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19. 簡易魔道具

 夕暮れの色がすっかり町外れの集会所を包み込むころ、ユイスは木の机に広げたノートを手で覆い、一度深呼吸をした。朝から立て続けに領地の状況を調査し、仲間たちの様子も見て回ったうえで、次に試すべき実験の段取りをまとめていたのだ。


「今日のところは、これで一通りメモできたかな……」


 弱々しいランプの明かりが、文字や数式をぎっしり書き込んだページを照らしている。インクはところどころ滲んでおり、どれほど急ぎで書きつけたかを物語っていた。


「ユイス、そろそろ休まないか? ずっとノートと睨めっこしてるだろ」


 後ろから声をかけたのはトールだ。彼は集会所の入口を片付け終えたらしく、両腕にほこりをまとわせたまま、まぶしそうにランプを見つめている。


 ユイスは目の下をこすりながら微笑んだ。


「もう少しだけ……明日の実験の準備を頭の中で整理したい。ちょっとした浄水用の魔道具を仕上げられそうなんだ。うまくいけば、泥や細菌を分解できるはずで……」


「おー、そいつはすごいじゃねえか。今度こそ、住民の人にも役立つ成果になりそうだな」


 トールが朗らかに笑うと、ユイスも気持ちが少し軽くなる。初日の失敗は痛かったが、このままくすぶっているわけにもいかない。


 ◇◇◇


 翌朝。まだ日も昇り切らないうちに、ユイスたちは再び集会所へ集まった。


 木造りの扉を開け放ち、通りからも様子が見えるようにする。今日は「浄水魔道具の試作品を試す」と住民に宣言してあり、実際に見に来る若者や子どもたちがいるのだ。


「これが完成品……ってほどじゃないけど、試しに使ってみてほしいんだ」


 ユイスはテーブルの上に、大小の円筒形をいくつか並べる。外見は素朴な木の筒に見えるが、内側の仕切りには数式を刻んだ薄い板が何重にも重なっていた。


 表面には小さな宝石状の核がはめ込んであり、そこを指で押し込むようになっている。


「朝っぱらから、何をする気だ?」


 ボルドが興味津々の様子で覗き込む。彼は腕っぷしは強いが細かい魔術理論は苦手らしく、未知の道具に少し緊張しているようだ。


 ユイスはノートを開きながら説明を始める。


「水を入れてここを押すと、魔力が円筒の内側で弱い波になって重なる。土やゴミをなるべく下へ沈殿させ、微生物はなるべく引きはがす……ようなイメージだけど、実際にはまだ完璧じゃない。まずはやってみよう」


 テラが、小さな桶に入った濁った水をおそるおそる持ってくる。


「これ、少しだけど、家の裏の水たまりから汲んできたやつ……こんな泥水でもいいのかな」


「うん、ちょうどいいと思うよ。試すには十分だ」


 ユイスがそう言うと、トールが代表して筒に水を注ぎ込み、宝石の部分をグッと押し下げる。最初は何も起こらないように見えたが――数秒待つと、なにやら内部で淡い光が動き始めた。


「あれ……?」


 しばらくしてトールが目を見開く。最上部に溜まった水がうっすらと透明度を増しているのだ。もちろん、完璧に澄んでいるわけではないが、桶の泥水と比べれば一目でわかるほど明るく見える。


「すげぇ……完全に飲める水ってわけじゃなさそうだけど、こんな仕組みがあるのか?」


 ボルドが思わずそれを両手に取ろうとするが、ユイスが慌てて止める。


「待って。注ぎ口から少しだけ外へ出してみよう。これで上澄みを容器に移せば……」


 エリアーヌが器を差し出すと、筒からちょろちょろと水が出てくる。その水は確かにやや透明度が増し、茶色い不純物が減っているのがはっきりわかる。


「うわあ……」


 テラが声もなく見つめる。


「これ、本当に一晩で作ったの? もしもっと効き目を強くしたら、私の妹も、汚い水を飲まなくて済むのかな……」


 ユイスは照れくさそうに首を振る。


「いや、一晩じゃないよ。魔法理論を工夫して、昨日からずっと考えてたけど、まだ不十分。微生物の分解まで狙ってるけど、演算量が足りなくてね。でも、ある程度は汚れを減らせるから、病気になるリスクは下がるはず」


「なんだか、貴族が使う大火力魔法とは全然違うんだな……。でも実用的というか、暮らしに直結するタイプの魔法だ」


 ボルドが感心したように呟く。その言葉を聞いたほかの住民も、神妙な面持ちで筒を見つめる。


 ◇◇◇


 しばらくすると、エリアーヌが集会所の奥から出てきた。彼女は白い布に包まれた何かを抱えている。


「ごめんなさい、緊張してうまく説明できるかわからないんだけど……みんなが元気で過ごせるように、簡単な回復アイテムを作ってみたの。もちろん、大怪我や重い病気には効果ないけど、軽い擦り傷や痛みなら少し和らげられると思う」


