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3. 意気消沈

 ユイスが廊下を歩き去った直後、問題児クラス寮の薄暗い共同スペースでは、トールやエリアーヌたちが言葉少なに顔をつき合わせていた。夕食の時間を過ぎても、誰も食欲がわかないのか、半端に残ったままの皿がテーブルに散らばっている。


「奨学生制度が打ち切りだなんて…どうなるんだよ、俺たち。」

 トールが両手で頭を抱え、床を見つめる。普段は騒がしい彼が沈黙に近い声を出すと、周囲の空気も一層重くなる。


「問題児クラスなんてもともと危うい立場なのに、このままじゃほぼ全員退学扱い…」

 ミレーヌは椅子の背にうずくまるようにして小さく呟いた。息をするのも苦しそうだ。


「そんな言い方しないでよ…。せっかくユイスも、みんなも頑張ってきたのに…」

 エリアーヌが涙目でミレーヌを見やるが、言葉の続きは出てこない。自分だって不安なはずで、それ以上を口にすると泣きそうになるのがわかっているのだろう。


 レオンはイスに半ば沈み込み、「はあ…」と大きく息をついた。

「模擬戦の結果があれじゃな。数式理論なんて、保守派教師どもが笑う気持ちもわかるさ。現に“実際の役に立たない机上の空論”とか言われてるしな。」

 本人も気の毒なくらい投げやりな調子だが、そのまなざしはどこか焦りを帯びている。


 ◇◇◇


 そこへ、ドアが静かにノックされる音が聞こえた。トールがわずかに顔を上げ、「…誰だ?」と声をかけると、担任教師であるグレイサーがコーヒーカップ片手にふらりと姿を見せる。やわい照明に照らされる彼の表情は、いつもの飄々とした雰囲気をそのままに見せていた。


「よう。暗いな。みんな落ちてるか?」

 グレイサーは室内をぐるりと見渡す。散らかった食器やノート、沈んだ顔の生徒たち。だが、彼はそれを特に咎めるでもなく、ドア枠に寄りかかるように立っている。


「先生…」

 エリアーヌが半泣きで口を開くが、声にならない。トールが代わって言葉を継いだ。

「…先生は、奨学生制度が打ち切られるって話、どう思うんですか? このまま、俺たち、追い出されるんですよね?」


 グレイサーは肩をすくめる。


「まだ確定したわけじゃない。それに、黙らせる方法が全くないわけでもない。可能性はどこにでも転がってるからな。」


「でも、保守派教師たちは“何の成果も見せられなかった”って言ってます。次の機会がないのに…成果なんかどう出せっていうんだ。」

 トールが悔しさをにじませてテーブルを拳で叩く。


 レオンが横から、半ば皮肉に口を挟む。

「成果、成果って言うがな。そもそも低魔力の俺たちが、血統魔法と同じくらいの火力を出せるわけないだろ。数式理論って結局、模擬戦で暴発しそうになっただけじゃないか。」


 その言葉にエリアーヌが「そんなの…」と首を振ろうとするが、反論の勢いは続かない。ミレーヌも視線を落とし、震えた声で「学園から出されたら…もう私…」と呟いた。


 誰も先の展望を示せないまま、重い沈黙が漂う。ユイスもここにいれば何か言うかもしれないが、本人はすでに別の場所へ消えてしまっていた。ノートを片手に、焦燥を抱えたまま。


 グレイサーはそのノートを探すかのように辺りを見回し、ユイスの姿がないことを確認すると、小さく息をついた。

「ま、保守派にアレコレ言われるのは今に始まったことじゃないし、落ち込むのもわかる。でもな…」


「でも、何ですか。」

 トールが低い声で問う。グレイサーはコーヒーをすすってから、テーブルの上のノート類を指先でトントンと軽く叩く。


「学園の中だけが世界じゃない。数式魔法が血統魔法に負けたとか、どこにも通用しないとか、そんなのは机上の話さ。実際に外へ行けば、机上じゃ測れない問題がゴロゴロしてる。」


「外、って…。先生、何を言いたいんです?」

 エリアーヌが首をかしげる。


「ま、焦るな。お前らはまだ終わっちゃいない。証明したいものがあるなら、探してこい。学園の外でも、中でも、どこでもな。じゃあな。」


 それだけ言って、彼はふらりと扉の向こうへ姿を消した。言い残された生徒たちは、呆気に取られて互いの顔を見合わせる。レオンが「なんだよ、あれ。いつもの放任主義か?」と吐き捨て、エリアーヌが「でも…外って…どういう意味なんだろう」と小声で問いかける。


