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11. 再燃

 研究室の窓から差し込む朝の陽射しが、実験台や魔道具のパーツを温かく照らしていた。長い夜の実験を終えたユイスたち問題児クラスは、簡単な休憩を取っていると、研究室の扉をノックする音が響いた。


 現れたのは、レオナート王子の側近であるカディス・ルーファス。いつもの礼儀正しい態度で部屋を見回し、軽く一礼してから言葉を紡ぐ。


「殿下がお探しの小領地候補がいくつかに絞られました。どれも保守派寄りの貴族が管理する土地ですが……とりわけ有力なのは、ある伯爵家の遠縁にあたる領地です」


 カディスの口調は淡々としているが、どこか含みのある言い回しに、ユイスが首をかしげる。周囲の仲間たちも興味深そうに耳を傾けた。


「その伯爵家の名は…ロートレイン。当主はカーデル・ロートレイン伯爵。ご存じですか?」


 カディスがそう告げた瞬間、ユイスの顔から血の気が引いていく。


「……カーデル…?」


 呟いた声はわずかに震えを帯びている。異変を察したトールが「ユイス?」と声をかけるが、ユイスは無意識に拳を握りしめていた。


 ◇◇◇


 薄暗い記憶が一瞬フラッシュバックする。


 ――病に倒れた幼馴染フィオナを救おうと奔走したあの日。


 医療魔法を受けるには領主カーデル・ロートレインの許可が必要だったが、その申請は容赦なく却下された。


「費用が掛かるばかりで、庶民の治療に割く余裕などない」。


 カーデル家の使者からそう告げられ、フィオナは何の助けも得られないまま息を引き取った――。


 ユイスの頭には、あの絶望の光景が鮮やかに蘇る。ゆっくりと呼吸を整えようとするが、心臓は激しく脈打ち、口の中が乾いていく。


「どうかしましたか?」


 カディスはその様子を探るように顔をのぞかせるが、ユイスはあえて視線を外し、努めて冷静な声を絞り出す。


「……大丈夫。続けてくれ」


「その領地は財政難でしてね。領主本家のカーデル伯爵は、財政危機の見直しを迫られているらしい。殿下はそこを“改革の実例”に選ぶ可能性が高い……いずれ、現地へ赴くことになるでしょう」


 静かな口調で語るカディスを前に、ユイスは何とか平静を装っていた。しかし内側には激しい憎しみの炎が燃え上がり、背筋に冷たい汗が伝う。


「分かった。殿下の指示なら…やるだけさ」


 低い声でそう答えるユイスに、カディスはわずかに眉をひそめたようだが、それ以上は突っ込まなかった。


「では報告は以上です。準備を進めておいてください。私は殿下に状況を伝えますので」


 カディスが研究室を出ていくと、重苦しい沈黙が残る。


 ◇◇◇


 トールが目を丸くしてユイスを見やる。


「あの…伯爵って、何かヤバい奴なのか? お前の顔が真っ青だぞ」


 ユイスは返答に迷った。すぐには理由を説明できない。


 だが無視して黙り込むには、仲間たちはあまりにも優しすぎた。エリアーヌが不安そうな表情でそっと近づく。


「ユイス、もし何か辛いことがあるなら…言ってほしい。私たち、力になりたいんだ」


 エリアーヌの声はか細く、今にも泣きだしそうだ。彼女の純粋な好意はユイスの胸に響くが、同時に激しい怒りと後悔で心がかき乱される。


「……平気だよ。ちょっと、昔のことを思い出しただけだ」


 そのまま言葉を濁すユイスの横で、レオンが壁際に寄りかかって軽く息を吐いた。


「ふうん……カーデル・ロートレイン。保守派の中でもとびきり性質が悪いと聞く。噂じゃ、庶民を見下しきってるらしいな」


 彼の皮肉混じりの口調には、どこか探るような視線が乗っている。しかしユイスはその気配を感じても、レオンと目を合わせることはしなかった。


 すると、グレイサー担任が研究室の片隅で腕を組みながら口を開く。


「ま、厄介な領主だろうと気にするな。プロジェクトは王家の後ろ盾があるんだ。お前らは“研究の成果を出す”ことに集中しろ」


 飄々とした言い方だが、その眼差しはどこかユイスを気づかうように見える。


 ユイスは肩を落としながら、短く応じるだけだ。


「……分かってる。ありがとう、先生」


 もう少し言いたいことはあるはずなのに、うまく声にできない。自分自身が耐え切れないほどの怒りと後悔を噛み殺しているせいかもしれない。


 ◇◇◇


 やがて、仲間たちは実験器具の後片付けや資料整理を始める。空気こそ重いが、誰もユイスを追及しようとはしなかった。彼らなりに、ユイスの抱える事情を察して距離を保ってくれているのだ。


