17. お見舞い
朝日が薄暗いカーテンの隙間から射し込む。学園医務室の一角では、簡易ベッドと衝立に囲まれた数人がうめき声を上げていた。問題児クラスのメンバーだ。模擬戦での敗北から一夜明け、それぞれ擦り傷や打撲、火傷の処置を受け、なんとか持ちこたえているようだった。
傍らのベッドに腰掛けたトール・ラグナーは、がっしりした腕に包帯を巻かれたまま、大きく息を吐いた。
「やっぱ痛ぇな……あの火球の応酬、もう勘弁してくれって感じだぜ」
その言葉に、対面のベッドでうずくまっていたレオン・バナードが額の絆創膏を指で押さえながら、皮肉たっぷりに口を開く。
「お前こそ突っ込みすぎなんだよ。あれじゃ体力自慢ってより、ただの無謀だろうが」
トールはむっとした顔で言い返そうとしたが、腕の痛みが邪魔をするのか、歯を食いしばるだけに留まる。
すぐ隣のマットに横になっているミレーヌ・クワントは、小さく火傷の痕をさすりながら首を振った。
「わたしも……ちゃんと防御してたはずなんだけど。あんな火力、初めて見た。まだ体中がヒリヒリするよ……」
エリアーヌ・マルヴィスはそんなミレーヌに、慌てて湿布を手渡しながら、控えめに微笑む。
「これ、医務室の人が塗ってくれた軟膏が入ってるって。しっかり冷やさないと、跡残るかもしれないし…気をつけて」
「ありがとう。エリアーヌの回復がなかったら、わたし多分立ってられなかったと思う……」
「わたしも何度か気絶しかけたから。結局、みんな必死で乗り切っただけって感じだね」
◇◇◇
ユイス・アステリアは、そんな会話を横目で見やりつつ、自分のベッドでうっすらと目を閉じていた。暴発寸前だったフェイズ・コンパイルの衝撃が抜けきらず、身体の芯までだるさがこびりついている。
「……ひどい有様だな」
肺の奥からこぼれるように呟くと、トールが首を回して反応する。
「でも、よくあそこまで粘ったよな。正直、開始早々で終わるかと思ったぜ」
ミレーヌやエリアーヌも同意するように静かに頷く。
「結果は負けなんだよ……」
とユイスは唇を噛み、声を潜めた。負け戦の痛みと、未完成のまま破綻した術式への悔しさが重くのしかかる。
そんな空気の中、医務室のドアが小さな音を立てて開いた。わざとらしく咳払いをする気配に、全員の視線がそちらへ向かう。
そこに立っていたのはリュディア・イヴァロール。伯爵家の令嬢らしい気品を漂わせながらも、どことなく落ち着かない面持ちで、扉の陰に指先を残したまま視線を彷徨わせている。
いつもとは違う、その微妙な様子にトールたちは気圧されたように黙り込んだ。医務室はどこか冷えた空気が漂うが、リュディアの足音が聞こえるだけで薄い緊張が走る。
「……えっと、その……みんな、ケガは大丈夫…?」
ツンとした口調を装いながら、リュディアは部屋の中央に立ち尽くす。
誰もすぐに答えない。むしろ困ったように視線を交わし合い、一番後方のレオンが仕方なく口を開いた。
「ま、まあ。死にはしないさ。ご心配いただき、ありがとうございます。」
そう言うと、トールが微妙にニヤつく。そしてこちらもなんとも言えない気まずさに沈黙する。どうやら全員、この場の空気をどう整えていいか分からないらしい。
◇◇◇
すると、リュディアが周囲の様子に気づいたのか、意を決したようにまっすぐユイスのベッドへ向かった。
やや身を起こしていたユイスは、薄目を開けてリュディアの姿をとらえる。視線が合った瞬間、リュディアの肩がほんのわずかに上下した。
「……大きなケガはないのよね?」
彼女は一見、凛とした声色を装っているが、口調には確かな戸惑いが混じっている。ユイスは少しだけ視線を外し、窓辺に目をやった。
「命に別状はない。内側がキシむ感じはするけど、骨は折れてないって医務室のスタッフが言ってた。心配かけて悪かったな」
軽い調子で言うユイスに、リュディアは鼻を鳴らすような仕草をする。
「べ、別に謝らないで。あんたがどうこうってわけじゃないし……ただ、あの時無理したから、怪我が悪化してるかもしれないと思っただけ」
「……ありがとう。とにかく、動けないほどじゃない。そっちこそ、見舞いになんて来て大丈夫なのか?」