 住民たちの視線が一斉にエリアーヌに集まる。その中から一人、腕に怪我をしている若い男が「ちょっと試していいか?」と近づいてきた。


「え、ええと……このシールを患部に貼り付けて、そこに少し魔力を流し込む感じで……」


 エリアーヌは急いで説明しようとするが、言葉がたどたどしくなる。そんな彼女を見て、トールが陽気な笑みを向ける。


「落ち着けって。エリアーヌ、おまえが作ったんだから、自信持っていいだろ」


「う、うん……わかった。じゃあ、これをここに……」


 男の腕に小さな円状のシールを貼り、指先をあてがうと、うっすらと温かい光が走る。男は少し驚いた顔をしたあと、痛みがいくらか和らいだかのように腕を動かしてみせる。


「おお、痛みが少しマシになったかも……ホントに大した怪我じゃないけど、地味に痛くて困ってたんだ。すごいな、これ」


 そう言われると、エリアーヌは顔を赤くしてうつむく。


「よかった……ほんの一時的な効果だから、気休めに近いんだけど、使わないよりはいいと思って……」


 そのやり取りを見ていた住民の一人が眉をひそめる。


「でも、こんな便利なものを、ただで配るなんて……貴族ってのはもっと偉そうにふんぞり返ってるもんだと思ってたが……」


「うん、試作品だからね。みんなにも協力してもらいたいんだ。使い勝手とか、効果がどれくらい続くかとか、そういうデータを知りたいから」


 トールが大きな声でフォローする。すると周囲の住民が口々に「なるほど……」と頷き始める。


「貴族が偉そうに構えてばかりじゃ、こんな魔法は生まれなかったのかもな」


「試作品ってことは、まだまだ改良の余地があるってことか。面白いじゃないか」


 ◇◇◇


 その光景を少し離れた所から見ていたシェリー・エグレットは、小さく息をつく。


「生活を便利にする魔法……確かに、これまで聞いたことがありませんでした。大抵は戦闘や儀式ばかり重視されるものなのに」


 ユイスの脇で、レオンが本を閉じて肩をすくめる。


「まあな。血統主義の連中にとっては、大火力こそ価値があると思ってるからな。こんな地味な道具は“まやかし”と馬鹿にされるかも」


 シェリーはその言葉に小さく笑ってから、周囲の住民へ視線を戻す。先ほどまで硬い表情だった彼らが、エリアーヌやトールと話すうちに、少しずつ笑顔を見せている。


「でも、現にこうして住民の心が揺れ始めている。それだけ、日々の暮らしに役立つ術式が求められていた証拠かもしれません」


 ◇◇◇


 テラは筒の中をじっと見つめ、こぼれそうな声でボルドに話しかける。


「もし、これがもっと安定してくれたら……うちのおじいちゃん、水を飲むたびに熱を出しちゃうのが少しでも減るかも……」


 ボルドは答えずに、しっかりとテラの肩を抱く。その視線の先、ユイスは筒に刻まれた数式を指先でなぞりながら、何やら新しいメモを取り始めていた。


「うーん、もうちょっと演算の順番を変えれば、泥の沈殿効率が上がるかもしれない。あとは微生物の殺菌に近い効果をどう足すかだけど……」


 そのひとりごとの意味を理解できる住民はほとんどいない。しかしユイスが真剣に考え込む姿を見て、周囲は何となく「あの少年は本気なんだな」と感じ取るのだった。


 ◇◇◇


 しばらくして、エリアーヌがライト系魔法ツールも配り始める。杖ほど大袈裟ではない、小さなペンダント型の試作品。手の平ほどの大きさで、ほんのり光を放つ仕組みになっている。


「夜に周囲がまったく見えなくなると不安だって言う方が多かったので……これもまだあまり光量はないんですけど、暗い道を歩くときの補助にはなると思います」


 住民のひとりが半信半疑で受け取って、指先で触れると、柔らかな光がわずかに強くなる。


「おお……これなら、仕事で帰るのが遅くなった時にも役に立ちそうだ」


「試作品だから、壊れたらごめんなさい。でも使ってみて感想を聞かせてほしいんです」


 エリアーヌが小声で伝えると、その住民は目を丸くして笑った。


「なんだ、意外と庶民的な話し方をするんだな……じゃあ、俺がしっかり実験台になってやるよ」


 ◇◇◇


 屋外へ出ると、朝の日差しが村全体を照らし始めていた。まだ小さな成功かもしれない。それでも、住民たちの目に光が宿り始めているのが分かる。


 シェリーは静かに息をつめて、ひとりごちる。


「これまで血統至上主義に振り回されてきた領地だったけれど……こんな形で貴族以外の人が、しかも弱い魔力だと蔑まれていた人たちが、村を救おうとするなんて」


 ユイスはノートを抱えたまま、小さく頷く。


「自分が弱いからこそ、何とか工夫して、理論を最適化してみせます。まだ試作段階だけど、必ずもっと良い形にします。そうじゃなきゃ、ここに来た意味がないから」


 そう言う彼の瞳には、小さく燃えるような決意が宿っていた。


 その向こう、集会所の軒先からこちらを冷ややかに見下ろす影がある。クラウス・エグレットは腕を組んだまま、静かに鼻で笑うだけで何も言わない。


 しかし、その視線は確かに不穏な気配を孕んでいた。まるで「そんなもの、たかが遊びだ」と言わんばかりの否定。


 ユイスは気づいた様子はないまま、テラやボルド、エリアーヌたちと次の改良点を話し合い始める。


 温かな光が差し込む中、住民の希望もゆっくりと芽吹き始めていた。

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