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5. 基礎魔法

 朝は早めに起きたはずなのに、ユイスはわずかに眠い目をこすりながら育成クラスの教室へ向かっていた。夜中までノートを開き、“数式理論”の演算をあれこれ書き続けた余韻が残っている。廊下を歩くと、同じクラスのトールとミレーヌが前を歩いているのが見えた。


「おはよう、ユイス」


 トールが肩越しに振り返る。彼の声はいつも大きい。


「朝から元気だな」


 ユイスがそう返すと、トールはにっと笑う。


「体力だけが取り柄だからな。それに今日は初めての基礎魔法の座学だろ? 変に気合いが入っちまうんだ」


 一方のミレーヌは俯きがちで、声をかけても控えめに頷くだけだった。彼女の視線はどこか落ち着かず、何度も手を組み直している。


 ユイスには、その様子が普段よりも少し不安げに見えた。


「基礎魔法の座学って、普通はそこまで身構えるほどじゃないんだろ?」


 トールがミレーヌを見やる。ミレーヌは唇をかすかに動かすが、声が出ず、一瞬言葉を飲み込む。


「……そう、なんだけど、先生に当てられたりしたらどうしようって……」


 顔を伏せたまま震え気味に呟くのを聞き、ユイスはわずかに眉を寄せる。自分も人前で話すのは得意ではないが、彼女のように強い緊張を抱えたことはない。軽く話を合わせようとした時、ミレーヌが先に教室へ足を向けていった。


 ◇◇◇


 育成クラスの教室は他のクラス棟から少し離れたところにあり、古い木の扉を開けるとぎしりと音が鳴る。そこには既にレオンとエリアーヌが座っていた。エリアーヌは窓際の席に腰掛けたまま視線を机に落としている。レオンは気のないまなざしで後ろの方を陣取り、何やら本を読んでいるようだ。


 やがて、いかにも形式ばった授業をしそうな男性教員が入ってくる。年配というわけではないが、その態度からは血統重視の考え方を当たり前と思っていそうな空気が漂っていた。


「本日から基礎魔法の講義を担当する、アルマだ。もっとも、ただの教科書どおりだがな」


 ぶっきらぼうな言葉のあと、彼は黒板に「魔力量と魔法行使の相関」という題目を書き始める。さらさらとチョークを走らせる手つきからは慣れた様子が伺えた。


 生徒たちに目をやる気配はほとんどなく、彼は淡々と説明を始める。


「この国では血統と魔力は切り離せない。魔力量の多い貴族家が強い魔法を受け継ぎ、古くから王国を支えてきた……」


 最初はそんな“貴族至上主義”をなぞるような定番の話が続く。ユイスは教科書どおりの講義にうんざりしつつも、一応ノートを広げて筆を走らせた。


「“誇りを持つべし”ね」


 小声で繰り返すが、その裏には“魔力量が少ない者には居場所などない”という無言の圧力が潜んでいる。自分のように魔力が低く、貴族でもない者にとっては、その誇りを振りかざされるばかりだと感じた。


「では、この基本術式の構造がいかに血統魔力に根差すか、確認問題を用意してある。……ええと、クワント。前に立って答えてみろ」


 名簿をちらりと見て、教員がミレーヌを指名する。


 ミレーヌは一瞬固まったように背筋を伸ばすが、椅子をぎこちなく引いて立ち上がった。視線は床をさまよい、頬がこわばっている。


「え、えっと……あの……」


 教員は腕を組み、答えを待っているが、その表情には温かみが感じられない。


「この術式における最優先行程は? 教科書をちゃんと読んでいれば、血統による増幅が前提だという点が分かるはずだが」


 教室に静寂が落ちる。


 後ろの方で誰かがくすっと小さく笑った。ミレーヌは肩をすくめながら、まるで何かに押さえつけられるように沈黙している。


「……呪文核…でしょうか…?」


 震える声で答えるが、その言葉に自信はない。


「それだけでは不足だな。基礎の基礎だぞ。教科書を読んでいないのか?」


 冷やかな視線を受けたミレーヌの表情がさらに曇る。


(フォローした方がいいか…でも余計に目をつけられるかもしれない…)


