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6. 数式魔法の可能性

 朝日の差す道をひたすら歩いていると、どこからか炊きたての穀物の香りが流れてきた。鼻孔をくすぐるその匂いに、胃が小さく鳴る。けれど今の俺には寄り道をする気分はない。村を出るとき、最低限の食料と水、それに道具類は用意したから当面は不自由しないはずだ。


 それでも、村を出たばかりの一人旅というのは予想以上に静かだった。田畑が広がる光景はさほど変わらないはずなのに、見慣れた景色が少しずつ遠ざかっていく。それに、耳に届く音もずいぶん違う気がする。いつもの村犬の鳴き声や、フィオナのやわらかな笑い声――そんなものはどこにもない。踏みしめる土の感触だけがやけに生々しい。


「ここから先、どう変わっていくんだろうな」


 自分に問うようにつぶやく。答えはない。けれど、拳を握るたびに墓前での誓いが蘇ってくる。あの子を救えなかった無力と、領主カーデルへの強烈な怒り。それが混ざり合い、胸の内で煮えたぎるような感覚に変わる。行く先には学園が待っている。その場で数式魔法を磨けば、俺はきっと……。


 足元に小石が転がっていた。無意識に、その小石を軽く蹴り飛ばす。石は土の道をコロコロと転がり、先のほうで草むらに消えていった。その瞬間、かすかに違和感を覚える。草陰の先から微弱な光が揺れているように見えた。


「魔導ランプ……?」


 俺は小走りになり、その草むらをのぞき込む。すると、ちょうど背の高い男が青ざめた顔でこちらを見上げている。浅黒いジャケットに汚れの目立つパンツ。そばには小さな荷車があって、商品と思しき袋や箱が詰め込まれていた。


「あの、大丈夫ですか?」


 声をかけると、男は情けない笑い方をして肩を落とす。よく見ると、彼の手元で古びた魔導ランプが淡く明滅を繰り返していた。まるで息が途絶えそうな蛍みたいだ。


「いやあ、参りました。すっかり光量が落ちてしまって、移動の途中で足元が見えなくなりそうなんです。魔物が出ると困るのに……まさかこんな荒地でランプが壊れるなんて」


 彼の苦笑を受けて、俺はごく軽く首を振る。ここがまだ荒地というほどでもないが、夜になれば街道の外れに魔物がうろつく可能性もあるだろう。光源がなければ、気づいたときには襲われているかもしれない。


「行商人の方ですか?」

「ええ、ラッドといいます。王都ラグレアへ向かってるんですが、途中で光量が急に落ちましてね」


 ラッドと名乗る男が、道端に腰を下ろしたままランプを手のひらで叩く。すると、一瞬だけ光が強まった気がしたが、またすぐに揺らめいてしまう。彼は困ったように笑って首をかしげた。


「こんな古いランプでも、うまく使えばあと少しはもつはずなんですけどね。魔術式の接続がおかしいのか、あるいは魔石の埋め込みが……あれ、あなた、もしかして詳しい?」


 俺がランプをじっと見つめていたせいか、彼は視線を向けてそう尋ねる。俺は無言で手を差し出すと、そっとランプを受け取った。外側の装飾は錆びかけていて、握り込めば粉がぽろりと落ちる。けれど肝心なのは内部の魔術回路だ。底の部分に小さな魔石が埋め込まれている。


「接合面にヒビがある。そこの小さなクラックから魔力が漏れてる。……ふむ、魔方陣もほとんどメンテナンスされてないな」


 ごく自然に調べながら口を動かす。かつて村で夜な夜な行っていた実験を思い出すと、こうした故障の原因は見当がつく。魔力を流すための術式パターンが冗長で破損しやすい上に、定期的な修繕をしていなければ、一気に機能低下が起きる。


「俺に修理させてください。道具が少ししかないから一時しのぎになるくらいかもしれないけど」

「本当ですか! でも、お礼をお支払いする余裕はあまり……」

「いえ。お礼は要りません」


 視線を下げ、腰袋から小型の刻印用ナイフや粉末状の魔法触媒を取り出す。こういうときに限って準備をしておいてよかった、と少しだけ自分を褒めたくなる。村で研究を続けてきた夜の数々が、こんな場面で役に立つのだ。


