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6. レオナートの申し出

 ユイスは夕刻の学園寮を出て、馬車で王都ラグレアへ向かった。いつになく胸の奥が重く脈打つのは、王宮の壮麗さを想像しながらも、その先にいるレオナート王子と対峙する緊張を拭えないからだ。


 ◇◇◇


 王城の外壁は高く、荘厳な門には王家の紋章が刻まれている。案内の侍従に馬車を預けると、ユイスは門をくぐり、広大な敷地の石畳を歩いた。両脇には色とりどりの草花が手入れされ、中央には優雅な噴水。学園の式典でさえ煌びやかだと思っていたが、王宮の風格はそれを遥かに凌駕している。


「あまり、視線を泳がせないことだ。殿下を待たせては失礼にあたる」


 近衛騎士らしき男が低い声で告げた。首の後ろまで覆われた甲冑が無骨な印象を与えるが、その態度はあくまで静かに丁寧だ。ユイスはごくりと唾を飲み込み、無言でうなずく。リュディアに教わった礼儀作法を思い起こしながら、慣れない歩幅を意識して足を進めた。


 廊下は磨き上げられた大理石で、淡く照らされたランプが等間隔に並ぶ。壁にかけられた絵画や細工の数々も、庶民からすれば信じがたいほどの価値がありそうだ。部屋の扉という扉に貼られた繊細な装飾に圧倒されながら、ユイスは懸命に背筋を伸ばした。


(ここで変な挙動をしたら終わりだ。保守派の教師どもが「ほら見ろ」と嘲笑する姿が目に浮かぶ)


 ユイスは胸の内でそう呟き、正装の詰め襟を無意識に一度引っ張る。もともと自分の体格に合わなかった学園制服をエリアーヌが仕立て直してくれたおかげで、ぎこちなさはまだマシになったが、緊張が襟元を熱くさせる。


 ◇◇◇


 やがて近衛騎士が大きな扉の前で立ち止まり、ノックする。


「レオナート殿下、ユイス・アステリア様をお連れいたしました」


 中から「通せ」という柔らかな声が返ってくると、騎士は扉を静かに開き、「こちらへ」とユイスを招いた。


 部屋に足を踏み入れた途端、ユイスの視線は大きな窓から差し込む光と、落ち着いた色合いの調度品に奪われる。広すぎるわけではないが、決して質素とも言えない空間。壁際には王家の紋章を象った旗が小さく掲げられ、細工の施されたソファが一組、優雅に置かれている。そこにいたのは、想像していたよりもずっと柔和な印象を湛えた青年だった。


「ようこそ、ユイス・アステリア」


 青年はすっと立ち上がり、微笑みを浮かべた。銀糸が織り込まれた王族用の制服を身にまとい、だが威圧感はない。むしろ貴族にありがちな傲慢さを表に出さない、柔らかな空気を漂わせている。


 その人物――レオナート王子はユイスの姿を改めて眺め、


「待ちわびていたよ。模擬戦での君の魔法、なかなかに興味深かった」


 と優しい調子で言う。


「……お会いできて光栄です、殿下。自分なんか、まったく大した者では……」


 慣れない礼儀作法をすべて思い返しつつ、ユイスは深く頭を下げる。心臓が妙に高鳴って、声がやや掠れたのを自覚した。レオナートは「そんなに緊張しなくていい」と手のひらを向けて制し、


「まずは席に座ろう。堅苦しいのは苦手でね。私自身、そんなに格式張った人間でもないんだ」


 と続けた。王族にあるまじきくだけた調子が、却ってユイスの不安を揺らがす。“どこまで本音かわからない”――リュディアの警告がちらりと脳裏をよぎる。


 ◇◇◇


 促されて腰掛けたソファは適度な柔らかさだったが、ユイスは背筋を伸ばして強張ってしまう。テーブルに運ばれる茶器や菓子の香りが優雅な空気を醸しているが、匂いを楽しむ余裕などどこにもない。


「模擬戦は学園スタンドの特等席で見ていたよ」


 レオナートは何気なく切り出し、微笑を湛えたままユイスの顔を見つめる。


「あのときは、制御が不十分で暴走ぎみだったとか。だが、それこそ血統主義に囚われない可能性の証明だと思うんだよ。短い詠唱でも、あの一瞬の火力を出せるとはね」


「……未熟者です。失敗した挙句、結果も出せず……保守派からは散々な扱いを受けました」


「だからこそ、わざわざこうして呼んだんだ。私は今、血統に頼らず成り上がる術を模索している。魔力量の多寡だけで貴族の価値を決める風潮を変えられたら、どれだけ多くの人が救われることか……」


 レオナートの口調は優しい。しかしその瞳の奥に一瞬走った光は、鋭い野心を想起させる。ユイスは思わず言葉をのみ込んだ。


「……救われる、ですか。俺にそんな力があるとは、とても……」


 視界の端でノートを握りしめる自分の手が見える。いつも魔法式を走り書きするためのノートだ。フィオナの死から抱え続ける怒りと無力感――それを乗り越えるために研究してきた数式理論。その“可能性”を、この王族は本当に信じているのだろうか。


