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13. 担任の本音

 放課後の空気が少しずつ冷えてくる頃、ユイス・アステリアは問題児クラスの教室にひとり残っていた。木製の机の上にはノートが開かれ、彼は火力制御リングの設計図面を目で追っている。倉庫での夜間実験で得られた小さな成果をもう一度整理し、次の改良策を考えようというわけだ。


 ◇◇◇


「ふう……本当にちょっとずつだけど、前に進んでる気がする」


 ノートの端に走り書きをしていたユイスは、声なき声でそう呟く。実験でわかった問題点——刻印の干渉による魔力ロスや、火球維持に必要な詠唱の見直しなど——を細かく箇条書きにしては、消して書き直し、また思案していく。


 隣の席には誰もいない。トールもミレーヌもエリアーヌも、そしてレオンも、すでに廊下へ出て行った。いつもの放課後なら、にぎやかに雑談をしながら寮へ帰る流れだが、今日はユイスが「先に行ってていい」と言ったので、みんな気を利かせて先に引き上げたのだ。


 教室の窓からは夕焼けがほとんど見えなくなり、外灯の頼りない光だけが差し込んでくる。ユイスはランプをひとつ手元に置き、ペンを動かす。わずかな灯火で紙面を照らし出す作業は、農村育ちの彼にとってそれほど苦にならない。むしろ周囲が暗いほうが、書き込みに集中できるような気がする。


 ――そこへ、教室の扉がゆっくり開いた。


「……まだ残っているのか。お前さんは昼も夜も大忙しだな」


 だるそうな声が届く。振り返れば、コーヒーカップを手にした男――問題児クラスの担任、グレイサー・ヴィトリアが立っていた。色素の薄い髪を乱雑に束ね、教師らしからぬ風貌であるものの、その冷静な視線にはどこか鋭さが混じる。


「先生……どうしてここに?」


 ユイスは机の上のノートを慌てて閉じかけたが、グレイサーは興味なさそうに口をゆがめるだけだった。


「廊下を歩いてたら、まだ明かりがついてたもんでな。何か焦げくさい紙でも燃やしてるのかと思って来てみたんだが、どうやら違ったか」


 グレイサーはそう言いながら、机の角に腰掛ける。カップに口をつけ、コーヒーの香りを楽しむかのように鼻をひくつかせた。


「実験の進捗か何かを整理してるんだろ。夜間にあんな場所で炎を放ってるんだ、多少は成果が出たのか?」


 グレイサーの問いに、ユイスはわずかにうなずく。彼は正直に言うべきか迷ったが、沈黙を続けても逆に不自然と思い、ぽつりと口を開いた。


「……少しは。火球の暴走が抑えられたんです。トールの魔法が、ちょっとだけど安定して」


「ふん」


 グレイサーは鼻で笑うような表情をする。しかし馬鹿にしているわけではなく、何かを面白がっているような、不思議な雰囲気だ。


「それで、お前さんは次は何を狙ってる? 術式を増やすのか、部材を変えるのか?」


「本当は、両方やりたいんですけど……コストがかかるので。今のところ、買える材料は限られている。ミレーヌが商家のツテを探してくれてますが、あれもどこまで融通が利くか……」


 答えながら、ユイスは自分でも理屈っぽくなりすぎているのを感じる。学園の保守派教員に話しても「そんな理論遊び」などと一笑されるのがオチだろう。


「まあ材料も術式も、好きにやるがいい。俺は止めんし、助けもせん。問題児クラスの教師が余計な口出しをすると、面倒な視線が向くからな」


 グレイサーは淡々と言うとコーヒーを一口すすった。その態度は放任主義というよりは、どこかユイスたちを遠巻きに守るようでもある。


 ユイスは一度息をのんだ後、小さく声を上げる。


「先生、ひとつだけ聞いてもいいですか。……僕を、特例奨学生として学園に押し込んだのは先生、ですよね?」


 一瞬、グレイサーのまぶたがわずかに動く。彼は机の上のユイスのノートに視線を落とすが、そのまま何も言わない。


「正直、僕は……魔力量も低く、農村出身で、何の実績もありません。そんな人間がここに来られたのはおかしいんです。保守派貴族も反対してたはずなのに、なぜか入学が決まった。……先生が、強引に推薦したって噂を聞いたんです」