その言葉にリュディアは、ぱっと視線をそらす。
「わたしは大丈夫。試合には出てないし……気になっただけよ。あんな危ない技を使うなんて、バカじゃないのって思って…」
ツンツンした口調だが、彼女が最後の言葉を口にするとき、どこか声が震えていた。それはまるで「本当に無茶しすぎ……」と責めたいけれど、同時に自分を責めているかのような響き。
ユイスは少し目を伏せる。何も言い返さない。むしろ、このタイミングで声を発すれば、リュディアの張り詰めた面持ちが崩れてしまいそうに思えた。
◇◇◇
あまりに静かなので、他の仲間たちが「あ、あのさ。ちょっと自分ら、向こうで包帯取り替えてくる」と小声で囁き合い、さり気なく離れていく。レオンやトールが示し合わせたかのように、わざとらしく医務室の隅へ避難した。
リュディアはその様子を横目に見て、さらに口ごもる。しかし、人目を気にするよりも伝えたいことがあったのか、ベッド脇に腰を落としてから視線を上げた。
「……まったく。あれだけ無茶したのに、これで済んだのは奇跡ね。わたし、見てたんだから……あなたが倒れたとき、正直……ひやっとしたのよ」
意外にもはっきりした言葉。ユイスは一瞬目を見開き、苦笑まじりに首を横に振る。
「大したことなかったさ。フェイズ・コンパイルは未完成だったし……中途半端に終わって、結局ギルフォードには勝てなかった」
「そんなの、あんな火力差があれば当然よ。でも……」
リュディアは言いかけて口を噤んだ。言い過ぎればユイスに失礼かもしれないし、自分の本心が漏れるのも癪だったのかもしれない。
二人のぎこちない沈黙が医務室を満たす。周囲にいるモブのスタッフが一瞬ちらりと視線を送るが、妙な空気を読んで口は挟まない。
「……まあ、とにかく、ゆっくり休むのが一番よ」
いかにも急場しのぎの台詞で、リュディアは立ち上がる。ほんの少し赤みが差した頬が、その感情の複雑さを物語っていた。
「あと……別にあなたのためじゃないけど、その……ちゃんと傷を治してから復帰しなさいよ。無理すると、今度こそ取り返しがつかなくなるかもだから」
◇◇◇
そう言い残すと、リュディアはドアへ向かって早足に歩き始めた。ユイスは少しだけ身を乗り出し、「……ありがとう」と言いかけるが、背中を向けたリュディアにその声は届いたかどうか。
扉の前で一瞬足を止める彼女。振り返ろうとして、しかし視線を戻すことなく廊下へ消えていった。
その途端、トールたちがぽつりぽつりとベッド側に戻ってくる。
「なんだ、結局二人とも甘い感じだな」
トールが茶化すと、レオンが冷ややかな笑みを浮かべる。
「リュディア先輩もわかりやすいんだか、そうじゃないのか……まあでも、見舞いに来るだけいい人だと思うぜ」
エリアーヌとミレーヌは顔を見合わせて微笑んだ。
ユイスはそっと目を瞑り、わずかな痛みと恥ずかしさの混じった気持ちを堪える。
「余計なところを聞かれなくて助かったかもな。変に勘ぐられると面倒だし……」
彼の小声に、仲間たちがくすりと笑う。エリアーヌが周囲を見渡しながら、「ふふ、リュディア先輩、いつも凛としてるのに、今日はなんだか落ち着きなかったね」と呟いた。
「わ、わかる。ちょっと顔が赤かったよね……?」
ミレーヌもこっそり付け加え、全員の笑みが少しだけ柔らかいものになる。
そんな光景を横目に、ユイスは首に巻かれた包帯の端を触る。
「……早く動けるようにならないと、フェイズ・コンパイルの再調整もできないし、みんなにも迷惑かけっぱなしだ」
自分に言い聞かせるような独り言。それが彼の本来の姿だとでも言わんばかりに、ユイスは軽く胸を張る。トールやレオンは「まーた無茶しそう」と苦笑を漏らす。
だがそのやり取りこそ、負傷者たちに僅かな活力を与えているようだった。
医務室の窓の外、遠くから賑わう学園の鐘の音が聞こえる。模擬戦翌日とはいえ、王立ラグレア魔術学園はいつも通りの時を刻んでいるのだと伝えてくるかのようだ。
冷たいベッドの上で、それぞれが痛みを抱えながら、それでも何かを掴んだ感触だけは残っていた。リュディアのさりげない見舞いも、仲間の励ましも、きっとユイスたちの糧になる。そんな空気が、ひっそりと医務室を満たしていた。




