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7. プロジェクト説明会

 王宮を後にしたユイスは、夜風を受けながら学園の方角へ歩き続けた。ノートを握る手のひらには、王子との面会で高まった鼓動がまだじんわりと残っている。


「やるしかない…」


 低くつぶやく声だけが石畳に反響した。


 ◇◇◇


 翌朝、問題児クラスのメンバーが緊張の面持ちで学園の一角にある会議室へ足を運んだ。普段は上級生やエリートクラスが大事な打ち合わせをするために使う場所だが、彼らが呼ばれることは滅多にない。


 扉を開けると、まず目に飛び込んだのは重厚な木製のテーブルと、高級感のある椅子。その背もたれには微妙な装飾が施され、少しでも動くと軋むような音を立てそうだった。


「なんか場違いって感じだよな…」


 トール・ラグナーが椅子に手を触れ、心底落ち着かないといった様子で後ろを振り返る。


「うん…わたし、こんな立派な椅子、座ったことないかも…」


 一方、レオン・バナードは壁際に寄り掛かり、皮肉げに口の端をゆがめた。


「どうせ、おれたちに使いこなせるような場所じゃない、って保守派は思ってるだろうさ。ま、好きに言わせておけばいいが…」


 そんな中、ユイスは部屋の中央付近で椅子を見下ろしていた。会議の主役として呼ばれたのは事実だが、決して大きな顔をできる立場ではない。


 ――レオナート殿下はここに来ないのか?


 そう思いかけた矢先、室内の奥にある出入口の方から足音が近づく。


「失礼する」


 澄んだ声と共に現れたのは、長いマントを軽やかに翻した男だった。年の頃は二十代前半。深い青の瞳と整った顔立ちが印象的で、腰には細身の剣を帯びている。


「カディス・ルーファス。レオナート殿下の側近を務める者だ。諸君、まずは席につくといい」


 軽く会釈され、ユイスを含めた問題児クラスの面々は少しためらいながらも椅子に座った。ギシリと軋む音が、普段とは違う重苦しさを醸し出す。


 ◇◇◇


 グレイサー・ヴィトリアもその場に同席していたが、彼は壁際に立ったままコーヒーカップを手に、いつもの放任主義を貫いているようだ。


 カディスはテーブルの中央付近に立ち、やわらかな物腰で視線を一通り回した。


「まずは殿下からの言伝だ。皆さんをこの学園で特別に研究させ、成果を出してほしい――そうすれば、小領地改革の前段階として“学園における新技術開発”の形が整う。保守派の妨害を恐れず、どうか存分に力を発揮してほしい…とのことだ」


 レオンが鼻を鳴らすように小さく笑い、「王子はずいぶんとユイスにお熱なんだな」とつぶやく。その言葉に、カディスは微笑みを浮かべながら首を振る。


「“お熱”という表現はどうかと思うが…殿下は君たちの潜在力を高く買っている。保守派から見れば“問題児クラス”など取るに足らないかもしれないが、少なくとも殿下は可能性があると見ているのだよ」


 トールが大きく息を吐いてから、テーブルの上に手をついた。


「いや、ありがてえ話だな! 王子直々の支援なんて、普通に考えたらすごいことじゃねえか? 俺らだって何かデカいことやりたいし…」


「そうだけど…うまくいかなくて怒られたらどうしよう…」


「もし研究が失敗したら…」


 ミレーヌ・クワントの低い声が、その場に染みわたった。彼女は資料を捲くる仕草をしながら、わずかに指先を震わせている。


「わたしたちの奨学生の立場…もしかすると、もう完全に無くなるんじゃ…」


 カディスが静かに目を閉じる。


「保守派の教師がそれをちらつかせる可能性はある。だが殿下は“そうはさせない”と断言している。もし成果が出れば、君たちの研究価値は揺るぎないものとなる。むしろ、保守派に追い風を与えるかどうかは“結果次第”と言えるだろうね」