「ここにあったはず……」


 手作りノートを取り出して、何度も失敗した末に完成させた“簡易刻印術式”の走り書きを確認する。行商人ラッドが目を丸くして覗き込んでいるが、気にせず動作を進めた。削れかけた魔石の表面を軽く研磨し、ヒビの部分に微量の触媒を振りかける。そしてノートを見ながら、最適な“部品”だけを残すように魔方陣を削ぎ落としていく。


「お、おい……何を削ってるんだ?」

「大丈夫です。ここの部分は無駄が多い。魔力効率がかえって落ちるから」


 削るたびに、カリカリという音が魔石の奥から響いているように感じる。これは血統魔法ではなく、俺が組み上げた数式魔法のアプローチ。詠唱や呪文に頼らず、術式を部品化して最適化するやり方だ。


 数分かけて、微調整を終える。次に、タテやヨコへ細かく刻んだ刻印が、魔石のエネルギーを正しく流すための“道筋”になるようパターンを描き直す。少しでも演算を誤ると暴発しかねないが、幸いここまでの実験の蓄積がある。もう手が勝手に動いてくれるくらい慣れていた。


「ふう……、よし。これで試してみてください」


 魔道具の底部をそっと閉じ、ラッドにランプを渡す。彼は半信半疑といった顔つきでスイッチのような部分を押し込む。瞬間、淡かった光がじわりと増幅し始めた。まるで息を吹き返したかのように、魔石が輝きを取り戻していく。ラッドがまじまじとランプを見つめ、ぽかんと口を開いた。


「すごい……! 本当に光が戻った! それに前よりも安定してる。魔力の消費もなんだか抑えられてるような……」

「たぶん、これで夜中でも平気なはずです。接合ヒビは応急処置だから、あまり乱暴に振らないでくださいね」

「いや、もう十分! こんなに調子がいいなんて信じられないですよ!」


 ラッドは嬉しそうにランプをかざし、明るさを確かめるように振ってみせる。思わず俺は心臓が止まるほどヒヤリとするが、どうやら平気らしい。彼があまりに喜んでいるから、注意するのも躊躇ってしまった。


「あなた、何者なんです? まさか貴族か何か……いや、そんな風には見えないけど」

「……王立ラグレア魔術学園に行く途中で」


 ラッドは目を輝かせて、さらに食いついてくる。


「学園の……! こんな技術を身につけるなんて、まるで変わり者の天才じゃないですか!」


 変わり者――否定できない。魔力が低いせいで血統魔法を真っ向から習得できなかった俺は、代わりに前世の”ここではない世界の知識”をヒントに数式魔法を組み上げようと必死だった。その大半は夜な夜なの実験で灰に帰ったし、多くの村人は俺を“狂気じみている”と恐れた。でも、結果としてこうして壊れたランプを直すくらいはできるようになったのだ。


「ところで君、どういう風の吹き回しで学園へ? 貴族向けのイメージが強い場所だが……」


 ラッドが目を細める。彼の問いには答えづらい部分もあるが、軽く言葉を選ぶ。


「一応、特例で採用されたみたいです。論文……というか数式魔法のアイデアを評価されたとか」

「ほう。なるほど。どうりで普通じゃないわけだ」


 チラリと、自分のノートを見下ろす。そこには走り書きがびっしり詰まっている。それは未完成だけれど、もしあのとき領主の許可を待たずに高度な治療を施せる術式が組めていたら――今頃フィオナは笑って隣にいてくれたかもしれない。そんな淡い期待と後悔が、常に頭の片隅にこびりついている。


 だからこそ、学園でさらなる理論を築き上げる。貴族の制度なんて蹴散らしてやる。俺は拳を軽く握って深呼吸をする。そんな俺の様子を察したのか、ラッドは「何かあったんですか?」と声を下げてきた。


「……まあ、色々あって。とにかく学園へ行って、力をつけたいんです」

「なるほど。誰かを救いたいとか、変えたいものがあるとか……そんなところかな?」


 ラッドがわずかに笑う。俺は答えず、その視線を逸らすようにわずかに首を振る。彼はそれ以上は踏み込まなかった。


 そのかわり、荷車のわきにあった小さな麻袋を取り出し、俺に差し出す。


「実は大した礼ができる身分じゃないが……ここに干し肉と少しばかりのパンがある。遠慮しないで受け取ってくれないか。光を取り戻せたおかげで、これから夜道も安心だし、本当に助かったからね」

