15. 絶望のラスト
地面に叩きつけられるような衝撃と熱波が襲った。スタジアム全体が揺れるほどの衝撃だ。舞い上がる土煙に、観客たちの悲鳴が混じる。
トールは力尽きたように大の字で横たわり、エリアーヌもか細い呻き声を上げるが、意識を保てているかどうか分からない。ミレーヌやレオンに至っては、もはや一言も発さないまま動かない。
「……うわぁ……」
観客の誰かが呆然と呟き、それを皮切りにざわざわと大きな声が広がる。
「やりすぎだ……問題児クラス、全員倒れたぞ」
「いや、これでいいんだよ。反抗するから悪いんだ」
どこか冷たい視線と嘲笑が混じった喧騒がスタジアムを包む。
◇◇◇
土煙の真ん中で、ユイスは必死に目を開けようとしていた。体のあちこちが痺れている。呼吸をするたびに喉がざらざらして、血の味がする。
「まだ……終わっ……」
その声は、喉を詰まらせたように途切れる。視界の端で仲間たちが倒れ込む姿が見え、何か叫びたいが声にならない。
(フェイズ・コンパイル……未完成で暴発した上に……仲間まで……)
悔しさで胸がいっぱいになるが、体は全く動かない。せめてエリアーヌの回復を……と考えたが、彼女自身が倒れかけている。
「ここまでだ。まだやる気があるというなら、次は――」
ギルフォードがこちらを見下ろしながら、さらに何かを言いかける。しかし、そこへようやく審判教師が割って入った。
「ストップ! これ以上の攻撃は禁止だ!」
教師が震える声で宣言すると、幾重にも張り巡らされた簡易結界がギルフォードとの間に展開される。ギルフォードは、不満そうに鼻を鳴らしながらも攻撃をやめた。
◇◇◇
「勝敗は……決まった! エリートクラスの勝ちとする!」
その声が響くと、観客席に大きな拍手が起こり、一部では嘲笑が飛び交う。あまりの圧倒的な差に、何を言えばいいのか分からない者もいれば、あからさまに面白がっている者もいる。
「やっぱりエリートクラスは違うな」
「問題児クラスなんか相手にならないね」
そんな声をちらほら耳にしながら、ユイスはどうにか首をもたげる。しかし体が言うことをきかない。力が抜け、視界が再びくらりと揺れた。
「……立て、俺……まだ……」
呟きだけが宙に消え、うつ伏せのまま動けなくなっていく。
◇◇◇
上位席では、リュディアが歯を食いしばるように立ち尽くしていた。周囲の貴族生が「ギルフォード様、さすがだ」などと興奮気味に騒いでいるが、彼女はそれを無視して下の様子を睨む。
(あんなに頑張っていたユイスたちが、こんな形で……)
ぎゅっと両手を握りしめ、体が震える。今さら降りて行って声をかけても、何かが変わるわけじゃない。彼女はその無力感に、言葉を失っていた。
◇◇◇
ギルフォードは興奮の余韻に浸る取り巻きとは異なり、わりと淡々とした表情に戻っている。
「まあ、あんな理に合わない数式魔法とかいう戯れ事で、俺に勝てるわけないだろう。次回からは、口先だけの改革などほざかずに、おとなしくしていればいい」
誰に聞かせるでもない独り言を呟き、取り巻きの歓声に肩をすくめる。彼の勝利宣言を余韻たっぷりに聞きながら、周囲の保守派教師たちが満足げな顔でうなずいているのが見えた。
「くそ……」
トールが小声で吐き捨てるように言ったが、それ以上はもう何もできない。ミレーヌも意識が薄れたまま、エリアーヌにしがみついている。
レオンすら沈黙したままで、細かく呼吸を整えつつ痛みをこらえているだけだった。
◇◇◇
そして、スタジアムの中心で倒れ込むユイスの目からは、まるで力を失ったように光が消えていく。フェイズ・コンパイルは未完に終わり、仲間が負傷し、勝機をつかめなかった。
遠巻きに審判教師が急いで回復班を呼ぶよう指示し始める。問題児クラスが酷いダメージを負ったことは明白だった。
「こんなものか、問題児クラス」
ギルフォードの吐き捨てるような言葉に、拍手と冷笑がいっそう大きくなる。保守派教師も横目で彼を讃えるかのように微笑していた。
◇◇◇
観客席の一角では、リュディアがこぼれそうになる感情を必死に抑えている。ユイスは、あれほど夜遅くまで研究していた。それでも、今の結末。彼女は唇をかみしめて、うつむいた。
「悔しい……」
絞り出すように呟いても、周りには届かない。彼女は立ち尽くすしかなかった。
◇◇◇
