23. 問題児クラス結束
夜の問題児クラス寮は、昼間とは打って変わって静まり返っていた。古い建物の隅にある共有スペースに、ユイスたちが集まる。小さなランプの灯りが揺れ、長テーブルの上にはノートや資料がばらばらに広がっていた。
「えっと、これで全員揃ったな」
トールが椅子に腰を下ろしながら辺りを見回す。その声にあわせて、エリアーヌ、ミレーヌ、レオンがひとまず視線を向ける。最後にユイスが資料を手にして席に着いた。
「今日はギルフォードたちとの模擬戦に向けて、作戦をちゃんと考えよう。下手にぶつかれば、勝ち目は薄いだろうから」
ユイスがそう切り出した。資料を広げながら彼の声は低い。廊下ですれ違っただけで大口を叩き合ったエリートクラスと、一筋縄ではいかない対決をする日が迫っているのだ。
◇◇◇
小さなテーブルの周囲は、定員ぎりぎりのスペース。トールは早速、手元のメモ紙を眺めている。
「いやさ、あいつらの火力はとんでもないんだろ? 俺はこの前、実技フィールドで見かけたけど、あの派手な雷撃とか、マジで桁が違う。普通にやり合うなら一撃でぶっ飛ばされそうだ」
彼は眉をしかめ、素直に恐怖を隠そうとしない。
反対にレオンは、薄暗いランプの光の中で腕を組んだまま、どこか冷めた口調を続けた。
「もう派手とかじゃなくて、現実問題として血統魔法に対抗できる術があるのか? 俺たちの魔力量なんて、たかが知れてる。時間をかければかけるほど差が出るだけじゃないのか」
それを聞いたミレーヌの表情が強張る。彼女は唇をぎゅっと結んで、手元のノートを握ったまま小さく呟いた。
「私…暗記系は得意じゃなくて、あがり症で魔法の詠唱もよく失敗しちゃう。実技になると緊張が凄くて…」
「だ、大丈夫だよ、ミレーヌ。私も魔力自体はすごく低いけど、ユイスの数式理論を使ったリングで回復魔法が安定してきたし…。みんなで支え合えば、きっと何とか……」
けれど彼女自身も心細げにテーブルの端を見つめ、声は説得力を欠いていた。いつも明るく声をかけるエリアーヌでさえ、ギルフォードらの実力を思い返すと気持ちが沈むのだろう。
◇◇◇
一同の暗い空気を、トールの大きなため息がさらに押し下げる。レオンは小さく鼻を鳴らして、全員をぐるりと睨むように視線を巡らせた。
「要するに、絶望的なわけだ。血統魔法を全開でぶつけられたら、俺たちなんざ吹き飛ぶ。過去の模擬戦の記録だって、散々な結果ばかりじゃないか」
その言葉に誰も反論できない。負け癖がついている事実は否めず、さらにギルフォードはエリートクラスの中でも飛び抜けて強い。レオンの皮肉に、ミレーヌもエリアーヌも下を向くしかなかった。
沈黙が漂い始めたとき、ユイスが小さく咳払いし、持ってきたメモを広げる。
「けど、僕たちにも少しはやれる策がある。もちろん勝率は高くないけど、手をこまねいてたら結果は変わらないから。――まず前提として、ギルフォードたちは短期決戦の大火力を好む。血統パワーの一撃に集中してることが多いんだ」
ユイスが指先で示す先には、これまでの模擬戦データ。ギルフォードが大技で相手を瞬時に仕留めるパターンが目立つ。
「だから逆に、こちらは回避や防御を重視して、持久戦に持ち込むしかない。大技を連発すれば、さすがのエリートクラスでも魔力消費は大きいはず…」
エリアーヌが小さく目を瞬かせる。
「持久戦…確かに回復を挟めば、体勢を立て直せる時間も少しは稼げるわ。私の回復術、あんまり派手な効果はないけど…それでも即座に動けるなら、戦線を続けられるかも」
「私も補助をしたい。ユイスの数式理論は覚えるのに時間がかかるけど、制御が安定すれば実戦でも多少は役に立つはず…」
「回避戦法って、正直苦手だな。どーんと火力で相手を叩きたいのに。ま…勝つためならやるしかねえけど」
「ふん…それであいつらの大火力をかわし続けられると? 理想通り動ければいいが、現実はそう甘くない。こっちが慌てて散らばったところをギルフォードがまとめて焼き払うのがオチだ」
やはり否定的な意見が飛び出した。しかしユイスは、そこですぐ言い返すのではなく、一度深呼吸して視線を落とす。
「…そうだね。正直、成功確率は低いと思う。でも他に方法があるかな? これまでみたいに正面から撃ち合ったら、僕たちは速攻でやられる。なら、まずは一撃を耐えて耐えて、隙を見つける作戦しかないと思うんだ」
レオンはしばし無言だが、その瞳にわずかな逡巡が見えていた。彼もまた、ギルフォードらが化け物じみていることを痛感している。ただ、ユイスの冷静な口調には少し納得せざるを得ないのだろう。
「…まあ、頑張ってみれば? 俺はどうせ大した力にならんが」
そう言い捨ててから、彼は目をそらす。その皮肉な態度にもトールが怒りを覚える気配はなく、むしろ皆が“やっぱりレオンだ”とわずかな苦笑を浮かべる。
◇◇◇
