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7. 視察発表

 朝の鐘が響くと同時に、学園中にざわめきが広がった。ホームルームで、教卓に立つ保守派教師が朗々とした口調で告げたのだ。


「レオナート王子が、近日中に学園へ視察にいらっしゃるそうだ。近いうちに正式な日程も発表されるが、皆が粗相のないようにな」


 教室の空気が一気に浮つく。特にエリートクラスは「殿下に最高の演習を見せつけよう」「陛下へのお目通りは貴族として名誉」などと早くも盛り上がりを見せていた。その隣の教室に割り当てられた問題児クラスにも、同じ通知は容赦なく届く。


 ◇◇◇


「へえ……王子が来るんだってさ。俺たちには関係ないと思うけどな」


 レオン・バナードが扉脇の掲示板を眺め、腕を組んだまま気のない口調でつぶやく。彼の横でエリアーヌ・マルヴィスが「あ、ほんとだ。掲示板に大きく書いてあるね」と小さく呟いた。


 全体告知には“レオナート・アルスレア王子 様が学園視察のため近々来訪。全生徒は品行を正し、教職員の指示に従うように”という文面が踊っている。


「また保守派貴族が無駄に浮き足立つな」


 レオンは掲示板を軽くたたいて頭を振った。


 トール・ラグナーが「そうか? 王子が来るなんてめったにないだろ。ちょっと面白そうじゃねぇか」と笑うと、レオンは鼻でふっと笑った。


「騒ぐのは自由だが、せいぜい模擬戦の練習時間を削られんように願うんだな。あっちの連中が“視察対応”だの言って、演習場を独占し始めても困るし」


「うわ、それイヤだな……」

トールは頭をかきながらそわそわしている。


 と、そのやりとりを横目に、保守派教師が廊下を通りかかった。バッチリと背筋を伸ばし、声を張り上げる。


「問題児クラスの諸君。学園の恥をこれ以上さらさないよう気をつけてくれ。とりわけ王子殿下のご前で乱雑な振る舞いをされては困るからな?」


 トールがむっとした表情で反論しかけたが、「やめとけ」と一言だけ告げて袖を引いたのはユイス・アステリア。彼は教師に視線を向けず、静かに通り過ぎる。保守派教師は「まったく……」と首を振りながら去っていった。


 ◇◇◇


 朝のホームルームが始まると同時に、担任グレイサー・ヴィトリアから詳細が告げられる。


「近々レオナート王子が視察にいらっしゃるそうだ。視察内容はエリートクラスの実技や上級生の研究発表が中心らしいが、どのクラスも一応気を引き締めておけ――以上だな」


 それだけ言うと、グレイサーは特に問題児クラスに指示を出すでもなく、淡々と朝礼を締めくくった。生徒たちはどこか拍子抜けしつつも、王子来訪の話題で持ちきりになる。


 ただ、ユイスだけはそれほど興味を示さない。クラスメイトのエリアーヌが「王子ってどんな方なんだろう?」とはしゃぎかけても、彼はノートを開きながら顔を上げなかった。


「俺たちの模擬戦に関わるわけじゃないだろ。ギルフォードたちとの試合まで時間もないんだし、それどころじゃない」


「あ……そ、そうだね」


 レオンが肩をすくめて口を開く。


「保守派が気に入られたいのは目に見えてるからな。こっちに干渉さえなきゃ、どうでもいい話だろう。もっとも、王子が母親の出自のせいで正統性が薄いって噂はちょっと面白いが」


「母親が平民寄りの下級貴族なんだっけ……」


「それでも王族になれるんだな」


「どっちにしろ王族は王族」


 レオンは興味なさそうにまた腕を組む。


 ◇◇◇


 午前の授業が終わり、問題児クラスが一斉に教室を出ていくと、廊下には掲示や噂を見に来た生徒が大勢集まっていた。興味津々に話しかけてくる上級生や他クラスの貴族生たちが「王子に良い印象を持ってもらえれば、家名の評価も上がる」「殿下こそ純粋なる王家」といった声を飛ばしている。