 ユイスは迷い、椅子を半分立ちかけて止まる。結局、ミレーヌは何も言えないまま、教員に促されてうなだれた顔で席についた。


 ◇◇◇


 その後も講義は貴族血統の意義を当然の前提として進んでいく。庶民には努力でどうこうできないとでも言わんばかりに、血統の力を強調する内容だ。ユイスはノートに勝手な式を走り書きしつつ、内心では重苦しい気分を抱えていた。


(非効率すぎる。数式の最適化ができれば魔力量なんて最低限で済むのに……)


 そう思っても、今の段階では口に出す勇気はない。授業中に妙な言動をすれば、ミレーヌのように容赦なく冷たい目を向けられるだろう。


 チャイムが鳴り、座学の時間が終了。教員は特に締めくくりもせず、資料をまとめて廊下へ出ていく。何人かの生徒が「はあ」とため息をついた。


 ◇◇◇


 廊下に出ると、ちょうどエリートクラスの学生たちが談笑しながら通り過ぎた。ギルフォードの取り巻きが華やかな笑い声を響かせ、「もう第二次術式の応用やってるのか」「実技演習の優先枠を取った」といった言葉が聞こえる。


「…やっぱりエリートクラスは、もうそんなところまで行ってんのかよ」


 トールが壁にもたれかかり、悔しげに言う。ユイスも心中で歯噛みした。自分たちが今さら基礎の基礎をなぞっているうちに、エリートクラスは高等魔法の研究に踏み出している――そう考えると、焦りがつのるばかりだ。


「す、すみません…」


 ミレーヌが人混みを避けるように細い声を出す。彼女は廊下の隅に立ち、先ほどの失敗を思い出すのか、まだうつむいていた。


「さっきの授業、私がちゃんと答えられなくて……」


 彼女は申し訳なさそうだが、トールが手を振って否定する。


「いやいや、あんな問われ方されたら誰だって緊張するぜ。何をそんなに落ち込むことがあるんだ」


 ユイスも気になって口を開く。


「答えられなくても別に問題ないと思うんだ。ミレーヌが怯えるくらい、あの教師は冷たかったし」


 少しでも彼女を和らげようとするが、言葉がうまくつながらない。ああいう状況に不慣れな自分ももどかしい。


 ミレーヌは唇をきゅっと結ぶ。


「それでも…恥ずかしいです。私、商家出身だけど家の取引でも失敗したりして、自信がなくて……こんなに緊張するなんて情けない」


 ぽろりと言葉がこぼれ、彼女は視線を伏せる。


「最初から完璧にこなせるやつなんていない。そもそもあれは答えづらい質問だろ」


 ユイスの言葉に、ミレーヌは驚いたように顔を上げる。


「……でも、ユイスさんみたいにちゃんと自分の考えを持っていれば、あんなふうにならないんじゃ…」


 その問いかけをどう返せばいいか、ユイスは少し悩む。自分だって、あの場で突然指名されれば戸惑いを隠せなかったはずだ。血統の話をされるたび、どうしようもなく息苦しい思いをすることだってある。


「難しいと思うよ、俺もまだまだだ。…でも、できることはある。答えられなくても終わりじゃないんだから、少しずつ試してみればいい」


 ミレーヌは目を丸くし、それから小さく笑う。


「ありがとう…。少し気持ちが楽になったかも」


 彼女がそう言った時、エリアーヌとレオンがこっちに合流してくる。レオンはどこか退屈そうに「あー、めんどくさい講義だったな」と吐き捨て、エリアーヌは申し訳なさそうに視線をそらしている。どちらも何か言いたいことがありそうな表情だが、それはまた後で落ち着いて話すことになるだろう。


「さ、次の授業までちょっと時間あるし、いったん休もうぜ」


 トールが言い出し、一同はうなずく。すぐ横を通り過ぎたエリートクラスの学生が振り返りもしないのを横目に、ユイスたちは地味でも自分たちなりの学園生活を掴むしかないと思った。分かっているのは、みんながまだ『スタートラインに立ったばかり』ということだけ。それなら焦らずに一歩ずつ進むしかないと、ユイスは自分に言い聞かせる。


 その胸の奥には、“絶対に見返してやる”という復讐心が燻り続けていた。だが、同時に仲間がこの環境に潰されないよう、何とか支え合う必要がある――そんな穏やかな思いも育ち始めている。血統社会の理不尽を、誰もが納得する形で打破するために。ユイスはノートを胸に抱え、次の可能性を探り続けるのだった。

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