暗い部屋の雰囲気は、決して明るくはならない。それでもユイスはメモ帳を開き、さらに細かいメモを示す。
「エリアーヌの回復をできる限り活かすなら、トールは一撃離脱の形で火球を撃ってすぐ下がる。ミレーヌは後方でサポート。レオンには…相手の攻撃を妨害できそうなタイミングで、奇襲的な魔法をお願いしたいんだ」
「奇襲、ねえ。俺の魔力量はそこそこだけど、血統には及ばないぞ?」
「でも、タイミングさえ合えば、ギルフォードたちの詠唱を少しでも遅らせることは可能かもしれない。血統魔法でも、完璧に無防備ってわけじゃないんだ」
ユイスの声は真剣さを含んでいる。相手を打ち砕くというよりは、相手の大技を寸断して少しずつ削る作戦だ。戦い方としては地味で回りくどいが、問題児クラスに残された道は少ない。
「まあ…やるだけやってみるか」
「いいじゃねえか。勝機ゼロよりはマシだろ」
「私、精一杯回復してみんなをサポートする。少なくとも、誰かが倒れちゃっても動けるようにしたいから…」
「うん、私も支援の詠唱をミスしないよう練習するよ。ユイスが作ってくれた術式制御図、覚えるの大変だけど…やるしかない」
◇◇◇
とはいえ、部屋の空気からは不安が拭えない。大まかな方針がまとまったところで、再び沈黙が落ちる。
誰もが「あの血統集団に本当に勝てるのか」という疑問を抱いていた。作戦を立てても、失敗すれば瞬殺される。それを想像するだけで、胸が冷たくなる。
そんな中、トールが椅子を引き、一気に立ち上がった。
「ま、怖いって気持ちはあるけどさ、もう挑発を受けちまったんだし、やるしかねえんだよ。ここで逃げたら一生笑われるぜ」
いつもの勢い任せのような口ぶりだが、彼の拳は微かに震えている。それでも逃げたくない、という意思が伝わってくるのか、エリアーヌが小さく頷いた。
「うん…私、悔しいし。魔力量が全てじゃないって証明したい。負けるかもしれないけど、それでも私たちがやってきたことに、意味があるはず」
「私だって、商家の娘だからって見下されるのはもう嫌。努力しているのに“魔力量がないから無駄”って言われるのは本当に…許せない」
「俺も…血統ばかりが威張るのにうんざりしてるんでね」
最後にユイスが立ち上がって、ノートをそっと閉じる。
「ありがとう。みんながやる気なら、僕も全力で術式を最適化する。少しでも勝機を上げるために、演習もしっかり組もう」
◇◇◇
そんなふうに話し合いはまとまったが、部屋にはまだ重い空気が滲んでいた。それでも“逃げない”と決めた瞬間だけは、全員が声をそろえて肯定する。
「やるしかねえよな」
トールが強く拳を握って言葉を放つ。
エリアーヌは胸を押さえてうなずき、ミレーヌも決意の色を浮かべてうっすら笑った。レオンは相変わらず仏頂面だが、明らかにそこに諦めきった表情はない。
その様子を静かに見つめていたユイスは、仲間の顔を順番に眺める。彼らの瞳には小さな不安が渦巻いているものの、同時に消せない炎がともっているようにも見えた。
「よし。じゃあ今日はもう遅いし、明日から実技練習をメインでやろう。僕は数式の調整を進めるから、必要そうなアイテムがあったら言ってほしい」
そう言うと皆、小さく頷いて席を立ち始める。
夜更けの共有スペース。わずかなランプが照らす中、ひとりずつがドアへ向かい、布団のある部屋へと戻ろうとする。足取りにはまだ迷いが混ざるが、逃げるわけにはいかない――そう自覚している。
◇◇◇
最後に残ったのはユイス。
彼は机の上のノートやメモを片付けながら、小さく息を吐いた。そして誰もいない天井を見上げる。気のせいか、そこに残るランプの揺らぎが、やけに頼りなく見えた。
(正直、勝てるかどうかはわからない。血統魔法の圧倒的火力を止める方法は、まだ不完全だし…)
ユイスはほんの少しだけ手を震わせてから、ノートをぎゅっと抱きしめるように持ち直した。フィオナの死の光景、そして貴族領主の冷たい態度が頭をよぎる。
今ここで引き下がれば、再び同じ後悔を繰り返すだけ。だからこそ、何としてでも突破口を開かなければならない。
「やるしかない、よな」
自問するように呟いて、ランプを吹き消す。部屋が闇へ包まれ、寮の古い廊下からひんやりした風が入り込んできた。
その夜、問題児クラスの仲間たちもそれぞれの部屋で深い溜め息を落としたはずだが、不思議と決意の色は消えていない。胸の奥に宿る微かな光を頼りに、彼らはエリートクラスへ立ち向かう準備を始めようとしていた。
──暗闇の中、ユイスはノートを抱えたまましばし動かない。
外から吹き込む夜風が冷たいが、心は熱くざわめいている。自分が作り出した数式理論が通じるのかどうか、恐怖と期待がないまぜになったまま、今はただ静かにまぶたを閉じた。
(必ずやり遂げる。もしここで逃げたら…全部が無駄になる。だったら進むしかない)
そう胸の内で念じ、彼は一度大きく息をつく。




