18. 勉強会
私は問題児クラスの一年生で、魔力量が低いせいもあって昔から「落ちこぼれ」と呼ばれ続けてきた。けれど、最近は少しだけ自信がわいてきた。回復魔法を、ほんのわずかとはいえ成功させられたからだ。それもこれも、クラスメイトのユイスが提唱している数式理論のおかげ。彼が作る補助リングを使うと、私みたいな低魔力の人間でも、不思議なほど魔法を扱いやすくなる。……とはいえ、今度の定期テストはまったく別物。基礎理論や歴史暗記が苦手な私には、試験範囲の分厚い教科書が正直つらい。
そんなわけで、今回の夜は寮の仲間、ミレーヌを自室に呼んで一緒に勉強することにした。彼女も私と同じ問題児クラスで、暗記ものや人前で話すのが苦手らしい。ふたりなら少しは心強い。私が「一緒にやろうよ」と声をかけたら、彼女は「ありがとう……助かるかも」と、ほっとしたように笑っていた。
◇◇◇
夜の女子寮は、昼間のにぎやかさとは打って変わって静かだ。廊下の照明も落ち着いた明るさに調整され、部屋でおしゃべりしている女子の声が遠くに聞こえるくらい。私は両手にノートを抱え、ミレーヌと並んで歩いた。
「……えっと、ちゃんと部屋片づいてないけど、気にしないでね?」
「全然平気。私も自分の部屋は散らかりぎみだし」
ドアの前に着き、小さく息をついてから部屋を開ける。ミレーヌが「あ、失礼します」とそろそろと入った途端、彼女の目が少し丸くなった。
「エリアーヌの部屋、すごく……にぎやかだね」
「う、うん。お菓子の材料とか調理道具とか、つい床に置いちゃって……ごめん! あ、そこ座って!」
私は慌てて部屋の隅のボウルや袋をどかし、机のいちばん近くに椅子を確保する。ふわっと甘い香りが漂うのは、今朝方試作したクッキーの名残だ。ミレーヌは「いい匂いがするね?」と柔らかく笑い、そっとノートを机に広げた。
「それじゃあ、まずは暗記範囲の確認から……」
「うん、そうしよう!」
そう言ったはずなのに、私たちは教科書を開いたところで手を止めてしまった。どうにも、集中する前に話したいことがいろいろあるらしい。
「暗記って、ほんとどうやってやればいいんだろうね。詠唱文が細かくて、すぐ頭がごちゃごちゃになるし……」
「わかる。私は人前で発言するだけで緊張しちゃうし、口が回らなくなる。実技以前に、私、頭が真っ白になるんだよね……」
ミレーヌが自嘲気味に笑う。彼女は商家出身で、父親が貴族との取引に苦労していると聞いた。だからこそ家のために成功したい、でも実力が伴わず自信が持てない……そんな思いがあるようだ。
私も似たようなものだ。親戚中から「魔力が低すぎる」「本家の血を継げなかった失敗作」と散々言われてきた。ところがユイスが作ってくれた補助リングのおかげで回復魔法を成功させられて、自分の中の小さな火が灯りはじめている。
「私はね、いつかお菓子屋を開きたいんだ。甘いもの食べるとみんな笑顔になるでしょ? 貴族でも庶民でも関係なく、そこで一緒にお菓子を楽しめるようなお店にしたいの」
「お菓子屋……いいね。エリアーヌの焼き菓子、おいしそうだもん」
そう言ってくれると嬉しい。私の家は伯爵家の分家だけど、実質お金もなくて、今も奨学金のおかげで学園に通わせてもらっている状況。けれど、自分の手で作ったお菓子をみんなが笑顔で食べてくれる――そんな光景を想像すると、胸が暖かくなるのだ。
「ミレーヌは将来どうしたいの?」
「私は……やっぱり実家の商売を立て直したいかな。貴族相手の取引で失敗した父を、少しでも助けたい。魔力が低い私に何ができるかはわからないんだけど……」
「わからないなんてことないよ。お店の経営なら、きっとミレーヌの商才が役立つはず」
ミレーヌが小さく首を振る。暗い目をして、でもどこか決意は感じられる。
「ありがとう。でも、まずは試験に受からないと、退学なんて話になっちゃうかも……この定期テスト、もし成績がひどいと奨学金も打ち切りの可能性があるって聞いたし」
「そ、そうだよね。……私も必死にならなきゃ」
ユイスの数式理論を使えば、魔力量が低い私たちでも魔法を習得できるチャンスはある。実際、回復魔法は少し成功した。でも、座学まで一気に点数がとれるわけじゃない。やらないといけない範囲は山ほどある。だからこそ、今こうしてミレーヌと一緒に勉強しようとしているのに……。
「……勉強、しようか。ね」
「うん。じゃあ、最初はこの魔術理論の基礎? 暗記が多いやつ」
私たちは腰を落ち着けて机に向かう。ノートを開いて問題文を確認しつつ、参考書をめくっていく。だけど、五分もたたないうちに気づいてしまう。集中力が、こんなに持たないものだったっけ……?
