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9. 禁書コーナー解放

 夕暮れが迫る学園の図書館は、普段より静まりかえっていた。貸出カウンターの奥、分厚い扉が重々しくそびえ立つ「禁書コーナー」。司書メリュジーヌが長い鍵束を取り出し、鍵穴を慎重に回す。


「レオナート王子などの要請がなければ、ここを開けることはほとんどないんですけれどね……。一部の資料は扱いが難しいので、閲覧には十分ご注意を」


 そう囁くメリュジーヌは、夜に差しかかった図書室の薄暗い明かりの下で、硬い表情を崩さない。彼女の背後から覗きこむユイス・アステリアは、思わず生唾を飲み込んだ。


「本当に……ここを使わせてもらえるんですね」


 学園の貴族会から打ち切りの危機に晒されている問題児クラス。そこに所属するユイスは、半ば強制的にレオナート王子の特別プロジェクトへ参加する道を選んだ。その代償として、王子が取りつけてくれたのがこの禁書コーナーの閲覧許可だった。


「許可証を確認させていただきます」


 メリュジーヌは差し出された書状に目を通す。王族特令の印章がはっきりと押されているらしく、彼女は紙をしっかりと折り畳んだ。


「認められています。閲覧中、私が随時見回りを行いますので、注意事項は守ってください」


 淡々と言い置き、扉を開く。内側には厳重な鍵の仕掛けがあったのか、低い金属音が何度か鳴り、やがて呆気ないほどの静寂が広がった。


 ◇◇◇


 禁書コーナーの奥は湿度の高い空気が漂い、魔力を封じ込めた古いロウソクの灯火だけが揺らめいている。棚には革装丁の古文書や厚い儀式書がずらりと並び、崩れかけた紙束には何やら難解な文字が走り書きされていた。


「すごい……今まで学園の図書館の奥には来たことあったけど、ここまで貴重な本が眠ってるなんて思わなかった」


 後ろから声をかけたのはリュディア・イヴァロールだ。上位クラスの彼女も元々、多少の閲覧権限はある。だが“王族の直々の要請”とあって、普段は厳重に閉ざされる場所にユイスを案内しなければならなくなった。


「リュディア先輩……助かります。ここで見つかるかもしれないんです。俺の数式理論を補うための資料が」


 ユイスは指先で埃を拭いながら、目の前の分厚い本を取り上げた。その表紙には、古代語らしき文字がかすれて残っている。


「……古代術式総覧……? ここにある儀式式典は失伝したものが多いって聞くけど、本当に使いものになるかしら」


 リュディアが呆れ半分の口調で声をかける。彼女は灯りを掲げ、ユイスの手元を照らしながら呟いた。


「どれも儀式が冗長だっていうのは有名よ。過去に何人かが解析を試みたらしいけど、大半が魔力過多で暴走したとか」


「でも、逆に考えれば不要なフレーズや重複した詠唱が多いってことだ。リライトで整理すれば、本来の意味だけが抜き出せるかもしれない」


 ユイスは興奮した眼差しを浮かべ、本を机へそっと下ろす。閉館間際の図書館に足を運んでまで、彼が喉から手が出るほど欲しかったのが、この古い術式の実物だ。


「……本当に呆れた人ね、あなた」


 リュディアは苦笑を漏らしながらも、ユイスのとなりに腰を下ろす。まだひんやりした革張りの椅子を引き寄せ、おずおずと別の書物をめくり始める。


「わたしだって、ほんの少しは興味あるもの。数式理論で封印されかけた古代術式を読み解くって、まるで冒険譚の世界ね」


 ◇◇◇


 一方、図書館の入口近くでは、エリアーヌ・マルヴィスとミレーヌ・クワントが落ち着かない様子で立ち尽くしていた。二人の姿を見とがめた司書メリュジーヌが近づく。


「今なら中に入れますよ。……ただし、人数が多いと管理が難しいのですが」


「ごめんなさい、私たちはユイスのサポートに来ただけで……実際どれくらいまで夜更かしするのか心配で」


 エリアーヌが身を小さくしながら答えると、ミレーヌが「ああ、こんな場所……落ち着かない……」と俯いた。どうやら禁書コーナーの空気そのものに圧迫感を覚えているようだ。


 メリュジーヌは浅く頷き、控えめにドアを開いて二人を通す。蝋燭の照明が広がる閲覧スペースに足を踏み入れた瞬間、エリアーヌは「わ、すごい……」と目を丸くした。背の高い書棚がいくつも連なり、古めかしい魔道具や白紙のスクロールがところ狭しと積まれている。


