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5. 倉庫での試作実験

 倉庫棟の扉をそっと押し開けると、ユイスは辺りを見回し、物音を立てぬよう気をつけながら倉庫の奥へ進んだ。右手に提げたランプがかすかな明かりを落とし、散乱する実験台や道具の影を揺らしている。消灯時間を過ぎ、学園の生徒の多くが就寝に入る頃合いだ。問題児クラス寮からこっそり抜け出すのにも慣れてきたが、それでも緊張感はぬぐえない。


「ここなら、夜中の実験でも誰にも邪魔されないはず…」


 小さく呟いた声は、静まり返った倉庫の天井へ吸い込まれていく。


 ユイスは奥の実験台へかがみこみ、わずかなスペースを確保しようと埃を払った。かつて魔道具や錬金素材を扱っていたのか、机には火で焦げたような痕跡が所々に残っている。彼は荷物を置き、ノートや参考書を拡げ始めた。


「昨日の連携練習で、火球一つ撃つのにも無駄が多かった。詠唱を半分ほど短縮できれば、奇襲にもつなげられるかも…」


 誰に話すでもなく、つぶやきに力がこもる。思い浮かぶのはギルフォードらエリートクラスが繰り出す派手で圧倒的な火力だ。あれに真っ向から挑んでも勝算は薄い。だからこそ、問題児クラスは粘りと回復を軸にした戦い方を模索している。


 ――だが、それだけでは不安が拭えない。


 ユイスはノートを開いてペンを走らせた。ページには細かな術式図や符号がずらりと並び、いくつもの赤い修正線が重なっている。


 数日前から試している「術式リライティング」。長ったらしい定型詠唱を大胆に削って、不要なフレーズを一気に除去するという発想だ。表向きは単なる省略だが、実際は大幅な演算処理が必要になる。


「行けるか…行ってくれ。下手に削りすぎると暴発するし、ちょっとでも手順を間違えたら炎自体が起動しない可能性もある。けど、やるしかない」


 そう言うと、倉庫の床に散乱していた古い書類の上から、リライト後の簡略詠唱を書き込んだ紙を一枚広げる。


 ――火球の定型詠唱には、厳粛かつ荘厳な文言がいくつも含まれている。それらは魔力を効率的に高める効果もあるが、同時に「式の重複」や「飾りの言葉」も多い、とユイスは数式理論で分析していた。


 火力自体は七割程度まで落ちるが、詠唱時間を半分以下にできれば、戦闘の機動力は格段に増すはず。


「初回の本番だな…」


 ランプを机に置き、ユイスは両手で軽く印を結んだ。視線の先には、床に置かれた石板を的代わりにしている。埃を払い、ほんの少し隙間を作った空間が“実験場”だ。


 一度、小さく深呼吸する。そして詠唱を――圧縮した短い文言を――口の中で転がすように呟く。


「……焔よ、形をとれ」


 わずかに火花が散り、指先にじりじりと熱がこみ上げる。ユイスは集中を研ぎ澄ませた。通常なら「灼熱の力を解き放て」とか「我が呼びかけに応えよ」などの長い言葉を必要とするが、そのすべてをカットしてある。


 魔力が脳から指先へ流れ込むイメージが一瞬だけ揺らぎ――次の瞬間、小さな火球がぽんと飛び出して石板に着弾した。


「……よし!」


 大きく息を吐いて膝をつく。火球の炸裂音はさほど大きくなかったが、狙い通りには届いたらしい。石板の表面が黒く焦げ、周囲に焦げた匂いが立ちこめてくる。


 何よりも――詠唱が極端に短かった。普通ならテンポよく呪文を唱えている間に相手が防御を整えるかもしれないが、これなら先制で一発を撃てるかもしれない。


「成功…したな。意外とスムーズに出た。威力は七割くらいか」


 ユイスは額の汗を拭い、笑みとも苦笑ともつかない表情でノートをめくる。ところが、その直後に頭痛がじわりと押し寄せ、彼は横の机へ手をついて姿勢を保った。


「ぐっ…頭が…演算負荷が想像以上に大きい…」


 詠唱を削るということは、従来なら補助してくれる言霊のエネルギーを、すべて“自力の演算”で肩代わりしているのに等しい。たかが小火球一発でも、ユイスの思考速度には相当の負担だ。


 ひとしきり痛みに耐えたあと、彼は息を整え、再びノートを見やる。


「でも、これでいける。あとは実戦で何度か試せば慣れてくるはず…」


 そのまましばらく倉庫の床にへたりこんで、ペンを走らせた。今の短縮詠唱の効果や、演算中に感じた問題点を簡単にまとめておく。そこに記す文字は楽しげに弾んでいる。成功の手応えが、わずかな安堵をもたらしていた。


 ◇◇◇


 少し落ち着きを取り戻したユイスは、ノートの後ろ数ページに描かれた別のメモへと目をやった。そこには「位相重ね合わせ(フェイズ・コンパイル)」と大きな文字で書かれている。


 数式理論の核となる考え方で、小さな術式を複数同時に起動・同期させ、結果的に大火力の魔法を作り出すという壮大なアイデアだ。


「理論だけなら、ギルフォード級の火力にも対抗できるかもしれない。でも、この短縮火球だけで頭がズキズキするんだ。こんなの同時発動できるのか…?」


 ため息にまじり、彼は用紙にびっしり並んだ数式を指先で辿る。位相を合わせるには、魔法を作動するタイミングのズレや魔力干渉をすべて計算しなければならない。そのための参考資料は、ほとんど禁書コーナーか、あるいは伝承レベルにしか存在しない。今のユイスは、そのどちらにもアクセス権がない。