私は息苦しさを感じてきて、何か甘いものが欲しくなった。
「ミレーヌ、休憩がてらクッキー食べない? 実は今朝試作したやつがあって……」
「え、食べたい。甘いもの大好き」
そう言って彼女が笑顔を見せるから、私も嬉しくなった。机からノートを少しどけて、棚の上に置いていたクッキーの缶を開ける。焦がさず焼けた分は意外と好評だ。ミレーヌが「うん、おいしいね。もうプロみたい」と頬張り、私まで舞い上がる。
「……実はこのレシピ、いろいろ改良の途中なんだ。もっとおいしくしたいから、もうひとつ違う配合で焼いてみようかな……」
「わ、いいかも。私も手伝うよ」
……やることが増える。けれど止まらない。お菓子作りへの好奇心と、人に喜んでもらえる楽しさに、私はつい勉強を後回しにしてしまう。
キッチンと呼ぶには質素な寮の調理スペースへ、ミレーヌを連れて向かう。そして、生地を混ぜたり温度を調整したりと、手際よく進めるつもりが……。
「ん、ちょっとタイマーかけて……あれ? どこ置いたっけ……」
「エリアーヌ、これかな? ……あれ? 違う……」
私たちはタイマーを探すのに手間取る。その間にオーブンの中ではクッキー生地が焦げはじめている。煙がもくもくと立ち上り、鼻をつくにおいが漂ってきた。
「わ、わわ、焦げ臭い……! やばいかも!」
「急いで開けよう!」
オーブンの扉を開けた瞬間、煙がぶわっと広がり、私とミレーヌは「きゃあ! 熱っ!」と悲鳴をあげる。慌ててタオルを振って煙をかき出し、窓を開ける。一気に廊下まで煙が漏れ出し、隣の部屋の子たちがドアを開けて「大丈夫?」と心配そうに顔を出した。
「ご、ごめんなさい! ちょっと……焦がしちゃっただけで……!」
「火事じゃないから安心して!」
廊下から「あはは、気をつけてね~」という笑い声がして、煙が漂う部屋の中には私とミレーヌだけが取り残される。胸を押さえて、ひとまず落ち着くために深呼吸……しようとすると、むせ返るような焦げ臭い空気だ。
「……はぁ、もう、なにやってるんだろ」
「でもまあ、火事にならなくてよかった……」
再び机に戻ろうとするけれど、今度は床に置きっぱなしだった調理道具に足を取られたミレーヌが、ひやっと体勢を崩す。私が思わず彼女の腕を引き寄せ、抱きとめた。
「あ……ご、ごめん! 大丈夫!?」
「う、うん……ありがとう、エリアーヌ」
熱や煙で部屋全体が暑くなっていて、私たちはほんの少し服の裾を乱している。さっきまで軽く着ていた上着も脱ぎかけだから、なんだかお互い首や肩が見えそうで、視線をそらしてしまう。抱き合う形になったせいで、ミレーヌの胸や太ももが私に当たってきて、お互い顔が赤くなった。
「えっと……セクシーになってる……」
「や、やめてよ。恥ずかしい……」
やけにドキドキしてしまい、「ごめんね」と言い合いながら慌てて体を離す。完全に勉強会どころではなくなっている自分に気づき、私は思わず頭を抱え込む。
「……もう今夜はやめにしようか。これじゃ勉強になってないよね」
「はは……私もそう思う。でも、失敗はしたけど楽しかったかも。お菓子おいしかったし」
部屋にはまだ焦げた匂いが漂う。私たちは窓や扉を開けて、しばらく換気を続けた。灰になった生地を片づけ、換気の合間に床を拭いたり道具を洗ったり……そうこうするうちに、二人とも体力を使い切ってしまう。
「ミレーヌ、ごめんね。せっかく勉強しに来てくれたのに、ほとんど勉強にならなくて……」