「ユイス、これ……いつまでかかるの?」


 声をかけたのはミレーヌだ。彼女は商家の娘らしく、時間管理やスケジュールが気になるらしい。


「うーん……区切りよく終わるまでには、もう少しかかりそう。いや、むしろ徹夜覚悟かも」


 エリアーヌは「そんな……身体壊しちゃうよ?」とすぐ反応する。しかしユイスはぷるぷると首を振った。


「大丈夫。俺こそ、今ここで踏ん張らないと、保守派が全力で奨学生を打ち切ってくる。レオナート殿下の力を借りてまで、ここに来させてもらったんだから無駄にはできない」


 その言葉を聞いた瞬間、リュディアの眉がかすかに動いた。彼女は本を置き、気遣わしげにユイスを横目で見る。


「でも、また模擬戦のときみたいに寝不足で倒れるんじゃない? 昼にあなたが立ち眩みしてたこと、忘れてないわ」


「……う、あれは……」


 ユイスの手が止まる。一瞬、口ごもってから、恥ずかしそうに咳払いをした。


「自分でもわかってる。でも、それが俺のやり方だから。足りない魔力は努力と知恵で補わないと間に合わない。……どうしても、フィオナのためにもさ」


 その名を口にすると、周囲の空気が一層静まり返った。ユイスが守れなかった幼馴染の存在――問題児クラスの仲間たちは、その重みを痛いほど承知している。いつもならミレーヌやエリアーヌが目を潤ませるところだが、今は彼の決意を崩さないよう、ぎこちなく笑みを浮かべるに留めた。


「わかった。……じゃあ私も、手伝うわ」


 リュディアが、スッと席を立つ。そのまま書棚へ向かい、古い目録リストを手に取った。


「術式関連のタイトルはざっとこの辺り。古代の“儀式再生録”とか“位相連結理論”みたいなのがあるわ。ご存知の通り古語はかなり特殊だから、解読も時間がかかりそうね」


「ありがとうございます、リュディア先輩。助かります」


「あ、あまり気にしないで」


 口調はぶっきらぼうだが、目は少し赤く染まっているようにも見える。


 ◇◇◇


 図書館の閉館時間が近づく頃には、すでに夜の帳が降りかけていた。外の窓越しに見えるキャンパスの灯りもまばらだ。司書メリュジーヌは机まで近づき、静かな声で促した。


「申し訳ありませんが、門限もありますので、そろそろ撤収の準備を……」


「す、すみません、もう少しだけ。ほら、ここ!」


 ユイスは興奮気味に、古い文献を指差す。そこには中世期の術式とされる“位相調整呪文”の基礎メモが書き殴られていた。古代語の断片が注釈のように貼り付けられ、何やら複雑な図表が載っている。


「このページ……重ね合わせの概念を示した記述がある。俺がやろうとしてた“フェイズ・コンパイル”の根幹に近いんだ!」


「本当に……? そんな失伝文献にヒントがあるとは」


 リュディアは信じられない様子で目を凝らす。エリアーヌとミレーヌも椅子の背後から覗き込み、ちょっとした興奮を分かち合った。


「まあ、詳しい文意は読めないところだらけだけど、それでも構造図を見れば応用はできる可能性が高い。数式で再整理すれば、要点は浮かび上がるかもしれない」


 ユイスはノートを開き、次々にメモを書き写していく。指先が紙面を滑り、走り書きの数式や線図がびっしりと生み出されていく。


「わあ……もう、止まらないね」


「また徹夜になっちゃう……」


「彼を止めるのは至難の業よ」とリュディアは肩をすくめた。


 ◇◇◇


 カツン、と控えめな足音が響いた。廊下側からひょっこり顔を見せたのは、問題児クラス担任のグレイサー・ヴィトリアだった。


「こんな時間まで残ってるとは……仕方ない。王族殿下のおかげでどうにか延長が認められたが、あまり司書さんを困らせるなよ」


 口調こそ軽いが、その視線にはどこか優しい色合いが宿っていた。グレイサーはちらりとユイスのノートを見て、ひとつ小さくうなずく。


「面白いものは見つかったか? なら早めに収穫をまとめろ。徹夜しすぎて倒れても、保守派が喜ぶだけだぞ」


「……はい、わかってます」


 ユイスはペンを走らせながら、背中越しにグレイサーへ笑みを返した。その笑みは先ほどまでの焦燥感を、わずかながらやわらげたものだった。


「殿下に借りを作るのは本意じゃないけど……それでも、手に入れられた資料の価値は大きい。ありがとうございました、先生」


「礼なら殿下に言え。私は何もしていない」


 グレイサーは表情を変えずに言い放ち、すぐに踵を返す。だが離れ際、「せいぜい後悔のないようにしておけよ」とだけ吐き出して去っていった。その背中を見送るリュディアとエリアーヌたちが、なんとなく嬉しそうに瞳を揺らす。


 そのとき、司書メリュジーヌが再び近づいてきて、小声で言い添えた。


「……閉館時間を大きくオーバーすることは、わたしも望ましくないと思っています。けれど、特例が出ている以上、多少は大目に見ましょう。ですが、あまり体を壊さないように」


「はい……気をつけます」


 ユイスがうなずくと、メリュジーヌは淡々と見守る態勢に戻った。古めかしい棚の合間を巡回しながら、ときおりユイスたちの様子を覗く。深夜の静寂が迫る図書館には、彼のペン先が走る音と、時おりリュディアがページを繰るかすれた音だけがやわらかく響いていた。


