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6. 実技演習

 夕刻、王立ラグレア魔術学園の広い敷地の片隅。石壁の綻びが目立つ古い実技演習場が、問題児クラス――育成クラスに限られた時間だけ開放されていた。


 たまたま同じ時間帯にエリートクラスが隣の新設演習ホールで訓練をしているらしく、そこからは時折、華やかな魔法の爆発音が聞こえてくる。


 それに比べると、こちらは誰にも注目されない――安全対策が甘いのも相まって、人気のない場所。ユイス・アステリアは転がった藁束を見下ろしながら「ここも格差か」と小さく息をついた。


 育成クラスのメンバーが数人で輪を作り、運動着の上に簡素な保護具を身につける。夕陽が差し込む中、トール・ラグナーが落ち着かない様子で右手を握ったり開いたりしていた。


「今度こそ上手くコントロールしてみせる」


 熱っぽい眼差しでトールがひとりごちる。彼は炎魔法が好きだが、これまで何度も制御に失敗していた。今日も補習のような形で、短い演習時間をもらっている。


「トール、焦るなよ」


 ユイスが近寄って声をかけると、トールはわずかに呼吸を整え、拳をぐっと握り込む。


「わかってる。…だけど、もう失敗ばかりもしてられない。時間がないんだ」


 彼の瞳にはどこか切迫感が混じっていた。どれだけ失敗してもあきらめずに挑む姿勢は、ユイスから見ても眩しい。しかし、それだけ切羽詰まっている理由を彼自身は多く語ろうとはしない。


 薄暗い演習場の片隅で、他の育成クラス生もそわそわと見守っている。ミレーヌ・クワントは両手を胸の前で組みながら、友人の成功を祈るように視線を送る。レオン・バナードはやや離れたところに立ち、そっぽを向いたまま様子を伺い、エリアーヌ・マルヴィスはトールの背中を見つめて心配そうにしている。


「さあ、もういいから。やってみろ」


 古い演習用ゴーレムが置かれた先で、実技を担当する教師が腕を組んでいる。その顔に興味や期待はほとんど浮かんでいない。


「できなきゃ時間だけ無駄になるからな」


 トールはうなずき、ゴーレムの前へと立った。


 ◇◇◇


(今回こそ決める!)


 火球を放って標的を破壊するのが目的。上手くいけば教授からも少しは褒められるかもしれない。いや、それより何より、こんなところで失敗ばかりしていては、家族に顔向けできないのだ。


(弟たちの顔が浮かぶ。俺が大きくなって、魔法で稼いでやる、楽させてやるって言ったあの日。自分で決めたんだ。失敗してる場合じゃない)


 特に小さい妹がいつも「トール兄ちゃんの炎、見たい!」とはしゃいでいた。


 この学園で魔法を習得して、大きく稼ぎ――実家を助けたい。今の暮らしを少しでも楽にしたい。それがトールにとっての最大の目標だった。


 大きく息を吸い込み、魔力を右腕に集中させる。手先が熱を帯び、軽い痺れとともに火球の核が生まれ始めた。


(いける。大丈夫、落ち着け…!)


 集中しすぎて周囲の声が遠のいてゆく。が、ほんのわずかに得体の知れない焦りが胸をかき乱した。


 “もっと大きく、もっと強く”という思いが湧き上がり、炎が右手から勢いよく膨れあがる。その瞬間――


「わあっ…!」


 トールの火球は一拍で膨張しすぎ、悲鳴に近い唸り声をあげながら周囲へ火の粉を散らした。


 制御が追いつかない。狙いを定めるどころか、弾け飛ぶように火の塊が宙に散り、ゴーレムの横をかすって実技場の後ろ壁を焦がす。思わず身をかがめたトールは、土煙と燃えかけの焦げ臭い気配に息を詰まらせた。