試合終了の宣言を受けて、モブ貴族生たちが一気に席を立ち始める。誰かが「グランシス侯爵家はやはり格が違う」「下民の身の程をわきまえないからこうなるんだ」と笑う声が聞こえる。中には「まあまあ、頑張ったほうじゃない?」と慰め半分の言葉を投げる者もいるが、それもまた上から目線の侮蔑が混じっている。
「さあ、終わりだ。そろそろ控室に戻りましょう」
取り巻きの一人がギルフォードにそう促すと、彼は一度だけユイスたちを見下ろし、肩をすくめて踵を返す。
「逃げずに仕掛けてきた点だけは、褒めてやってもいい」
最後にそう呟き、エリートクラスの一団は悠然と立ち去っていった。
◇◇◇
地面には、ユイスをはじめとした問題児クラスのメンバーが倒れこんでいる。医務係の生徒や教師が駆けつけ始めたが、焦げ跡やひどい火傷を負った者もいて、数人は即時の治癒処置が必要と判断された。
「しっかりして……!」
かろうじて意識を保っているエリアーヌが、泣きそうな声で仲間を見回す。トールは腹を抑えてうずくまったまま、わずかに手を動かす程度。レオンは言葉を発しないが、教師が差し伸べる腕を振り払わず、素直に治療されていた。
そしてユイスは、火傷こそそこまで深刻ではないが、魔力ショックが相当なダメージを与えたらしく、まぶたがどうしても開かない。
「未完……なのに……」
誰に向けるでもない声が、震える唇から吐き出される。まともに意識を保てず、闇に沈みかける頭の中に映るのは、崩れ落ちる仲間たちの姿ばかり。
(あれほど努力したのに、力が及ばなかった。…俺は、また……)
どこか遠い意識で、彼はフィオナの面影を浮かべていた。しかし今の彼に成す術はない。
◇◇◇
スタジアムの上階からは、教師たちが「ひとまず搬送を急げ」「これ以上の見世物は終わりだ!」と声を張り上げ、観客に解散を促していた。貴族派教師はギルフォードに駆け寄り称賛を浴びせ、保守派教師は問題児クラスを冷たく見下ろしている。
「いい反面教師になっただろう。無謀な革新など通じないことを、この試合が証明した」
そんな言葉が風に乗って聞こえる。ユイスの耳には、嫌に遠い音に感じられた。意識は暗い淵へと落ちていく一歩手前だった。
◇◇◇
リュディアは最後まで席を立てず、じっと問題児クラスが運ばれていく光景を見守る。深く呼吸をしても、胸の奥が押しつぶされるような思いは消えない。
(こんな結末……。彼らがどれほど努力していたか、知っている人は、どれほどいるんだろう)
それでも、彼女はどうすることもできなかった。周囲の視線が気になり、一歩も動けずに唇だけを引き結ぶ。
◇◇◇
地面に横たわるユイスの手は、まだかすかに動いている。けれど、その力は弱まるばかりだ。救護担当の生徒が担架を持って駆け寄り、そっとユイスの体を載せる。彼らが小声で「ひどい魔力ショックだ」「急いで医務室へ」と話すのを背に、ユイスはぼんやりと瞼を閉じた。
(終わった……これが、俺たちの現実……)
誰かの足音、教師の指示、観客の雑踏。全てが混ざり合う中で、ユイスは小さく息を吐いて、完全に意識を手放す。
◇◇◇
スタジアムの空は晴れ渡っていたが、問題児クラスにとっては果てしなく灰色の空に見えたに違いない。こうして、模擬戦は一方的な形で幕を下ろす。
大勢の貴族や生徒たちが帰路につくなか、ユイスの手が微かに痙攣したまま動かなくなる。まるで、掴み損ねた何かを探しているように。
「勝者、ギルフォード・グランシス陣営!」
教師の最終的な声が場内に響き渡り、観客たちの拍手とざわめきはさらに大きくなる。倒れた問題児クラスの姿を、興味本位で眺めようとする者さえいたが、すぐに教師に制止された。
その一角では、リュディアが誰にも知られず静かに目を伏せている。もう一度、地面に倒れるユイスたちを見つめ、「ごめん……何も、できなかった……」と、声にならない言葉を唇で作る。
――こうして問題児クラスは、模擬戦という舞台で完全な敗北を喫した。ユイスが追い求めた数式理論も、仲間を救うために振るったフェイズ・コンパイルも届かなかった。
スタジアムの喧騒が薄れていくなか、担架に乗せられ運ばれていく。
◇◇◇
陽光が照りつけるスタジアムの中心には、すっかり力を失った土煙だけが淀んでいた。ギルフォードの姿はもうない。拍手と歓声、あざ笑いと落胆。すべてが混じった複雑な空気を残し、試合は終わった。
スタジアムは、勝者の余韻だけが支配する。