 トールは口下手なりにユイスの様子を気にして、指をポリポリかきながら声をかける。


「……ま、もし手伝えることがあったら言ってくれよ。別にお前だけで何とかしようとしなくてもいいんだぜ」


 言葉は不器用だが、まっすぐな眼差しがトールらしい。ユイスはそれに気づき、かすかに微笑もうとした――けれどもうまく笑えなかった。


 ミレーヌが意を決したように、在庫リストの紙を握って小声で囁く。


「私、こう見えても物資の管理や調達には役立てると思うの。もし領地の改革で必要な資材があるなら、相談…してくれないかな」


 慌てた口調だが、その瞳はしっかりとユイスを見つめている。ユイスは一瞬だけ視線を交わし、わずかに頷いた。


 エリアーヌはそんなミレーヌに倣って、ユイスの袖を軽く引っ張る。


「魔法のことはよく分かってないけど、私…回復魔法や細かいサポートなら力になれると思う。力になりたい、ユイスの…」


 最後まで言い切れずにうつむく姿は、彼女の優しさそのものだった。


「……ありがとう、みんな」


 ユイスはそれだけ言って、再びうつむく。


 ◇◇◇


 夜になって研究室を出たあと、ユイスは自分の部屋へ直行した。仲間と食堂へ行くこともせず、黙々と廊下を進む。


 部屋に入りドアを閉めると、錠を下ろし、机の上に手作りノートを置く。蝋燭の小さな灯火が、ノートに映る文字を淡く照らしている。


「……カーデル・ロートレイン…」


 その名を口にするだけで、胸がざわつく。ノートのページをめくりながら、過去の術式メモや改良案を目で追っていく。


 ――フィオナを救えなかったあの悔しさ。


 もし、数式魔法がもっと早く完成していたら、救えた可能性はあったかもしれない。いや、そもそもカーデルが医療を拒むような貴族でなければ、フィオナは死なずにすんだはずだ。


 ユイスはギリッと奥歯を噛みしめる。自分の拳が震えているのがわかる。ノートの角を握り締め、深く息を吐いた。


「どうして、よりにもよってあいつが絡む領地なんだ……」


 王子からの特別プロジェクトに乗る形で、研究は順調に進んできた。保守派を出し抜くための大きなチャンスでもある。だが、その先にフィオナを見捨てた仇がいる。


「フィオナ…俺が、ちゃんとお前の無念を晴らしてやる」


 ノートのページに目を落とすと、数式化した術式の走り書きが並ぶ。どれも未完成で、攻撃と防御を同時起動したときの演算が間に合わず暴発する危険を抱えている。


 今はまだ弱い。あの伯爵を相手に正面から立ち向かうには、力と結果が必要だ。


「――必ず完成させる。俺の数式魔法を…」


 その声は震えながらも、どこか決意を帯びていた。


 ◇◇◇


 廊下から足音が聞こえてきたが、それは通り過ぎるだけのようだ。多分、夜間巡回のグレイサーか、あるいは遅くまで図書館に残る生徒かもしれない。


 ユイスは扉を見やり、息を詰める。仲間が優しい言葉をくれても、今はそれをうまく受けとめられそうにない。


 喉の奥から湧きあがる怒りを抑え込み、ユイスはノートを閉じる。復讐心と開発意欲がない交ぜになり、胸が焼けるように熱い。


 先ほどの研究室での会話。カディスの情報によれば、近いうちにその領地へ赴く日が来る。


 ユイスは手を伸ばし、机の端に置いてある小さな木製の護符を指でなぞる。それはフィオナが一度、半分仕上げたまま残っていた刺繍をユイスが拾って、形だけ整えたもの。


「もう誰も見捨てさせない。どんなに偉い貴族でも、血統を振りかざすなら、俺の数式魔法で打ち砕くまでだ」


 窓の外を見やると、夜空には雲がかかり、月明かりは見えない。だが遠くで小さな星が瞬いている。


 ユイスはランプを消し、薄闇の中で目を閉じた。震える心に渦巻く復讐の感情を抱えながら、眠りのふちへと沈んでいく。


 ◇◇◇


 研究室では、同じ夜の遅い時間。仲間たちの何人かが残って片付けを続けている。


「あいつ…大丈夫だと思うか?」


 トールが不安そうに声を落とす。ミレーヌが戸棚の戸を閉めながら、曖昧に首を振った。


「分からない。でも、ユイスは今までも辛そうな時があったでしょう…それでも何とか踏ん張ってきた」


 エリアーヌは道具を磨く手を止め、目を伏せる。


「私、もっと踏み込みたいけど…ユイスがまだ話したくないみたいだから…」


 涙がにじむ声でそう言うと、レオンがそっと背を向けたまま、静かに言葉を添える。


「無理に聞き出しても仕方ない。あいつも…自分で抱えてることがあるんだろ。いずれ、誰かに話してくれる」


 その一言を最後に、みんなはそれ以上何も言わず、床に散らばった紙や道具を集め始める。

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― 新着の感想 ―
もう少し、数式魔法の内容に踏み込んだ話がないと、進捗に臨場感を感じるのに難があります。
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