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8. 視察

 朝から王立ラグレア魔術学園は不穏な熱気に包まれていた。校門そばの玄関ホールには教師や貴族生たちがずらりと並び、落ち着かない様子で出迎えの準備をしている。今まさに、レオナート王子が視察のために到着するというのだ。


「殿下がお越しになるなんて、そう滅多にない機会ですからねえ。失礼のないよう気をつけてくださいよ」

 保守派教師が、エリートクラスの生徒たちを中心に並んだ列に向けて声を張り上げる。ギルフォードをはじめとする高位貴族の学生たちは、身だしなみを入念に整え、自分の出番を待ちかまえているようだった。


 ◇◇◇


 王子の馬車が見えると同時に、教師や貴族生たちの列が一斉に頭を下げる。車輪が止まると、レオナート王子が優雅に降り立ち、あたりを軽く見回した。その瞳には飄々とした印象があり、にこやかな笑みを浮かべてはいるものの、どこか退屈を隠しきれない雰囲気も漂わせている。


「ようこそお越しくださいました、殿下。こちらが当学園の保守派教師一同でございます」

 先導役の保守派教師が畏まった口調で案内を始める。レオナート王子は軽く頷き、にこやかに視線を回した。


「皆さま、ご丁寧にどうも。では、学園をご案内いただけますか?」

 つつましい一礼に続き、王子の一行は玄関ホールを後にし、まずはエリートクラスの教室へ向かう。ギルフォードや取り巻きがその行列に加わり、「私こそがグランシス侯爵家の嫡男ギルフォードでございます」と深く頭を下げる。王子は淡い笑みで相槌を打ちながら、教師たちの解説に応じて歩みを進めた。


 ◇◇◇


「うわぁ、すげえな……ホントに王子来てる」

 トール・ラグナーが校舎の窓からちらりと外を覗き、ぼそりと漏らす。彼の背後ではエリアーヌやミレーヌが、落ち着かない様子で張り紙を見ていた。

「私たちにはあまり関係ないんだろうけど……保守派が厳戒態勢で通路も閉鎖するみたい」

 エリアーヌが小さくため息をつき、寮で配られた注意書きを見せる。そこには「視察ルートに通行制限をかける」旨が大きく書かれていた。

 レオンが苦々しげに腕を組む。「ふん、どうせエリートクラスを見せびらかして終わるだけだろ。問題児クラスなんざ邪魔者扱いさ」


 そのとき、廊下の向こうからユイスが急ぎ足で姿を見せる。軽く髪が乱れていて、研究のためのノートが抱えきれないほど手元にあった。

「ユイス、王子が来てるって話、知ってる?」エリアーヌが声をかけると、ユイスはわずかに眉をひそめた。

「聞いた。だけど、俺には関係ない。図書館で資料を探さないと」

 短く言い放つと、そのまま通り過ぎていく。仲間が目配せをするが、彼は振り返らない。まるで視察の騒ぎなど煩わしいだけだとばかりに。


 ◇◇◇


 同じ頃、エリートクラスではギルフォードが雷撃の基礎術を実演していた。青白い閃光が教室の空間を走り、ギルフォードの取り巻きが「さすがギルフォード様!」と声を上げる。保守派教師もいたく感動したふうに拍手し、

「いかがでしょう、殿下。これこそがエリートクラスの実力でございます」

 と誇らしげに紹介する。レオナート王子は余裕の笑みで、

「ええ、見事な稲妻ですね」

 と褒めそやし、ゆったりとした拍手を返す。だがその瞳の奥には、どこか物足りなさが残っているようにも見えた。


「ところで、他のクラスの様子なども拝見できますか?」

 王子がさらりと水を向けると、保守派教師がわざとらしく首を横に振る。

「問題児クラスなど、お目にかけるには及びません。彼らは大した成果も挙げられず、学園の恥をさらすだけでして……」

 王子は曖昧に微笑んだまま何も言わない。どこか考えごとをしながら、保守派の言葉を聞き流しているようだ。


 ◇◇◇


 一方、図書館へ向かおうと廊下を進むユイスは、保守派教師に行く手を阻まれていた。

「おい、殿下が通る廊下だ。余計な学生は立ち入り禁止だぞ」

 教師は明らかにユイスを見下すような目で睨み、「特例奨学生ごときが邪魔をするな」とばかりに口を曲げる。

 ユイスは舌打ちをこらえ、

「資料を取りに行くだけです。視察の邪魔する気はないんで」

 と淡々と返すが、教師の頑なな態度は変わらない。

「構わん。迂回しろ。王子が迷惑するから戻れ」


 その先にはちょうどレオナート王子の一行が通りかかり、色とりどりの服を身にまとった貴族生徒が囲んでいた。ユイスは遠目に王子らしき人物を見かけるが、保守派教師に完全に遮られ、接触すら許されない。

(どうでもいいけど、面倒な連中だな……)

 小さく息を吐いて踵を返し、ユイスは別の階段へ向かう。わずかに、向こうの集団から王子が振り返った気がしたが、両者の間には教師たちの壁ができていて、視線はすれ違うことなく終わった。


 ◇◇◇


「殿下、次はこちらの特別講義室へ……」

 保守派教師が華やかな声をあげるのを背に、王子はそっと小声で側近に尋ねる。

「さっき言っていた“ユイス”という生徒だが、会える機会はなさそうだな?」

「おそらく。殿下にはエリートクラスのみご覧いただきたいようです」

 側近がそう答えると、王子は苦笑を浮かべる。そこにはわずかな興味と、諦めにも似た冷淡さが同居しているようだった。

「そうか。では引き続き、おとなしく案内を受けるとしよう」


 ◇◇◇


 図書館にたどり着いたユイスは、改装や整理が進行中で散らかった本棚を前に思わず苛立ちを隠せない。探していた術式関連の古書が見当たらず、余計な時間ばかり消費している。

「くそ……大した収穫もないのに、廊下も通れないし。視察で学園を振り回すなんて、正直うんざりだ」

 周囲に人気はなく、思わず独り言が漏れる。ドサリと本を抱え、かろうじて見つけた一冊を取り出すと、ノートと突き合わせるようにページをめくる。


(あと数日のうちに詠唱短縮を安定させるんだ。王子が来ようが、俺の研究を助けてくれるわけでもない。だったら自分のやるべきことをやるだけ……)

 歯を食いしばって立ち上がる。身体は慢性的な疲労で重いが、座り込んでいる暇はない。もしも今ここで歩みを止めれば、本当に何も変わらないままだ。


 そうして倉庫か空き教室へ戻るべく再び動き出すとき、遠くから聞こえる「殿下、ご案内いたします」という教師の声が耳に入る。ユイスは振り返らない。彼にとっては模擬戦こそが最優先事項であり、王族の動きなど二の次だった。

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