「ギルフォードとの模擬戦まではもう時間も短い。…ここに手を出して成功する保証はないな。あれだけ派手に火力を出されるなら、むしろ今回の短縮術式でどうにか連打して妨害するほうが現実的か…」


 ノートを丁寧に閉じ、彼はゆっくり立ち上がった。まだ頭の奥に少しだけ熱が残っている。大量の演算が脳に負荷をかけすぎているようだ。


 それでも「やらなければ」と身体を震わせ、実験台に置いてあった紙切れやランプを片付けにかかる。


「リライト術式…自分に加えて、トールやエリアーヌにも教えられないかな。詠唱スピードが上がれば連携もしやすくなるし…」


 ユイスは自分に言い聞かせるように口を開いたが、同時に迷いも感じる。仲間を巻き込むことで演算負荷により誰かが倒れたりしたらどうするのか。失敗で暴発して怪我をさせるかもしれない。


 しかし、いずれにせよ問題児クラスが模擬戦で勝利を掴むには、常識的なやり方だけでは届かないと痛感していた。


「できれば、完全に安定させてからみんなに伝えよう。あと何回か試し撃ちして、失敗しない確率を上げて…」


 床に置かれた石板は、うっすらと熱を帯びている。さっき撃った火球の痕が黒く残り、煙が揺らめく。その灰色の立ちのぼり方をぼんやりと眺めていると、ユイスはふと幼馴染フィオナの姿を思い出した。


 あのとき、自分が血統魔法なしでも大きな力を作れたなら、あるいは彼女を見捨てるような領主の許可など必要なかったかもしれない。


「遅いよな…。でも、もう同じことを繰り返さないために、俺がやるしかない」


 声に出して言うと、心に燃えるような決意が蘇る。暗がりの倉庫の奥で、しばし静寂が訪れ、彼は拳を握ったまま動かない。


 外の廊下からは、どこかで寮管理人の靴音らしきものがかすかに響いた。巡回だろうか。あまりここに長居すると怪しまれる可能性がある。


「戻らなくちゃな。明日はクラスのみんなにも何かしら試してもらうか…」


 ランプを吹き消すと、倉庫は一気に闇に沈む。机や棚の影がぼうっと浮かび上がり、静かにユイスの顔を見つめているようにも見えた。むっとする埃っぽさを胸に感じながら、彼は無造作にノートを抱え、足音を殺して出口へ向かう。


 もう夜更けも深い。明日が早いことはわかっていても、頭の中は新たに得た手応えと課題でいっぱいだ。


 ◇◇◇


 扉を開けると、一気に外の夜風が吹き込んで頬を冷やす。月明かりが中庭を照らし、校舎や寮の窓はほとんどが闇に閉ざされていた。


 ユイスはそっと倉庫を後にし、寮のほうへ急ぎ足で戻る。足取りこそしっかりしているが、体は疲弊しているらしく、ときおりふらつきかける。


「この程度でへばるわけには。模擬戦まで時間は少ないし、やれることは全部やらなきゃ」


 手にしたノートをぎゅっと抱きしめる。


 血統魔法を誇るエリートクラスに勝ちをもぎ取るには、この数式理論しか頼れない。焦りもあるが、わずかに見えた可能性がユイスを突き動かしていた。


 夜空には雲が薄くかかり、月が淡い輪郭を見せている。


 ユイスはゆるやかな風に吹かれながら、再度思い返す。


 ――エリートクラスの大火力。ギルフォードの圧倒的魔力量。問題児クラスの不安。


 どれも今までの彼なら諦めてもおかしくない要素だが、今度は簡単には引き下がるつもりはない。


「これができれば……絶対に勝てるとはいえないけど、もう一歩、追いつけるはずだ」


 その小さな手応えが彼を突き動かす。暗闇の廊下を渡りきり、問題児クラス寮の裏口が見えてきたところで、ユイスは立ち止まってノートを開きかけた。


 小さなため息をつき、耳をすませる。管理人の足音は聞こえない。今なら寮に戻っても気づかれず自室に潜り込めそうだ。


「やることは山積みだが…今日はここまで。明日、また進めればいい」


 瞼の重さに抗うように、ユイスはそっと扉を開け、人気のない寮の廊下へ潜り込む。血統魔法に代わる自分の道が、わずかでも開けかけている――その希望が、彼をさらに無謀な努力へ駆り立てるのだ。


 倉庫での一度きりの成功を手がかりに、彼は夜の闇をかいくぐって部屋へ戻っていく。背後の扉が静かに閉まり、校内は再び深い沈黙に包まれた。


 外では風がさやさやと木々を揺らす。夜はまだ長い。だが、そのほんの一瞬の充足感を、ユイスは逃すまいと手の平で握りしめていた。


 明日になれば、また朝からクラスメイトと連携練習が待っている。そのとき、今回の実験成果をどう伝えればいいのか。みんなが喜ぶだろうか、それとも呆れられるだろうか――


 そんなことを考えながら、寮の奥へ奥へと足を運ぶ姿が暗闇に消えていく。


 夜の学園。倉庫に残った微かな焦げ跡が、その手応えを物語るようにくすぶっていた。

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