18. 小さな進展
トールが肩で息をしながら扉を開けたとき、ユイスたちはすでに集会所の小さな机を囲んでいた。朝早くから水路修繕を試みた昨日の失敗が頭をよぎるらしく、どことなく空気が重たい。それでも「話し合う時間が必要だ」とシェリーが場所を用意してくれ、皆で具体的な方策を整理する場面を設けることになった。
「いやあ、やっぱり住民はそう簡単に動いてくれないな…」
一番に声を上げたのはトールだ。夜明けと同時に村人へ協力を呼びかけに行ったのだが、「今さら貴族に力を貸しても」という冷淡な反応が多かったらしい。それでも強く懇願した結果、「まぁ様子を見るくらいなら…」と渋々と応じる若者が数名いた。トールがその話をするたび、「それでも前進したじゃないか」とポジティブに捉えようとする声も上がるが、本人は悔しげに拳を握りしめる。
「最初から期待してないんじゃ…ってあきらめられるほうが、よほど後味が悪いよ」
トールの言葉にエリアーヌが俯いて小さくうなずく。彼女はこの集会所に来る前、村の一角で子どもの怪我を簡単な回復魔法で手当てしていた。血統魔法ほどの威力はないが、それでも「助かったよ」と家族に言われると、彼女自身が救われた気持ちになれたという。
「でも、せっかく喜んでくれたのに…周りは『どうせ大した効果じゃない』とか『後で代金をふんだくるんだろ』って、散々言われたの。やっぱり、私たちのやることなんて信じてもらえないのかな」
そうつぶやくエリアーヌの指先には、回復術式を何度も試したのか、小さな火傷のような痕が見える。
「でも一人でも、受け入れてくれる人が増えたなら大きいわ」
脇で聞いていたリュディアが、淡々とした口調で告げる。軽い疲労を隠し切れず、頬が少し青ざめているが、それでも気丈な表情を崩さない。
「私もシェリーさんに人を紹介してもらって領内の巡回を回ったら、病気で寝込んでいるご老人が何人かいるって聞いた。血統至上主義の壁で、満足に医療行為を受けられなかった方も多いみたい…私の力は大したことないけど、少しでも回復手伝いをしたいと思うの」
“普段は強がりだけど、こういうときは真正面から突き進むんだな”とユイスは心の中で感心する。リュディアのことを少しでもわかってきた今、彼女の言葉には理屈ではない説得力があると感じていた。
◇◇◇
「物資については、ある程度あたりをつけました」
ミレーヌが持参した簡素なメモを広げる。彼女は朝から村外れの道具屋や、昔ながらのよろず屋を訪ね、どこで木材や石材を少しでも安く入手できるかを調べていた。
「ただ、保守派が裏で根回ししているのかもしれません。普通より高い見積りを提示されたり、そもそも『品物がない』って言われたり。けれど、中には『貴族に睨まれたら怖いけど、あんたたちが本気なら協力するよ』って言ってくれる人もいて…少しは道が開けるかも」
ミレーヌの声にはわずかな自信が混じる。彼女らしい躊躇いは消えないが、こうして資材不足の解消に一歩踏み出せたのは大きい。
「引き続き、仕入れ先を探します。値下げ交渉も頑張ってみますから、皆さんはその間に労力や人手をどう増やすか考えてくれると助かります…」
そう言い終わると、彼女はメモを片手に深く息をついた。極度のあがり症でありながら、一日でここまで調べ上げた行動力には目を見張るものがある。
「そしたら俺は引き続き、村の若者に声をかけてみる」
トールが気合いを入れ直すように胸を叩く。
「昨日は一度断られても、何度も頼めば気持ちが変わるかもしれないし…力仕事なら任せてくれってところを見せてやりたいからな。俺は手伝ってくれる連中をもうちょい増やしてくるよ」
横でレオンがページをめくりながら口を開く。昨夜から古い書物を読んでいるらしく、集会所の机にも年代物の記録が並んでいた。
「…昔、この土地には『灌漑用の大水路』があったらしいけど、先の先代領主がやめちゃったみたいだ。原因は費用不足と、定期的な土砂対策の手間が嫌だったとか…。つまり本格的にやるなら、廃水路を利用する方法を考えた方が早い気がする」
淡々と語るレオンにトールが目を丸くする。
「そんな水路、今どこにあるんだ?」
レオンは書物をぱたんと閉じ、「俺が現場を歩いて探してみるよ」と言葉少なに応じた。紛れもなく嫌々な態度だが、こういうときにレオンの博識は役に立つ。
◇◇◇
「あなたたち、本気でやる気なんですね」
一段落して休憩に入ると、奥からシェリーが姿を見せた。先ほどまで書類を抱えて走り回っていたのか、髪の乱れを気にしながらユイスたちを見回している。
「最初は失礼だけど…あんな荒れた水路を魔法で直すなんて、ただの机上の空論だとしか思えませんでした。今でも少しそう思ってます。でも、皆さん本当に動いてますね」
彼女は恥ずかしそうに言葉をつなげる。その態度は冷静を装っているが、わずかに頬が赤い。
「ここまで地道に動ける人たちを、見たことがなかったんですよ…領主は顔を出さないし、誰も助けてくれないのが当たり前でしたから」
隣にいたリュディアが微笑し、「私たちも最初は不慣れだから失敗ばかりよ。でも、一歩ずつ積み重ねるしかないわ」と優しく返す。シェリーが言いかけたところで、ふと窓の外に視線が向いた。
