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21. 住民の協力

 朝の陽光が小領地の村道を照らし始める。かつて淀んだ空気が漂っていたこの一帯が、今は活気を帯びたざわめきに包まれ始めている。


 ◇◇◇


 トールとボルドが、一緒に水路拡張の工事現場で土を掘り返していた。


「よし、こっちはもう少し掘り下げるぞ! 水の流れをスムーズに通すんだ」


 トールが恰幅のいい腕を振るい、土を次々にすくい上げる。ボルドも力自慢なら負けていないとばかりにスコップを振る。だが、やはり地面は思ったより固く、作業は進んだり滞ったりを繰り返す。


 少し離れた場所ではテラが鋤を握りしめ、畑の区画整理を手伝っていた。


「ユイスさん……この土をやわらかくする魔法、もう一度試してもらえませんか?」


 遠慮がちに声をかけたテラの表情は、先日までの不信の色がだいぶ薄れている。


 ユイスはノートを開き、さらさらと指先で数式を書き込むように空中をなぞる。自分が編み出した術式リライトと、ごく簡易的な位相合わせを組み込む形で短い呪文を紡いだ。


「これは土壌の粘りをほぐすだけの、比較的弱い術式だ。危険はないから、慣れればテラたちも使えるはずだよ」


 呪文を短く口にすると、足もとにわずかな振動が走る。テラが鋤で土をすくうと、先ほどまでより柔らかく感じるのか、驚き混じりに目を輝かせた。


「すごい……こんなふうに、少し軽くなるだけで作業がずいぶん楽になりますね。あたしでも真似できるようになったら、畑だってもっと広げられそう」


 嬉しそうに土を握りしめるテラに、ユイスは少し照れながらうなずく。


 川沿いではトールの声が響いていた。


「うおおっ! これならまだまだ余裕があるぞ! ボルド、もっと向こうまでやっちまおうぜ!」


 ふだんは小回りが利かず、大雑把なところもあるトールだが、こういう肉体労働の場では人一倍輝くらしい。住民の若者も、彼の熱意に引きこまれるようにスコップを振り上げ、一気に工事を進めていく。


 ◇◇◇


 村を巡回するシェリー・エグレットは、土や水が入り混じる匂いを感じながら、その光景をしばらく眺めていた。


 彼女の中にはまだ戸惑いがあった。最初、王族レオナートから派遣されたユイスたちが「数式魔法」とやらで領地を改革すると聞いたときは、正直無謀だと思っていたからだ。


「こんな短期間で、ここまで進むなんて……」


 しきりに土をもんでみせるテラ、豪快に笑うトール、そして指示を出して回るユイス。どこかで本気じゃないのではないか、と警戒していたはずが、今のシェリーの目に映るのは疑いではなく純粋な驚きに近かった。


 隣り合わせに歩くリュディアが軽く微笑む。


「私も最初は『落ちこぼれたちが何ができるのか』と半分疑っていた側なんです。でも、結果はご覧のとおり。実は彼ら、やるときはやるんです!」


「……そう、ですね。思いのほか地道に働いているところを見ると、私が見くびっていたのかもしれません」


 シェリーは苦笑いを浮かべる。その横顔からは、もう完全な警戒心は感じられないようだった。


 少し進むと、レオンが地図と古文書を広げ、村の年配者たちと何やら話し込んでいる。


「このあたり、昔はもっと大きな川が流れていたみたいなんです。埋まった水脈を取り戻せば、畑や田が一斉に潤う可能性がある……って書いてあるんですよ」


 皮肉屋のレオンだが、いざ本を開くと別人のように生き生きと語る。年配者も興味深そうに地図を覗き込み、「確かに昔のじいちゃんは、あの辺りに広い川があったと言ってたっけ」と思い出すように頷いていた。


 ◇◇◇


 一方、エリアーヌとミレーヌは村人が集まる小さな倉庫の前にいた。


「軽い擦り傷なら、これで少し治りが早くなると思います。一応試作品なので、何かあったらすぐに教えてください…!」


 そう言って小瓶の回復薬を渡すエリアーヌの声は、いつものように少し震えている。だが、渡された村人は「こんなありがたい薬を、ただでもらっちまっていいのか?」と恐縮しつつ、満更でもない様子だ。


