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8. 問題児クラスの結束?

 ユイスは翌朝、問題児クラス寮の薄暗い廊下を歩いていた。昨夜は庶民街の工房で鉱石を購入し、火力制御用の刻印をどう刻むか考えているうちに、朝になってしまった。生乾きの髪を手ぐしで整えながら部屋を出ると、まぶたがやたら重い。


 古い階段を下りきると、談話室の方から控えめに何かがぶつかる音と小さな声が聞こえた。中へ顔を出してみると、エリアーヌが低い踏み台を使って書棚の上を漁っている。テーブルには可愛らしい模様のポットや小皿が並んでいた。


「……エリアーヌ? 何やってるんだ?」

 ユイスが声をかけると、彼女は驚いたように振り返る。背伸びしながら箱を取り出そうとしたのだろうか、腕の位置がやたら不安定だ。


「あ、ユイス。ちょっとお茶会用の食器を探してたの」

 箱を抱えたまま、彼女はバランスを崩しかける。ユイスが慌てて踏み台のそばで支えようとするが、エリアーヌは何とかこらえて足を下ろした。


「お茶会、か?」

「うん。――あの、クラスのみんなで勉強会っていうか、おしゃべりしながらお茶でも飲もうって思ったの。昨日から考えてて……」


 エリアーヌは箱にしまわれたティーカップのセットを指さし、ほんの少し得意げに笑う。


「私、クラスのみんなともっと仲良くなりたいし……それに、演習の復習とか座学の課題とか、こういう場で一緒にやったら楽しいかなって」


 その言葉には少し意外性があった。問題児クラスは皆それぞれが苦境を抱えており、普段は何となくまとまりきれていない。エリアーヌはよく気を遣ってくれる子だが、こうして具体的な提案をしてくることはめずらしい。


「いいと思うよ。ちょうど話し合いたいこともあるし」


 ユイスは眠気まじりの目を細めながらも、肯定の言葉を返す。エリアーヌが安堵した表情を見せると、その拍子に抱えていた箱が少しずり落ちかけた。彼女は慌てて胸のあたりで抱え直す。


「ありがとう。……でも他のみんなが協力してくれるかどうか……」


「大丈夫だろ。トールたちも反対しないんじゃないかな」


 ユイスがそう言い終わると、ちょうど廊下からトールの声が聞こえた。


「お~い、エリアーヌ~?さっきから物音してたけど、何してん――うおっ、ユイスもいたのか」


 姿を見せたトールは腕を組んで胸を張っている。背は高いが、魔法の制御には苦心している最中だ。エリアーヌの手元を見て、小さく首をかしげる。


「勉強会と、お茶会を兼ねてみんなで集まろうって、エリアーヌが提案してるんだ」


 ユイスが代わりに説明すると、トールは「ふーん」と気のない返事を返した。


「お茶会……俺はそういうのよく分からないけど、お菓子食えるなら参加してもいいかもな。腹は減るし」

 その一言にエリアーヌが表情をパッと明るくして「本当? よかった!」と笑う。トールは目をそらして首を回し、少し照れているようにも見えた。


「朝ごはんのあとに、ミレーヌやレオンにも声かけてみようか」


 ユイスの提案にエリアーヌがうなずき、残りの食器や小道具を準備しはじめる。朝日が差す談話室には、ほんのりと埃っぽい光の粒が舞っていて、まだ少し肌寒い。


 ◇◇◇


 その日の午前、問題児クラス寮の食堂には珍しく全員がそろった。ミレーヌは手に書物を抱えたまま、落ち着かない様子でテーブルのすみっこに座る。レオンは相変わらず皮肉屋の面持ちで、物憂げに椅子に腰かけると、大きくあくびをしている。