 その言葉に、エリアーヌやミレーヌの顔には緊張がさらに色濃く浮かんだ。だが一方で、トールが大きく頷いて力拳を作る。


「そりゃまあ、やるしかねえよな。俺たち、ここで終わったら悔しいし!」


 ◇◇◇


 ユイスはカディスを正面に見つめながら、少しだけ口を開いた。


「……レオナート殿下は、いらっしゃらないんですね」


 カディスは一瞬、口元に笑みを宿してからわずかにうつむき加減になる。


「殿下は王都での公務が多忙だ。学園内の説明会程度では、わざわざ足を運ぶ必要はない…と思われたのかもしれない」


 その言い回しに引っかかるものを感じながら、ユイスは視線を下げる。


(やはり、学園での会議にわざわざ殿下本人が来るほどの重要事じゃない――そう判断された、ということか。でも俺らには時間がない。保守派も黙ってはいないはずだし…)


 小さく息をつき、ノートを握り直した。


「…ともかく、研究環境を整えてくれるんですよね。具体的にはどんな形に?」


 カディスはうなずき、腰のベルトから巻き物状の文書を取り出す。


「学園の一室が、専用の研究室として提供される予定だ。装備や備品も、必要な最低限は王宮から支給できる。術式の実験には危険も伴うだろうが、そこは学園の設備も使ってほしい」


「研究室…!」


 エリアーヌがぱっと顔を明るくする。今まで問題児クラスはろくな設備を与えられず、使い古された教室の隅で魔法の練習をするしかなかった。


 ミレーヌも、商才視点で「材料の購入資金がどれくらい下りるか…」と早速頭の中で計算しているようだ。


 レオンは腕を組みながら、険のある声で問う。


「それって、結局“成果次第”でしょ? 失敗すれば支給した設備の分だけ、あとで保守派に責められるんじゃないのか?」


 カディスはゆっくり首を横に振り、「成果が出せなければ、もともと特例奨学生の制度は取り消される見込みも高い。そうなるならば、今ある研究室なんて関係ない」という言い方で柔らかく突き放す。


「殿下は“賭けをする”とお考えだ。君たちが研究を成功させれば、保守派はもはや口出ししづらい。逆に失敗なら、“保守派が喜ぶだけ”で終わる話。学園上層部も大きなダメージを被るかもしれないが…殿下にとっては想定内のリスクだろう」


 その冷静な分析に、トールは思わずうなる。


「おいおい、殿下ってわりとドライなんだな…俺たちが成功すればいいってことかよ」


「成功すればいい……まあ、その一言だよね」


 レオンが改めて「利用されてるんだな」と感じたようで、鼻で笑う。


 ◇◇◇


 すると、壁際で黙っていたグレイサーが、コーヒーカップを置いて浅く息をつく。


「いいんじゃないか。それだけの話だ。もともと問題児クラスなんてどこからも期待されていない。だが成果を出せば、学園に居場所を確保できる」


 トールは頷き、エリアーヌもその言葉に救われたようにほっと息を漏らす。


「そ、そうだね…研究できる場所がもらえるなら、わたしたち、頑張れるかも!」


 レオンは「ふん…」とそっぽを向くが、内心では打ち切り回避の糸口があるなら悪い話でもないと納得したふうだ。


 ユイスはじっとノートに視線を落とし、記録用の空欄にさらさらとペンを走らせる。


(レオナート殿下…俺たちに投資してくれてるのは間違いない。でも、それが本当に善意なのか、ただの政略なのか…答えはまだ見えない)


 会議室にわずかな沈黙が落ちた後、カディスが巻き物を広げ、各自に概要を渡し始める。


「では、こちらの書類に目を通してくれ。研究室の場所や注意点、王宮からの支給可能な物資一覧などが書かれている。細かな不備は後日、学園の担当教師が調整することになるから、遠慮なく申し出てほしい」


「え、えっと…材料費は学園の購買と連携して…?」


「もちろんだ。予算内であれば殿下が補填する形になる。領地改革の実地試験に繋げるためにも、最低限の実験成功は欲しいというお考えだ」


「ふうん…最低限の成功ね」


「成功どころか、すげぇ研究成果を出して驚かせてやろうぜ!」


「大口叩くのはいいが、火の魔法で研究室を爆破しないでくれよ?」


 レオンの冷ややかな言葉に、トールが「うるせえ!」とわずかに声を荒らげ、エリアーヌやミレーヌは苦笑いしながら見守る。


 ◇◇◇


 その様子を眺めていたカディスは、口元にごく小さな笑みを湛えた。


「なかなかに元気があるな。じゃあ、私はここでひとまず失礼する。殿下には報告しておくが、もし要望や追加の相談があれば、私宛ての手紙を学園に出してくれ。王都と学園を往復しているから、対応は早いはずだ」


