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14. ギルフォードの華

 朝の光が差し込む頃、ユイス・アステリアはいつもより早く問題児クラスの教室に足を運んだ。


 周囲の席はまだまばらだが、トール・ラグナーだけはすでに来ていて、窓際に立ったまま大きく背伸びをしている。


「今日はやけに早いんだな、ユイス」


「昨夜は少しだけ早く休んだんだ。たまには健康的に、ね」


 軽く挨拶を交わしながら、ユイスは胸元に抱えたノートをそっと撫でる。火力制御リングの刻印をさらに微調整するアイデアを書き込み、夜遅くまで考えていた結果だ。少しでも新しい道筋が見えればいい――そんな思いで、朝早くに机に向かったのだ。


 ◇◇◇


 ほどなくして、ミレーヌ・クワントとエリアーヌ・マルヴィスも教室へ姿を見せる。


 二人とも眠たげな顔だったが、ユイスが挨拶するとすぐ目をこするようにして応える。


「おはようございます…今日はやけに人が少ないですね」


 ミレーヌが教室を見回す。いつもレオンが一番遅いのは定番だが、今日はほかの生徒もほとんどいない。


 エリアーヌは首をかしげた。


「うーん…もしかして何か特別な日なのかな?」


「そういえば、廊下に掲示が貼られてたよ」


「エリートクラスの実技演習が公開されるって書いてあったぜ。全学年の希望者が見学できるらしい」


「公開演習? 珍しいですね…いつもはエリートクラスだけの非公開が多いのに」


 エリアーヌは手を合わせたまま、少し落ち着かない様子を見せる。


「でも…どうせ私たちには関係ないよね。見に行っても凄さに圧倒されるだけかも…」


 ユイスはノートを机に置き、パラパラとページを捲りながら言った。


「実際に見ておくべきじゃないかな。血統魔法がどれほどのものか、ちゃんと知りたいし…いずれ戦う日が来る可能性もゼロじゃない」


「まあ、お前ならそう言うと思ったぜ。俺は面白そうだから行ってみたいけどな」


 エリアーヌはやや不安げに視線を伏せるが、ユイスの真剣な表情を見ると、少しだけ顔を上げる。


「…うん。ユイスが言うなら、私も行ってみる。こわいけど、見ないよりはいいよね」


 そこへ、少し遅れてレオン・バナードが眠そうな目で入ってきた。


「朝から盛り上がってるな。何の話だ? …公開演習?」


 いつも通りの皮肉屋ぶりに、トールがやや呆れ顔をする。


「お前も一緒に行こうぜ、レオン。どうせ昼間で暇なんだろ?」


「まあ、別に構わないけどね。強者のショーを見せつけられるだけじゃないのか」


 レオンは投げやりに肩をすくめる。けれど、その目にはわずかな好奇心も混じっているように見える。


 ◇◇◇


 やがて担任のグレイサー・ヴィトリアが姿を見せ、淡々と黒板を指し示した。


「さて、今日の午前の講義は自由参加扱いになる。理由は…お前らすでに聞いてるかもしれんが、エリートクラスの実技演習が公開されるからだ。興味があれば見てくればいい。あまりに騒ぎすぎるなよ」