「……で、エリアーヌが何かやるって?」


 レオンがおざなりに切り出すと、エリアーヌはそっと席を立ち、お盆に載せたポットやカップをみんなの前に配りはじめた。


「勉強会って言うほど大げさじゃないんだけど、クラスみんなで集まって……うまく言えないけど、情報交換とか、学校の課題を協力して進めたりしてみたいと思って」


 声は少し震えがちだが、エリアーヌなりの精一杯がうかがえる。そこでユイスが口を挟んだ。


「教科書に載ってないことを試そうにも、普段あまり時間と場所がない。それに、ちょっとした相談ごとがあるなら、こういう機会にまとめて話せるかもしれない。……俺は賛成かな」


「ふーん。じゃあ、付き合ってやるか」


 レオンは特に興味がなさそうに目を伏せるが、否定しようとはしない。ミレーヌは「こ、こういうの苦手だけど……」ともじもじしながらも、ユイスが軽くうなずいてみせると、控えめに「皆と一緒なら……」と返してくれた。


 トールはもともと腹が減っていれば何でもいいようで、「おお、いい匂いがするじゃねえか」と早速エリアーヌが用意した茶の香りに興味津々。


「お菓子はないのか?」


「えっと、今日は簡単なクッキーしか用意できなくて。……でも、足りなかったら私があとで焼くね」


 エリアーヌが恐縮気味に言うと、トールは目を輝かせる。


 ◇◇◇


 エリアーヌの企画した“お茶+勉強会”は、問題児クラス寮の食堂で始まった。狭いテーブルを囲むように五人が座り、簡単な資料や教科書を広げる。ミレーヌが苦手な術式演習について質問すると、レオンが意外と詳しく答えたり、トールが横で「そんな理屈いらねえだろ!」と茶々を入れたり。普段はあまり見られない賑やかさだ。


「ユイスって、数式理論を研究してるんだよな。あんまりよく分からないけど、実際どういうことをしてるんだ?」


 トールが大雑把に聞く。ユイスは気恥ずかしそうにノートを取り出した。


「たとえば、火球を放つ魔法があるとする。普通は血統か魔力量で強度が決まるけど、術式の構成を細かく分析すれば、無駄を省いたり逆に補強したりが可能なはずなんだ。数式って……まあ、モノの仕組みをまとめるのに便利で、詠唱そのものを最適化できるんじゃないかと思ってる」


「へえ? 何か、ものすごく頭を使いそうだな」


 トールは素直に感心し、エリアーヌは「理系……って感じだね」と笑う。だが、レオンは口元に少し笑みを浮かべてから、皮肉気味に息をついた。


「でも、魔力量が低いと、そもそも術式を十分回せないんじゃないか? そこまで計算にこだわっても、実戦では貴族の大魔力にはかなわないかもしれないだろう」


 その一言に、ほんのわずか空気が張りつめる。ユイスはレオンを見やりながら、静かにノートをぱたんと閉じた。しかし、彼は落ち着いた口調で言う。


「俺もまだ道半ばだし、そういう疑問は当然だと思う。でも、何もしないより可能性があるなら、試してみたい――そう思ってるんだ。……ごめん、ちゃんと説明できないな」


 レオンは肩をすくめつつ「悪い、興味はある」とぼそり。エリアーヌが急いで口を挟んだ。


「わ、わたしはすごいと思う! ユイスならきっと成功させるよ。……いつかトールの炎魔法も、暴走しなくなるかもしれないし!」


 その言葉にトールがうなずくと、「そうだった! 火力制御リングとかいうやつはどうなったんだ?」と興奮気味に尋ねる。ユイスは笑って首を横に振った。


「まだ素材を手に入れたばかりで、刻印の設計も仮だ。もしかしたら単なる失敗作に終わるかもしれない。でも……いつか完成させたいと思ってるよ」


 クラスメイトたちはさまざまな反応を示した。ミレーヌは頷きながらも、不安げな視線をテーブルに落とす。レオンは黙っているが、先ほどよりも否定的ではないように見える。エリアーヌはユイスを励ますように小さく拍手をした。


