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16. 小領地到着

 朝の淡い光が馬車の窓から射し込み、揺れる車内にすっかり馴染んでいた問題児クラスの面々が、次々と目を覚まし始めた。トールが大きく伸びをしながら、「あとどれくらいだ?」と呟く。するとリュディアが地図を手にしたまま、淡々と言葉を返した。


「今日の昼頃には着くわ。この辺りは領主の手が行き届いてないと聞いてはいたけど…実際、どんな有様になっているのかしらね」


 トールは新しい景色に対するわくわく感を隠そうともせず、「まぁ行ってみりゃ分かるさ!」と拳を軽く振る。エリアーヌは馬車の揺れで少し参っているのか、袖で額の汗を拭きつつ弱々しく笑っている。レオンは乗り物酔いとは無縁そうな顔で、窓の外を眺めながら「ま、荒れてるんだろうな…想像はつくけど」と冷めた声を漏らした。


 その横で、ユイスがわずかに表情をこわばらせる。荒れ果てた小領地——フィオナが亡くなる要因のひとつになった、あの理不尽な仕組みと、どこか重なる気がしていた。前に宿場町で魔物を撃退したこともあり、今は些細な自信も得たが、根本的に“社会を変える”という大きな課題がある以上、まだ気は抜けない。彼は自分の膝に広げたノートをそっと撫でると、小さく息をついた。


 ◇◇◇


 昼前に馬車が丘を越え、視界の先に広がったのは、まさに荒れ放題と言っていい風景だった。土の色はやけに白っぽく、手入れの行き届いていない畑があちこちに点在している。細い用水路らしき場所は土が崩れて水が滞っておらず、枯れ草が絡まったまま放置されているのが遠目にも分かった。所々に木の柵が設置されているが、折れたまま補修されていないようだ。


 エリアーヌが馬車の窓から身を乗り出すようにしながら、ため息混じりに声を上げる。


「これ…本当に作物が育つのかな…」


 トールは「うわぁ…」と絶句。普段は元気の塊のような彼ですら、さすがに言葉を失っている。一方、リュディアは馬車を降りながら「話に聞いてはいたけど、まさかここまで荒れてるなんて」と顔を曇らせる。


 ユイスは皆の後に続いて地面に足を下ろすと、埃っぽい風が服の裾を揺らすのを感じた。心の奥で妙な重さが増していくのを自覚しつつ、周囲をゆっくり見渡す。荒んだ畑、ひび割れた大地、それでも細々と暮らしている人々の姿がちらほら見えるが、どの顔も心なしか疲れ切っていた。


 少し離れたところに佇む女性が一行の到着をじっと待っているようだ。年の頃は二十代後半とおぼしき女性で、簡素な長衣に身を包み、髪はきっちりまとめている。彼女はユイスたちを見ると微笑を浮かべ、けれどもどこか硬い雰囲気を伴って近づいてきた。


「ようこそ、エグレット領…というほど立派ではないですが。私はシェリー・エグレット。今はここの領主代理を務めています」


 その声は丁寧ながら張りがなく、どこか自嘲混じりにも聞こえる。リュディアが馬車から降りて慣れた調子で応じた。


「私はリュディア・イヴァロールと申します。学園からの派遣隊で、ここしばらく皆で滞在する予定です。そちらがリーダーのユイス・アステリア、あと育成クラスの皆です。お力になれるよう尽くします」


 名前を呼ばれたユイスも、遅れて小さく会釈する。シェリーはちらとユイスの顔を見て、穏やかな笑みをつくった。だがその笑顔はどこか浮ついておらず、期待よりも「様子を探っている」ような雰囲気を帯びている。


「ええ、こちらとしても助けがほしいのは確かです。でも…これだけ荒れ放題になってしまった地ですからね。先代領主が投げ出した状態を、短期間で改善できるとはあまり思えません」


 語尾に漂う冷めた響きが、決して“歓迎ムード”ではないことを物語っていた。それでもリュディアは口角をきゅっと引き締め、「短期間でできることもあれば、長い目が必要なこともあります。私たちは、まず現状の把握から始めたいと思いますが…」と続ける。そこへトールが割り込むように肩を並べ、活力ある声で言った。


