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2. 保守派教師の追い打ち

 朝が訪れても、ユイスの部屋には夜の疲れが色濃く残っていた。机上のランプはとっくに燃料を使い切り、微かな白煙を揺らしながら消えかけている。ノートに走らせたペンの軌跡は途中で乱れ、彼自身がいつ眠りに落ちたかさえ分からないまま夜が明けてしまった。


「……もう朝、か」


 かすれた声で呟きながら、ユイスは凝り固まった肩を回す。深夜まで演算式とにらめっこしていたせいで首筋が鉛のように重い。だが、休んでいる余裕はなかった。彼はノートを乱雑に閉じ、まだ暗いうちに用意していた水で顔を洗う。


 ◇◇◇


 問題児クラスの面々が集まる教室は、朝一番にしては妙に陰気だった。すでに登校していたトール、エリアーヌ、ミレーヌ、そしてレオンが、そろって机や椅子に腰掛けたまま会話らしい会話もなく黙りこんでいる。


 そこへユイスがゆっくりと足を引きずるように入ってきた。その顔色は見るからに悪いが、皆を気遣う言葉を探すより先に、トールの荒い声が飛んでくる。


「おい、聞いたか? 保守派の教師どもが、また“奨学生”を打ち切るとか何とか……」


「それ、本当なの? あの模擬戦の結果が原因で……?」


「模擬戦で勝てなかったのは事実だけどさ、あんなに頑張ったのに……」


 エリアーヌの声は震え、今にも涙がこぼれそうになる。ミレーヌはそれを見て視線を落としながら、申し訳なさそうに小さく呟く。


「私……もっとサポートが上手くできていれば、せめて早期にギルフォードの攻撃を妨害できたかもしれないのに……」


「そんなの、今さら言ったって仕方ないだろ」


 一見冷酷に見えるが、その瞳にはどこか焦りが見え隠れしていた。


 するとトールが拳を握りしめ、壁をどんと蹴飛ばす。


「打ち切りだなんてふざけんな!」


 エリアーヌは悲嘆に暮れたように目を伏せる。


 ユイスは皆の視線を感じながら、壁際に立ち尽くす。昨夜の研究を思えば思うほど、苦々しさが胸を満たす。結局、どれほど式を組み直しても、あの火力を自在に扱えるビジョンは見えてこなかった。あのとき……もし成功していれば、こんなことにはならなかったか。


「……ゴメン。俺のせいだよな」


 ほとんど自嘲気味に、ユイスはため息をつく。ノートを抱え込み、視線を下げながら続けた。


「あのとき、フェイズ・コンパイルを完成させていれば……。そしたら、こんなふうにお前たちを巻き込むことも……」


「お前のせいじゃないだろ」


 トールが低い声で言う。だが、その拳には力がこもっている。


「俺たちだって、エリートクラスと正面から渡り合えるならそれが一番だって思ってたんだ。お前は……正直、良くやったよ。そうでなきゃ、模擬戦は開始早々に終わってたかもしれねえし」


 ミレーヌも意を決したように顔を上げ、消え入りそうな声で「そう……私も、ユイスの大技がなかったら、もっと悲惨な負け方をしてたと……思う」と続ける。


 それでも、問題児クラスの雰囲気は沈む一方だった。


 最終的に負けた事実は変わらない。学園側は「見せ場すらなかった」と評価しないかもしれない。


 ◇◇◇


 昼前の廊下はいつになくざわついていた。生徒たちの雑談の中に、「あの特例奨学生、やっぱり大したことなかった」とか、「保守派の先生が評価書を書き直すらしいよ」など、聞き捨てならない言葉が飛び交う。