 そんな空気の中、ユイスたちは静かに食堂へ向かう。エリアーヌが隣を歩きながら言いづらそうに漏らす。


「ユイス……あの、まだ夜に倉庫で研究するの……? 最近ずっと眠そうで……大丈夫?」


 彼女は短く切りそろえた髪を気にしつつ、ちらりとユイスの横顔をうかがった。


「昨日も倉庫にいたよな」トールが少し呆れたように口を挟む。


「倉庫のランプが夜通し点いてたけど、さすがに寝てないんじゃねぇか?」


 ユイスは足を止めることなく歩を進める。やがて食堂の入り口に着くとき、一言だけ返した。


「今はやらなきゃいけないから。王子が来ようが来まいが、俺たちがエリートクラスに勝たなきゃ意味がない。……食べたら、また演習場で試すぞ」


「了解。火球の詠唱短縮、だいぶ慣れてきたしな!」


「わ、わかった……」


 レオンは、そんなユイスの後ろ姿に視線をやり、「無茶しやがって」と小声でつぶやいた。


 ◇◇◇


 午後になってからも、保守派教師がエリートクラスへ声をかける姿が何度も見られた。「殿下に学院の素晴らしさを印象づけるには、模擬戦のレベルを高めるのが最適」とか、「近々、上級生やエリートクラスが合同演習を行うかもしれない」など、噂が学内を巡る。


 だが問題児クラスにとっては、肝心の演習場の予約がどうなるかのほうが大問題だ。


「視察準備だとかで、エリート側がフィールドを先に確保しようとしてるらしい」トールが苛立ち混じりに報告すると、レオンは「ほらみろ、言ったとおりだ。まあ、保守派のやりそうなことだ」と皮肉を交える。


 しかしユイスはそれをただ一瞥しただけで、「なら夜にやるしかない」とあっさり言う。エリアーヌがまた「そ、それって、また倉庫に……?」とおろおろするが、ユイスは頷くだけだった。


「最悪、夜でも早朝でも構わない。ギルフォードに負けてたまるか。王族なんか、俺には関係ない」


 その声音は低く、周りはそれ以上言葉を差し挟めない。


 ◇◇◇


 放課後、問題児クラスの生徒はいつものように寮に向かって歩く。廊下のあちこちで「王子殿下のお出迎え係を決めよう」「エリートクラスの模擬戦をアピールしよう」と活気づく声が聞こえた。


 レオンが苦笑しながらユイスに目線を寄こす。


「みんな、ずいぶん余裕だな。こっちは試合直前だってのに。……お前、今夜も倉庫か?」


「ああ。フェイズ・コンパイルが完成しなくても、短詠唱火球をもっと安定させる方法ぐらいは探したい」


 エリアーヌが「無理しないでってば……」とおどおどしながら止めようとするが、トールは慣れてしまった様子で「ユイスが言っても聞かないぞ。もう放っておくしかないって」と苦笑い。ミレーヌ・クワントも「体に気をつけてね、ユイス……」と小声で付け足すのみだった。


 ◇◇◇


 こうして学園の空気だけが、レオナート王子来訪の話題に熱気を帯びていく。しかし問題児クラスの数名は、まるで別世界のことのように冷静か、あるいは興味を持てずにいた。


「下級貴族出身の母を持つ王子……か」


 レオンがどこかで聞いた噂を思い出したように呟く。


「俺には関係ない話だな。ユイスの言うとおり、まず模擬戦でどうにかするほうが先だろう」


 寮の廊下で別れ際、ユイスは振り向きもせず、手にしたノートを握りしめたままこうつぶやいた。


「王子が見に来ようが来まいが、俺が変わるわけじゃない。……夜に倉庫へ行く。試したい術式がまだ山ほどあるからな」


 レオンはあえて聞こえないふりをし、エリアーヌはまた「今夜も……」と心配そうに口ごもる。


 そのままユイスは足早に寮を出ていく。光の少ない廊下に、彼の靴音だけが遠ざかっていった。殿下の来訪という大きな話題があろうとも、彼の焦燥は変わらない。まだ模擬戦までは日にちがあるとはいえ、魔力量で勝るエリートに対抗するには、足りないことだらけなのだ。


 夕暮れ迫る校舎の窓から薄赤い光が差し込む。だがユイスの視線は外には向かわず、ただノートに記された数式と術式フローだけを見つめていた。


「フェイズ・コンパイルの可能性を捨てる気はない。けど今のままじゃ暴発するかも……いや、何とかなるはずだ」


 呟く声は誰にも届かない。騒ぎ立てる校内の熱を尻目に、彼は一人夜の研究に向かうべく足を進めていくのだった。

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