「とにかく、このまま放置するわけにはいかないんだろ? 水路だって壊れっぱなしじゃ大変だろうし!」


 だがその言葉に、後ろの方から何やら住民の囁きが聞こえてきた。


「あれが、新しく来たお偉いさんか…?」

「どうせ税ばかり巻き上げるんだろう? 期待するだけ損だよな」


 遠巻きに集まっている村の人々は誰も近づこうとせず、冷ややかな視線を送り続けている。ボロボロの衣服をまとった老人、痩せて血色の悪い子どもたちが、こちらを警戒するような目つきで見ているのが分かる。エリアーヌが小さく肩をすくめた。


「声かけても…すごく疑いの目だよ。あれって、私たちが来ても無駄だと思われてるってことかな」


 レオンはそんな光景を見て、「まぁ、俺も同じ立場ならそう思うかもな。どうせ貴族は何もしないって」とぼそりと毒を吐く。誰も言い返さないあたり、皆もそう感じているのだろう。


 ユイスは村人たちの痛ましい様子を目にしながら、胸がぎゅっと締め付けられる思いだった。フィオナのいた村も同じだった。何かをしようとする者が現れず、理不尽な死を受け入れるしかなかった。彼は思わず手の中にノートを強く握りしめる。


「…俺たちにできることを全部やるしかない。彼らが信じていないのは仕方ない。まず結果を見せる…それしかないんだ」


 ポツリと呟くと、隣でミレーヌがふと瞳を伏せた。「でも…」と小声で言いかけるが、それ以上の言葉は続かない。シェリーはそんな一行を眺め渡し、あらためて言葉を投げかける。


「皆さんはこちらに滞在しながら、改革とやらを進めるのですよね。領主本家の指示もありましたが…私としては、正直どこまで期待してよいものか。住民たちも、貴族に良い思いをした覚えはないはず。だから、警戒されるのも当たり前なの」


 リュディアは歯を食いしばるようにしながら、「だからこそ、ここで研究が生きればいい…」と渋い表情で応じる。トールやエリアーヌも「とりあえず行動しなきゃな!」と気合いを入れる素振りを見せるが、住民たちの冷めた視線に気圧され気味なのは明らかだ。


 ◇◇◇


 用意された滞在場所は、村はずれの小さな家屋や空き集会所を併せたような古びた建物だった。元々は簡易的な倉庫として使われていたらしく、壁には埃とクモの巣が張り、床はところどころ穴が開いている。ほとんど家具らしきものもなく、粗末なテーブルが一台あるだけ。シェリーはそこへ案内すると、肩を少しすくめて苦笑交じりに言った。


「すみませんね、こんな場所しか用意できなくて。予算が足りないのです。何か必要があれば私に言ってくだされば可能な範囲で動きますが…実際、あまり余裕はありません」


 リュディアは気を取り直すように一礼し、「いえ、私たちはあまり贅沢な環境には慣れていませんし、これで十分です」と返す。エリアーヌも慣れない様子で、テーブルを撫でながら「これ…なんとか使えそう…?」などと呟くが、その声はやや不安げだ。


 ユイスは部屋の隅に視線をやり、壁のしみや穴に目を留める。小領地の荒廃は外だけでなく、こういう室内の状態にも如実に表れている。けれど今は嘆くよりも、どう立て直すかを考えるべきだ。彼は小声で、「とりあえず最優先は水路だな。これが機能しないと、農地の改善もできない」と自分に言い聞かせるように呟いた。


 だが、シェリーはユイスたちの前向きな姿勢をちらりと見ても、まだ疑いを完全には拭えないらしい。彼女は椅子代わりに持ってきたらしい荷箱に腰掛け、ゆっくりと呼吸を整えてから言葉を継いだ。


「王都からの特別派遣隊という触れ込みは、こちらにも届いています。でも、過去にも『偉い貴族様が助けに来る』とか『画期的な魔法技術を試す』といった話は何度かありまして…どれも結局、中途半端に終わったんですよ。だから住民は当然、今回も同じだと思っているわけです」


「そう、ですよね…」とリュディアが苦い声を漏らす。トールは拳を握り込み、「見返してやるさ!」と元気に言い放つが、その大声が室内に虚しく響くばかりで、場の空気を変えるには至らない。