 ユイスが足を止めると、すぐ近くからクスクスと笑い声が聞こえた。


「聞いたか? 問題児クラスのユイスって奴、血統魔法を超えるとか騒いでたくせに、結局はあの程度だってさ」


「あはは、やっぱり貴族の血筋には勝てないだろう。変な実験するから痛い目に遭うんだよ」


 ちらりと目をやると、保守派寄りの教師が数名、わざとらしく大声で話している。見たことのある顔だ――先の模擬戦でも「どうせ失敗する」と笑っていた連中だ。


 ユイスの背筋が固まりそうになるところへ、声をかける者がいた。


「……大丈夫なの? あなた、まだ無茶してるんじゃない?」


 顔を上げると、リュディアが立っている。ツンとすました表情だが、その瞳にははっきりと心配の色が宿っていた。


「別に。ちょっと寝不足なだけだ」


 ユイスはそっけなく答える。視線をそらしながら、横を通り過ぎようとした。


 しかし、リュディアはため息交じりに言葉を続ける。


「あなた、ちゃんと食事はしてる? 顔色が良くないわよ。……打ち切りの話、聞いてるでしょう?」


「……ああ、まぁな」


 ユイスの声には力がない。気遣いに答える余裕もなく、強引に足を進める。


 だがリュディアが一拍置き、遠慮がちに視線を落としたまま小声を漏らす。


「……何かあったら、言いなさいよ。別に私がどうにかできるわけじゃないけど……」


 最後は自分でも何を言っているのか分からないような表情になり、「ま、まぁいいわ。倒れないようにね」とそっぽを向いてしまう。


 それでもユイスは振り返らず、弱々しく肩を落として廊下の奥に消えていった。


 ◇◇◇


 その日の午後、職員室前でグレイサーの声が張り上がったと噂になった。


 保守派の教師たちが壁際に固まり、にやりと嘲る中、グレイサーはテーブルを挟んで必死に抗弁する。


「――あと少しだけ時間をもらえれば、ユイスたちの成果を示せるはずだ。数式理論はまだ未熟だが、理論自体は――」


 そこへ、リーダー格の教師が鼻で笑う。


「失敗は失敗ですよ、先生。あの模擬戦の惨敗をどう弁解するつもりです? 貴族派の血統魔法がどれほど強いか、すでに証明されたじゃないですか」


「絵空事に学園の奨学生枠を割く必要はない。これが“見直し”と決まれば、我々も責任を問われる前に処理を進めないとね」


 別の教師が相槌を打ち、頷き合う。


 グレイサーは苦々しげに唇を噛む。何度か言い返そうとして言葉に詰まった。


「……彼らは可能性を秘めている。あの数値だけで切り捨てるなんて、学園の名誉に関わる」


 しかし、保守派は一歩も引かない。


「では、大きな成果を提示してくださいよ。そうですね……“実践で勝利”でも“目に見える業績”でも。何も無ければ奨学生の優遇なんて無駄でしょう?」


 そう言い捨てられ、グレイサーは一瞬言葉を失う。


「……上層部の最終判断はまだかもしれないが、もし彼らが次の場で『目に見える結果』を示せなかったら、奨学生制度は――打ち切りですね」


 教師の誰かが持ち出した書類を突きつける。グレイサーはそれを睨み込むように見据え、「くそ……」と声にならぬ嘆きをこぼした。


 ◇◇◇


 夕刻。問題児クラスの教室には重苦しい空気が流れていた。


 授業も終わり、ほとんどの生徒が寮へ戻る時間。そこに戻ってきたグレイサーの表情は険しく、入り口を開けた瞬間にエリアーヌが期待のまなざしを向ける。


「先生……どうなりました? 奨学生制度打ち切りの話、どうにかなりそうですか……?」


 小さな声で問われ、グレイサーは首を横に振った。


「……正直、厳しい。上層部は保守派の意見に傾きかけている。今のままじゃ、何か特筆する成果が出なければ……打ち切りになるだろう」


「そ、そんな……!」


 エリアーヌは本当に泣き出しそうになり、ミレーヌが肩をそっと支える。トールは苛立ちを隠せず、机を叩いて立ち上がった。


「馬鹿にしやがって! あいつら、ただ俺たちを追い出したいだけだろ!?」


「まあ、そう言われりゃあ、そうかもな」


 レオンが皮肉交じりに呟き、グレイサーは疲れたように目を伏せる。


「……だが、言い返すには結果を出すしかない。俺が色々と動いてみるが、最終的にはお前たち自身が“実力”を見せる必要があるんだ」


 一同の視線が、部屋の隅に立つユイスへと向かう。彼は壁に寄りかかり、ノートを胸に抱いたまま苦しげに息をついていた。


「……分かってる。保守派がどう言おうと、本当は気にしない――そう言いたいところだけど、現実はそうもいかない……」


 ユイスは低く呟くと、視線を斜め下に落とす。その声には焦りと苛立ちが混じっていた。


「見返せるだけの成果が必要、か。今の俺じゃ……あの模擬戦と大して変わらない気がするけど……」


 ノートの表紙には何度も触れられたであろうインクの跡が滲んでいる。ユイスはそれを見下ろし、一瞬だけフィオナの笑顔を思い浮かべる。打ち切りになって学園を去れば、やりたかった研究を続ける場所を失いかねない。それは、彼の宿願――フィオナのために血統至上主義を覆す道――を断たれることと同じだ。


(こんなとこで終わってたまるかよ……)


「……ちょっと外の空気を吸ってくる」


 弱々しい声音で言い残し、ユイスは扉へ向かう。振り返ってみればエリアーヌやトールらが心配そうな目をしていたが、彼は何も言わずに教室を出ていく。


 ◇◇◇


 長い廊下を歩くうち、窓の外の夕日が濃い赤に染まっていくのが見えた。


 背後にはまだ、保守派教師たちの嘲笑や打ち切りの話題が渦巻いているに違いない。


 ユイスは歯を食いしばり、誰もいない廊下の一角で立ち止まった。


「こんなところで……終われるわけがない。まだ何も、形にできてないんだ」


 胸に抱えるノートを強く握りしめる。混じり合う焦りと怒りに、指先がわずかに震えた。


 頭の片隅では、“どうやって成果を示すか”という計算が奔流のように溢れている。


 時間はない。だが、諦めるわけにはいかない。


 外から吹き込む微かな風が、ノートの端をパラパラとめくった。そこには重ねて書き足された数式やメモがぎっしりと詰まっている。


 今にも破れそうな紙面に刻まれたユイスの思考。それが間違いではないと証明するためにも、彼は最後の足掻きをするしかなかった。


 にわかに夕日が一段と濃く燃え、窓辺を染める。ユイスはそれを一瞥し、心を奮い立たせるように教室とは逆方向へ歩き出した。


 どこかに打開策があるはずだ。どうにかして、自分の理論が“役に立つ”と示さねばならない。そうして初めて、打ち切りの危機を覆せる。


 彼の瞳には、夜のとばりが下りる前にどうにか手を打たなければ――という強い覚悟が宿っていた。

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