10. 試作実験
朝日の差し込む校舎の一角。問題児クラスに割り当てられた研究室は相変わらず少し薄暗く、壁には古い薬品棚や錆びかけた機材が並んでいた。だが、机の上には新調された詠唱台と魔力測定装置が置かれ、ほんの少しだけ実験室らしくなっている。
「おはよー…って、なんだかピリピリしてない?」
エリアーヌが入り口からそっと顔をのぞかせる。室内ではユイスが既にノートを開き、ぎっしり書き込まれた術式メモを確認していた。
「今日の実験は慎重にやらないとな」
レオンが壁にもたれながら口を開く。
「昨日の夜、更に新しい理論を見つけたんだろ? いきなり無茶するのはやめてくれよ」
ユイスはノートをめくりながら、指先で空中に数式をなぞる。
「単なる無茶じゃなくて、昨日の文献で見つけたヒントを応用するんだ。フェイズ合成にリライト術式を重ねる…短詠唱の火球と防壁を同時起動させるんだが、そのタイミングを合わせれば両方の術式が干渉して、あたらしい形の攻撃と防御が実現できる可能性がある」
「火と防御を一緒に動かすって、そんなことできんのか? 俺の炎魔法だって制御ぎりぎりなんだぞ」
「だからこそ短詠唱化した小規模な火球でまず試すんだ」
「最初から大火力じゃ危険だしな。防壁のほうも小出力のバリアを用意してある」
ミレーヌが緊張した面持ちで手元のチェックリストを確認する。
「今回使う触媒や粉末のコスト、残り少ないんだけど……ま、間違えて消耗させたら、また資金申請するんでしょうか…?」
エリアーヌは彼女の肩をぽんと叩いてにこりと笑う。
「大丈夫、大丈夫! 保守派に文句言われない成果を出せばいいんだから。そうよね、ユイス?」
「そうだな。成果が出れば、あいつらもそう簡単には奨学生制度を打ち切れない。ここで俺たちの研究は無駄じゃないと証明するんだ」
◇◇◇
研究室の中央にある簡易詠唱台には、魔力を測定するための水晶片が取り付けられている。ユイスが台の前に立ち、火球用の符文をかすかに光らせた。
「じゃあ始めるよ。まずはリライトで火球の詠唱を短縮する。トール、もし火花が散ったらすぐ後ろから押さえてくれ」
「おう、任せとけ!」
レオンは少し離れた場所で腕を組み、「どうせ暴発でもすんだろ」とぼやくが、その視線は不安よりも、むしろ興味深そうに実験の様子を追っている。
ユイスはノートに視線を落とすと、呼吸を整え、短詠唱の呪文を小声で唱え始めた。術式の文字が空中に淡く浮かび、火の玉がぽっと生まれる――はずだった。
しかし次の瞬間、火球の周辺を取り巻く防壁の符文と干渉し、火花がバチバチと飛び散る。
「あっ、やば…」
ミレーヌが小さく悲鳴を上げ、慌てて手元の操作をミスした途端、火花が床に散って小さな焦げ跡を作った。
「きゃああ!」
エリアーヌが反射的に腕を広げ、回復魔法の簡易シールドを展開しようとする。
すると火球と防壁の気配が入り交じり、ふわりと室内に熱気が立ちこめた。
「ちょ、ちょっと待って…!」
トールが慌てて横から手を出し、消火用の風術式をぶつけようとするが、炎と風がさらに接触して室内に細かな爆ぜる音が響く。
レオンが苦い顔をしながら宙を見回す。
「こんなリスキーな実験を初っ端からやるなんて…まったくね」
ユイスは火球が完全に暴発しないよう、短詠唱の式を途中で切る。小さな火炎が空中でやがてしぼみ、なんとか最悪の事態は免れたようだ。ほっと息をついたエリアーヌが、「生きた心地しなかった…」と胸を押さえる。
「まだタイミングを合わせきれてないな」
ユイスは落ち着いた様子で符文の残骸を眺め、ノートを走り書きする。
「でも、意外と制御の誤差は小さい。もう一回やれば、きっと今よりうまくなるはずだ」
「もう一回って…さっきの小爆発で焦げた匂いがするんだけど」とミレーヌが不安げに言う。「薬品もそう何度も使えないし…」
「心配するな、ミレーヌ。今のパターンをちょっと修正すれば、二回目はもっと安全だよ」
ユイスがそう断言すると、トールが意外なほどあっさりうなずいた。
「まあ、失敗しても火消しは任せろ。オレが水術式ぐらいは出せるからさ」
レオンは小さくため息をついたあと、ノートをめくるユイスの姿に目をやる。
「…まったく、よくもまあそこまで執念深く試す気になるもんだ。ま、成功したら面白そうだが」
◇◇◇
何度かの試行錯誤を繰り返し、同じ実験を続けるうちに、火球は以前より小規模ながらも安定し始めた。防壁の位相あわせも、最初はずれてばかりだったが、リライト符文の書き換えがうまくいったのか、徐々に激しい干渉は起こらなくなる。
「お、今度は火花があんまり散らなかったぞ!」