 ユイスはそんな空気を感じ取りながら、胸の奥底で静かな決意を固めていた。住民が期待しないのは当然だ。自分が恨んでいた保守派や無責任な領主たちと、この地の人々はずっと闘い続けてきたのだ。孤独な闘いを。


(フィオナも…こういう環境の中で、最後まで助けが来なかったんだよな)


 そのとき感じる苦い思いは、そのまま行動の原動力になる。ユイスはわずかに視線を上げ、シェリーの目を真正面から見つめた。


「短期間で何もかも劇的に変えられるとは、正直自分も思っていません。でも…少なくとも、このままじゃいけない、って思うんです。水路も土地も、医療の仕組みだって、放っておけば悪化する一方でしょう。俺は…俺たちは、できることをひとつずつ証明したいんです」


 彼の言葉が力みを帯びすぎないよう、できるだけ冷静に語る。それでもユイスの瞳にはかすかな炎が宿っていた。シェリーはその様子を黙って見つめ、何か言おうと口を開きかけるが、結局黙り込む。心の奥で何を思っているかまでは分からない。


「では、今後の活動についてはひとまずここで方針を整理して、必要な情報を集めましょう」


「分かりました。私も可能な範囲で案内や資料提供をします」


「…もっとも、あまり期待はしていませんけどね」


 と最後に小さく付け加えた。


 ◇◇◇


 それから一通りの案内を済ませたシェリーが部屋を出ていき、問題児クラスのメンバーとリュディアだけが残された。外ではまだ住民たちが遠巻きに様子を見ているようで、ガヤガヤとしたざわめきが聞こえる。


「なんか…思ってたより重いわね、空気が」


「よし! この荒れた土地、俺たちでどんとこいだ!」


 レオンがその姿に呆れ交じりの口調で「お前だけ浮いてるぞ?」と皮肉を言う。いつもならそこでじゃれ合いが始まるのだが、今日は誰も冗談を言う気分ではなさそうだ。


 リュディアはテーブルに手をつき、深く息を吸い込んだ。


「私も…こういう現場を実際に見るのは初めて。伯爵家の仕事で地方を回ったことはあるけど、ここまで荒んでいるのは見たことがないわ。すごく…痛々しいわね」


 ユイスはノートをぱらぱらめくりながら、古い文献から得た知識と現地の実態を重ね合わせて考えている。用水路を直す、土壌を改良する、医療体制をどう整備するか。どれも大仕事で、しかも一朝一夕に解決するわけがない。だが「無理だから」と言って諦めることは、彼にとって選択肢になかった。


 フィオナを救えなかったあの時、誰も動かなかったことへの怒りと悲しみを忘れたわけではないのだから。


「…まずはシェリーさんや村人から詳しい状況を聞こう。水路がダメなのはすぐ分かるけど、他にも何がどれだけ壊れているかを把握しなきゃ」


「ええ。可能なら一緒に村中を見て回りたいわね。そこから優先度を決めて手をつけましょう」


「よし、じゃあ遠慮なく動こう! 住民から嫌味言われようが、気にしないでさ」


 エリアーヌは「うん…私も微力ながら、色々手伝いたい」と、まだ不安げな表情ながら意志を見せる。ミレーヌは「経費とか…物資の管理も考えなきゃ」と真面目な顔でつぶやく。レオンは少しだけ興味を引かれたように「まぁ、ヒマよりはマシかな」と皮肉混じりに肩をすくめた。


 そうして全員がそれぞれの思いを胸に抱きながら、最初の“領地での一歩”を踏み出そうとしている。これまでのように研究室にこもって魔法をいじるだけではない。実際に生活している人々のために動くということは、すでに彼らの学校生活では体験しなかった重みを伴っていた。


(絶対に、無意味にはしない…)


 ユイスが固くノートを握りしめながら、心の中でそう誓う。その指先にはいまだ、フィオナと交わした思い出の温度が残っているような錯覚があった。冷たい視線を向ける住民たちにこそ、今度は本当の意味で力を示してみせたい。このまま諦めるわけにはいかない。


「さあ、始めようか」


 彼の静かな声に、みんなが無言のまま頷く。その視線は、剥き出しの壁の先にある荒れ地へと向けられていた。

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