「気にしないで。私も気分転換できたし……それに、エリアーヌがいるとなんだか頑張れそうな気がするよ」
彼女の言葉に、私の胸がじんわりと温かくなる。いつもは自信がなくて失敗ばかりの私だけど、ミレーヌに「一緒にいると頑張れそう」と言ってもらえたのが嬉しくて、目が潤む。すぐに笑ってごまかすけど。
「そ、そう? ……じゃあ、また今度、ちゃんと計画的に勉強しよ? 煙まみれにならないように」
「うん、次こそはちゃんと座学進めよう。でもお菓子も少しは食べたいな……焦がさない程度で」
「もちろん! 次こそ絶対に焦がさない……はず!」
ふたりで笑い合う。ふと、私の頭にユイスの姿が浮かんだ。あの不思議な数式理論があれば、私たちでも魔法理論の座学をマスターできるかもしれない。ミレーヌもきっと同じことを考えているのだろう、ぽつりと言った。
「ユイスってすごいよね。あの人、魔力量は低いのにすごく前向きで、魔道具の開発とか成果出してるし……」
「うん、あんなふうに自分の力で道を切り開いてるのって、尊敬しちゃう。私も頑張らなきゃ……菓子店だって本気で目指したいし」
そう口にするだけで、先ほどの失敗も少しは報われる気がした。例え焦がしたって、また新しい生地を作ればいい。それと同じで、勉強だって、私たちのやり方で地道に進めればいいんじゃないかな。大きな壁があったとしても、数式理論やそれに似た工夫を積み重ねれば、回復魔法だって合格点だって狙える。
部屋を見回すと、まだところどころに煙が残り、焦げた匂いも薄っすらする。そろそろ寮の消灯時間が近いから、今日はお開きにしよう。ミレーヌも疲れた顔をしながら、笑みを浮かべる。
「じゃあ、そろそろ戻るね。また今度、お菓子……じゃなくて、ちゃんと勉強! しようね」
「ほんとにね。うん、絶対しよう。今日はありがと」
彼女を見送ってドアを閉めると、私はくたっとベッドに腰を下ろした。煙まみれになったし、床には細かい粉が散らばっているけど、不思議と心は軽い。誰かと一緒に失敗して笑い合えるって、こんなに嬉しいことなんだな……と改めて思う。
次はもっとちゃんとやる。勉強だって、お菓子づくりだって、緊張で自信を失いそうでも――私たちならきっと乗り越えられる。
私は軽くシャワーを浴びて煙の匂いを落とし、真っ白な寝巻きに着替えると部屋の窓を大きく開けた。夜の風が流れ込み、やっと焦げた空気が和らいでいく。
明日は今日よりも、少しだけ上手にやれるはず。ミレーヌと支え合いながら、ユイスの数式理論を頼りにしながら、いつか私の夢――みんなが笑顔で食べられるお菓子店を開いてみせるんだ。
静かな闇に包まれる寮の廊下。遠くで誰かの足音が響くけれど、今夜はもう、深入りしないでおこう。私は息をつきながら、ほんのり甘いクッキーの味を思い出す。少し散らかったままの部屋の風景も、今はなんだか心地いい。
「よし……今日はゆっくり寝よう」
そう呟いて目を閉じると、頬に残った熱がじわりと心地よく広がる。きっと明日こそ焦がさずに作れる。勉強だって、きっとやり方を見つけられる。ほんのりお菓子のにおいの残る部屋で私は微笑み、ゆっくりと横になった。部屋の灯りを落とすと、静かに眠りの世界が私を包み込む。
失敗も、煙の騒動も、そしてちょっとした恥ずかしい出来事も――ぜんぶ含めて、かけがえのない夜の思い出になりそうだ。私は胸にこもる温かい気持ちを抱えたまま、静かに意識を手放す。