「…クラウス叔父さんが外にいるみたいです」
彼女の顔色が一瞬にして曇る。小さな窓から覗くと、確かに立ち話をする男性の背中が見える。鋭い目つきと細身の体格は村の者より際立っていて、「おまえたちが余計なことをしなければいいが…」とでも言いたげだ。
「保守派が動くかもしれません。あの人はいつだって何かにつけて、王族の命令に従うのを渋々と言いながら、裏で手を回しますから」
シェリーの声は小さいが、ユイスもトールも、その不穏さを敏感に感じ取る。それでも、ここで尻込みしては改革など進められない。ユイスが小さく鼻を鳴らすと、仲間たちの視線が自然に集まる。
「大丈夫。外で何を言われても、僕たちが今やることは変わらない。昨日はまだ成功に届かなかったけど、少しずつ動き出してるのは確かだ」
ユイスはノートを広げ、現状を大まかに書き込む。トールの見込み、エリアーヌの回復活動の成否、ミレーヌの資材交渉における問題点、レオンが調べようとしている過去の水路。どんなに細かなことでも、データとして集めれば次へ繋がるはずだ。
「住民全員を一度に巻き込むのは無理かもしれない。でも興味を持ってくれた人から少しずつ信用を築いて…結果を出していこう」
言いながら、ユイスは自分にも言い聞かせるように深呼吸する。初日の失敗で落ち込んでいる場合ではない。フィオナを救えなかった過去を繰り返したくないからこそ、ここで踏みとどまるしかないのだ。
◇◇◇
作戦会議が終わった頃、集会所の外では大人しそうな若者がトールの呼びかけに応じて集まっていた。とはいえ人数はまだ数名。それでもトールが声を張り上げて「一緒にやってみよう!」と熱心に説得する姿に、何人かは「まぁ…やってみるか」と返事をする。
その光景を窓越しに見つめていたユイスの胸には、微かな希望が生まれる。最初は冷淡に突き放されていた住民が、ほんの少しずつ顔を上げ始めている。
一方、エリアーヌはさっそく小さな回復魔法を練習するため、道ばたにいる子どもや軽い怪我人を探して声をかけているようだった。子どもが「すごいね、お姉ちゃん!」と目を輝かせると、エリアーヌは照れたように微笑んで「そんな大したことはないよ」と言葉を濁す。だがその姿に、隣にいた母親らしき女性も少しばかり安心した表情を浮かべた。
ミレーヌは経費の試算表を再度確認している。ときおり小さく震えながら、資材の価格を計算しては「この差額はどこから…」と頭を抱えているが、あくまで諦める様子はない。
レオンは一人で集落の周辺に足を延ばし、古い地形図や村の記録と見比べながら歩いている。廃水路がどこかに残されていないか、地面のくぼみを探しながら「めんどくさいな」とぼやきつつも、文字通り地道に調査を続けるのだろう。
◇◇◇
昼下がり、ユイスは集会所に戻ってきたシェリーの姿を見つけ、「皆、すごいですよね」と話しかけられる。
「本当に…昨日までは失敗ばかりで、少し落ち込んだりもしたけど、こうして手分けすれば意外と進むものなんだなって、僕も初めて実感してます」
シェリーは少し首をかしげて微笑する。
「何か特別な命令で動いているのかと思ったけど、みんな、それぞれ自分の意思で頑張っているんですね。私も協力したいけど、下手に叔父さんに動きを知られたくないし…」
ユイスは「無理はしないでください」と答えつつも、彼女が板挟みになっている現状を理解した。シェリー本人が味方になればそれだけ心強いが、保守派の圧力を真正面から受ける彼女が簡単には動けないこともわかる。
「ありがとう、シェリーさん。あなたもいろいろ大変だと思うけど…僕たちも結果を出すために必死です。だから見守っていてくれるだけでも十分力になる」
その言葉に、シェリーは少し恥ずかしそうに笑った。「はい…私にできる限りのことは、しますね」
◇◇◇
夕刻、部屋に戻ったユイスはノートを広げ、今日あったことを順番に書き込んでいく。トールが連れてきた住民は数名だが、前向きに補修作業を手伝ってくれそうだ。エリアーヌが施した小さな治療で、少しだけ村の空気が柔らかくなったと聞く。ミレーヌはやはり資材の目途を立てるのに苦戦しているが、一部の店主は条件次第で協力を検討してくれるらしい。
レオンは地形調査の途中で「使えそうな水路の痕跡を見つけた」と報告に来た。大掛かりな工事が必要かもしれないが、将来的には大きな意味を持つかもしれない。
それらをまとめながら、ユイスは静かに微笑む。昨日の苦い失敗が少しずつ、前進の糧になっている気がする。もちろん、問題は山積みだ。住民全体が味方に回ったとは程遠いし、資材確保も不確定要素が多い。クラウスの影も絶えずちらついている。
それでも、“やってみる価値はある”という実感が、ユイスの胸を微かに灯していた。かつてのフィオナを救えなかった悔しさを拭う術はまだ見えないが、それでも足を止めるわけにはいかない。
「よし…明日は、もっと進めよう」
ユイスはノートを閉じると、短い睡眠をとるべく息をつく。外はすっかり夕闇に沈んでいたが、村のどこかでは仲間たちがそれぞれ動いている。彼らが得た小さな進展が、明日には大きな一歩につながるかもしれない。そんな期待を抱きながら、ユイスは目を閉じた。