 それだけ告げると、グレイサーはコーヒーカップを傾けて一息つく。生徒たちに何か意見を求める風でもない。


 教室内の問題児クラス生は、微妙な空気でざわめく。ユイスはそっと立ち上がり、トール、エリアーヌ、ミレーヌ、そしてレオンに目で合図を送った。


「行こう。せっかくの機会だし、見ておきたい」


「また夜の実験に生かすためにもな」


 エリアーヌとミレーヌも不安顔ではあるが、重い足取りで続く。


 レオンだけが少し遅れて立ち上がり、「はあ、仕方ないな」と面倒くさそうにつぶやいたが、実際は断る気はないらしい。


 グレイサーはそれを横目で見やり、口元をわずかにゆがめる。


「しっかり見学してこい。血統魔法がいかに大したものか、お前らの目で確かめるんだな」


 嫌味とも本心とも取れない言い方。ユイスは何も言わず、一礼だけして廊下へ出た。


 ◇◇◇


 演習の舞台は学園中央に広がる大規模フィールドだった。普段はエリートクラスが実技や訓練を行う場所で、他のクラスが入り込むことはめったにない。


 今日は「公開」とあって、ロープが張られた見学スペースにはすでに多くの生徒が集まっている。


 華やかな服装の上級貴族生や、憧れのまなざしを向ける一般クラス生、そして問題児クラスの姿も少しだけ見えるが、ユイスたちは端のほうでひっそりと陣取った。


「すごい人…」エリアーヌが周囲を見渡す。


 ミレーヌは緊張からか手元に計算メモを握りしめたまま落ち着かない様子だ。


 レオンはふいに視線を上げ、「ほら、あれだろ。ギルフォード・グランシスが来たみたいだ」とつぶやく。


 まばゆい雰囲気を纏ってフィールド中央に現れたのは、ギルフォード・グランシス。取り巻きを従え、自信満々の笑みを浮かべる彼は、まるで舞台役者の主役のようだった。


「皆さま、お待たせしました。エリートクラスの実力、存分にお見せしましょうか」


 高らかな声が響き、見学席からは一斉に歓声と拍手が起こる。


 ユイスはその声を耳にしながら、内心で唇を引き結ぶ。


(これが血統魔法…さて、どれほどの威力を見せるんだ?)


 ギルフォードが短い詠唱を始めると、空気が一変した。凄まじい魔力の奔流が肌を焼くような錯覚をもたらす。


「炎よ、我が誇りに応えろ――“焔撃の閃柱”!」


 ドッ、と爆発的な火の柱がフィールド中央を焦がし、設置された標的が音もなく吹き飛ぶ。見学席のあちこちから「すごい!」「やっぱりギルフォードさまだ!」と興奮した声が湧いた。


「くそ…えらい火力だな」トールが呻く。


 ユイスはその炎のゆらめきを目に焼き付けるように凝視しながら、頭の片隅で術式の組成を想像していた。


(血統魔力のブーストが大きいだけじゃない…術式にも独特の最適化が施されてるのか? あるいは儀式的な紋章が重ねられてるのか…)


 ギルフォードはさらに雷撃の大技を連発し、追加の標的を一撃で消し飛ばす。


 火や雷の閃光が目にまぶしく、観客は拍手と歓声、そして興奮のどよめき。


 ユイスは思わず息を詰める。これほどの破壊力を真正面から受け止めることを想像すると、簡単に圧倒されそうだ。


(でも…数式魔法を完成させれば、いつかは…)


 そのとき、フィールドの隅でリュディア・イヴァロールの姿が見えた。


 彼女は風やサポート魔法でギルフォードや他のエリート生を援護している。


 炎と雷が暴走しないよう風の壁を巧みに使い、演習の安全性を確保しているようだ。


 見た目は控えめな動きだが、その制御技術は相当なレベルだとわかる。


「リュディアさん、あんなに上手く風魔法を扱えるんだ…」


「うん…しかも母が平民って噂があるのに、あれだけの魔力があるんだね」


 フィールド中央で、ギルフォードがわざと大きな炎を上空へ放つ。


 リュディアは咄嗟に風のバリアを形成し、炎が観客席まで広がらないよう緩衝してみせた。


 一連の流れはまるで合図されたかのように華麗で、周囲の見物生徒たちは再び拍手を送る。


 ギルフォードは勝ち誇ったように笑い、リュディアはほんの一瞬だけ気まずそうに視線をそらす。


 ユイスはその微妙な表情を見て、心がざわつく。


 貴族社会の華やかな舞台で、彼女は確かに輝いている。派手なエリートたちの中心にいる彼女との距離を感じて、悔しさとわずかな共感が入り混じった。


(やっぱり貴族は貴族。けど…あの人は完全に同じじゃないような)