「おいおい、何してるんだよ」


 教師が呆れた声を漏らす。周囲にいたクラスメイトの何人かが後退りし、レオンは「まったく…」と眉をしかめる。


「大丈夫か、トール!」


 ユイスが走り寄ると、トールは両膝をついたまま、自分の腕をじっと見ていた。大きな火傷はないが、袖先が焦げている。


 エリアーヌが小走りで近づき、目に涙を浮かべながら身をかがめる。


「痛くない?今、手当て…」


 彼女は思い切り不安そうな表情を浮かべている。トールは「大丈夫だ」と下を向いたまま、拳を握り込んだ。


 実技教員は舌打ちまじりに嘆息する。


「またお前か。炎の暴走、これで何度目だ。育成クラスに割ける時間は限られているんだぞ」


 その声は突き放すようで、手を貸そうという気配もない。演習場の貴族寮生らしき上級生が横目でくすくすと笑っている気配が伝わってくるが、トールは悔しさで耳が熱くなるだけだった。


(ちくしょう…またやっちまった。こんなんじゃ、俺は何の役にも立てない)


 ぐっと唇を噛む彼の背後で、エリアーヌは今にも泣きそうな顔だ。ユイスは焦げ跡を見て何か考え込んでいるようだが、まだ声をかけるタイミングを掴めない。


「一旦中断だ、トール。周りに火の粉が飛ぶ危険がある」


 教師が投げやりにそう告げ、道具を片づけ始める。残されたのは、失敗の痕跡が見え隠れする演習場の床と、トールのうなだれた背中――そして気まずい空気。


「くそっ…」


 トールは自分の手を見る。火傷は軽く済んだが、心の奥底で痛みがじわりと広がっていた。弟と妹の顔が脳裏に浮かぶたびに、さらに苦しい。


 その場を見つめていたユイスはそっと近づく。トールの肩に手を置き、低い声で言った。


「怪我はないか?…痛いなら、俺たちでできることは…」


「いや、いい。大したことないから」


 トールは肩をすくめて立ち上がる。立ち直りも早いが、失敗のショックが隠せない顔つきだった。


「トール…」


 ミレーヌがか細い声で呼びかけるが、彼はそれには応えず、壁際に寄りかかって小さく息を吐く。そこへユイスが少し言いづらそうに口を開いた。


「まだ制御に慣れていないだけかもしれない。それに、炎自体の威力はあるんだし、何か補助があれば――」


「わかってるよ。…制御補助、か」


 トールは一瞬だけ視線を上げたが、すぐにまた伏せる。小さい頃から何度も制御の練習はしてきたし、耳にたこができるほど“集中しろ”と教わってきた。しかし結果はいつも同じ。どこかで魔力が暴走し、火球が余計に膨らんでしまう。


(弟や妹に胸を張れるようになりたい。俺はここで成果を出さなきゃ、家に仕送りなんて夢のまた夢だ。…なのに、これじゃ)


 そんな彼の拳を、エリアーヌが恐る恐る包むようにそっと握った。「大丈夫…きっと何とかなるよ」と声をかけると、トールは苦笑してごまかすように頷く。


 レオンはその様子を見ても、皮肉めいた言葉は出さなかった。ただ冷めた瞳で「一度や二度の失敗じゃないんだから」と心の中で呟いているように見える。ミレーヌは落ち込むトールにかける言葉を探せず、曖昧にまばたきを繰り返した。


「…演習、打ち切りか」


 教師が書類をまとめているのを見て、ユイスが思わず口を開いた。

「先生、あと少しだけでも時間を――」

「悪いが、ここはもう終了だ。次のクラスが使う時間になるし、安全面だって十分とは言えん。今日は終わりだよ」


 投げやりな口調に、ユイスは渋々引き下がるしかない。周囲には、失敗したトールを気遣う視線と、諦めのような沈黙が広がっていた。

 トール本人は焦げた袖を見つめたまま動かない。エリアーヌが少し離れた場所で様子を伺っているが、まだ声をかけるタイミングをつかめずにいる。


 数分後、演習場の片づけを済ませた育成クラスの面々が散り散りに帰り始める。トールは少し遅れてひとり、壁際に腰を下ろしていた。

 ユイスは周囲を見回してから、そっと足音を忍ばせるように近づく。


「怪我はないか、トール」

「大丈夫、火傷は浅いし、平気だよ…」


 トールはそう言うものの、明らかに肩が落ちている。目の奥に悔しさが宿ったままだ。ユイスは迷った末、手作りのノートを胸元に抱え込むようにして言葉を選んだ。


「さっきみたいな火球の暴走、何とか抑えられないかって考えてたんだ。俺、前からこのノートに補助魔道具の案を書き留めてて…ほら、火力制御リングみたいなやつ。もしうまく作れれば、炎の出力を安定させられるんじゃないかと思ってる」

