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4. 招集

 夜はまだ明けきらないというのに、問題児クラス寮の廊下には早足の足音が響いた。起き抜けの生徒たちが何ごとかと顔を出す中、ドアの隙間から洩れた小さな明かりに目をやる。部屋の中央には机を囲むように数人が集まり、微妙な空気が漂っていた。


「ユイス、また寝てないんじゃないか?」


 トールが心配そうに声をかける。昨夜のうちに「まだ終わりじゃない」と言ったきり、ユイスは仮眠らしい仮眠も取らずノートとにらめっこを続けていた。


「どうしても、もう少し演算式を整えたくてな…」


 そう答える声には眠気と焦燥が入り交じり、いつになくかすれている。彼の指先はノートの端をさすりながら、式の端々を指でなぞっていた。


 エリアーヌが小さくあくびをしながら戸口に寄りかかる。


「もう朝だよ……。昨日の夜に、あんなに気合いを入れたんだから、無理ばっかりしてたら身体がもたないよ」


 彼女の語尾は少し鼻声気味だが、そう言う目にはどこか安堵の色もあった。今のユイスが落ち込むばかりではないことを知り、ひとまず肩の力を抜いたようだ。


 ◇◇◇


 朝のホームルーム時間が近づくと、問題児クラスはいつものように古めかしい教室へと移動した。廊下では相変わらず保守派の教師や他クラスの生徒が立ち話をしている。


「ほら、あれが数式理論の落ちこぼれたちだ」


「特例奨学生なんて、よくもまあ続いていられるね」


 ひそひそ声が耳に届いても、今はそれにいちいち反応する者はいない。ユイスも前ほど気にする余裕がなかった。自分がやるべきことをやるしかないと思いつつ、必要以上に周囲を見回すことはしないようにしていた。


 教室の扉を開けると、すでにレオンとミレーヌが席に着いている。レオンは相変わらず一見やる気のない顔つきでイスにもたれかかり、ミレーヌは何やら小声で「今日は大丈夫……大丈夫…」と自分を落ち着かせようとしていた。


 エリアーヌとトールも続いて入り、ユイスが最後にドアをしめる。その途端、外から軽いノックが聞こえた。


「失礼するよ」


 ドアを開けて現れたのは見慣れない青年だった。貴族然とした仕立ての服を着ているが、胸元には見慣れない紋章が縫われている。しんと静まりかえった問題児クラスの視線を一身に浴びながら、彼は校内での無駄な礼儀を省くように短く口を開く。


「王族レオナート様の使いで来た。ここにいる、ユイス・アステリア殿はどちらかな?」


 一瞬、誰も声を出せずにいた。その場の空気が凍りついたようになる。トールが慌ててユイスの背を軽く叩く。


「……ユイス、お前だぞ……」


「え、あ、俺、ですけど…」


 思わず立ち上がったユイスが返事をすると、青年は丁重な口調を崩さず言葉を続ける。


「殿下が面会を望まれている。近日中に時間を作って頂きたいとのことだ」


 その言葉に、教室内がざわざわとどよめいた。トールは「王子……王族の、レオナート殿下?」と小声で繰り返し、エリアーヌは唇に手を当てて目を丸くする。レオンでさえ、手元の本を伏せて「へえ、わざわざ呼びつけるとはね」と皮肉交じりに漏らした。


「ど、どういう…」


 ユイス自身もその場に立ちすくむ。正直、何がなんだかわからない。使いの青年が続けざまに封筒を差し出し、


「詳しいやり取りは書状にございます。殿下が学園上層部とも話をつけておられますので、君が受諾するかどうかはお任せしましょう。ただ、可能な限り早めに返事をいただきたい」


 そう言うと、一礼して教室から立ち去ってしまった。


「お、おい……すげぇことになったな!」


 トールが真っ先に声を上げる。それは興奮もあるが、半分は不安そうでもある。


 ミレーヌは息を呑み、「王族から直接の招集って、そうそうないよね…。なんでユイスが?」と続く。


「保守派教師を出し抜くつもりかな、王子殿は」


 レオンが低い声でつぶやいた。まるで面白がるようでいて、複雑な色がにじむ。


 ◇◇◇


 そこへバタバタと教室に入ってきたのは、保守派寄りで有名な教師ヘルガ・ファルネーゼ。彼女はひと目でクラスの様子に気づいたのか、目を細めると、


「……王族に会うからといって浮かれるなよ。とくに、お前らのような落ちこぼれは失礼のないようにな」


 と、鼻先で笑うように言い捨てる。だが保守派である彼女も王族の意向には逆らいづらいのか、それ以上の嫌味は言わず、足早に去っていった。


「やれやれ、あれはあれでプレッシャーだな」


 レオンが乾いた笑みを浮かべ、肩をすくめる。


 トールが不満げに舌打ちする。「ちくしょう、あいつら見下しやがって…。でも王族に呼ばれるなんて、めちゃくちゃ凄いじゃんか! ユイス、これで奨学生打ち切りを覆すきっかけになるかもな!」


「う、うん……」


 ユイスはまだ封筒を手の中で握り締めている。王族の文様入りの封蝋は壊さず、そのまま。開封するのが少し怖かった。


「たぶん……断れないよね」


 エリアーヌが落ち着かない面持ちで呟く。


「あんまり深く考えず、素直に行ってみるのがいいんじゃないかな…」


 ミレーヌは不安そうだが、「他の道がないなら、これにかけるしか…」とつぶやく。確かに、特例奨学生をここで打ち切られたら、ユイスだけでなく、問題児クラスの存在意義も危うくなるかもしれない。


