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1. 沈む心、再び灯る炎

 雲が低く垂れ込めた朝方の学園廊下。前より少し騒がしくなったのは、模擬戦から数日が過ぎ、生徒たちがこぞって結果を噂するようになったからだ。問題児クラスの面々が並んで歩けば、あちこちから冷笑の混じった視線が突き刺さる。


「…やっぱり、悔しいな」


 トール・ラグナーが廊下の隅でぽつりと漏らした。包帯は外れたが、火傷の名残が腕に微かに残っている。ミレーヌ・クワントは縮こまるように首をすくめる。


「私…もっと妨害を上手くできていれば、少しは違ったのかな…」


「いや、俺だってすぐに魔力切れ起こしたからな」


 トールは苦笑いしつつ、レオン・バナードへ視線を送る。レオンは壁に肩を預け、投げやりに言った。


「どうせ俺たちはこんなもんだろ。大口叩いたところで、血統魔法には勝てない…って世間が大喜びさ」


 その言葉に反論する者はいなかった。エリアーヌが小声で「あんなに頑張ったのに…」と涙目になり、肩を落とす。やりきれない空気が漂う中、すれ違いざまの保守派教師が鼻で笑った。


「見世物まがいの数式魔法なんて使うから、大恥をかくのだ。お前たち、学園の名を汚すなよ」


 あからさまな嘲りにトールの拳が震える。エリアーヌも言い返したそうに唇を震わせるが、相手は気にも留めずそのまま通り過ぎていく。ミレーヌが「もう…やめようよ…」と遠慮がちな声を漏らし、全員揃って黙り込んだ。廊下の窓越しに見える空は、どんよりと曇ったまま。


 ◇◇◇


 夜。問題児クラスの寮では一つの部屋に灯りがともっている。狭い机には演算用の紙やインク瓶、そして古い魔法書が散らかり放題だ。ユイス・アステリアは椅子に浅く腰かけ、何度目か分からない図式と向き合っていた。


「……くそっ…」


 小声で呟くと、彼は一度ペンを放り投げる。演算結果がまとまらず、下書き用紙にこびりついたインクの汚れだけが目立つ。


「位相重ね合わせ。あの暴発をどう止めれば…」


 医務室を出てからも、彼はろくに眠っていない。目は充血し、頬は幾分こけている。だが頭を休める選択肢はないようだった。


 ふと机の端に置かれた小さな紙切れが視界に入る。そこにはかつてフィオナが幼い字で綴った何かのメモ——ほんの些細な、二人の思い出。ユイスは紙切れを拾い上げ、そこに書かれた数行を眺める。


「もし、もっと早くこの魔法が完成していたら…」


 フィオナの顔が脳裏をよぎるたび、胸に渦巻く悔しさと復讐心が再燃する。血統に頼らない魔法が本当に完成すれば、あの理不尽を打ち破ることができるのか。それとも、それもまた机上の空論に終わるのか。


「…立ち止まるわけにはいかない」


 ペンを取り直すと、ユイスは再び走り書きを始めた。深夜をとうに回った部屋の窓には月すら見えず、雲が覆うだけだ。


 ◇◇◇


 翌朝、問題児クラス寮の廊下にユイスの姿があった。だがいつにも増して足どりが危なっかしい。目の下には濃いクマが刻まれ、息をするだけでも辛そうに見える。


「おい、ユイス」


 奥から駆け寄ってきたのはトールだ。彼の声はひどく心配げだった。


「また寝てないんじゃないか? 昨日の夜、ずっと灯りがついてたろ。さすがに限界だって」


「平気だよ。ちょっと計算が詰まっていただけで——」


 ユイスは眉をひそめて目をそらす。続いてエリアーヌが心配そうに、「そんな無茶してたら、体がもたないよ…」と瞳を潤ませる。


 けれどユイスは短く息を吐き、視線を床に落とした。


「俺は研究をやめるわけにはいかない。失敗して、みんなに迷惑かけたままで終われないんだ。……悪いけど、放っておいてくれ」


 冷たい口調になってしまったのを自分で自覚しているが、止まらない。エリアーヌは「けど…!」と食い下がりかけたところで、別の声が割り込んだ。


「相変わらず、無理をしているわね」


 リュディア・イヴァロールだった。いつもの凛とした面差しで、やや呆れたようにユイスを見つめている。ユイスは軽く頭を振った。


「……自分の研究だから、自分でなんとかするしかないだろ。リュディア、あんたにまで口出しされたくない」


 一瞬、リュディアの表情が険しくなる。けれど、すぐさま深いため息を落とした。


「はあ……。そんな無茶ばかりしてたら、次こそ本当に倒れるわよ。身体が資本だって分かってるの?」


「分かってる。分かった上で時間がないんだ」


 尖った言葉の応酬に、トールとエリアーヌは顔を見合わせるしかない。近くで見ていた生徒たちの一部が、くすくすと嘲笑している声が耳に届いた。


「ほら、あれが例の数式魔法の落ちこぼれだ。結局は大口叩いたのに負けたんだよな」


「未完成の大技? 机上の空論じゃないの?」


 ユイスは聞こえないふりをして足早にその場を通り抜ける。リュディアは小さく眉をひそめるが、言い返すタイミングを失い、結局は背を見送る形になった。


「本当に、見ていられないわ…」


 ツンとした口調で呟きながら、リュディアは複雑そうにまぶたを伏せる。


 ◇◇◇


 その夜もユイスの小さな部屋には灯りがともり続けていた。窓の外には星ひとつ見えず、冷え込みが厳しくなりつつある。


 机の上では相変わらずノートが広げられ、演算式と註釈がいくつも書き殴られている。だが先に進める気配は薄い。ユイスは椅子に沈むようにもたれかかり、息を吐く。


「……もし、もっと効率よく位相を合わせられたら……いや、リライトを同時に組み合わせれば……」


 頭の中で考えを巡らせても、疲労で視界が滲む。ノートの文字が二重三重に見え、ペン先が震えている。


 負けたままで終われない。フィオナを救えなかった悔しさ、血統主義を潰すんだという復讐心、問題児クラスの皆にもう一度勝利を見せたい気持ち。複数の想いが渦を巻き、まるでまとまらない。


「俺は…こんなところで止まるわけにはいかないんだ」


 意識が遠のきかけていたが、ユイスは渾身の力でノートを握りしめる。手首に力がこもり、上体を起こした。机の隅に置いた照明ランプが小さく揺れ、ぐらりと火が弱まる。


 慌てて魔力を込め、光を補強してやると、か細いが再び灯った。暗闇の中でゆらゆらと明滅するその灯りは、今にも消えそうな自分自身を象徴しているようで、ユイスは苦い笑みを浮かべる。


 廊下からは、同じクラスの仲間たちの寝息や寝言がかすかに聞こえる。皆、ぐっすり休んでいるはずだ。自分だけが深夜まで机にしがみつき、身体を酷使している。


 だが、止まれない——止まるわけにはいかない。


「……フィオナ。見ててくれよ。俺は…俺はまだ折れない」


 弱々しい囁きは誰にも届かず、ランプの小さな炎が答えのようにふわりと揺れた。ノートを抱いたまま、ユイスは再度ペンを取る。部屋の狭い窓の外は闇が濃く、朝は遠い。


 けれどその灯りが、完全に消え去ることはなかった。

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