 ◇◇◇


 しばらくして、ミレーヌとエリアーヌが先に帰り支度を始める。明日も朝から授業があるというのに、このまま全員が徹夜では身がもたない。彼女たちは「ユイス、無理はやめてよ……」と言い残し、わずかに後ろ髪を引かれながら司書メリュジーヌに挨拶して図書館を出ていく。トールやレオンは最初から「夜はごめんだ」と来なかったらしい。


「さて……結局、わたしだけが残るのか」


 リュディアは椅子から立ち上がり、伸びをした。時計代わりの砂時計を見遣ると、すでに深夜を回ってもおかしくない時刻が迫っている。


「先輩、もう休んだほうがいいですよ。明日も授業ありますよね?」


「わたしだって課題もあるし、徹夜なんて困るけど……放っておいたらあなた、朝までやりそうじゃない」


 その言葉にユイスは苦笑する。「まあ、やるしかないんで……」とあっさり答えたあと、ノートの空いたページに新たな文字列を書き写す。


「ここ、見てください。位相同調式ってやつです。複数の魔法式を同時発動するには、正確な発火時間を合わせる必要があるんだけど、この文献によれば古代の祭儀では数人が歌うように詠唱を重ねる手法があったらしい」


「……合唱するみたいに? たしかに、それなら位相を揃えられるかもしれない。けど、魔力総量の制御はどうするの?」


「そこを数式理論で分散管理すれば、例え俺みたいに魔力量が低くても可能性がある。誰かが足りなければ、別の人が演算補助をすればいいんだから」


 熱っぽく語るユイスを、リュディアはじっと見つめた。どこか危ういほどの情熱。でも、その瞳には“人を救いたい”という強い意志が滲んでいる。母が平民出身ということもあってか、リュディア自身も身分差で傷ついてきた過去がある。だからこそ、彼のやり方を全否定できなかった。


「本当に、あなたって……変わってるわ。だけど嫌いじゃない」


 小声でそう呟く彼女に、ユイスは気づかない。メモを取り、ページをめくり、まだ何かを探し続けている。


 司書メリュジーヌがそっと時計を見やった。すでに残り時間はわずか。数分もしないうちに、完全に締め出さなければいけない。だがユイスの横顔には熱意と喜びが満ちていて、リュディアまでもが「もう少し……」と説得を試みる。


「ユイス、あと十分くらい……限度はそれぐらいよ。もう限界なんだから、早く切り上げないと」


「……わかりました。ありがとうございます、先輩」


 ユイスは半ば浮かれながら筆記の速度を上げた。リュディアはそれを見つめながら、そっと息をつく。彼の背を感じるたびに、明るい未来がほんの少しだけ垣間見えるような気がした。


(でも、こんなに寝不足で大丈夫かしら……わたしがうるさく言ったところで、彼はきっと止まらないだろうし)


 そう思った瞬間、ユイスが軽く手を止めて振り向いた。


「先輩、ありがとう。先輩の解読がなかったら、ここまで理解できなかったかも。中世の古語、やっぱり独特でしたから」


「べ、別に……わたしだって知的好奇心はあるし。あなたに体調崩されると困るだけよ」


 リュディアは少し赤面しながら、相変わらずのツンとした横顔を見せる。そうして最後にもう一度だけ一緒に本を確認し合い、傍らで小さく笑みをこぼした。


 ◇◇◇


「では、夜の特例時間もそろそろ終了にします」


 メリュジーヌの静かな声が響く。彼女の目線の先には、ユイスのノートにびっしり書き込まれた魔法式と位相の図表。ユイスは筆を置き、深く息を吐いた。


「ありがとうございます。かなりの収穫がありました」


 心なしか、ユイスの瞳は達成感に満ちあふれている。リュディアはその横顔をちらりと見て、小さく微笑んだ。


「その“かなりの収穫”……きちんと形にしないとね。保守派から笑われないように」


「はい。絶対にやり遂げますよ」


 そう言い切るユイスの手元には、古文献の断片的情報と複雑な数式理論が入り混じったメモがぎっしり。これらをどう再構築するかは未知数だが、確かな手応えを得た夜になった――そんな雰囲気が漂っていた。


「……それじゃ、行きましょうか」


 リュディアが空いた手で灯りを持ち上げる。エリアーヌやミレーヌの姿はもうない。がらんとした図書館のフロアを抜けて、二人は司書に挨拶をし、図書館を後にする。


 外は夜気で冷え込み、キャンパスの石畳には街灯が揺れている。ユイスが荷物をまとめ直そうとすると、リュディアが口を開いた。


「あなたは、まだこの後も整理するの?」


「そうですね……自室に戻ってから、ざっと内容を整理しないと。一晩明けたら半分忘れてるかもしれないし……」


「はあ、やっぱりそういうと思った。……ほどほどにしてよ」


 呆れ混じりの声に、ユイスは少し笑った。彼は遠くの夜空を見上げ、深い息をつく。フィオナへの思いを抱えつつも、この新たな一歩を掴んだのだから、ここで止まれない。


 リュディアが隣でため息まじりに微笑している。彼女の横顔にもどこか決意めいたものが浮かんでいた。

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