 言いながら、ユイスはノートの端を指先で弾いてみせる。いまだ走り書き程度だが、数式理論を応用した制御具の設計がうっすら書き込まれている。


 トールは少し首をかしげると、驚いたような顔でユイスを見た。

「おまえ、そんなモノまで考えてたのか?……正直、ちょっと意外だな」

「実は、ずっと試作だけはしてる。俺の力じゃまだ未完成だけど、もしトールが協力してくれたら、実験データも取れるし何か進むかもしれない」


 ユイスは言葉こそ淡々としているが、その瞳には小さな炎のような意志が見える。トールはうなずきながら袖先をそっとつまみ、未だに焦げくさい布地を見つめた。


「……俺の炎、毎回こんな調子だからさ。もう少し抑えられれば、いろいろ助かるんだけど……」

 そして小さく息を吐く。「魔力量だけはあるみたいなのに、結局は暴走ばかりで、これじゃ何の意味もないよな」


「そんなことない。逆に言えば、出力が高いならそれを活かす方法を見つければいいはずだ」


 ユイスの言葉に、トールは少しだけ救われたような表情を浮かべる。そこへ、少し離れた位置からエリアーヌが恐る恐る声をかけた。


「あの……トール、その、平気……?」

 離れた場所から気遣うように見ていたのだろう。彼女は近寄りたい気持ちと戸惑いが入り混じった様子で、一歩踏み出しては立ち止まる。その姿にトールは顔を上げた。


「怪我は大したことないから大丈夫。……心配かけて悪いな」

「ううん、私、ちゃんと声をかけられなくて……」

 エリアーヌはうつむきがちに言い、トールと目が合うと、そっと一瞬だけ微笑んで「よかった」とだけ小声で付け加える。


 その気遣いに、トールは少しだけ肩の力を抜いた。以前なら励まされるたびに気恥ずかしくなって逃げていたかもしれないが、今は「ありがとう」とだけ返して、自分もぎこちなく笑おうとする。


 レオンやミレーヌの姿も遠巻きに見えるが、それぞれが声をかけるでもなく、静かに成り行きを見守っている。やがてミレーヌが控えめに目線を落としつつ、そっと言った。

「トールさん、もし力になれることがあったら……私にも教えてほしいです」

「はは、みんな優しいな……ありがとう」


 トールはそう答え、周囲に視線をめぐらす。誰も彼を笑わない。その事実に胸が温かくなるが、同時に自分の失敗への悔しさを改めて思い知る。

 目の奥に宿る焦りは簡単に消えそうにない。だがユイスの言う“制御を補助する道具”という考えにわずかな希望を見出している自分に、トールは気づいた。


 ユイスは周囲の空気を読みつつ、声を落として続ける。

「気が向いたら、今度いっしょに試作を手伝ってくれないか。完成する保証はないけど、試す価値くらいはあると思う」

「……ああ。やってみたい。むしろ俺のほうが助けてもらってる感じだけどな」

 トールがそう答えると、ユイスは小さく安堵の息をもらし、ノートを握りしめる。


 気づけば、演習場にはもうほとんど人影がなかった。夕陽が沈みかけ、冷たい風が吹き始める。教師もとっくに帰っているらしく、古びた演習具がやけに寂しく見えた。


「そろそろ寮に戻らないとな。門限が厳しいから」

 ユイスが少し首を回しながら言うと、トールも立ち上がり、腕の焦げを改めて確かめる。エリアーヌが一歩引いた位置で心配そうにしていたが、トールはあらためて「ありがとうな」とだけ伝えて歩き出す。エリアーヌもそれを見て、「うん、また明日」と控えめに返す。


 レオンは「俺は先に行くぞ」と淡々とつぶやき、ミレーヌはトールに軽く頭を下げてから、慌てて後を追う。

 やがて、ユイスとトールは視線を交わしながら、ゆっくりと演習場を後にした。

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