「いえ、そういうのは……」

「頼むよ。俺の気持ちでもある。おかげで王都までの荷物を無事に届けられそうなんだ」


 彼の表情は真剣だった。断るわけにもいかず、俺は礼を言って手に取る。旅の道中、いくらあっても食糧は困らない。それに彼の正直な好意を踏みにじるわけにはいかないと感じた。


「ありがとうございます。では、いつか学園で有名になったら、そのときは改めて」

「あはは、そうだね。ぜひ“数式魔法の天才”なんて呼ばれるようになってくれ。そしたら俺は自慢するんだ。『あのユイスに修理してもらったことがある』ってさ」


 微妙にふざけ半分にも聞こえるが、ラッドの目はどこかまっすぐだ。彼はにこやかに笑ってランプを再度点検し、そっと胸に抱え込む。少し照れるような気分だが、なぜか温かいものが胸の奥に広がった。


「ところで、王都に行くならもう少し道を北へ行くと大きな街道に出るよ。そこを東に向かえばラグレアの門が見えてくる。迷わないようにな」

「わかりました」

「王都ラグレアは広いぞ。貴族だの商人だの、色んな連中がひしめいていて、何もかもが金次第の場所だからね。でも君ならきっと大丈夫だろう。……そういう目をしてるから」


 冗談ともつかない言葉に、俺は「そうかもしれませんね」とだけ返す。ラッドは小さく笑って、荷車の荷物を軽く整え始めた。そろそろ彼も出発するらしい。


「何か困ったらまた声をかけてくれ。道すがらに俺の行商セットが役に立つこともあるかもしれないし」

「そうですね。そのときは頼りにします」

「迷わないようにな、ユイス。……俺はもう迷わないなんて言えたもんじゃないが、君ならやれる思う」


 別れ間際にそう告げたラッドに、「ええ、大丈夫です」と短く応じる。心にはすでに決意が固まっている。フィオナを失ったときに生じた暗闇のトンネルも、今はわずかに光が見えている気がした。俺にとっては、もう引き返す余地はないのだ。


「ありがとう、ラッドさん。お互い気をつけて行きましょう」


 ラッドが軽く手を振り、荷車を引いて草むらから抜け出していく。その背中を見送りながら、俺はあらためて旅の再開を意識する。


 道なりに北へ行けば、やがて王都への大路に合流するはずだ。そこから先は学園のあるラグレアの街並みが待っている。あの村とはまるで違う世界が広がっているに違いない。試されるのはこれから。


 俺は乾いた土を一歩踏み締め、まっすぐ前を向いた。行商人からもらったパン袋に視線を落としながら、フィオナの笑顔を思い浮かべる。もし“もっと早く”同じ技術を完成させられていたら、彼女の体力も延ばせたのかもしれない。そう悔いるたびに、胸の中の炎は強くなる。


「学園で全部を証明してみせる。誰も守れないなんて、二度とごめんだから」


 呟きは誰に向けた言葉でもない。だけど、頬を打つ風に乗って飛んでいった気がした。村の外れを出たあの日から、少しずつ景色が変わっていく。遠くには大きな街の影が見える。きっとそこから先はもっと人が増え、道もにぎやかになるのだろう。


 しかし、その賑わいの奥にあるのは、フィオナを殺したこの国の歪んだ仕組み。それを壊すための手段を、俺は必ず身につける。そう誓うと、自然と足どりが力強くなる。


 “俺はもう迷わない”。


 ラッドの言葉を胸中で反芻しながら、まっすぐ大路を目指す。田畑がじわじわと減り、建物が徐々に増えていくにつれ、空の色も心なしか変わって見える。たった一人の旅だけれど、俺に立ち止まる余裕はない。


 進む先には広い世界が待っている。それを越え、さらに先へ――この炎を糧にして、数式魔法を極める。その先にきっと、俺の望む光があるはずだ。


 やがて道の先に中規模の町の門が見え始めた。石造りのアーチが田舎にはない威圧感を放っている。大通りを目指す人々がちらほら行き交い、荷車を引く馬の嘶きも聞こえた。少し心が踊るのを感じながら、俺は小さく息を吐く。


「行くぞ……ここからが本番だ」


 ほんの少しだけ空を見上げる。その先には広がる大きな青。決意を新たに足を踏み出すと、周囲の雑踏がだんだんと耳を満たしていった。だが、そのにぎやかさに気を取られることなく、俺の心はただ前へ、前へと進む。

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