 隣に立つミレーヌは、商人の視線で物資を確認していた。


「倉庫に眠っている古い工具がありますね。これ、改造すれば使えるかも……あと、新しい農具はこのルートで仕入れたほうが高く売りつけられないはずです」


 小声でシェリーに提案を並べるミレーヌ。緊張しやすい性格のはずだが、物資や商談となるとやたら生き生きとしている。その姿を見て、シェリーも興味深そうに耳を傾けた。


 ◇◇◇


 ある程度の作業を終え、ユイスはひとりで水辺の小さな岩場に腰を下ろした。ノートを開き、今日の進捗をさらさらと書き込む。


「水量は多め……魔法の維持コストも上手く抑えられている。これなら大規模な灌漑計画も狙えるかも……」


 ページに記された数式は、以前のごたごたした走り書きよりも整然としている。改良を重ねるうちに、余計なルーチンを取り除く技術が身についたのだろう。


 ユイスはふと、ノートを閉じ、遠くの畑を見つめる。そこには笑顔で働く村人の姿がある。テラやボルド、トールたちが談笑しながら作業を進める光景に、ユイスの心はなぜか落ち着く。


(もしも、もっと早くにこの技術を完成させていたら、フィオナは助かったのかな)


 自分自身に問いかけるように、心の中で呟く。かつて失った存在が、成功を重ねるほどに重く胸に押し寄せる。だが、すぐに頭を振って立ち上がった。今は感傷に浸る暇はない。


「もっとやれることがある。ここで立ち止まってたら意味がないからな……」


 ユイスはノートを抱え直し、現場へ戻っていく。


 ◇◇◇


 夕刻が近づくと、村の何人かが「久々にちゃんとした夕食を作れるかもな」と冗談めかして笑い始めた。灌漑や土壌の改善により、この日の農作業は普段よりスムーズに進んだからだ。


 作業を終えたトールが大きく伸びをする。


「ふぅー……これで完成じゃないけど、今日はずいぶん進んだよな!」


「マジで貴族のやることってもっと偉そうにふんぞり返るだけだと思ってたけど、あんたらは違うんだな」


 周囲の若者も、軽口を叩きながらトールと拳を突き合わせる。


 一方、リュディアは転びかけた村人を慌てて支えたり、傷んだ足首の手当をしたりと、最後まできめ細かな気配りに余念がない。


「ちょっとした魔法ですが、しばらくは安静にしていてくださいね」と優しく言い添えると、村人は「あ、ありがとう……」と恐縮しながらも、少し心を開いた笑みを返す。


 ◇◇◇


 夜が近づくにつれ、村のあちらこちらで小さな明かりが灯る。埃まみれだった集会所には、心なしか温かな光と会話の声が戻ってきたように感じられた。


 その様子を確かめるように、ユイスたちは最後に集会所に集まる。軽く顔を見合わせると、自然に笑みがこぼれた。


「最近は不穏な噂に悩まされたけれど、こうして住民のみんなと一緒に作業できて……成果が出てるのが分かるな」


 エリアーヌがささやくように漏らす。その声には安堵が混じっていた。


「油断は禁物だけどね。けど、今日だけは少し喜んでもいいんじゃない?」


 ミレーヌが控えめに微笑むと、レオンがぶっきらぼうに腕を組む。


「ま、あのときほど殺伐としてはいない。今は水路も畑も少しマシになったし、住民の顔色が違うからな」


 シェリーが重い書類を脇に抱えながら、そっと彼らの会話に加わる。


「皆さん、今日は本当にお疲れさまでした。私が見る限り、村全体がひとまず前を向いているように思えます。こんな日がずっと続けばいいんですが……」


 それは本音だろう。ユイスは彼女の横顔を見て、小さくうなずく。


「ここからが本番だと思います。住民と協力して成果をもっと大きくして、保守派にも言い逃れできないくらいの“実績”を作らないと。俺たちの数式理論が、ただの机上の空論じゃないって証明するために」


 そして、ふいに思い出すのはフィオナの面影——。しかし、今は黙って心に押しとどめ、ただ先へ進む意志を固める。


 ◇◇◇


 夜に入る頃、村のあちこちで「なんだか久しぶりにぐっすり眠れそうだ」「畑仕事がこんなに捗ったのは何年ぶりだろう」という声が聞こえ始める。


 集会所のすぐ外ではトールとボルドが「明日も頑張ろうぜ!」と手を叩き合わせ、テラはエリアーヌに回復魔法のコツをもっと教わりたいと目を輝かせていた。


 ユイスはその光景を見渡して、ほんの少し息を吐く。


「今日はこれで一区切り、かな……」


 ほんの小さな成功の余韻を、ユイスたちは静かに味わいながら、明日に向けてまた動き出そうとしていた。

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