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10. 前日総仕上げ

 昼下がりの問題児クラス寮。外からの陽射しが差し込む共有スペースに、いつものメンバーが集まっていた。


 一見くつろぎの場に見えるが、テーブル上には手書きの作戦メモや魔法式の下書きが散乱しており、皆の顔つきは険しい。


「短詠唱火球、威力はいまいちか…」


 トールが肩を回しながら息をつく。炎系の制御が苦手で失敗も多い彼は、ユイスが工夫した“術式リライティング”を駆使して短い詠唱だけで火球を放つ練習を続けてきたが、その実戦威力にはまだ疑問が残る。


「でも撃たないよりマシだよ。ギルフォードみたいな大火力に正面から立ち向かっても即アウトだし…」


 エリアーヌが俯いて控えめに言う。回復担当として奮闘しようとする彼女のメモには、回復タイミングやクラスメイトの避難を考慮した走り書きが詰まっている。


「今回は長期戦で消耗を誘うしかないんだ」


 ノートを睨みながらユイスがまとめる。


「トールやミレーヌが短詠唱でちくちく攻め続ける。エリアーヌは誰かが大技を食らったら即回復。妨害はレオン…頼むぞ」


 レオンは柱にもたれたまま、何の気なしに鼻を鳴らすだけだが、「まあ、ほどほどにね」と皮肉気味の返事が返ってくる。いつも通り協力的とも言い難いが、彼なりに作戦を了承しているらしい。


「あたし、あがり症だから本番で失敗しそうで…」


 ミレーヌが不安を口にすると、エリアーヌが「大丈夫、みんなでカバーし合おう」と優しく声をかける。


 それでも部屋の空気はどこか沈んでいた。火力で押される展開をどう乗り切るか、完全な答えを見つけられないままだ。


 ◇◇◇


 上位クラス寮では、磨き上げられた床と豪奢な調度品が当たり前のように並んでいる。その一室のデスクに着いたリュディアは、書物を開きながらうわの空でページをめくっていた。


「ねえ、明日って問題児クラスの模擬戦だったわよね。ギルフォード様との勝負なんて、一瞬で終わりそうじゃない?」


 同じ上位クラスの友人がカップを傾けながら、楽しげに話しかける。


 リュディアは軽く眉を寄せて声を潜めるように言う。


「そうね、明日…もうそんな時期か」


「見る価値あるの? 問題児クラスなんて大したことないわよ」


 友人は鼻で笑うように言いながら、紅茶の香りをかいでいる。


 リュディアは心中で(そんなことないのに…)と小さく息を吐く。


 母が平民出身だからか、血筋を理由に人を蔑む風潮を好まない。実際、ユイスや仲間の必死な練習を目にしているだけに、無下に落ちこぼれ扱いされるのを聞くと胸が痛む。


「…本当に大丈夫かしら」


 思わず零れた声に、友人がからかうような視線を向けてくる。


「リュディア、あのクラスに興味あるの? やっぱり優しいのね」


「別に…興味とかじゃないわ。夜中まで頑張ってるのは知ってるから、ちょっとだけ気になるだけ」


 どうにも言い訳がましい自分の声に、リュディアは頬を僅かに熱くする。その様子を見て友人はくすりと笑い、リュディアは視線を外した。


(彼ら、本当は実力あると思うのに…明日、惨敗してほしくない。けどギルフォードが相手じゃ、そう簡単じゃないわよね)


 かすかなため息が、豪奢な空間に溶けていった。


 ◇◇◇


 夜更けの学園裏手、薄暗い倉庫では、ランプの小さな明かりが頼りなく揺れている。その光の下で、ユイスはノートを睨んだまま微動だにしなかった。


「…フェイズ・コンパイル。小魔法を同時発動して干渉…演算が追いつかない」


 紙に描かれた魔法陣の図には、何重にも修正の跡がある。試すほどにリスクと演算量が跳ね上がり、うまく噛み合わない。


 ユイスがふと手を止めて、額を押さえる。


(これじゃ実験する時間も足りないし、もし暴発したら…明日の本番にすら出られない。けど短詠唱だけじゃ、あの雷撃をまともにくらう…!)


 震える息を呑み込み、ノートの端を握り込む。


 脳裏には、かつての苦い記憶――幼馴染フィオナの姿がよぎる。理不尽に命を落とした光景が、胸を鋭く刺す。


「また見捨てるのかよ…誰も救えずに終わるなんて…もう嫌だ」


 呟いた声は震え、夜の闇へ吸い込まれる。ユイスは弱音を吐くのが嫌で、声を小さく噛みしめるようにする。


(どうにか大きな一撃を用意したい。そうしなきゃ勝てる道がない。なのに時間も資料も足りない…)


 立ち上がりかけては、再びノートをめくる。その姿はもはや焦燥と疲労に縛られていた。


 ――倉庫の外では、夜風がかすかに扉を揺らした。


 明かりの下、ユイスは最後のページに新たな数式を書き足す。自分を奮い立たせるようにペンが走り、かすかに乾いた紙の音が響いた。


「…くそ、やるしかないんだ。誰も守れないまま負けるわけにはいかない。フィオナを失った時から、ずっとそう決めてたんだから…」


 言い聞かせる声は弱々しく、しかしそれでも諦めきれない想いを孕んでいる。


 ユイスは震える手を握りしめ、再びノートに目を落とした。夜は深い静寂のまま、ランプだけが倉庫のなかを淡く照らす。


 ユイスが焦るように式を書き直すうち、時間だけが容赦なく過ぎていく。


 一方、上位クラス寮の窓辺でリュディアは、夜空を眺めながら静かに言葉にならない祈りを抱えていた。次の日に何が起こるのか、自分でも分からずに。


 そして、問題児クラスのメンバーが重ねてきた練習の成果と、ユイスの夜間研究がどう結実するか――。

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