「私にとっても大きな意味がある。血統至上主義の連中を黙らせるには、現実的な実績が必要だろう? 君の理論でそれを示せれば、学園上層部や保守派に引導を渡せる。……どうかな、ユイス・アステリア。私が主導する特別プロジェクトに参加してみないか?」


 レオナートはソファから少し身を乗り出して、ユイスの目を見据える。


「小領地を一つ、私の裁量で改革してみせるんだ。民衆に有益な技術であると証明できれば、君の奨学生打ち切りも自然と消える。いや、それどころか学園内での立場が一変するかもしれないよ」


「小領地の改革……」


 ユイスの胸中に、フィオナの姿がフラッシュバックする。病床の彼女を救おうとしたが、領地の保守的な制限により医療魔法を受けられなかった。あの時の無力感。そして、“数式理論さえ完成していれば”という悔しさ。


「確かに、俺は保守派に学園を追い出される寸前です。……でも、殿下がわざわざ手を差し伸べてくださる理由は何でしょうか?」


 ユイスはあえて正面から問いかける。ここで臆してばかりでは何も変わらない。レオナートは微笑んだまま、言葉を続けた。


「理由か……。私もね、母が下級貴族出身で、血統にこだわる保守派には疎まれがちなのだよ。もし君の研究が本格的に花開けば、血統に頼らない社会を作る糸口になるかもしれない。それは私にとっての政治的追い風でもある」


 ふと、レオナートの口元の端がわずかに上がる。


「つまり互いにメリットがある、というわけだ。私は君を“利用”させてもらう代わりに、君も私の権力を存分に使えばいい。数式理論を発展させるためにね」


 “利用”という単語にユイスは一瞬身震いする。だが同時に、この瞬間まで感じていたモヤモヤが少しすっきりした。言い方はともかく、お互い計算尽くなのだと認めているのだろう。この王子の笑顔の裏には、確かに冷徹な政治的駆け引きが潜んでいる。


(それでも……。俺はここで勝負に出なければ何も変えられない)


 幼馴染を失ったあの日以来、「いつかこんな理不尽を壊してやる」と願いながら研究を続けてきた。保守派の嘲笑を跳ね返すには“実績”が必要。それに、フィオナと同じように救いを得られない人々を生みたくない。王族という後ろ盾があるならば、社会に食い込む余地が出るかもしれない。


 ユイスは視線を落とし、ノートを握る手に力を込めた。


「……わかりました。やらせてください。数式理論を完成させて、人々の暮らしに役立つ魔法を実証してみせます」


 レオナートの瞳が嬉しそうに細まる。彼は手を差し出し、


「ありがとう。そうと決まれば、早速プロジェクトの準備を進めるとしよう」


 揺れる気持ちを振り切るように、ユイスはその手を固く握り返す。温度は優しげだが、どこか底の見えない感触。それでも背を向ける選択肢はない。


「失敗は、許されないんでしょうね……」


「失敗すれば、保守派はここぞとばかりに叩いてくるだろう。私も立場を損ねる。君にとっても学園にいられなくなる……いや、それ以上の痛手を負うかもしれない」


 レオナートは言葉を選ぶようにゆっくり話し、柔らかな微笑をキープしながらも淡々と事実だけを告げる。


「けど、成功すれば、もう誰も数式魔法を笑えなくなる。君は“無力な落ちこぼれ”じゃなく、“庶民にも恩恵を与えうる新魔法の開祖”として認められるだろう」


 王子の持つ“純粋な理想と冷徹な打算”。両方を感じ取ったユイスは、小さく息をついた。胸に巣食う不安と、フィオナに誓った復讐にも似た想いがないまぜになり、やがて静かな決意へと集約していく。


 ――ここで退けば、何も変わらないままだ。


「……わかりました。それでも俺はやります」


 震える声を抑えるように、ユイスはもう一度言った。その瞳の奥には確かな火が宿っている。レオナートは満足げに微笑み、そっと握手を解く。


 傍らに控えていた近衛騎士が一礼し、密かにメモを取る。おそらく“契約”とも呼べるこの合意を、レオナートとユイスの間で正式に交わした瞬間だった。


「では、準備が整い次第、学園にも正式な通知を送ろう。君にはまず必要な書物と研究室を自由に使ってもらうが、同時に小領地へ行く手筈も整えてもらう」


 レオナートは楽しげに言葉を継ぎ、


「成功を祈るよ、ユイス・アステリア――いや、我らが未来を変えうる研究者殿」


 とまるで称号でも授けるかのように口元を歪める。ユイスの背筋をぞくりとする冷たい風が吹き抜けたように感じたが、それを表には出さない。


 ◇◇◇


 面談を終え、王宮の廊下に戻ったユイスは、まだ足が震えているのを覚える。門のほうへと案内する侍従の隙を突いて、そっとノートを開き、メモを残した。数式理論を応用して生活インフラを整える工程、自分の魔力量の不足をどうカバーするか、どれだけの人員が必要か……。


(これを成功させれば、あの保守派教師どもに文句を言わせないだけでなく、同じ境遇の人間を救う道筋になる。だけど……)


 浮かんだのは、レオナートのあの柔らかな微笑と鋭い視線。後ろに潜む思惑。その全貌までは計り知れない。ただ利用されて終わる――そんな可能性もあるだろう。


(それでも、俺は勝ち目のある方へ賭けるしかない。フィオナ……待っててくれ)

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