 そのとき、廊下の向こうに細身の人影が見えた。リュディア・イヴァロールが教室の扉付近まで来て、迷うように足を止めている。エリアーヌがそれに気づいて小さく手を振ると、意を決したように彼女が歩み寄った。


「…聞いたわ。王族レオナート様からの招集、なんですって?」


 その瞳は曇った色を帯び、ユイスをじっと見つめる。


「どうして貴方が指名されたかはわからないけれど、下手に近づけば利用される可能性があるわ。……大丈夫なの?」


 ユイスは苦い顔で返す。


「わかってる。けど……選択の余地はない。今のままじゃ保守派に押し潰されるんだから」


 リュディアは唇を引き結んでしばらく沈黙し、「そう……。なら、気をつけて」とだけ言うと踵を返し、行きかけてまた振り返った。


「…困ったときは、声をかけて。私にできることがあるなら、協力するから……勘違いしないで。貴方に倒れられると、色々面倒だからってだけよ」


 頬をわずかに染めながら去る後ろ姿には、素直になれない思いがにじんでいた。


 ◇◇◇


 昼休み、問題児クラスのメンバーはまとまって空き教室に集まった。封筒を開くと、そこには公用文めいた書式で、王族レオナートの直筆が記されている。


「……ユイス・アステリア殿におかれましては、学園内での数式理論と模擬戦での試みについて……ぜひ拝見したく……近日中に都合を伺いたい……」


 エリアーヌが震え気味の声で読み上げる。言い回しは礼儀正しいが、実質「必ず来るように」と言わんばかりの文面だった。


 トールは目を輝かせる。


「やっぱり王子もお前の魔法に興味を持ったんだよ! あれだけはっきり大火力が出たんだから!」


「暴走だったけどな」


「でも、もしかして王族の後ろ盾を得られれば、保守派も黙らざるを得ないかもよ……?」


 ミレーヌが弱々しく微笑む。


 ユイスはノートを抱えたまま、視線を下げる。


「……正直、怖いな。王族が何を企んでるか、何を求めているのか……でも、今できることは行くしかないだろう。グレイサー先生にも相談したいし」


「ああ、それなら……」


 話が一区切りついたそのとき、ひょいと扉の向こうからグレイサーが顔をのぞかせた。いつも通りのコーヒーカップを手に、呆れたような笑みを浮かべる。


「なんだ、みんなで会議か? まあ王族の招集とは、随分と派手な話になったな」


 トールが「先生、どう思います?」とすがるような目を向けると、グレイサーはさらに苦笑して肩をすくめた。


「行けばいいさ。学園でもレオナート殿下はそれなりに改革派として知られてる。保守派にとっては面白くない動きだろうが、おまえらにとっては悪い話でもない」


「でも……、もし利用されるだけだったら……」


 グレイサーはカップの縁に口をつけてから、ひとつ息をつく。


「利用か……そうだな、王族も貴族も、基本は似たようなもんだ。だが、お前がここで何もしなけりゃ状況は変わらない。だったら試しに行ってみろ。いつも言ってるが、学園だけが世界じゃないしな」


 その瞳には、どこか面白がっているような光が混じっている。


 エリアーヌがはっとした表情で「先生、やっぱり“外を見ろ”ってあのときの…」と言いかけると、グレイサーは「さあな」と適当に返してからコーヒーを飲み干し、


「まあ、失敗したらしたで、俺はまた書類の山に戻るだけだ。……とはいえ、せっかくの数式魔法が無駄になるのは惜しい。頑張れよ、ユイス」


 そう言って踵を返した。


 ◇◇◇


 夕方の西日が、教室の窓枠を赤く染め始める。問題児クラスの数人だけが残り、机を囲んで封筒の中身を改めて確認していた。ユイスは深呼吸し、机にそっと封を置く。


「行こう。レオナート王子に会ってみる。あの人がどんな思惑であれ、ここで動かなければ打ち切りの未来が待っているだけだろうから」


 言葉こそ静かだが、その奥には熱がこもっていた。失敗すれば取り返しがつかないかもしれないが、それ以上に何もしないで終わるわけにはいかないという意志が伝わる。


 トールがうなずいて拳を握る。


「よし、俺たちでできることがあれば手伝うぞ! 王族の前で下手打たないように、身だしなみとか礼儀とかさ!」


 エリアーヌも微笑もうとして、すぐに顔を曇らせる。


「あ…でも、私も王族に会ったことなんてないよ。どうしよう、マナー本とか探しておかなきゃ……」


 レオンは鼻で笑って「慌てるなよ。準備くらいは整えられるさ。そもそも向こうが何を期待しているか不明なんだからな」と言うが、どこか興味津々なようにも見える。


 ユイスはノートを閉じて立ち上がる。


「明日、詳しく相談しよう。リュディアにも聞いてみる……あの人なら多少わかるかもしれない」


 仲間たちがうなずく中、彼は窓の外を見やる。西日に染まった空には、まだ柔らかい光が残っていた。


(ここで逃げるわけにはいかない……このチャンスを掴まなきゃ、何も変わらないんだ)


 そう心の中でつぶやき、ユイスは拳をかたく握る。学園という狭い場所を少し飛び出した先に、新しい道があるかもしれない。いや、見つけ出さなくてはならない。


 そして、王族レオナートがどんな企みを持っていても、それを利用できるくらい強くならなくてはいけない──そんな決意が、かすかな夕陽の中に浮かんでいた。


 彼の背を見ていた問題児クラスの面々も、各々に思いを抱きながら静かに視線を交わす。もはや引き返せない。保守派に打ち切られるか、王族に利用されるか──いずれにせよ選べる道など多くはない。

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