 ◇◇◇


 やがて演習が一旦締めくくられ、ギルフォードやリュディアたちがフィールド中央に並んだ。


 観客席からは盛大な拍手が起こり、いくつもの称賛の声が響く。


「さすがギルフォードさま」


「イヴァロール家の令嬢も見事な制御ね」


「これが血統魔法の威力…」


 ユイスたちは端のほうで立ちすくんでいたが、トールが拳を握りしめるように言った。


「すげえよ、あんな炎と雷。まともに食らったら一瞬だろうな…」


「そうだね」エリアーヌは俯きがちに息をつく。「やっぱり次元が違う…私たちが同じ土俵に立てるのかな」


 ミレーヌも小声で「誰が見ても圧倒的ですよね」と同意し、レオンは「だから言ったろ。これが現実だ」と吐き捨てるように冷ややかな視線を投げた。


 しかしユイスは歯を食いしばりながら、フィールドの様子をじっと見つめている。


(火力がすべてではない。もちろん圧倒的な魔力量は脅威だが、術式を最適化できれば…きっと何とかなるはず)


 少し離れたところでギルフォードが、「やはり魔力量がなければ話にならない」と声高に言っているのが聞こえた。取り巻きの貴族生が同調し、勝ち誇った笑みを浮かべている。


 ユイスはその言葉を聞き流すことができず、胸に再び小さな怒りが芽生えた。


(フィオナを見殺しにしたような貴族社会…今も変わっていない。数式理論が完成すれば、誰もが救われる可能性が生まれるんだ)


「行こうか、みんな」


「もう十分わかったよ。エリートクラスと俺たちの差がどれほどかってことが」


「ああ。見てしまうと、正直厳しいと思う。だが…戦うなら俺は負けたくない」


 エリアーヌは不安そうな顔を隠せないが、「ユイスが諦めないなら、私も…」と小さく言葉を続け、ミレーヌも「たとえ差があっても、これまで通り少しずつ改良を重ねましょう」とフォローする。


 レオンは腕を組んだまま、「まあ、どんな展開になるか見物だな」と冷めた声だが、その瞳にはわずかな光が宿っていた。


 ◇◇◇


 観客の雑踏をかき分け、問題児クラスの五人は演習会場を後にした。


 後ろを振り返ると、ギルフォードが誇らしげに取り巻きから賛辞を受け、リュディアは少し離れたところで後始末をしている。


 ユイスはその姿を遠目に見つめ、軽く拳を握る。


「火力制御リングだけじゃ物足りない…もっと新しい術式を確立して、血統魔法の壁を越えなきゃ」


「まずは倉庫実験を続けようぜ。あれがかなり効いてるし、俺の火球も安定してきた。次は威力を上げたいところだ」


 エリアーヌとミレーヌも小さく頷き合い、レオンは「ほどほどに頼むぜ」と苦笑した。


 まもなく、廊下の隅に担任グレイサーが立っているのを見つける。コーヒーの香りを漂わせながら、彼は軽くあごをしゃくった。


「どうだった。エリートの実力は」


「凄まじいものだと思いました。けど…諦めるつもりはありません」ユイスが即答すると、グレイサーは鼻を鳴らす。


「ふん、勝手にしろ。お前らでどうにかなるかは知らんが、まあせいぜい頑張れ」


 教師らしからぬ言葉に、エリアーヌとミレーヌは面食らった表情になる。だがユイスはそれを真正面から受け止め、静かに礼を述べるだけにとどめた。


 ◇◇◇


 その日の午後、問題児クラスの教室では、いつものように小テストや地道な演習の準備が進められていた。


 だがユイスやトール、ミレーヌ、エリアーヌ、レオンの胸中には、先ほど目の当たりにした血統魔法の余韻が強烈に残っている。


「ギルフォードとリュディアが合わせたときの火力と制御…まるで竜のブレスのような勢いだったな」


 トールは思い出すだけで背筋がぞくりとするらしい。


 ミレーヌはノートを広げ、「今の段階では魔力の差がどうしても大きいから、コストや効率で上回るしか…」と提案をメモしている。


 レオンは机にもたれかかりながら、「理屈は分かるが、実際にやるとなったら大変だな。ま、面白そうではあるけど」と呟く。


 ユイスは自分のノートを開いた。実験メモや改良案が大量に書き散らされているが、まだ解けない課題が山ほどある。


(血統魔力の優位をひっくり返すには、数式理論をもっと突き詰めなきゃ。火力制御だけじゃ足りない。詠唱速度、術式分割、魔力量の補填…全方位で最適化がいる。今のままじゃギルフォードには届かない)