 そう言って、カディスは流れるような動作で一礼し、踵を返す。


 ドアの向こうには既に何人かの保守派教師がちらっとこちらを覗いている気配があったが、カディスは構うことなく廊下に消えていった。


 ◇◇◇


「さて…」


 グレイサーがコーヒーを飲み干して、机の角に腰を下ろす。


「話は聞いただろう。学園で研究できるだけでも、今の君たちにはありがたい話だ。あとは、どう使うかだな。結果が全てを決める」


 トールが「よしきた!」と身体を伸ばし、エリアーヌやミレーヌと顔を見合わせる。


 レオンは「あんまり期待しすぎるなよ。研究を始めたはいいが、保守派の嫌がらせは確実に増える…」と釘を刺すが、そこに諦観ばかりがあるわけでもなさそうだ。


 ユイスはそんな仲間のやりとりを聞きながら、改めてノートに走り書きする。


(研究室…装備…予算。これで“数式理論”をもっと具体的に進められる。一瞬とはいえ模擬戦で火力を出せたんだ。上手く最適化すれば、ちゃんと保守派にも負けない魔法が作れるはず…)


 思わず右手のペンが止まり、視線が遠くなる。


 ――レオナート殿下がくれた機会をどう生かすかは、俺たち次第。そしてもし失敗したら…すべてが終わる、か。


「おい、ユイス!」


 トールの声にハッと我に返ると、メンバーが一斉にユイスを見ていた。


 エリアーヌが微笑みながら、「どうする? 細かい打ち合わせ、今からする?」と上目遣いに尋ねる。


「…ああ、そうだな。今のうちにやれることは整理しておこう」


 ユイスが頷くと、レオンは口元をほんの少し持ち上げる。


「ま、とりあえずは“成功してみせる”と意気込みを見せておくか」


「おお、なんかやる気出てきた!」


 トールは隣のエリアーヌに「やべえ、何から始めればいい?」と早速あたふた。ミレーヌは資料の数字を確認しながら、目を輝かせて「この装備が使えるなら、魔力コストを大幅に下げられるかも…」とつぶやいている。


 その光景を、グレイサーは相変わらず淡々と眺めながら「ま、せいぜい頑張ってくれ」とぼそりと呟く。


 ◇◇◇


 部屋の片隅、ユイスは一人ノートを閉じ、深く息を吸った。


(フィオナ…俺、ようやく研究をちゃんと進められることになった。王子の思惑が何であれ、ここで成果を出せば保守派を黙らせることができる。きっと、今度は誰も見捨てられない社会に近づけるはず…)


 その思考の先には、レオナートの背がちらつく。本人は来ず、代理のカディスを派遣するだけ――その程度の優先度だというのが少し気にかかるが、今は文句を言っている余裕はない。


 彼は無意識にノートを抱え込み、ひとりごちる。


「利用されるだけかもしれない。でも、それでも…俺はやるしかない」


 誰に聞かせるでもなく、自分自身に言い聞かせるかのように、声を押し殺してつぶやいた。


 問題児クラスの仲間が一斉に資料を手に立ち上がり、各々の思惑を胸に会議室を出ようとする。扉を開くと、廊下には数人の保守派教師が遠巻きにこちらを睨んでいたが、誰も直接声をかけることはなかった。


 重厚な扉が静かに閉まる。


 その先で待ち受けているのは、決して簡単ではない道のり――だが、追い詰められたユイスたちにとっては唯一の生き残るチャンスでもあった。


 ◇◇◇


 会議が終わり、全員が廊下に出たとき、レオンがぽつりと言った。


「王子の真意、見抜いてやろうじゃないか。僕らにどれほどの力があるか…やってみる価値はあるんだろ?」


 トールが「おうよ!」と歯を見せて笑い、エリアーヌやミレーヌも頷く。


 最後にユイスは、ノートをぐっと掴んだまま、小さく息をついた。


「レオナート殿下が何を考えてるか、いつか分かるときが来るさ。……俺たちはただ数式理論を完成させる」


 誰もがその決意を感じ取り、言葉少なに頷く。


 保守派に反撃する時間はきっとそう長くはない。だが、今は前を向くだけだ。


 そうして問題児クラスは“特別プロジェクト”へ向けた第一歩を、学園の会議室から踏み出した。研究の詳細、担当する実験内容、そして不足備品のリストアップ――やるべきことは山ほどある。

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