トールが嬉しそうに声をあげる。空中に浮かぶ橙色の火球はほんのり揺れているが、すぐそばにある防壁の気配と衝突するような様子は見られない。
エリアーヌがほっとした顔で「すごい…攻撃魔法と防壁が重なってる感じ…?」とつぶやく。
ユイスは小さく息をつき、「うん、二つの術式がぶつかり合わないように位相をズラして同時展開してる状態だ。これなら、敵の攻撃を防ぎながら小規模の火力を継続できる」と説明する。
「攻撃魔法を撃ってる間に防壁を張る、か。真っ向勝負の火力優先だけじゃなく、こういうやり方もあるってわけだな」
レオンがどこか感心したように呟き、その眼差しはいつもの皮肉めいた色よりも、期待に近いものを帯びている。
ミレーヌが手元の記録紙を確認して、目を丸くした。
「あれほど暴走しそうだったのに、こんなに安定するんだね。そ、そろそろ安全範囲をもう少し大きくできるかも…?」
「でも焦らないでね。まだ失敗する可能性はあるから」
「次は火力を一段だけ上げて試してみよう?」
ユイスは頷きながら、「じゃあ少しずつステップを踏んでいくか。ここで一気に大火力にしちゃうと、また爆発するかもしれないし」と、メモに改良点を書き足した。
◇◇◇
小さな拍手の音が研究室の奥から聞こえる。見ると担任のグレイサーが、いつの間にかドアの横で腕を組んでいた。
「勝手に爆発しなかっただけマシだな。ま、怪我人が出ないように気をつけろよ」
言い方こそ投げやりだが、彼の目はどこか懐かしそうに実験の残骸を見つめている。ユイスは軽く会釈し、雑然とした床を眺めた。あちこちに焦げた跡や粉末の跡が散らばっているが、みんながすぐ後片付けを進めてくれている。
トールが雑巾と水桶を持ってきて「消せそうな汚れはオレが拭く!」と張り切る。エリアーヌは飛び散った小片を集め、ミレーヌは薬品の在庫を再点検しながら腕を押さえている。少しのミスで大事故になりかけた恐怖が、まだ体に残っているようだった。
「でも……少しずつコツが見えてきたかもな」ユイスが静かに言うと、彼の横を通りかかったレオンが「まあ、ここまでの成果は上々なんじゃないか?」と珍しく好意的な調子で返した。
研究室の空気が少しずつ軽くなっていく。エリアーヌが奥の棚からお菓子の袋を取り出し、「はいっ、今日の分だよ。疲れたときは甘いもの!」と皆に配ってまわった。
「おお、ありがてぇ!」
トールは嬉しそうに甘いクッキーをかじり、レオンは鼻をすすりながら「こんなの食ったら喉が渇くだろ…」と苦言を言いつつ手はちゃんと伸びている。ミレーヌは「ふふ…私も少し頂くね」と声を漏らし、静かにかじり始めた。
ユイスはひと口かじっただけで、ノートを取り出してメモ書きを続ける。だが、その表情は明らかに前よりも柔らかい。
「……確かに前よりうまくいったな。まだ完成には遠いけど、何とか保守派に言い訳できるぐらいにはなるかもしれない」
「このまま研究続ければ、攻撃しながら防御を続けるという芸当が、問題児クラスの“新技術”になる可能性があるよね」
エリアーヌが明るい声で言った。
レオンは、壁に掛けられた古い時計をちらっと見やる。
「成功したら、今度の実戦演習でエリートクラスを見返してやるさ。……ま、ほどほどにやれよ。気づいたら一晩中実験、なんてのはゴメンだからな」
「わかってる。みんなも無理はしないように」
ユイスは苦笑いしながら答えつつ、ほっと安堵に似たものを感じていた。夜遅くまで禁書を読み、朝から実験で爆発未遂もあったが、少しずつ前進している――そんな手応えがある。
「よし、次の手順を考えよう」
クッキーを食べ終えたエリアーヌが手を叩いて声を上げる。
「もしかしたら、回復魔法とも組み合わせられるかもしれないし。攻撃と防御が同時なら、回復だって…ね?」
「それは面白そうだけど…やるなら安全策を整えてからだな」
ユイスが笑みを浮かべ、ノートの余白に「攻撃×防御×回復?」というメモを走り書きする。視線はどこか未来を見据えているかのようだ。
こうして問題児クラスの小さな研究室には、以前にはなかった活気が満ち始めていた。課題や危険は山ほどあるが、彼らは今の一歩一歩を確実に踏みしめる。保守派に黙ってもらうためにも、“自分たちならではの成果”を形にするためにも――。
そして、ほんのり甘いクッキーの香りが漂う中、ユイスはノートに次なる計画を書き足しながら、小さく意気込むように息を整えた。まだまだ試すことは尽きないし、王子の特別プロジェクトからはプレッシャーもかかる。だがこの瞬間だけは、確かな手応えと仲間への信頼が、彼の胸を熱くしているのだった。