 だが、その不可能のようにも思える壁を前にしても、ユイスは燃え上がる闘志を感じていた。


 幾夜も眠りを惜しんで研究する姿を、仲間たちは見てくれている。ミレーヌは材料費の節約策を考え、エリアーヌは失敗を恐れつつもサポートしようと気遣ってくれる。トールは実験台になって火球を放ち続け、レオンは時折冷淡な皮肉を言いながらも、結局は手伝ってくれる。


 その事実が胸を温かくし、先の見えない苦闘に立ち向かう勇気を与えてくれた。


(勝てない勝負かもしれない。でも、ここで諦めたらフィオナを救えなかった自分がずっと消えない。血統魔法を超える術を見つけたい。誰もが笑われるような夢だろうと、やるしかないんだ)


 ユイスは心の中で、きつく拳を握りしめる。


 トールやエリアーヌがひそひそと今後の倉庫実験の段取りを話している声が聞こえ、ミレーヌが真剣な表情で「刻印の増設部分に使う金属は…」と小さく呟くのが耳に入る。


 レオンは「そこまで本気なら、俺も多少は付き合ってやる」と、わざと素っ気なく宣言した。


 その光景を、グレイサーは教室の後ろから眺めていたが、何も言わずにコーヒーをすすっている。


 窓の外では、エリートクラスの片付けが続いているのか、人影がちらちらと動くのが見える。


 派手な炎を振りまいたギルフォードの姿を思い出し、ユイスは静かにノートを閉じた。


(準備を整えよう。夜になったら、また倉庫で改良を試してみる。いつか必ず、あの炎に負けない力を作り上げてやる)


 頭の中には、血統魔法を凌駕するイメージがまだ漠然としか存在しない。


 けれど、仲間たちと少しずつ前に進めば、きっと道は開ける――そう信じられるだけの小さな成功をすでに得ているのだ。


「さて、まずは午前のうちに演習のレポートをまとめて、必要な買い出しのリストを作らないとな」


 ユイスが誰にともなく言うと、トールが気合いを入れ直し、エリアーヌとミレーヌも「うん」と笑って応じる。


 レオンは面倒そうにため息をついたが、結局、席に座ってノートを開き始めた。


 そして、教室の後ろのほうではグレイサーがコーヒーカップを置き、ほとんど聞こえないくらいの声で一言だけ呟く。


「そうやってもがく姿も…悪くはないな」


 誰もそれに返事はしなかったが、教室には不思議な連帯感が生まれ始めている。


 数刻前まで見せつけられたエリートクラスの圧倒的火力。その眩しさに負けない熱を、問題児クラスは自分たちなりに育てようとしていた。


 ◇◇◇


 昼下がりの窓辺からは優しい光が差し、ユイスや仲間たちのノートを照らしている。


 ふと、廊下に視線を投げると、演習を終えたエリートクラスの学生たちが通り過ぎるのが見えた。


 ギルフォードの高笑いがかすかに響き、リュディアの姿はほんの一瞬だけ映ったが、すぐに見えなくなる。


 ユイスはその背中を追いかけるように視線を伸ばしつつ、もう一度ノートに向き直る。


 血統こそがすべて――そんな価値観を捨てさせるためにも、数式理論を完成させなければならない。


 エリートクラスの公開演習は、やはり強大な壁が立ちはだかっていることを思い知らせてくれたが、同時に闘志を湧き立たせる燃料にもなった。


 ユイスは軽く深呼吸をして、インクの染みついたペンを握り直した。

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