16. 周囲の反応
ギルフォードが悠然とスタジアムを後にするころ、会場の中心には未だ熱い空気が漂っていた。
観客席では、いまだに勝者への歓声がさざ波のように続いている。保守派教師たちは「やはり血統魔法こそ至高」といった調子で、取り巻きの貴族学生を見下ろしながら大きく頷いていた。そのかたわらには、エリートクラスの生徒たちが誇らしげな表情を浮かべている。
「まったく…あんな暴発で騒いでいた連中もいたが、結果はこれだ。単なる花火と変わらん。フフッ…」
笑みを噛み殺しつつ談笑する教師もいる。グレイサーの姿はスタンドの下段に見えるが、彼は何やら難しい顔をしたまま、言葉を発する気配はない。保守派の教師たちと距離を取り、問題児クラスに視線を送っているだけに見えた。
ローブを揺らしながら、観客の流れに逆らうように立ち去っていく者も多い。そこでふと耳に入るのは、小声で交わされる会話だ。
「でもさ…あれ、本当にすごい火力だったんじゃないか? 一瞬だけギルフォードさんの防御を破りかけてたようにも見えたし…」
「ばか言うな。結局結果は惨敗だろ? 大口叩いて散っただけだ」
「まあ、どうせ血統持たない落ちこぼれが必死こいたって…」
「……でも、ほんの少しだけ興味はあるんだよな…あれが完成していたらどうなったんだろう…」
囁くような声が、スタジアムをあとにするモブ生徒の中に混じっていた。大半は「そんなもの」と一蹴するが、中には形容しがたい驚きを持っている者もいるようだ。
◇◇◇
上段のエリート専用シートでは、リュディア・イヴァロールが声も出せずに舞台を見つめていた。空色の瞳に一瞬だけ宿った光は、敗北という事実を前にすぐにしぼんでしまう。ユイスたちが担架に乗せられ、手当てもそこそこに片付けられていく様子はあまりにも痛々しかった。
「……あんなに研究していたのに…」
声にならない言葉を、彼女は唇の端でそっと落とす。それは誰の耳にも届かない。貴族同士のメンツを気にする周囲の友人たちは、「落ちこぼれクラスなど当然だ」と嘲笑を浮かべるか、「こんな大惨事になるなんて、危険すぎるわね」と不安な声で語り合う者もいる。
けれどリュディアには、ただ胸の奥が冷えたように感じられる。あのユイスという少年は真剣に何かを変えようと、あり得ない努力をしていたのではないか。実際、あの火力が一瞬でもギルフォードを動揺させかけた事実は否定しようがない。「本当に…あと少しだったのかも…」
そう思うと胸が締め付けられ、席を立って駆け寄りたい衝動に駆られる。しかし貴族席の周囲はそれを許す空気ではない。平民出身の母を持つからこそ、余計にあの惨敗を見て放っておけない気持ちになるのに、体は動かない。周囲の視線がリュディアの行動を縛るようだった。
「――ごめんね…大丈夫なの?」
もちろん、心の中だけの呼びかけだ。ユイスの名を大きく口に出すわけにもいかず、彼女は拳を膝の上で握りしめる。仮に今ここで駆け下りれば、批難されるかもしれない。伯爵家の令嬢という立場が、頭の中で無言の警告を発している。歯がゆい。すぐにでも怪我の具合を確かめたいのに。
◇◇◇
さらに視線を上げていくと、VIP席が見える。レオナート王子がまなざしを細め、ユイスたちの敗北を興味深そうに見届けている。隣に立つのはアスラ・フォン・グロウベルク。彼は上級生として圧倒的魔力を誇ることで有名だが、その表情は淡白だ。
「……所詮は小細工でしょう。結果がすべてだ。暴発して自滅している以上、取り立てて騒ぐほどでもない」
冷たく言い放つアスラに対して、レオナートはどこか面白がるように微笑する。血統魔法を当然のように信奉する貴族派と異なる、独特の空気を彼は纏っていた。
「暴発かもしれない。でも、あの瞬間の輝きは本物に見えたよ。アスラ、君はどう思う? 一瞬だけでも、あのギルフォードの防御を侵しかける威力があった――そんな気がしないでもないが」
アスラは顎を上げ、つまらないとでも言いたげに首を振る。彼にとっては「大技が未完成のまま弾け飛んだ」事実しか興味がないのだろう。レオナートもそれ以上は深く問わず、軽く肩をすくめるだけだ。そして再びスタジアムの中央を見渡す。
「この王国で血統以外の魔法が通用する可能性を、ちょっとだけ感じたんだが…確かに、まだ不完全なようだね。だけど面白い…」
彼は腕を組み、淡々と闘技場の片付けの様子を眺めている。その横顔には、わずかに好奇心が宿る。アスラはそれを「興味を持つだけ無駄だ」と切り捨てるかのように、口の端をわずかに歪めた。
◇◇◇
表彰式というほど華々しいものではないが、一応の勝利アナウンスが流される。ギルフォードはもう姿を消したらしく、取り巻きだけが壇上で誇らしげに胸を張っている。どこかしら観客席に“早く帰ろう”と言わんばかりの雰囲気を漂わせながら、ざわざわと移動が始まっていた。
リュディアが席を立ち上がろうとするも、周囲の貴族生が話しかけてきて足を止める。
「リュディア、帰らないの? もう終わりよ」
「そうね。問題児クラスなんて、これが実力よ。気にするだけ時間の無駄じゃない?」
友人らしき女子生徒が軽い調子で誘うが、リュディアはわずかに困ったような顔になる。けれどすぐにかすかに笑みを浮かべてごまかす。
「ええ、そうね…もう終わりだし。帰りましょうか」
そう言いながら、心は別の場所に向かっている。ユイスはまだ倒れているのでは…怪我の具合はどのくらいなのか。声をかけにいきたい――心がそう叫ぶのに、身体は踏み出せない。結局、彼女は席を離れる寸前にちらりと最後の一瞥を送り、そのまま友人に連れられて観客席を後にした。
◇◇◇
遠く、VIP席の一角ではアスラが去ったあとも、レオナートがしばし一人で佇んでいる。
「下級生が面白いことを試みているようだね。あの瞬間だけは、まるで…」
王子は言葉を切り、軽く首を振った。あの輝きは一瞬にして消え、己の身すら追い込む暴発へ変わった。それでも「もし成功すれば、貴族社会の根幹を揺らがすだけの火力」となり得るかもしれない。そんな可能性を感じたからこそ、興味が湧いているのだろう。
「ふふ、未完成が故の儚さか。まだ色々と伸びしろがありそうだ」
隣に人影はない。誰に向けるともなく呟いたその言葉を、吹き抜ける夕風だけがさらっていった。そしてレオナートも微かな微笑を残して立ち去る。次に会う時には、もっと面白いものを見せてくれ。そう思うと、口元にわずかな期待が滲んだ。
◇◇◇
こうして大勢の観衆を集めた模擬戦は、圧倒的勝利という形でギルフォードを讃える声を残し、幕を下ろした。問題児クラスはほぼ全滅。かすかな可能性を見せながらも敗北し、ユイスや仲間たちが運ばれていく姿は、多くの者に「やはり血筋こそ正義だ」という印象を強めた。
だが、それを見届けた者の中には、リュディアのように動揺を隠しきれない者や、レオナートのように心に可能性の光を灯した者も確かにいた。再び静けさを取り戻した闘技場には、崩れた術式の焼け跡だけが残り、あとには奇妙な空洞感が残る。
そのままスタジアムは静寂に包まれ、敗北の余韻が微かな風となって観客席に吹き付けているようだった。




