。
「い、いいの? 本当に美味しい? 失敗作じゃない? うう、よかった……!」
リュディアは自分の屋台を半ば隠れるようにして眺めていたが、どうにも甘い香りにつられて近づいてくる。
「べ、別に甘いものが目当てってわけじゃないけど……少し味を見てあげるわ。確かめるだけよ」
誰も突っ込まないのに、やけに言い訳が多い。エリアーヌが差し出したお菓子を口にすると、その表情はパッと華やいだ。
「……すごく美味しい。意外とセンスあるじゃない。……いや、べ、別にお世辞じゃなくて、事実を言っただけよ」
ツンと顔を逸らすが、周囲はその微妙な照れを見透かして穏やかに笑っている。
◇◇◇
祭りの喧騒がいったん落ち着いた夕暮れ時、ユイスはふと一人になりたくなり、広場の端にぽつんと立つ。舞台では素朴な音楽が続き、焚き火のオレンジ色の光が村人たちの笑顔を照らし出していた。
(もしフィオナがここにいたら……)
胸の奥に小さな痛みが走る。ユイスの脳裏には、ほんの少しの違いで救えたかもしれない幼馴染の姿がよぎる。彼女と一緒にこの景色を見れたら、どんなに良かっただろう。
それでも、今は過去の嘆きに沈みきれない。テラが子どもの手を引いて笑顔を見せ、ボルドが「こっちにも食べ物があるぞ!」と呼び込みをしている。あの風景そのものが、ユイスの決意を後押ししてくれるようだった。
(俺はもう何も失わないようにしたい。ここで得た数式魔法の実証――それが、誰かを救う力になるなら)
そんな思いを抱きながら、ユイスは少しだけ顔を上げる。群青色の空には無数の星が瞬いていた。
◇◇◇
夜も深まりかけ、村人の多くは焚き火の周りで談笑している。その裏手――わずかな物陰の場所で、誰も気づかぬように低い声が交わされていた。
「ふん、あれだけ騒いで浮かれている……ちょうどいい。おまえたちには、次の手を打ってもらう」
クラウス・エグレットがそう囁くと、相手らしき人物が一礼したような動作だけ見せる。すぐに夜闇に溶けて姿を消す。
「これまでの取り組みなど、ただの道楽だ。多少うまくいこうが、結局は圧力をかければ崩れる。……我らが得るべき利益を損ねるまい」
彼は冷たい目をして、かすかにほくそ笑む。遠くからは村人の楽しそうな声が小さく聞こえていたが、クラウスの表情にはまるで別の計算だけが浮かんでいる。
「好きに騒ぐがいい……本当の勝負は、これからだ」
そう呟いて踵を返すと、彼の足音は祭りの陽気から離れるようにゆっくりと消えていった。祭りの熱気とは裏腹に、小領地には新たな不穏が漂い始めている――まるで、次の嵐を予感させるかのように。
──
こうして、ほんの小さな収穫祭は住民の笑顔と共に幕を引きかけていた。明かりが落ち着き始めた広場に、ユイスが最後まで残っている。
疲れはあるが、不思議な高揚感が胸の中に満ちていた。仲間たちが作り上げた温かな空間。それを守るためにも、これから先に控えるであろう激しい妨害に負けるわけにはいかない。
ユイスは夜空を見上げる。少し遠くでエリアーヌやトールたちの笑い声が聞こえるのを耳にしながら、手にしたノートを胸に抱きかかえた。
今夜は穏やかな火と、笑顔がある。ユイスはその温度を大切に刻み込みながら、村の明日に向けて一歩を踏み出そうとした。