 話題も尽きたころ、エリアーヌが楽しそうにふわりと立ち上がった。「じゃあ、ちょっとキッチンを借りてくるね。お菓子をもう少し作ってきたいの! せっかくだし」


 その場の空気がくすぐったいほど和やかだったので、誰も反対せずエリアーヌを送り出す。トールは「甘いもん大歓迎!」と上機嫌だ。ミレーヌは「手伝えることがあったら呼んでね…」と恐縮するが、エリアーヌは「大丈夫だよ、まかせて!」と笑ってキッチンへ向かった。


 ◇◇◇


 彼女は小さなキッチンに潜り込み、帽子代わりにハンカチを頭に巻いて鼻歌まじりで調理の準備をはじめる。いつもは狭く感じるこの場所も、今日はクラスメイトとお茶を楽しんでいると思うと、わくわくして落ち着かない。


「よし、前に家から持ってきたレシピがあったよね……」


 エリアーヌはエプロンのポケットからメモを取り出し、少しだけ躊躇してから材料を揃えた。「クッキーの応用レシピで、簡単なパウンドケーキを焼いてみようかな」と心でつぶやく。普段なら手間がかかりそうで避けるが、せっかく皆が集まっている。少しでも盛り上げたい気持ちが強かった。


 ただ、このキッチンの設備は古い。火力の調整も難しいし、オーブンの温度が安定しない可能性がある。それでもエリアーヌは「大丈夫、なんとかなる」と自分に言い聞かせ、手早く生地をつくり始めた。


 小麦粉や卵を混ぜて、砂糖の量を確認し、バターを指先で丁寧にすり混ぜる。実家の分家では料理人がいたけれど、エリアーヌ自身は子どもの頃から菓子作りを手伝うのが好きだった。落ちこぼれ扱いされてからは、あまり堂々と作る機会がなく、今も少し緊張する。――でも、クラスのみんなが喜んでくれたら嬉しい。


「よし、あとはオーブンに入れるだけ……」


 生地を型に流し込み、慎重にオーブンの扉を開いて中へ入れる。年代物のオーブンは火力が均一でない。途中で何度か様子を見て温度を調節すれば問題ないはず、そう思いながら、エリアーヌは扉を閉じた。


 ◇◇◇


 談話室のテーブルでは、トールが大きく伸びをして「エリアーヌ、まだかな~」と待ちわびている。ミレーヌは苦笑して「きっと頑張ってるんだよ」と宥める。ユイスはノートを開いて、みんなにあまり知られていない基本術式の省エネ方法を図解していた。


「こういう書き換えは、貴族派の理論じゃあまり好まれないんだけど、僕ら問題児クラスなら試してみる価値はあると思うんだ」


 真剣に説明しているユイスを見ながら、レオンがぼそっと言う。「……なんか、お前って真面目なわりに、変わった方向に勤勉だよな」


「そうか? 僕が特別とは思わないけど」


「いや、悪い意味じゃない。――ま、頑張れよ」


 レオンとしては精一杯の応援なのだろうか。トールやミレーヌも呆れたように吹き出した。なんとなくまとまりかける雰囲気に、ユイスは自分たちのクラスが少しずつ前を向き始めているのを感じる。


 そのとき、ふいに焦げつくようなにおいが漂ってきた。ミレーヌが「え……?」と顔を上げると、キッチンの方から白い煙が細く漂っている。


「まさか……!」


 トールが真っ先に立ち上がる。ドアを開け放つと、一気に煙が食堂側へ流れ込む。みんなが慌てて追いかけると、そこにはオーブンの前で半泣きになっているエリアーヌの姿があった。