 ユイスの言葉は固く、少し震えている。「奨学生にしてもらえたのはありがたいが、何があったんだろう」という疑問がずっとあったのだ。


 グレイサーは苦笑とも取れない表情を浮かべ、カップを机に置いた。いつもと同じ気だるげな態度だが、その唇の端にはわずかな皮肉が宿る。


「さあな。お前が出した論文の写しを偶然目にして、面白そうだと思った。そんなとこじゃないか?」


「偶然、ですか?」


「そうだ。昔の俺も少しは似たような研究をしようとしてたからな。だが、誰も見向きもしなかった。もっとも、俺は魔力量の問題で手も足も出なかったが」


 グレイサーは目を細めると、飽きたように肩をすくめる。視線をユイスへ戻すと、僅かに声を低めた。


「俺がしたのはそれだけだよ。学園に『面白い原石』があると伝えただけ。お前が勝手に入ってきて、勝手に試作して、勝手に成長してくれればいい。結果が出たら面白いし、失敗して退学になるならそれもまた人生さ」


 最後の言葉は投げやりだが、その奥に滲むものをユイスはかすかに感じ取る。無関心と見せかけて、何かを期待しているのかもしれない。


 沈黙が落ちる。ユイスは心臓の鼓動を大きく感じながら、もうひとつだけ口を開く。


「もし……この研究がうまくいったら、保守派に睨まれるのかなって。まだたいした成果でもないのに、心配しすぎでしょうか」


「さあな。だが、学園の伝統を揺るがしかねない話だと見なされたら、黙っていられない連中は出てくるだろう」


 グレイサーはうんざりするように首を振る。だが、その口調はどこか親身だ。


「俺はお前らの実験を止めるつもりはないし、手助けする気もない。……死なない程度に頑張れよ」


「死なない……ですか?」


「大げさに聞こえるかもしれんが、学園の空気や保守派の動きを見誤ると痛い目に遭う。せいぜい気をつけることだな」


 グレイサーの瞳には、かつての苦い経験がちらりと宿っているようにも見える。そのまま彼は立ち上がり、コーヒーカップを持ってドアへ向かう。


「まあ、俺はあまり手を貸せない。お前ら自身で考えて動くんだな。それが本当の力になる」


「先生……ありがとうございます」


「礼は要らんよ。そもそも何もしてない。ただ、お前が大失敗して学園を去るのはあまり見たくないだけかもしれん」


 グレイサーは意味深な言葉を落として、静かに教室を出て行った。廊下で足音が止まる気配がしたが、すぐに遠ざかっていく。


 ユイスは残された教室で、しばし机の上のノートを眺める。「死なない程度に」というフレーズが胸に引っかかる。実際に貴族社会を揺るがそうとすれば圧力がかかるかもしれない——だが、今はまだ数式理論も半ば手探りの段階だ。大仰に怯える前に、まずは成果を重ねなければ。


 やがて日が落ちて、廊下に誰の姿も見えなくなる頃。ユイスはようやく部屋を出る決心をした。寮に戻って仲間たちと夕食をとり、夜になればまた何か新しい案が浮かぶかもしれない。


「まずは休もう。焦るのは苦手なことが多い証拠だし……」


 ◇◇◇


 夜の寮は静かだ。トールやミレーヌの部屋のほうから、わずかに話し声が漏れるが、ユイスは疲労を感じていたので軽く挨拶だけして自室に入る。再びノートを開き、倉庫での実験記録や改良案を見直す作業を続けた。


(トールの火球が安定し始めたのはいいが、炎の維持と出力調整にはまだ課題がある。次は術式分割をもっと増やしてみるか? ただ、そのぶん刻印の構造が複雑化してコストも跳ね上がる……)


 ペン先を忙しなく動かすうち、微妙な眠気が押し寄せてきた。時計代わりの魔道具を見ると、すでに消灯時間が近い。体調を崩しては本末転倒だと判断し、ユイスはペンを置いてランプの火を落とす。


 闇が訪れると、不思議な静けさに包まれる。遠くのほうでトールが「おいレオン、勝手に俺の菓子を食うな!」などと騒ぐ声が聞こえ、エリアーヌの宥めるような返事が重なる。ユイスは薄く笑みを浮かべてベッドへ体を沈めた。


 次に起きたら、また仲間と一緒に倉庫へ行き、実験を重ねるのだろう。保守派がどう出るかは分からないが、今のうちは考えすぎないようにしよう——そんな思いを胸に、彼はじわじわと意識を手放し始める。


(グレイサー先生には何か事情があるのかもしれない。でも、俺をわざわざ奨学生にしてくれたんだ。……感謝と同時に、いつか本当の理由を確かめたいな)


 ぼんやりとした思考のまま、ユイスのまぶたは閉じていく。廊下のほうで、トールたちの笑い声が少しずつ遠のき、やがて夜の静寂に吸い込まれていった。

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