 ◇◇◇


 空気は沈んだままではあるが、先ほどよりは若干、違う色が混じっていた。レオンがソファの端に身を預けながら苦笑する。

「ふん、グレイサーの言葉がヒントになるとも思えないが…学園以外にも道がある、か。まるで誰かが拾ってくれるのを待て、って感じだな。」


「でも、それしかないなら…やるしかないよね。」

 エリアーヌが両手をぎゅっと握り締める。泣きそうな顔つきは変わらないが、それでも投げやりにはならない意志がそこにあった。


 トールは無言で腕を組み、机を睨むように見つめている。額には汗がにじみ、舌打ちをぐっと飲み込んだような苦しげな表情だ。

「…俺、馬鹿みたいに火球しか撃てないからさ。正直、数式魔法がどうとか言われてもわからない。でも退学だけは、さすがに…」


 ミレーヌもようやく顔を上げ、「私…家族に苦労をかけてここに来たのに、何も成果が出せないのが悔しい…。このままじゃ、何のために入学したのか…」と零す。


 静寂の中、足音が廊下を通り過ぎる気配がしたが、問題児クラス寮の一室にいる彼らは誰も視線をやらなかった。ドアを閉め切った空間で、こもった熱だけが互いの息苦しさを増幅させている。


 ◇◇◇


 やがて、扉を軽く叩くような音。ゆっくり開けたのはユイスだった。ノートを抱えて戻ってきたのだが、いつも以上に疲れた面差しをしている。その姿を見て、トールやエリアーヌははっと身を起こした。


「ユイス…大丈夫だったのか?」

 トールが駆け寄り、肩に手を置く。ユイスはうなずき、笑顔になれないまま視線を落とす。


「ごめん。先に行っちゃって。でも…俺がもう少し上手くやってれば、こんな風にみんな苦しまなかったかもしれない。」

 口調は沈んでいるが、そこに諦めの色はない。何かを抱えたまま、歯を食いしばっているのがわかる。


「…それは違うよ。ユイスが悪いわけじゃない。」

 エリアーヌが微かに涙声で言った。


「私たち、そこまで数式魔法を理解できてないし、もっと協力できたかもしれないのに…」


「いや、皆がいなかったら俺は模擬戦だって挑めなかった。思った以上に手応えがないまま終わっちゃったけど…まだ終わりじゃない。」


「それはいいが、どうやって“終わりじゃない”のを示す気なんだ? 保守派教師どもは打ち切りに乗り気で、上層部も動きそうだぞ。」


 ユイスは口を閉じたままノートを開く。だが、すぐに答えは見つからない。

「わからない。でも…俺はここで潰れるわけにはいかないんだ。絶対に、まだできることがあるはずだ。」


 トールが「そりゃそうだ…」と相槌を打ち、頷いた。


「じゃあ、何から始めればいい。先生が言ってた“学園の外”とやらでも、具体的にどこに行けばいいかはわからないが…」


「どこに何があるか探してみよう、ってこと…?」

 ミレーヌが細い声で続ける。心もとないが、それでも何か光が生まれるならという期待が小さく宿る。


「まだ諦めない。…フィオナのためにも、こんなところで終わりたくないんだ。」

 ユイスがそう口走った瞬間、仲間たちはそれを誰も否定しなかった。エリアーヌとミレーヌはわずかに安堵の息を漏らし、レオンは顔を背けながらも「まあ…好きにしろよ」と力なく言う。トールはよくわからないながらも、拳を握ってユイスの言葉を後押しするかのように大きくうなずいた。


 部屋の空気は相変わらず重苦しかったが、それでもほんのわずかな熱が生まれたように感じられる。窓から差し込む夕闇の名残が、長く伸びた影をテーブルの上に落としていた。


 誰も成功の確証を持ってはいない。だが、暗く沈んだままでは終われない、という気持ちだけが共通してある。


 ユイスはノートを抱え直し、沈んだ仲間をぐるりと見回すと、かすかに息を吐き出した。

「このままで終わるつもりはない。方法は見えないけど、やるしかないんだ。いずれ、保守派を黙らせるだけの結果を出して、俺たち全員…ここで踏みとどまる。」


 誰も声を上げて賛成の意見を言わないが、トールの視線は鋭くなり、エリアーヌとミレーヌも小さくうなずく。レオンは苦笑いのまま視線を床に落とすが、「ふん…存分にやってくれ。俺も付き合うさ」と低く呟いた。


 そして、話題がすっかり尽きた後も、彼らはしばらく黙ったまま部屋に残っていた。倦怠と疲弊、そして微かな希望の混じる沈黙の中で、どこか「まだ全部が終わったわけじゃない」という空気を共有している。


 外からは夜風が吹き込み、カーテンがかすかに揺れている。窓の向こうで控えめに光る月が、その夜の始まりを告げていた。

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