「ご、ごめんなさい! 温度を調整するつもりだったのに、焦がしちゃって……」


 オーブンを開けると、黒く焦げた生地がきつい臭いを放っている。庫内に残る熱気が煙をさらに広げ、あわてて換気扇を回すが効果は薄い。


「クッキー生地は大丈夫だけど、追加で作ろうとしたパウンドケーキが……こんなに」


 エリアーヌは涙目で固まったまま動けない。トールが「お、おい大丈夫か?」と近づいて手助けしようとするが、煙が苦く鼻を刺す。


 レオンが扉を開け放して換気をし、ミレーヌも「水持ってくる…!」と慌てて走っていく。ユイスは無言でエリアーヌの肩を支え、コンロとオーブンの火元を慎重に確認してからそれを消した。


 結局、あたりは焦げくさいにおいでいっぱいだ。黒煙にまみれたパウンドケーキの残骸を見下ろして、エリアーヌは涙をこぼしそうになる。


「わ、私……もう、ほんとごめんなさい。せっかく、喜んでもらおうと思ってたのに……結局また失敗で……!」


 両手を握りしめ、自分を責めるように顔を伏せる。煙が目にしみているのもあるだろうが、それ以上にショックを受けているのが伝わってきた。


 沈黙を破ったのはトールだった。


「いや、まぁ、焦げたけど……クッキーは美味かったし、茶もあったかかったぞ。お前が頑張ってくれたんだろ? それなら上出来だって」


「焦がすなんて、俺だって日常茶飯事だしな……鍋とか何度駄目にしたか覚えてない。気にすんなよ」


 素朴すぎる言い方だが、トールなりに励ましているのだろう。


「ま、煙は目にしみるけど、こういうのも思い出にはなると思う」


 ミレーヌが控えめにそう言うと、エリアーヌは驚いたようにみんなの顔を見渡す。ユイスもエプロン姿の彼女に近づき、そっと声をかけた。


「いつも自分が失敗したって思いすぎなんじゃないか。俺たちは、こうやって集まれただけでも十分ありがたいよ」


 エリアーヌはぐしゅぐしゅになった目元を何度もこすり、ようやく笑みを取り戻す。大きく息を吐いてから「……ありがとう、ごめんね。もう少し掃除したら戻るね」と震え声で言った。


 ◇◇◇


 しばらくして、食堂の窓を開け放ち、煙と焦げ臭さはある程度外に逃げていった。テーブルにはまだ残っているクッキーと冷めかけのポットがあるが、誰も文句は言わない。むしろ、エリアーヌが失敗を受け止めつつも少し笑えている姿に、ほんのりとした空気が漂う。


「なんか、すげえな。こんなことでも意外と楽しいかもしれない」


「賑やかで、いいよね……」


 レオンは言葉にせず、肩をすくめるだけだが、その目はどこか穏やかだ。


 ユイスは窓際に立ち、外の明るい空を見上げながら思う。――失敗や不出来ばかりの問題児クラスでも、こうやって互いをフォローできれば前に進める。数式理論も火力制御リングも、まだまだ道は遠いが、ひとりで悩むよりはずっとましだ。


 エリアーヌが大慌てで掃除した後、「本当にごめんね、もう変なことしないから!」と恐縮するが、トールが首を振る。


「いやいや、菓子はまだあるし、こういうの悪くなかったぞ。特に俺は焼きたて大好きだから、次は失敗しないよう気をつけてくれ!」

 エリアーヌは泣き笑いしながら「うん、次こそはおいしく焼く…!」と力強く宣言した。


 少しだけ白い煙の残る食堂の空気は、同時に温かい空気も含んでいる。なんだかんだで、問題児クラスは以前より一歩近づいたのかもしれない。そんな淡い予感を抱きつつ、ユイスは自分のノートをそっと開く。そこには火力制御リングの設計案と、仲間のために何ができるか――不器用な文字が並んでいた。


 失敗ばかりでも、仲間がいればやり直せる。エリアーヌの笑顔とトールたちのやり取りを見ながら、ユイスはほんの少しだけ口元をほころばせた。

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